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    (歴史) 学問の知識で人生を考えてはいけない 1

    Category : 運命学と科学
    2月の那須岳


    2月の那須連山を望む



     
    「静かな午後」 の音楽を、どうぞ~!






    今日から『 学問の知識で人生を考えてはいけない 』 シリーズです。


    今日は、1.(歴史)ですから、

    歴史に関するコメントをご紹介しながら進めて行きます。



    ●『天武天皇・・・』の記事をお読みになった拍手コメントからです。


    学生時代日本史は大嫌いでした。

    こういう風に教えてもらっていたら好きになったかもです。 



    こう言っていただけたら、なんとなくコソバユイ感じがします!

    そう、本当は、日本史は、おもしろいものなのですね~!



    ●次のコメントは、


    床錦のうつくしさー奥床しさの言葉を思い起こしました。


    権威や名誉や地位のような男性的な価値観をものさしにした歴史が、

    他には、いっぱいありますが、

    『陰』から見た歴史という試みを、他では見たことがありません。


    こういう視点が、もっと一般的に広まっていたら、

    いまの女性たちも、男性を真似ることなく、

    自分の特性に目覚めたに違いないと思ったわ。


    なにが、女性をしあわせにするのか?

    古いというだけで、捨ててきたものを、もう一度見直さなきゃいけませんね。



    ほんとうにそうだわ~!

    権威や名誉や地位のような男性的な価値観は、『陽』そのものです。


    薪から燃え出る炎は、『陽』です。 薪そのものは『陰』に喩えられます。

    薪を燃えつくすと、炎は、消えます。



    薪は、大地から成った樹木。 大地は、『陰』そのもの。

    すべてを、育む命の大地です。



    樹と薪の存在を抜いた、燃える炎だけを事実だけとする歴史。

    炎の残滓を教え、記憶しないといけない勉強に落ちていますね。

    たしかに、今の人間が、無常の領域から、抜けられないわけです。



    女性的な価値観から、歴史を見ると言うような事は、少ないです。

    また、歴史上の重要人物についての詳細は、ほとんど無視されています。


    たとえば”日露戦争”をとってみても明治天皇が、どうだったのか、

    当たらず、触らず、です。

    だれが、どのような思想で、どうしたのか、さっぱり分かりません。

    こうだと書く視点を失っている。自信を喪失しているようです。

    その上、今の歴史は、唯物史観です。


    権力形成、その形態、権力者は誰か、時代の命名、年代だけです。

    これらは、すべて『陽』の側面のことばかり!

    つまり現象面そのものの列挙です。


    「権力」、その構造における「身分」の「格差」や「階級」は、

    すべて、『陽』です。

    権力を志向する人間の自我を守る意識が、作り上げた造作物にしかすぎません。

    目で見えないけれど意識や権力は、人間の意識の中の造作物にしか過ぎない、

    すべてが、意識のシワザです。



    しかし、


    『天・地』にはもともと格差や階級や権力と言うものはないのです。


    自然の摂理があるのみです。


    その摂理とは、自然はすべてが循環をして、移り変わり、


    時に合ったものが栄え、そうでないものは時によって淘汰をされます。


    自然の摂理から見ると、権力者すら淘汰されます。 



    それを、『天武天皇・・・』のシリーズの記事で書きました。




    こういう歴史の視点が、ありませんね。


    『陽』のみが強調された歴史です。



    それは、人間の欲望を主軸に、如何に達成したのかと言う歴史であって、

    仰るような、なにが、女性をしあわせにするのか?は、捨てられてる。


    たしかに、中高生の女子が、今の男性側に寄った歴史のお勉強を真面目にして

    いたら、”男のように偉くなりたい!”と勘違いするはずですね。 (笑い)


    しかし、決して、今の状態で、男だってしあわせではないのです。。 。


    いままで何度も書いて来た内容なのですが、


    現代は、


    ① 学問=西洋思想・へーゲルの意識=近代合理主義=二元論です。


    =人間と自然に分け=理性・感性に分け=物と精神に分ける。



    そういう近代的自我(個人主義)と自由を主張する人間が、

    現実の全存在を、意識でこのように分けて分けて分けた挙句、

    人間の意識が作ったロジックで組み立てた社会の仕組みです。


    そのフィクション(作り事)の世界の中に、

    近代的自我を持った我々が、孤立をしてバラバラにたたずんでいる。

    それが、科学が進歩?したと言う現代文明の今です。



    しかも、今の西洋文明は、物質文明に根を発している。

    精神をないものとする障害を持ったカタワの文明なのです。 

    ここは、お分かりになってくださいね。



     「要するに人格も法も国家も、すべてはフィクションなのであり、

    迫持(せりもち)、控へ壁などの備へによつて、その崩壊を防ぎ、

    努めてその維持を工夫しなければならぬものなのである」


    「問題は、すべてはフィクションであり、それを協力して造上げるのに一役買つて

    ゐる国民の一人、公務員の一人、家族の一人といふ何役かを操る自分の中の

    集団的自己をひとつの堅固なフィクションとしての統一体たらしめる原動力は何か

    といふ事である。 それは純粋な個人的自己であり、

    それがもし過去の歴史と

    大自然の生命力に繋つてゐなければ、人格は崩壊する。

    現代の人間に最も欠けているものはその明確な意識ではないか」


    引用:「福田恆存全集 6 覚書 」より




    すべて意識できる範囲という狭い領域に、

    人間が造った知識とガラクタの寄せ集めです。




    これでは、どこまで行っても人間も自然も、解りません。

    解りもしないこの空間に生じる新たな生まれ出た命は、

    自然の本然的な天災の災害から来る苦労に耐えるまえに、

    イビツナ社会を受け入れるという課題をコナサナケレバならない。




    これが、仏法の説く、四苦の中の「生」の苦の一部です。


    知恵と運が無くては生きていけない「この世」なのに~

    それを、知識だけで生きようと?  あはは。

    よっぽど運がいいのか、蛮行そのものだわ~。




    ある意味、この文明の中では、

    すべてが、人の意識が造ったフィクションであり、

    時とともに色あせる、いつか嘘になるロジックでしかない。


    人間は、地球上に、なんとガラクタなロジックを、

    いっぱい作った事でしょうか!  

    ロジックでは、子供はつくれませんし、産めません。  あはは。


    なのに、この人工のロジックで、

    人が生き、人が産み、人が死ぬ、人の生を語ろうとする科学文明、

    もってのほかです!!!!! 



    学問とは、人間の意識の範囲でのぞいた宇宙のほんの断片です。

    すべて、束の間の仮説であります。

    無常を克服できない、低レベルのしろものです。


    どうか、それっぽっちの知識で、ご自分の人生を決めないで...ほしい。


    人ひとりの、


    ② 生、人生、子供を産む、出会う、不幸、幸せ、歓喜、寿命、命、死。


    これらは、すべて意識できない領域からのエネルギーで成り立っています。

    『陰』の活動力です。


    今、活発に活動をしている”新燃岳”の噴火、マグマ、もそう!

    マグマに対して、アノ東大の先生方が、できる事は、

    重力計を、新燃岳まで運んで行ってマグマの動きを窺うだけなのよ! あはは。



    ウカガウだけ・・・・・コントロールなんて、とんでもない!


    だから、ちょっと本を読んだからって、

    学問をして知識を知ったからって、知ったかぶりして、

    ②のエネルギーを、①でコントロールしようなんて傲慢なの!




    ②の領域は、無辺大です。宇宙と同じ広さ。

    ①は、鉛筆の芯で、コツンと打ったメモ紙の上の小さな点。  あはは。


    だけど、現代文明は、コントロールできる、と言う幻想を捨てません。

    なんと、愚かな...商売にまでしている輩がいます。





    世間には①の情報ばかりが、ゴウゴウと流れていますね。

    お金が欲しい人たちが、ゴウゴウと、ゴミのような知識を流し続けているからです。


    いつのまにか知らずに、ゴミのような知識で、人生を見てしまう私たち。


    現代文明のなかで、自らの頭で考えていると思っているのかも知れませんが、

    実は、現状はそうではなく、

    あらゆる方向から、そう考えさせられているのではないのか? 



    この、あらゆる方向とは、何なのか?

    今の歴史も、そのプロパガンダの中のひとつです。








    何時から私達は、この不幸を、背負うようになったのか?


    原点は、やはり、幕末期から明治維新にかけてのわが国の、

    西洋文明の取り入れ方に、問題点があったのではありませんか?



    幕末維新期、幕府側も、西洋の物の考え方を知ろうと、

    西周津田真道、等を、オランダ留学に派遣をします。

    徳川幕府も、本気で西洋の近代を理解しようと奮闘していたのです。


    彼等の名前は、福沢諭吉ほど世の中に知られておりませんが、

    彼等が学んだ成果は、質量ともに福沢や他の当時の人と比べると、

    勝るとも劣らない学識、群を抜いているのです。




    現在、私たちが当たり前に使っている「理性」「哲学」と言う言葉を、

    オランダ語から翻訳をして作り出したのが、西周(にしあまね)です。

    他に、主観・客観・帰納・演繹・悟性・知覚・感覚・総合・分解、

    等の訳語は、今では完全な日用語になっています。


    これ等の訳語に見られるように、西洋文明の内容を含む言葉の和訳の過程で、

    西洋と言うものを、どのように受容するのかと言う姿勢が問われたはずです。



    その受容の姿勢や基準は、自国の伝統と文化が尺度になったはずですが、

    ある意味、それは、西周の精神の中の葛藤を呼び起こすものだったに違いない。

    日本と西洋の違いを再確認する事だったに違いありません。


    自国の伝統と、西洋のそれと、食うか? 食われるか?

    熟慮、葛藤をしたはずです。



    と言うのは、幕末期から維新にかけて、余裕のない日本人の精神状態、

    開国を迫る黒船のアメリカの圧力、

    国の存亡を賭けて、決めて受け入れなければならなかった。


    急ぎ受容を迫られていたわが国は、

    そのまま西洋を”普遍の真理”として受け入れざるを得なかった。 



    それは、オランダ語を日本語に翻訳すると言う言葉だけの問題ではなく、


    具体的には、西洋のロジックを「正」として受け入れる事は、


    暗に、我が身=東洋・アジア・日本を、

    ”特殊”として、目の前から外し、足元に遺棄せざるを得なかった.....

    両手から東洋を捨てざるを得なかったはずです。 



    その葛藤の中での西洋の受容ではなかったか?

    いまだに我々の精神は、心から西洋を受容できずに、

    その矛盾と葛藤の中で、金縛り状態です。



    西洋が一番で、日本を含むアジアが2番でいいのか?

    それでは、ダメなのですよ。 (笑い)


    子供のじゃんけんじゃない、負けても次があるという物じゃない。



    ”二番では、だめなのですか? ”  

    蓮舫議員の、あの発言が、思い出されます。  (爆笑)


    くだらない世間知らずな質問をした? 蓮舫議員~! 


    チャーミングな女だったから、笑って許し、済ましたものの、

    今度は都知事選に? 何を?するつもりなのかしら?  




    世界の国々の経済が、「力の論理」で成り立っている以上、

    一番でなければ、先がないのです。


    つまり、2番以下は、一番に支配をされる訳です。

    2番以下の殺生与奪の権利は、1位である者が握るのです。



    それが、国益のぶつかる外交、世界政治の現実です。

    対外国との交渉事です。


    ロシアは、北方領土に、軍事施設を作るそうです。 


    一番になれる名誉?なんかはどうでもいいのですよ。

    自分が一番でないと、一番の相手に潰されるから、

    一番を目指さざるを得ないのです。 あは!

    厳しさを、何もわかっていない蓮舫議員~!  あはは。


    こんな国会議員で、だいじょうぶですか? (苦笑)

    政治は、白いお洋服を着るファッションショーではない。 あはは。



    この実態が、生存の掟、『陽』の世界の偽らざる現実です。


    別名、弱肉強食の世界、です。

    自然淘汰、競争原理の世界です。 『陽』そのものです。



    そう言う列強の迫り来る環境の中で、

    幕末期、国防を賭けて、日本は、西洋のしきたりを受け入れました。


    これは、西洋の「力の論理」を認め、屈した事であり、

    =今思えば、東洋の敗北だったのでしょう!



    だから、この屈辱的な維新のすべてが結果正しかったなんて言えません。

    しかし、その検証と反省の為には、今は、まだ早すぎる時のようです。

    オーソリティの方達は、だれも声をあげません。





    こうして、日本はどこまで流されていくのですか?




    この西洋の近代を受容した時点から、

    東洋は、日本は、欝(うつ)のシンドロームのなかに入ってしまった。




    その延長が、近代化をなしとげたと言う現代の日本です。


    自らが、両手から滑らし、足元に落として2番手の扱いをした自国の伝統を、

    お節句に飾るお雛様のように、年に一回位、気休めに持ち出すだけでは、

    負けは、負け、負けは変わらないのです。




    65年前の敗戦と言う屈辱も、その延長上に、当然来るべきものでした。





    次は? いつ? どんな屈辱が、最後の止どめ? いつ来るの?



     今は、そこまで考えなければいけない時点です。




    それを避けるためには、何をしなければならないのか?

    お考えになってください。。 。





    それには、西洋かぶれした歴史の解釈だけでなく、


    侵略と権力を生む、人間の欲望の歴史ではなくて、


    『徳』を基軸にした歴史観、東洋的歴史観の視点を、持ちたいものです。 






    あまり深刻に考えると、パニックになりそう!

    どうでもいいじゃない? 今がしあわせなら~~ (爆笑)


    そうならない前に、、、無気力になったら敵の思うつぼだわ。 あはは。


    この社会が、現代の我々の不幸を増幅しているのです。


    いいえ、


    私達の不幸の原因は、社会のせいと言っているのではありませんよ。


    それに、気づけない自分に、原因と、不運があるのですよ。








    次のコメントまで、今日はご紹介したかったのですが、記事が長くなりました。

    ご紹介だけに止めて、また、続きは次回へ廻したいと思います。



    女性は「陰」ですから、

    「陽」である男性の成長とは形が違っていい。当然だと思うのです。


    女性流の成長を目指せるのでは、と思います。


    男性の成長は「前に進む」「上に積み重ねる」など、動のイメージですが、

    女性の場合、「動じない」が理想のイメージです。

    (動かない、変わらない、とも違って。)

    強いて動きで表すとしたら、「山の裾野を広げる」という感じでしょうか。


    ただ、「女性は陰、男性は陽」という大前提を

    全ての人が受け入れられるのかどうか...

    それが通じない(=感覚として理解できない)から

    今のようになってしまっているのだとしたら、

    どうしようもなく深刻だと思います。




    冒頭の写真、那須岳ですが、「山の裾野」のイメージで選びました。


    いかがでしょうか? (笑い)


    写真をクリックしてみて、右端にもっと那須連山が続いています。




    もっと、ご紹介したいコメントが溜まっています。

    お返事お待ちになってくださいね。


    よき週末を、おすごしください!






























    参考文献:

    東京大学出版会『近代日本の政治構想とオランダ』大久保健晴 著

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。



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    テーマ : 歴史
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    わたしのコメントを、

    自分が書いた以上に理解をしてくださって、感激です。ありがとうございます!=
    こんなに長い記事になるなんて、ほんとうにすごいです!おどろいています。=

    歴史観に徳の視点を持てれば、歴史をもう一度お勉強したくなりますね。=
    そうすればカラカラの砂漠のような現代社会に、潤いを感じられるようになるでしょう。=
    徳で政治を行った殿さま、王さま、というはなしも昔の話で今の政治とは、縁遠いことです。=
    将来、現代は欲ぼけの時代?それなら悲しすぎます。なさけない。=

    Why...?

    音楽のせいかもしれないけど、なぜか、涙が出てきて泣けてきました。
    cosmosさんの日本の国を思う暖かい気持ちが伝わってきたのですね!
    ほんとうに、東洋への愛情を感じます。
    私たちが、精神的な主体性のある国へなれますように、切に願います。

    夜回り~

    外は、夜気に寒気、さむい。
    おっ、福田恆存はスゴイ人だ、本当。
    今晩は、cosmosさんが大砲を打ちつづけて
    たぶん寝られない。 
    寝不足は宇宙のせい?
    いや、自覚がないからか、、

    No title

    テストで高得点できる知識はできる限り短い時間で済ませ、

    自分自身も含め、「徳」を基軸とした歴史観、東洋的歴史観の視点を持てるようにしたいと思いました。

    人に対する優しい思いやり、自然を愛する精神、静かで平和な生活を追及する人生の理想などを
    大切にしていかなければなりません。

    『ラベッツ博士の科学論』

    非常にまじめなブログですね。科学の事を書かれていますのでジェローム・ラベッツの本を紹介します。
    『批判的科学』で知られる科学社会学者です。

    現代科学は、「客観性」と、「確実性」を失いつつあります。
    今の世界的な無謀な自由経済状況の下では、すべてが正しくあるのは困難に違いないのです。
    ノーマルサイエンス(通常科学)と呼ばれる、昔のままのイメージが通用するのは、教科書と実験室の中だけです。型どおりの研究活動をする科学を言います。

    現代科学においては、環境問題を起こしているのは科学技術です。
    遺伝子操作に見られるように、科学技術から科学政策といった区分をきっちり区別をして、「無知と不確実性」への対応をしないと何が起こるかわからない時限爆弾を抱えているような現状に対処するのが科学を扱う為に、喫緊に急がれる壁です。
    このような科学技術は、科学者でさえ「意図しない科学的結果」を、もたらします。

    今の科学においては、「専門家の知識がベストである。」という、信用性は当てにならない。
    これを、ジェローム・ラベッツは、先のノーマルサイエンスに対比して、(ポスト・ノーマルサイエンス」と呼んでいます。
    科学者のピア・コミュニティ(同僚集団)の必要性と、それに加えて、
    非専門家を加えた「拡大ピア・コミュニティ」をつくり、そこには、普通の市民の参加を呼びかける事を推奨しています。
    科学者が、自分の自己満足や、名誉欲の為に暴走をすることに歯止めをかけようとしているのです。
    科学のすべては新しく、それに対処する刺激的な問題提起をしている。
    是非、一読をお薦めします。御代川貴久夫:著 (こぶし書房)

    No title

    広い裾野...どっしりとした山を見ると、安心します^^

    女性の社会進出や、「仕事も結婚も子育ても、全部手に入れよう!」っていうのが流行みたいになっていて、自分の向き不向きも考えず、生き方そのものがファッション化されてるように感じます。
    ひとつの方向しか見ていないのが、すごく不自然に思えます。
    そういう意味で言えば、「バリバリ働くのも疲れたし、先も見えないし」ってことだけで一斉に「陰」に転じるのであれば、それもすっごくおかしな話だと思うんですね。
    単に流行なのか?こんなに軽くていいのか?と...。

    女性だけじゃなく。
    女性が怖くて口にできないだけならいいのですが(や、良くないけど)、男性も分かっているのかな?
    「この『陽』に向かっての突っ走り方は、絶対ヘンだよ」って感じられていないとしたら、それがすごく問題で、怖いと思うのです。

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    Re: わたしのコメントを、

    > 自分が書いた以上に理解をしてくださって、感激です。ありがとうございます!=
    > こんなに長い記事になるなんて、ほんとうにすごいです!おどろいています。=
    >
    > 歴史観に徳の視点を持てれば、歴史をもう一度お勉強したくなりますね。=
    > そうすればカラカラの砂漠のような現代社会に、潤いを感じられるようになるでしょう。=
    > 徳で政治を行った殿さま、王さま、というはなしも昔の話で今の政治とは、縁遠いことです。=
    > 将来、現代は欲ぼけの時代?それなら悲しすぎます。なさけない。=


    ★お返事がおそくなり、申し訳ありません~~!
    先週末から、伊豆のほうへ行っていまして、歩き回ったせいで、
    体は、筋肉痛がしますし~、
    頭は、ぼんやり~浦島太郎のようです。 あはは。
    あまり、よいお返事が書けないかもしれません~ お許しを~! あはは。
    歴史を、自分で読み返してみるという事ですが、その自分が、どんな観点を持つかという事が大事ですね。
    そのために、また明日から精進ですわ! がんばりましょうね。
    ありがとう☆cosmos

    Re: Why...?

    > 音楽のせいかもしれないけど、なぜか、涙が出てきて泣けてきました。
    > cosmosさんの日本の国を思う暖かい気持ちが伝わってきたのですね!
    > ほんとうに、東洋への愛情を感じます。
    > 私たちが、精神的な主体性のある国へなれますように、切に願います。


    ★あら! いっしょに泣いてくださってありがとう~!
    これから先の日本の事を考えると、涙が、でてきます。。。東洋へ愛情、そうかもしれません。
    大好きな日本と、アジア、地球ですから、、、 あはは。
    今日は、体のあちこちが痛くて、心地よい筋肉痛です。 また、体が丈夫になれる、そう思っています。
    ありがとう☆cosmos

    Re: 夜回り~

    > 外は、夜気に寒気、さむい。
    > おっ、福田恆存はスゴイ人だ、本当。
    > 今晩は、cosmosさんが大砲を打ちつづけて
    > たぶん寝られない。 
    > 寝不足は宇宙のせい?
    > いや、自覚がないからか、、


    ★さむい、ながらも春は、すこしづつ、伊豆は桜が咲いていましたよ~!
    そうか、大砲を撃っていたからかな?  体中が痛いのは、、、足が特にです。 あはは。
    ぐっすり寝てくださいませ~ね。
    いつもお仕事を遅くまでなさっていながら、お心をおかけ下さり、ありがとう☆cosmos

    Re: No title

    > テストで高得点できる知識はできる限り短い時間で済ませ、
    >
    > 自分自身も含め、「徳」を基軸とした歴史観、東洋的歴史観の視点を持てるようにしたいと思いました。
    >
    > 人に対する優しい思いやり、自然を愛する精神、静かで平和な生活を追及する人生の理想などを
    > 大切にしていかなければなりません。


    ★ちょ、ちょっと勘違い?かもしれないわ~? (笑い)
    テストの為はもちろんですが、これからの未来ある子供たちに、世界で活躍して貰う為には、『陽』の武器を身につけさせてあげなければいけないわ!
    そのためには、ご遠慮なく、お仕事にお励みくださいね。ご活躍を祈っております。
    列強の『陽』と、戦うには、それなりの武装が要ります。『陰』のバックアップを受けた知識が、どうしてもいります。一度、近代化したら、それをストップする事はもうできないのです。
    後は、走りながら考えなきゃ~!  あはは。   がんばってくださいね。
    いつもありがとう☆cosmos

    Re: 『ラベッツ博士の科学論』

    > 非常にまじめなブログですね。科学の事を書かれていますのでジェローム・ラベッツの本を紹介します。
    > 『批判的科学』で知られる科学社会学者です。
    >
    > 現代科学は、「客観性」と、「確実性」を失いつつあります。
    > 今の世界的な無謀な自由経済状況の下では、すべてが正しくあるのは困難に違いないのです。
    > ノーマルサイエンス(通常科学)と呼ばれる、昔のままのイメージが通用するのは、教科書と実験室の中だけです。型どおりの研究活動をする科学を言います。
    >
    > 現代科学においては、環境問題を起こしているのは科学技術です。
    > 遺伝子操作に見られるように、科学技術から科学政策といった区分をきっちり区別をして、「無知と不確実性」への対応をしないと何が起こるかわからない時限爆弾を抱えているような現状に対処するのが科学を扱う為に、喫緊に急がれる壁です。
    > このような科学技術は、科学者でさえ「意図しない科学的結果」を、もたらします。
    >
    > 今の科学においては、「専門家の知識がベストである。」という、信用性は当てにならない。
    > これを、ジェローム・ラベッツは、先のノーマルサイエンスに対比して、(ポスト・ノーマルサイエンス」と呼んでいます。
    > 科学者のピア・コミュニティ(同僚集団)の必要性と、それに加えて、
    > 非専門家を加えた「拡大ピア・コミュニティ」をつくり、そこには、普通の市民の参加を呼びかける事を推奨しています。
    > 科学者が、自分の自己満足や、名誉欲の為に暴走をすることに歯止めをかけようとしているのです。
    > 科学のすべては新しく、それに対処する刺激的な問題提起をしている。
    > 是非、一読をお薦めします。御代川貴久夫:著 (こぶし書房)


    ★私の拙作ブログへお立ち寄りくださり、大変うれしく思います。
    そして、長文のコメントありがとうございました。
    次、引かせていただいて、記事にしたいと思います。
    よろしくお願いします。☆cosmos

    Re: No title

    > 広い裾野...どっしりとした山を見ると、安心します^^
    >
    > 女性の社会進出や、「仕事も結婚も子育ても、全部手に入れよう!」っていうのが流行みたいになっていて、自分の向き不向きも考えず、生き方そのものがファッション化されてるように感じます。
    > ひとつの方向しか見ていないのが、すごく不自然に思えます。
    > そういう意味で言えば、「バリバリ働くのも疲れたし、先も見えないし」ってことだけで一斉に「陰」に転じるのであれば、それもすっごくおかしな話だと思うんですね。
    > 単に流行なのか?こんなに軽くていいのか?と...。
    >
    > 女性だけじゃなく。
    > 女性が怖くて口にできないだけならいいのですが(や、良くないけど)、男性も分かっているのかな?
    > 「この『陽』に向かっての突っ走り方は、絶対ヘンだよ」って感じられていないとしたら、それがすごく問題で、怖いと思うのです。


    ★山は、いいですね!
    先週から伊豆へ行って来ました。藪の中を歩き回ったのですが、(笑い)藪の切れ目の青空を仰いで振り返れば富士が、そこにありました。ほっとします。

    ”全部、手に入れよう”なんて、無理よね。欲が深すぎます。(笑い)最後は、家族がバラバラか、病身です。全部を手を入れるような人は、極く、極く、たまにはいます。家系や本人の『陰徳』に重厚に守られていて、尚且つ、自分が望むのではなくて夫の父親やその上の序列の人物から強く望まれた結果、断り切れなくて外に出ます。ずっと、守りがあります。扇千影さんなどが、いい例です。
    ”生き方そのものがファッション化”それこそが、マスコミや情報機関が得意とする手練手管であり、自分たちに都合がいいようにと狙っている宣伝でしょうね。女が、あおられているのです。
    その後ろに、政治があり、経済の仕組みがあります。

    いろいろ考えを思索し体験をして、深めていってくださいね。ありがとう☆cosmos

    鍵コメントさんへ

       コメントありがとうございます。
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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