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    《近代化の影 1.》 『ラベッツ博士の科学論』/わが国の近代化のジレンマ (コメントより)

    Category : 運命学と近代化
    那須高原 冬


    那須高原・大雪





    今日は、前々回の記事にいただいた2つのコメントからの記事です。


    一つ目は、『ラベッツ博士の科学論』を紹介するコメントをいただきました。

    二つ目は、『わが国の近代化におけるジレンマ』と題するコメントをメール

    でいただきました。

    少なからず激しい記事になるかもです。 (笑い)


    『 非常にまじめなブログですね。

    科学の事を書かれていますのでジェローム・ラベッツの本を紹介します。

    【 批判的科学 】で知られる科学社会学者です。



    現代科学は、「客観性」と、「確実性」を失いつつあります。

    今の世界的な無謀な自由経済状況の下では、

    すべてが正しくあるのは困難に違いないのです。 



    ノーマルサイエンス(通常科学)と呼ばれる、昔のままのイメージが通用す

    るのは、教科書と実験室の中だけです。

    型どおりの研究活動をする科学を言います。



    現代科学においては、環境問題を起こしているのは科学技術です。


    遺伝子操作に見られるように、

    科学技術から科学政策といった区分をきっちり区別をして、

    「無知と不確実性」への対応をしないと何が起こるかわからない時限爆弾

    を抱えているような現状に対処するのが喫緊に急がれる壁です。



    このような科学技術は、

    科学者でさえ「意図しない科学的結果」を、もたらします。

    今の科学においては、「専門家の知識がベストである。」という、

    信用性は当てにならない。



    これを、ジェローム・ラベッツは、先のノーマルサイエンスに対比して、

    ポスト・ノーマルサイエンス」と呼んでいます。

    科学者のピア・コミュニティ(同僚集団)の必要性と、それに加えて、

    非専門家を加えた「拡大ピア・コミュニティ」をつくり、

    そこには、普通の市民の参加を呼びかける事を推奨しています。



    科学者が、自分の自己満足や、名誉欲の為に暴走をすることに

    歯止めをかけようとしているのです。




    科学のすべては新しく、それに対処する刺激的な問題提起をしている。

    是非、一読をお薦めします。御代川貴久夫:著 (こぶし書房)』 





    このブログへお立ち寄りいただき、情報をお伝えくださった事に、

    感謝申し上げます。




    そうですわ! 私たちは、普段、科学と言えば、

    教科書と実験室の中の科学を思い起こしますね。

    でも、たしかに

    「無知と不確実性」の袋小路へ行き着いた個人主義の社会の中で、

    科学だけが、優等生で昔のままだなんて誰も信じられないですね。



    実は、5,6年前になりますが、

    運命鑑定の相談にやって来られた女性の相談内容から、

    今回ご指摘の科学の行く末に対する不安が溢れて来て、

    未だに消えずに、、、

    今、それを思い出している処です。 



    さる大学院の男性教授と、研究者の女性2人と計3人で、

    遺伝子組み換え技術の特許でベンチャー企業を立ち上げた直後、

    男性教授と、もう一人の女性の関係の為に、

    男性教授を信頼できなくなった。

    ベンチャー自体から遠ざかりたいが、

    特許の共同権利等、研究目的もあって、

    どうすればいいだろうかと言うような御相談でした。


    学業、学問優先で、社会性や組織の人間関係の経験がない若い優秀な

    人材が、時代の先端技術の開発を、競争心や夢を煽りながら、

    ベンチャー企業という経済活動、行動に出て行けば、、

    「意図しない科学的結果」に出会うだけでなく、

    「意図しない人間関係」、「意図しない利害関係」にも出会うわけです。
     


    両刃の剣である先端科学の研究成果、そのベンチャーを立ち上げて、

    一体全体、誰が、ガバナンスをするんだろう? 

    そこではモラルハザードは、どうなっているのだろう? ...と。 あはは。 



    時代の最先端を行く技術とすばらしい頭脳、機会に恵まれている反面、

    複雑な人間関係等に見られる未熟な一面を垣間見て、

    今の教育に於ける知情意のアンバランスさの現実に、驚きと共に、

    やはり! と言う得心を覚えたものでした。

    研究結果の特許商品の中身にまで不安を覚えた事があります。 





    知識の集積は、まったく徳性とは比例しません。 




    規制改革に伴う、自由な経済活動の流れで、欲望の為すがままでは

    困惑する状況も生まれるのであろうと、半ばあきれた記憶があります。


    おかげさまで、科学者のピア・コミュニティ(同僚集団)や、

    非専門家を加えた「拡大ピア・コミュニティ」の必要性は、理解できます。


    しかし、そういったもので解決できるのか? 






    現代科学の「無知と不確実性」を生む深層の奥底には、

    いわゆる西欧の”近代化 ”が関連しています。


    次の「わが国の近代化のジレンマ 」と言うコメントともリンクしますが、


    近代化は、

    過去の伝統的な価値観を世俗化し、相対主義を台頭させました。



    キリスト教文明を生み、そこに基盤を置く西欧の近代国家において、

    宗教離れの進行=バチカン・キリスト教会への求心力の失墜があります。



    言い方を変えれば、キリスト教において、

    教会の伝統的な絶対価値観が揺らぎ = ”神の権威が失墜 ”した

    のであり、現代科学や社会規範をリードできる力が、

    神に無くなったと言う事です。


    キリスト教思想の土壌という母体から生まれた産物、

    共産主義や資本主義、(共産主義は、もう決着が着いたものの、)

    近代合理主義から派生した科学が、勝手な暴走を始めて、

    母なる教会の言う事を訊かなくなった。

    キリスト教そのものの西欧における無力化を示しているのです。 



    現ローマ法王も、

    西欧世界で生命、家族倫理、宗教心が希薄化した事や、

    神に従わない人々が、人権や自由や平等には従うと言う現実に、

    新たな神が現れたと、嘆かれていると言うのを、

    過去に記事に書きました。


    近代化による伝統的価値観の世俗化、これは日本や西欧だけの事です。




    世界の他の地域は、アメリカでは、宗教的保守派が政治に存在感を示し、

    むしろ宗教の影響力は強まっています。

    イスラム圏からアフリカ、南北米、東欧、南アジア、は宗教復権が

    進行中です。

    ロシアや東欧は正教会の復権が進んでいます。 


    と同時に、宗教間、宗派間の軋轢が増しています。







    科学を暴走させるスキを与えた近代化とは、何だったのか?




    人間の意識によって生み出された新しい観念的な価値である

    (★1.個人の人権、自由、平等観)等が台頭する事によって

    それまでの伝統的な絶対的価値であった

    (★2.宗教、家族倫理、社会倫理)等の相対化を起こした。 


    それは、つまり

    ★1と言う新参者が絶対的価値になり、★2に置き換わったのです。


    それは、すなわち、

    ★2の今までの普遍的とされ伝統ある絶対的な価値が、

    政治経済と対等な道具に、配下に、家来に成り果てると言う事です。 



    それが、相対化と言う事です。



    しかも、まだあります。


    ★1の価値観は、

    人間の意識が作った意識上の観念による抽象概念でしかありません。


    ★1の価値は、この宇宙に元々存在していたのか? 


    さぁ~?

    だれもが、

    これ等の価値(個人の人権、自由、平等)の実現が可能なのか ?

     

    この宇宙の、自然の摂理に反するものが実現する目途はありません。


    なぜなら、この世界は、人間の理性が作ったオモチャじゃないのです。



     


    近代化のロジックは、

    世界的に共感を呼ぶプロパガンダである事には、間違いないようですが、

    新興宗教、その教義のようなものです。

    洗脳に成功し? なぎ倒した国は、西欧と日本のみです。



    片手にこの教義を持ち、もう片手に武器を持ち、広まった宗教です。


    その証拠に、これを信じた人間は、生命よりも大事だと思い込み、

    ★1の獲得の為に、血を流し、戦うようになります。


    ★1の概念は、生命の犠牲を要求する絶対価値観に登りつめています。 


    人権と自由と平等を教義とする宗教の本尊は?   

    それは、人間の欲望が本尊でしょうか?  あはは。



    現代科学の「無知と不確実性」を、生み出した元凶と言えるでしょう。

    調査捕鯨を邪魔するシ-シェパード、あれも一つの宗派でしょう。 (笑い)




    命あっての体、体の部分であっての脳の前頭葉、

    その前頭葉の機能の一つである理性が作った価値に命を賭けるなんて?



    まさに、倒錯! これが西洋的思想の真骨頂です。 (笑い)

    東洋思想では、欲が作った単なる妄語(根拠もなくみだりに言う言葉)。



    しつこく言いましょう。

    体が光を受けて地面に伸びる影。体と影、どちらが主体ですか?

    影を獲得する為に、体を失ってもいいのですか? ?

    実態のないものに、自己存在のすべてを賭けて戦うのですか?



    それが、近代化以降の世界です。 


    近代化は、

    人間が自己を見失い迷路に入った代償に、

    利便と物質をもたらし、

    次は、その利便性の権化である物・兵器で生命への攻撃を準備し、

    その次は、生命維持の物質・食料の奪い合いです。


    物質文明の終点、その戦いは、もうすでに始まっています。


    人間は、簡単に自分が作った言葉と観念の奴隷に成り果てるのですね。

    最後、その為の戦争を始める。

    65年前もそうでした。。。


    このブログの読者には、もう、お分かりの事と思いますが、


    意識は、『陽』であり、その行き着く先は、「偽」であり、

    その「偽」の実態は、生命よりも観念を尊ぶ愚かさです。

    実在の生命よりも、非実在の観念を守る野蛮です。

    生命の尊厳の軽視、その本領発揮の具現する現場が、「戦場」です。


    そこが、『陰徳』を捨てた『陽』の現場であり、果てなのです。 



    近代合理主義が、”意識 ”を主役スターにして、

    近代化と言うfeature program・特別番組を放送し続けています。


    我々は、近代化の成れの果てまで見続けて、

    The End の地獄を眺めたくはありません。




    科学と言う人間の意識が作り出した巨大な道具を、どう使っていくのか?

    それを、解決しなければいけない時点に立っているわけです。

    しかし、

    キリスト教思想を母体として生まれて来る哲学では、解決は無理です。

    今の上塗りのロジックにしかなりません。

    もっと巧妙になるだけ...


    ”広く深い東洋の叡智を探索しなくてはいけない。 ”








    次は、

    わが国の近代化のジレンマ と言うタイトルでいただいたコメントです。


    『我が国の特殊性は、

    アジアで唯一近代化(西洋文明の受容)を成し遂げた事にあります。

    すなわち、欧米に近い存在になったという事だと思います。


    従って、欧米への批判は、そのまま我が国への批判にもなり、

    我が国近代化の肯定は、欧米の肯定にもつながる事になってしまいます。


    明治維新において、自国の伝統や歴史を守ろうとすることが、

    自国の伝統や歴史の解体につながるというジレンマ、

    それを自ら紡ぎだしているという現実は認めるとして、

    ではどこに還れば良いのか。


    近代を捨てることは、

    国際社会を破壊するということにも留意しなければならないでしょうしね。

    これに対する答えを導き出さなくてはならない時期には来ているのでしょうね。』 




    そうですね。

    近代化のもたらした世俗化が進行しているのは、西欧と日本だけです。

    世界の中の特殊です。



    まず、成果ばかりではなく、人間生活のあらゆる側面において、

    近代化とは何か? それは、世俗化であった事を認識するべきです。

    もうすでに、その本質は書いたつもりです。


    ここでは、西欧と日本を切り離して、世界の特殊なケース=

    日本の近代化を考えてみたいと思います。


    まず、いわゆる明治維新の近代化から141年も経って、

    何の見直しもせずに来ている事を異常と思いませんか?

    歴史的経験や伝統文化、経済の現状等、見直しが始められるべきです。


    アメリカにおける近代化論は、

    何度もその論理が組み替えられています。

    歴史叙述における強国論や覇権の盛衰、文明論や諸文明の拮抗・対立、

    あるいは歴史終焉論というふうに、いろいろ姿を変えながら、

    いまだにまだ根強い影響を与えつづけているのが現状です。


    近代化論を見直し続けたアメリカは、やっぱさすがです!よ。


    それと比べると、我が国は、

    実体のない言々区々を連ねた借り物の近代化論理の貧弱性、

    じつは、明治維新前後の近代化論のまま、見直しも反省もないままに、

    近代化=進歩だ=よい事だ。と、思い込んでいるようです。 


    そんな馬鹿な~! 

    一方的に良い事なんて、この世には有り得ないでしょう?


    人間が作ったものは、善と悪とが表裏にあり、

    時とともに、その価値は減ずるもの。 

    それが、東洋の考え方です。
     
    だから、常に点検をし、反省をし、時代にあった中庸を目指すのです。

    近代化の結果としての、宗教心の希薄化、道徳や家族倫理の崩壊を、

    その現実を日々感じていながら、それが、解っていながら、

    (明治維新=)近代化=進歩=良い事と受け入れたまま、142年間も!



    それをしなかったのは? 誰ですか?   


    それに対する言い訳は、いつも同じ、

    「欧米的な国家を作り上げていく事こそが、日本に必要だった。

    それが近代化論の最も重要な目的だった。」 

    それはそうだったでしょう。



    しかし、為した事がすべて正しいのか?とは、全く評価は別です。 


    日本人は、井の中の蛙、世間知らず、

    何事も信じるお人よし。

    進歩、近代化、これはぜんぶいい事! 役に立つ事! ??


    まるで、神か、仏が、我々に与えたもうた~モノ。

    すべて善で正しい。


    こう片付けるのが日本人の癖ですか?  あはは。


    冗談ではないわ!  (笑い)

    進歩も近代化も、ぜんぶ人間の意識の作り物、

    フィクションです。


    西洋思想に備わる特徴を、灰汁や毒素も含めて、

    深く取り込み過ぎた現実、

    それが日本にとっての近代化の結果だったのでしょう。


    取り込み過ぎた結果が、

    日本人に Ambivalent(相反する意見を持つ)な態度を持たせたのです。

    ご指摘の近代化のジレンマは、日本人にとっては、

    自己恒常性を保つホメオスターシスの機能としては正常ですね。 



    西洋文明という竜巻ハリケーン台風が、

    西洋のゴミを寄せては反す濁流を、日本は飲んではいけない!

    高熱を出して、吐き出せ~! 

    デトックスしよう~!  あはは。



    近代を捨てる事はないのです。折角の研修期間を! (笑い)


    日本のように真っ先に近代化に成功したと自慢や満足をした国は、

    褒め殺しに嵌っていると自覚をした方がいいのではないかしら?

    近代化の西欧を除けば、唯一の珍種モルモットと同じですから、、、


    あは!

    これからどうなるのか? 

    特異な実験結果が注目される国でしょうね。 (笑い)


    刀は、切っ先から刃毀れをするのです。 


    物は、磨いだ繊細な極まった部分から壊れます。 

    絶頂のつもりが、それ以上の進歩が出来なくなり滅ぶのに似ています。


    ”旺ずる極みは、衰 ” 

    これが、東洋運命学の考え方です。



    常の繁栄を求めるなら、

    極みの一歩手前、中庸を求める方が利巧でしょう。

    時代の先端の生き方は、男女共、慎んだ方が賢明です。



    国も同じです。


    東洋には、人間だけの自由、平等、権利と言うような概念も言葉もなく、 

    それを絶対的な価値とする観念の遊戯はありません。 
     


    この世界に元々存在する普遍的価値それ自体が、

    自由、平等、権利と、

    バラバラに独立して存在するものではありません。


    東洋的な宇宙、自然観のなかでは、

    すべての価値、存在は、

    複雑な関係性の中で均衡を持って調和をし循環をする。

    その中の序列であり、差別であり、調和をした存在です。 



    しかも、その調和は、

    ひと時も同じ時はなく、時と共に変化をし、

    生と死ですら調和のリズムの中にあります。 



    西洋の思想は、この時と共の変化を観察する側面が抜け落ちています。


    やはり狩猟民族の思想です。

    獲物を取りに行く基点は、食を欲するから。

    獲物の姿を見た時に、欲望して、狩をすればよかった。

    己(おのれ)の欲望に従えば良かったのです。


    西洋の価値の獲得は、時、季節ではなく、自己の欲望が出発点です。

    価値が、時と共にどう変化をするかと言う観察眼が抜けています。




    反対に、東洋においては、己が中心ではない。

    『天』や『公』の秩序に則って「私」や「欲」を制する智恵、叡智です。

    この智恵で、西洋の思想をろ過し、狩猟文化の灰汁を抜くべきです。




    ゆくゆくは、西洋の思想を道具に見做し、使いこなすノウハウを、

    東洋思想から汲み出して行かなければ存在の意義はなくなるでしょう。 



    隣国中国が、現在台頭し栄えるのは、

    苦節を耐えて来た民衆がいたからです。

    儒教は、社会的には忘れられているかもしれませんが、

    中国や朝鮮では、「忠」よりも「孝」が大事だと言う歴史がありました。



    『孝教』において、道徳の根源、宇宙の原理として形而上化されている

    『孝』を、単純に通俗道徳の親孝行で解釈すると破綻をします。




    中国においては、近代化が遅れたおかげか、

    『孝』の本質が、

    まだ人々の心に生きている様子が、その姿に伺えます。

    その本質がある限り、『天』=『時』は、中国を恵むはずです。 

    しかし、空前の繁栄を驕り、人々から「孝」の心が蒸散して行けば、

    大国中国は、貧に戻る。 

    一国は千路に乱れ千国に分裂するはずです。 




    日本においては、朱子学伝来以後、「孝」よりも「忠」が大事だとされ、

    武士道のイデオロギーとして利用をされました。


    戦後においても、武士道の「忠」を是とした精神的エネルギーは、

    日本の経済発展の為の組織、機動力に貢献したのでしょうが、


    「忠」の下に置かれた「孝」は、

    戦後の民法の改正、家父長制度の廃止と共に、

    今の世相の如く、形も中身も廃れ切ってしまっています。 





    日本の近代化も、『孝』を失わなければ上出来だったのに...




    今は、無慚にも、それらの価値が相対化され無価値と見なされ、

    現実に、無縁社会が忍び寄って来ています。


    国は、相手国から兵器で攻められなくても、

    自己の体内から、ホメオスターシスを崩して滅びる。と言う例を、

    日本は証明しようとしているようです。







    みなさまも、我が家の近代化はどうだったのか?

    祖父母の頃から遡って、思い返してみてほしいわ!

    『孝』の貫かれている家族ですか?




    長くなりました...

    近代化については、引き続きシリーズにしたいと思います。


    ご家族で、よき週末をおすごしくださいね。
































    参考:「現代日本文明論」 上野影文  RBA新書

    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。



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    テーマ : 文明・文化&思想
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    No title

    今日も大切なことを教えて頂きました。
    『孝』をおろそかにしては、未来は続いていかないですね。
    それは明らかですね。
    気持ちが引き締まりました。


    こちらのブログで新しい記事を拝見するたび、できる限りの真っ白な心で自分を見つめ直すことができます。
    大きな、特別な、目立ったことをしようという気持ちは、やはり自分の中にはないことに気づきます。

    自分がガラリと世界を変えることなどできない...
    できないことだから、逆に自分の小さな力に落胆することも焦ることも無い、と思える。
    からだの芯に間違いなく在る大切な「受け継がれているもの」「与えられているもの」「支えてくれている誰か、何か」...それらに忠実に誠実に生きていくだけー、と改めて思えるのです。
    心から感謝しますー。

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    おはようございます!

    いつも、同じことを書きますが、夜勤明けの朝の太陽は新鮮です。
    今、自分が生きている場所や時を、はるかに高い上空から眺められたような気分にさせてくれる記事に読み終わって、ふっと我に返ります。
    何故なのでしょうか・・・ひょっとしたら違う星から見ているような錯覚を覚えるのです。

    孝については、親孝行だけに囚われるではない意味がある。
    もっと人類を包むような感性。
    人を愛すること、命を大事と思うことなどがふくまれているとしたら、あまりにも今までの勘違い!?
    もっと、前にちゃんと教育をしてほしかった、なんて思いますね。

    いつもいつもお勉強をさせていただいています。

    日本にいながら、日本のことも知らずにいるわけですから、=
    世界のことは判るわけがないと、高をくくっていました。=
    でも知らないと取り返しがつかないことになりそうな、大事な情報があるのですね。=
    これが、思想、哲学、道徳などというもの、考えなくちゃいけないわ。=
    それを、いつも分かりやすく教えてくださって感謝致します。=

    いつもお墓参りを心がけているcosmosさんの行動を理解できたようです。=
    孝を心がけていらっしゃるのですね。=

    No title

    『孝』を親孝行と解釈していましたので、こちらも加えて思索したいと思いました。

    夜回りには、ちと早い、

    何か明確に書きたいことがあるっていいよ。
    昨夜から、あはは。の笑い声、
    弾の音で一睡もできず
    ズドーン!!ヒェ~、
    大砲だーっ!
    親孝行をしてない罰だったたたー!

    Re: No title

    > 今日も大切なことを教えて頂きました。
    > 『孝』をおろそかにしては、未来は続いていかないですね。
    > それは明らかですね。
    > 気持ちが引き締まりました。
    >
    >
    > こちらのブログで新しい記事を拝見するたび、できる限りの真っ白な心で自分を見つめ直すことができます。
    > 大きな、特別な、目立ったことをしようという気持ちは、やはり自分の中にはないことに気づきます。
    >
    > 自分がガラリと世界を変えることなどできない...
    > できないことだから、逆に自分の小さな力に落胆することも焦ることも無い、と思える。
    > からだの芯に間違いなく在る大切な「受け継がれているもの」「与えられているもの」「支えてくれている誰か、何か」...それらに忠実に誠実に生きていくだけー、と改めて思えるのです。
    > 心から感謝しますー。


    ★そうですね!
    せめて自分の周りだけは、自分の力がある分だけ、受け継ぎ、守り、伝えて、支えて、生きて行く。
    そうすれば、自分の中に自然に感謝は生まれます。
    『孝』も、親孝行と言う親の側の都合のいいような響きを持った価値観に落としていけば、子の側から反発も生まれます。日本の戦前までの道徳には、そういった通俗性の臭いが強かったのでしょう。
    先に生まれた者が、生まれた事、生きている事、家族と出会った事、それらに自然に感謝をしていけば、その姿勢は必ず受け継がれていくと思います。
    目立たず、普通の、毎日の営みが、ほんとうに大事なのですね~!
    いつもありがとう!    感謝☆cosmos

    Re: No title

    鍵コメントさんへ
        コメントありがとう!感謝☆cosmos

    Re: おはようございます!

    > いつも、同じことを書きますが、夜勤明けの朝の太陽は新鮮です。
    > 今、自分が生きている場所や時を、はるかに高い上空から眺められたような気分にさせてくれる記事に読み終わって、ふっと我に返ります。
    > 何故なのでしょうか・・・ひょっとしたら違う星から見ているような錯覚を覚えるのです。
    >
    > 孝については、親孝行だけに囚われるではない意味がある。
    > もっと人類を包むような感性。
    > 人を愛すること、命を大事と思うことなどがふくまれているとしたら、あまりにも今までの勘違い!?
    > もっと、前にちゃんと教育をしてほしかった、なんて思いますね。


    ★朝日を浴びながら、見守られて帰宅をするなんてなんて爽やかな気分でしょうか!
    今回は、『孝』のインパクトを心に残していただいて良かったです。
    なかなか、普段では考えない言葉ですものね。
    また、言葉の意味を膨らませて受け取られているの、感心~です。
    歴史的には、後ろ向きなイメージがあるのでしょうが、それではだめね。過去に負けてはいけません。
    いつもありがとう!  感謝☆cosmos

    Re: いつもいつもお勉強をさせていただいています。

    > 日本にいながら、日本のことも知らずにいるわけですから、=
    > 世界のことは判るわけがないと、高をくくっていました。=
    > でも知らないと取り返しがつかないことになりそうな、大事な情報があるのですね。=
    > これが、思想、哲学、道徳などというもの、考えなくちゃいけないわ。=
    > それを、いつも分かりやすく教えてくださって感謝致します。=
    >
    > いつもお墓参りを心がけているcosmosさんの行動を理解できたようです。=
    > 孝を心がけていらっしゃるのですね。=


    ★あら! 見抜かれてしまったかな?  あはは。
    今の日本は、(いつもそうなのですが、今は特に)時の途中なので、
    今、生きている人や、今生まれて来たばかりの子供は、日本の今だけ見れば、何がなにやら分かり難い姿です。
    本心がどこにあるのか? って思うのですが、
    そういう時こそ、昔の原点を探して、一応そこまで戻らなければ行けないと思うのです。
    国の歴史も大事です。それと同じくらい自分の家の歴史も大事です。
    こんど、その事を書きましょうね。  いつもありがとう!  感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 『孝』を親孝行と解釈していましたので、こちらも加えて思索したいと思いました。


    ★あ、そうでしたか? 以前の記事にも誤解のないように”親孝行”だけではない。と書いたのですが、
    念の為に、そう言う事もあろうかと、今回は、孝経を出してポイント的に強調しました。
    それが功を奏して、心に留めていただいて良かったです。
    「自分の親への孝行」だけに絞って偏ると、通俗的に堕してしまい、
    家父長制度に利用をされた過去の嫌われた道徳のようになってしまいますから。
    二度と同じような愚行は繰り返さないようにしないといけません。
    過去の政治家が、悪いと言うのもありますが、
    江戸時代の識字率が高かった民衆でも、読み書きそろばんは出来ても、それ以上の事には、無知だったのです。
    ここが、福沢諭吉の限界です。(学問だけでは、その上の学問に騙される。) あはは。

    本当の『孝』の内容は、もっと公的な(当然、今の公的とは、意味が違います。) 宇宙的な、普遍的な価値観です。道徳の根源です。
    ご自分で思索をなさる、良い事ですね。迷いは必ず晴れますよ。
    いつもありがとう!  感謝☆cosmos

    Re: 夜回りには、ちと早い、

    > 何か明確に書きたいことがあるっていいよ。
    > 昨夜から、あはは。の笑い声、
    > 弾の音で一睡もできず
    > ズドーン!!ヒェ~、
    > 大砲だーっ!
    > 親孝行をしてない罰だったたたー!


    ★あはは~! 書きたい事があるって、良いこと? ほめて頂いてうれしいですわ!
    あはは。 笑いすぎでしょうか? (笑い) あ、また、笑っちゃった~~。
    いつも盛り上げてくださる心配りにお礼を申し上げます。
    また、よろしくお願いします!  あはは。
    いつもありがとう!  感謝☆cosmos
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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