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    ( 自然の摂理 ) 学問の知識で人生を考えてはいけない 5

    Category : 運命学と科学
    蕾











      「自律神経にやさしい音楽ー森の中で」




    今日からは、

    私が東洋学と云うものに目覚める切欠けになった頃の、

    関西のある場所、

    そこの人々についての記事です。




    その場所は、関西にあります。 仮にM町とします。

    具体的な場所と、名前を明かしますと、

    そこに、今でも普通に生活をしていらっしゃる人達がいて、

    ご迷惑が掛かりますので、明かせません。  


    その地名は、

    神武天皇時代の豪族の名前から付いたと郷土史に書かれ、

    事実、日本書紀にその記述が残っています。



    そこの土地柄を知ったのは、

    私が、東洋学で言う処の、" 雑学 "を教えていた頃、

    進学塾を経営していた時です。




    その頃、東洋学を知っていた訳ではありません。



    まったくの逆かな~?   (笑い)

    疑問もなく時代の雰囲気を吸い、男女平等的な意識を内に持ち、

    生意気そうな近代合理主義に染まった女子学生、 あはは。

    きっと、そうだったでしょうね。  (笑い)



    駅前の教室から遠い地域から、

    ある日、一人の小学生の女子児童が入塾しました。


    行政区域から云いますと、

    市の境界の川を越えて隣の市からです。

    その地域からは、初めての生徒でした。



    塾の送迎は、児童の祖母が自転車でしていました。

    その自転車には、生徒の3,4歳の妹が、いつも乗っていました。



    あのおばあさまが、幼児を載せて自転車を押しながら、

    あの川の土手を登って来られるんだなぁ、と、

    いつも、感心しながら見送っていました。


    私鉄を乗り換えして通わなければいけない私立小学校へ通い、

    素直で可愛らしくて利発な女の子。

    あいさつも、しつけも、行き届いていて申し分のない生徒でした。


    片方の手はいつも太腿の処へ添えて伏目がちで、

    お辞儀ばかりをしている、、、

    そんな感じを受ける位、腰と頭の低い人だった祖母が、

    その生徒には、いつも付き添って来られて、

    生徒自身の全身からは、

    両親の期待を十分に受け止めて応えている自信が溢れ、

    その機敏さからは、その恵まれた環境と安定感があふれていました!


    お勉強に、何の支障もない、まっすぐに学ぶ事を心得ている生徒です。




    入塾カードに書かれた、その生徒の住所は、未知な町でした。

    隣の市のM町。聞いたことないなぁ~。地味な名前。


    あの川を越えて土手を降りて行った所なのか、、、

    不思議に、その生徒とM町の名前が印象的でした。




    当時は見えなかったけれど、今になって、分かる事は、

    この生徒は、まったくの女系の家系の女の子でした。





    生徒の母親である娘夫婦から、

    家事全般を任され、

    噴水まである広い庭園と瀟洒な洋館の世話をしている祖母と、

    駅前で大きな飲食店を経営する両親との家族の中で、

    祖母から母へ、そしてこの女子生徒へ、

    濃密な思いがつながれているのに、すぐ気づきました。


    察しがついた、そう言う事でしょうか。

    それが、間違いないと、

    その理由まで見えてしまったのは、

    2年が経った頃でした。

    ある日の送り迎えの祖母の背中に、赤ん坊がいたのです!


    ”今度こそ男の子を期待をしてママが生んだのですよ。

    また姫だった。”

    笑いながら、そうおっしゃっていたお姿が、思い浮かびます。


    それからは、幼児の妹は幼稚園なのか、

    自転車には乗って来なくなったのですが、

    代わりに背中に赤ちゃんを背負って、自転車を押しながら

    女子生徒を迎えに来られるようになりました。

    お互い笑顔で仲良く、

    自転車を挟んで歩いて帰って行きます。




    三人姉妹。続く養子婚。

    これだけはっきりと、

    『自然の摂理』の具現性が明らかになっているのに、、、

    その時は、私は若すぎて、

    意識の世界の中だけで事足れりで、

    何も疑問にも思わずに、何も分からずにいました。  

    今なら、すべてが見えます。



    今なら、何か言葉のかけ方が、違っていたのではないかと思います。


    白髪混じりの小柄な祖母が、

    渾身のエネルギーを込めて、骨身を惜しまず、

    家族を守り孫を慈しむ、その姿は、忘れられません。

    目を閉じても、思い浮かぶ程、印象的でした。


    どうしてなのか?

    家族の為に、ご自分の立ち居位置は一番下に置く、

    それに甘んじる心得、躾られた育てのよさ、

    世の中の全てに腰を低く、礼儀を尽くす姿、

    それらのすべてに感銘を受けていたのかもしれません。





    M町を、こう言うきっかけで知る事になるわけですが、




    今思えば、

    M町を知る事が、東洋学の入り口であったような気がしています。




    おおげさに言えば、「自然の摂理」の存在を自覚した。

    と言う事になるでしょうか。



    理性で論理性を追求する雰囲気の中で生きて来た私にとって、


    言葉少ないM町の人々、

    知識ではない、姿を通して感じたM町の人々の暮らし。

    黙っていても伝える事ができると云う生き方に触れて、

    その人たちが、心から大事にしている何か。

    単なる合理性だけでは説明がつかない伝統やルール。


    ある現前としたこの世の法(則)の存在、

    意識上の論理では表せない無意識のなかにある法の存在、

    それを説明や理屈ではなくて、

    本で読んだ訳でもなく、観念的ではなくて、

    それを眼前で見せられ、人に聞かされ、息吹に触れた体験でした。


    その町の歴史の重み立ったのかも知れませんね。

    結局、理屈では、人を動かす事は無理なのでしょうね。



    ここで言う「自然の摂理」について、


    「自然の摂理」とは、、自然界を支配している法則。

    自然の中で生きている無数の命、

    生き物たちの相互関係の上に形作られた法則です。




    単一の種でしかない”人間”だけの「摂理」などというものは、

    あり得ません。


    求める価値観は、自然の宇宙の『調和』です。 

    それが、『中庸』です。
     




    しかし、

    キリスト教の中の世界では、この摂理は神の中にあるとなっています。

    創造主である神が、この宇宙を造ったとなっています。  

    その真偽の程は、信じるかどうかは、さておいて、

    神が、

    この宇宙と歴史をどのようにする、と決めた永遠の計画と配慮がある。

    その神の計画が、いわゆる「自然の摂理」になります。


    この永遠の計画と配慮によって、

    神が人間をその目標に導くと言う教えです。

    だから、

    人間は、欲望のままにやれば、神が良い方へ導いてくれる。

    となって、


    この原理が、

    資本主義と共産主義、自由市場経済の原理になっています。

    いままで、

    私は、その間違いを批判をして記事にして来ました。 

    初めから、

    東洋学で西洋を批判をするようになったのではありません。

    学生時代に、学生の常識として共産主義を通して、

    キリスト教と資本主義の批判の洗礼を受けています。




    キリスト自身も、

    自分の教えをここまで人間が利用をして、欲望を正当化し、

    地球を破壊する処まで、好き放題するとは思わなかったでしょう!! 



    神が造ったと、すべてを神のせいにして、

    すべてが神のおぼしめしと言っては、

    戦争を正当化して来た訳ですから、、、

    歴史的に言えば、十字軍からそうでした!




    東洋は、自然の存在を認め、人間はその中の一存在として、

    自己の中に『 自然の摂理 』を感じて行きます



    その反対に、西洋においては、

    自然は、人間本位に人間の為に支配する対象・物でした。

    ここから、自然を支配する知識・技術としての学問が、

    生まれて出て来る訳です。


    これで、何ゆえに、学問で人生を考えてはいけないか、お分かりでしょう?



    西洋式と云うのは、こう云う事になるのです。

    自然を人間の都合のよいように捉えて支配をしてもいいんだー!

    それで最後は、神が良くなる方へ人間を導いてくれるんだー?

    と言う思想です。

    これに、わが身を任せていいのでしょうか? 


    クリスチャンなら、いざ知らず。 ですが、、、  あはは。


    ここまでも深く考えなくて、

    そんな事は分かっていないまま、生きる為の(得)の為に?

    将来の就職や、生活の為には、大学へ行っておかなければならない。

    その程度の浅い考えで、

    学問を人生に役立てるつもりで学んだつもりが、  

    ミイラ取りがミイラになる?    あはは。


    自覚をしておかなければ、

    学問と云う道具に、人生を乗っ取られて破壊されますよ。

    人生とは、道具を中心に生きる事ではないのですから!


    ま、それも人それぞれの運ですが!  あは。



    西洋思想の核心部分は、

    なんと、おとぎ話みたい!!!

    なんと、責任不在な!!! 

    と思いませんか?


    神が、その計画書でお導きになったのが、今の社会ですか?

    自由主義経済の根幹は、ここが出発点です。


    自然と人間の関係の捉え方の違いで、

    ここまでの違いが出て来ます。

    おそろしいことです!!!





    だから、根っこの考え方が何なのか?

    ここが、大事になってきます。


    これが、哲学です。

    哲学を、一番身近なものにしなければいけません。


    あなたの努力が、実を結ぶか? 反対の結果になるか?
     
    そう言った、天秤棒の支点の問題なのです。



    いい加減にはなさらないように!




    根本的に、自然の摂理を受け入れない科学は、すべてが後付けです。

    自然を調査をして、どうだったか? なにを? どうするか?

    目で見て確認、意識のできる範囲の数値化と、データー化です。



    それが、いわゆる客観性?  あはは。

    ほんとうですか?  

    主観性とは言いませんが、 主意識性とでも言いましょうか?



    まったく、タロットカードを引いて占うのに似ています。

    まだ、欺瞞がない分、タロット占いの方が、人生を任せられるかな?  (笑い)

    タロットは客観性を重んじる。なんて嘘、見栄は張っていませんからね。


    真の客観性なんて、学問にあるのでしょうか?  


    実験には、主観が入る。


    真の客観性なんて有り得ないのです。

    あるのは、

    できるだけ客観的であろうとする主観性です。




    あーぁ  笑うしかない、浅はかな^^^学問と言うデキモノよ~  あはは。


    放射能というデキモノの毒を、扱いかねている。。 。  



    原発の事故についても、学者がテレビで言う言葉の語尾は、


    先の事は、 ”~~~と思われる。” ”~~~ではないか? ”


    あーぁ、わかっていない!  それって、主観そのものですよ!


    学者と云うのは、人の意識の限界を示す人々なのですね。


    という事は、学問とは、人間の意識の限界を示すものさしなのですね。



    人間の限界では、ありません!   


    意識の限界ですよ!


    意識には、限界があり、

    『陽』そのものには、『偽』・うそと云う限界がある。



    意識を、そこまで頼っていいのでしょうか?

    意識の正体を知らないのか?


    限界のある学問に、人間の生存や命に関する事を、任せられない。

    学問で、人生を考えてはいけません。


    学問で、自然をデーター化して、捉えただなんて!

    そのデーターが、自然だなんて、思い込んではいけません。



    ”想定外”だった。 学問が言い訳に使う言葉です。


    もともと、自然は、意識(学問)が想定できる範囲を超えています。 

    それを、”想定外”だった。なんて、

    いかにも想定できる前提があったような云い方ではありませんか?

    ”意識(学問)は、自然の真実を捉えられないのです。” 
     

     
    この事を学問が、白状しているのです。


    今の原子力発電所の事故は、学問の限界の問題ですよ。


    このような問題が起こった時、犠牲になるのは、命です。


    だから、

    『陽』は、究極が、命の殺戮と云うのです。 




    無意識の世界には、厳然として自然の摂理は、存在します。

    その存在を3~4000年前から見つけているのが、東洋の叡智です。

    科学は、狭い意識の範囲である以上、絶対に叡智にはたどりつけない。






    東洋の叡智を、

    古いとか、非科学的だと、排斥、無視する現代文明において、


    今の合理的一辺倒の現実世界は、何か違う? と感じさせてくれたもの、


    その在りように、

    驚きと感動を持った記憶が、先に書いたM町でした。





    『天』そのもの、

    そこに存在する法(法則)を知るか知らないか、


    そこに、『時』に亘る勝者と敗者とが明確に分けられている訳です。





    人間は、自然に対して未だに無知です。 

    その証拠に、天災で死んでいく訳ですから...

    その証拠に、

    意識で作った学問に刃を突きつけられている訳ですから...





    無知は、言い逃れにには、なりません。 


    赤信号は、その意味を知らない幼児だからって、

    渡っていい事はないでしょう?

    知らずに渡れば、車に轢かれてしまう。 

    意識する、しないに係わらずに、違法行為です。

    法とは、そう言う存在です。


    法とは、違反するものには厳しいのですよ。 

    無知は、言い訳にはなりません。

    知らなかったからって、許されないでしょう。




    原子力の事を学問で解ったからって、

    それは、意識と云う狭い領域の中で、解ったと云う事です。

    いのちは、無意識の領域にあります。




    学問の解ったと云う事が、いのちにとってはどう云う事になるのか?

    無意識を無視をして解ったと云う学問が、為した間違いは、

    それは即、いのちの殺戮者になってしまうと云う事です。






    学問で人生を考えてはいけません。

    学問で命を解ったと言ってはいけません。





    時節柄ですから、

    諸般に注意をなさって、


    何事にもつつがなく、一週間をおすごしくださいね。


    次回、続きをおたのしみに.....






























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
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    どうぞ宜しくお願いします。


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    テーマ : 哲学/倫理学
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

    Comment

    ちょっと、

    オー空母、アラビヤ海のキティホーク級の空母か、
    ツナミに乗って乗り付けた感じがして、
    轢かれて身を引いてしまうよ。

    自然には人間は勝てるわけがない。
    それをしたり顔で、科学で判ったふりをする学者かなーー
    学問と言う知識が、人を自惚れさせ、
    原発というデキモノを作った。
    キチガイと天才は紙一重と言うが、
    馬鹿と学者は紙一重。
    イヤ失礼しつれい。

    おはようございます!

    モダンからポストモダンへ、それよりもっと先へ、

    そういう流れを感じる記事でした。
    学問の限界、意識の限界、限界の中をはみ出なきゃいけませんね。
    人生を限界の範囲で考えてはいけないと、努力が無駄になると、教えてくださっている。
    切実な問題であるのがよくわかります。

    医学もそうです。西洋と、東洋では、現実的にはその方向性がちがいすぎます。
    その専門性の中に入っている人にとったら、そこしかないのですよね。
    こうなれば患者、受ける側の判断力が本当に大事になります。
    上から流れてくるものを待っているレベルでは、オッつかない時代でしょうか?

    さまざまな不条理の中で

    東電の計画停電が行われているなかで、除外されている区域があります。=

    そのひとつが東京都武蔵野市で、菅首相のお膝元です。=
    そのことを菅首相の元秘書で同市の市会議員が、=
    自分の手柄であるようなビラを配ったとかで、非難をあびました。=

    原発事故を受けて、それぞれの立場の人の正体が見えてくるようです。=
    『陽』の立場の人(評論家、学者、政治家、経営者)は口ばかり論理ばかり方法論ばかりです。=

    現場で手を汚し、自分をかえりみないで誰かが直接作業をしなければ、解決はしません。=

    また、この原発は東京で使う電力を作るのが目的でした。=
    この事故で福島県の方は住む所、仕事、農業、漁業の被害をもっと受けていくでしょう。=
    この補償を私たちも何かの犠牲を払って償うために努力をするべきですね。=
    たとえば、電力料金の値上げでも、それは仕方がないと思います。=

    そして、no more 原発 を叫ばなければいけない。そう思っています。=

    No title

    「学者は、人の意識の限界を示す人々」「学問とは、人間の意識の限界を示すものさし」・・・
    このような捉え方をしたことがありませんでした。
    まだまだ、東洋哲学の奥は深いです。

    ただ、原発の「想定」は、故意にかどうかわかりませんが、意識の限界までも到達していない、
    ホントに「想定」したの?と疑いたくなるようなレベルだと思っています。

    No title

    科学のことは「無知」と言っていい程ですが、元々「原発は安全」だなんて思っていませんでした。
    想定できる地震や津波なら安全だったのかも知れないけど、そもそも「自然」に想定の範囲など無いのですから、真っ先に思ったのは「あり得るだろうな」でした。
    もちろん事故は哀しいです。
    恐怖も無い訳ではないけれど、事故そのものに対しては「こんなことになるとは!」とは思わなかったです。
    あ...そうか~、無知だから驚かなかったんだ?(笑)

    科学のこと、原発のこと、詳しいことは知らないです。
    知らないことは、知っている人にお任せするしか無いです。
    「知らなくていいや~」と軽視しているのではありません。
    ただ、この社会の仕組みは自分が望んだわけではありませんが、現実に生きている以上それを受け入れて生きていくしか無いと思っています。

    プロなら、専門家なら、責任を持って広く仕事を担うのは当たり前です。
    プロが「想定外」などと平気で言える方がよっぽど驚きです。
    科学者もそうだし、政治家も...
    今に始まったことではないけれど、「プライド無いのかな~」と思いながらニュースを見ています。

    いつも平穏な心で生きていく為には、東洋の智恵を授かる方がよほど確かだということ。
    なまじ知識だけ得ても、それで安全・安定した人生を過ごせる訳ではないこと。
    ・・・今回のことでもよく分かりました。

    東洋の叡智を得る為には、学問を学ぶように簡単に短時間には無理ですね。
    そして、自分一人の努力だけで得られるものでもない、ということー。


    いつも大切なお話をありがとうございます。
    次回のお話もすごく楽しみです。

    コメントがおそくなりまして、

    温かい日がつづいております。
    被災地のかたがたは少しづつすごしやすくなっていらっしゃるのでしょう。
    奈良も、大仏さんの近くを流れる佐保川の土手あたり、桜が五分咲き程度になり、
    今週末が満開の見ごろです。 由緒のある町は、奈良にも多ございます。
    さぁ、どんな町なのか神武天皇さんの謂れのあるところとか、楽しみですね。

    Re: ちょっと、

    > オー空母、アラビヤ海のキティホーク級の空母か、
    > ツナミに乗って乗り付けた感じがして、
    > 轢かれて身を引いてしまうよ。
    >
    > 自然には人間は勝てるわけがない。
    > それをしたり顔で、科学で判ったふりをする学者かなーー
    > 学問と言う知識が、人を自惚れさせ、
    > 原発というデキモノを作った。
    > キチガイと天才は紙一重と言うが、
    > 馬鹿と学者は紙一重。
    > イヤ失礼しつれい。


    ★こんばんは~! お返事遅くなりまして申し訳ありません!!
    今回は、しかも川柳までいただきまして、恐縮です。
    なんと、人間は長く生きてきて、どの位進歩したのか、考えると怖くなります。
    ここまでの事が起こったのですから、まだ目が覚めないとなると困ったものです。
    >アラビヤ海のキティホーク級の空母か、
    あら、うれしいこと! そこまでの力がありましたら、、、どんなにいいでしょうか。 あはは。
    一番乗りのコメント、ありがとうございます。  感謝☆cosmos

    Re: おはようございます!

    > モダンからポストモダンへ、それよりもっと先へ、
    >
    > そういう流れを感じる記事でした。
    > 学問の限界、意識の限界、限界の中をはみ出なきゃいけませんね。
    > 人生を限界の範囲で考えてはいけないと、努力が無駄になると、教えてくださっている。
    > 切実な問題であるのがよくわかります。
    >
    > 医学もそうです。西洋と、東洋では、現実的にはその方向性がちがいすぎます。
    > その専門性の中に入っている人にとったら、そこしかないのですよね。
    > こうなれば患者、受ける側の判断力が本当に大事になります。
    > 上から流れてくるものを待っているレベルでは、オッつかない時代でしょうか?


    ★いろんなチャンネルで受け止めていただきまして、びっくりしました。
    何事もない時は、限界だなんて考えもしないのでしょうが、今回のような人間にとって限界的な事件がこうも長引きますと、気にしない訳には行きませんね。
    >受ける側の判断力が大事、
    >上から流れてくるものを待つレベルでは追っつかない、
    そう言う言い方が、本当にただしいのだと思います。
    日本人は、島国根性を超えなければいけませんね。
    いつもありがとうございます!  感謝☆cosmos


    Re: さまざまな不条理の中で

    > 東電の計画停電が行われているなかで、除外されている区域があります。=
    >
    > そのひとつが東京都武蔵野市で、菅首相のお膝元です。=
    > そのことを菅首相の元秘書で同市の市会議員が、=
    > 自分の手柄であるようなビラを配ったとかで、非難をあびました。=
    >
    > 原発事故を受けて、それぞれの立場の人の正体が見えてくるようです。=
    > 『陽』の立場の人(評論家、学者、政治家、経営者)は口ばかり論理ばかり方法論ばかりです。=
    >
    > 現場で手を汚し、自分をかえりみないで誰かが直接作業をしなければ、解決はしません。=
    >
    > また、この原発は東京で使う電力を作るのが目的でした。=
    > この事故で福島県の方は住む所、仕事、農業、漁業の被害をもっと受けていくでしょう。=
    > この補償を私たちも何かの犠牲を払って償うために努力をするべきですね。=
    > たとえば、電力料金の値上げでも、それは仕方がないと思います。=
    >
    > そして、no more 原発 を叫ばなければいけない。そう思っています。=


    ★>武蔵野市で、菅首相のお膝元で、そのような事があったのですか・・・非常識ですね。
    あ、今も地震がありましたよ! すぐ止まりましたが、まだ体が揺れているようです、、、
    本当に地が怒っているようですわ~。
    >no more 原発 を叫ばなければいけない。
    そう、そのとおりです。それでも電気が足りないのは、何かを必死に開発でもしなければいけませんね。
    いつもありがとうございます!  感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 「学者は、人の意識の限界を示す人々」「学問とは、人間の意識の限界を示すものさし」・・・
    > このような捉え方をしたことがありませんでした。
    > まだまだ、東洋哲学の奥は深いです。
    >
    > ただ、原発の「想定」は、故意にかどうかわかりませんが、意識の限界までも到達していない、
    > ホントに「想定」したの?と疑いたくなるようなレベルだと思っています。


    ★東洋哲学は、もっと、もっと、もっと奥があります。
    それも、理屈、理論だけではありません。
    まだ書きたい事の、一割にも行かない位なのです。 あはは。 どれだけ書きたいのかって? (爆笑)

    >ホントに「想定」したの?と思うのはその通りですね!
    『陰』を失った『陽』の暴走、形だけの社会機能性に落ちているのでしょうね。
    道徳と言う止め具が、落ちてしまっている状態ですよ。
    これに関しては、次の記事で、引かせていただいて書きたいと思っています。よろしく!
    いつもありがとうございます!  感謝☆cosmos

    Re: No title

    > 科学のことは「無知」と言っていい程ですが、元々「原発は安全」だなんて思っていませんでした。
    > 想定できる地震や津波なら安全だったのかも知れないけど、そもそも「自然」に想定の範囲など無いのですから、真っ先に思ったのは「あり得るだろうな」でした。
    > もちろん事故は哀しいです。
    > 恐怖も無い訳ではないけれど、事故そのものに対しては「こんなことになるとは!」とは思わなかったです。
    > あ...そうか~、無知だから驚かなかったんだ?(笑)
    >
    > 科学のこと、原発のこと、詳しいことは知らないです。
    > 知らないことは、知っている人にお任せするしか無いです。
    > 「知らなくていいや~」と軽視しているのではありません。
    > ただ、この社会の仕組みは自分が望んだわけではありませんが、現実に生きている以上それを受け入れて生きていくしか無いと思っています。
    >
    > プロなら、専門家なら、責任を持って広く仕事を担うのは当たり前です。
    > プロが「想定外」などと平気で言える方がよっぽど驚きです。
    > 科学者もそうだし、政治家も...
    > 今に始まったことではないけれど、「プライド無いのかな~」と思いながらニュースを見ています。
    >
    > いつも平穏な心で生きていく為には、東洋の智恵を授かる方がよほど確かだということ。
    > なまじ知識だけ得ても、それで安全・安定した人生を過ごせる訳ではないこと。
    > ・・・今回のことでもよく分かりました。
    >
    > 東洋の叡智を得る為には、学問を学ぶように簡単に短時間には無理ですね。
    > そして、自分一人の努力だけで得られるものでもない、ということー。
    >
    >
    > いつも大切なお話をありがとうございます。
    > 次回のお話もすごく楽しみです。


    ★>「プライド無いのかな~」
    そう、そのプライドなのですが、人の心の中で変わって来ているのでしょう。
    何をプライドとするのか? 
    プライドと言うのは、心が疼くことなのに、威張る事だと思ってしまう。
    持つべき人が、そのふさわしい心の疼きを持っていないのね。
    もしかしたら、言葉だけでも、本か文字で、読んで知っているかもしれないけれど。持っていない。
    知っているだけ。形で追いかけてきただけなのでしょうね。その感受性がないのです。

    そんな淋しい育ちをして来た人が、学歴だけ付けて国家や国民を守らなければいけない地位に付いている。
    そう言う人が、上に行ける組織と言うのも病理的ですよ。(道)徳をないがしろにした病気です。
    一番大事なものを、軽く扱って来た結果が、30年~60年経って、全国民に、わが身に返って来ている。
    それが、一番弱い所に、出ている。
    お子さんには、十分気を付けてあげてくださいね。
    いつもありがとうございます!  感謝☆cosmos

    Re: コメントがおそくなりまして、

    > 温かい日がつづいております。
    > 被災地のかたがたは少しづつすごしやすくなっていらっしゃるのでしょう。
    > 奈良も、大仏さんの近くを流れる佐保川の土手あたり、桜が五分咲き程度になり、
    > 今週末が満開の見ごろです。 由緒のある町は、奈良にも多ございます。
    > さぁ、どんな町なのか神武天皇さんの謂れのあるところとか、楽しみですね。


    ★今週末、佐保川の土手に、桜が満開なのですね。
    近鉄の奈良駅と、JR奈良駅の中ほどあたり、歩いていけましたね。
    本当は、この春は、吉野に行こうと予定をしていました。それが、今の状態になって、残念です!
    奈良も、随分と謂れのある場所が多いですね。橿原神宮など。
    お花がお庭に咲き始めて、きれいな事でしょう。おいそがしいのに!
    いつもありがとうございます! 感謝☆cosmos

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    Re: No title

    鍵コメントさんへ  

     コメントありがとうございます!

    Re: 学者と云うのは、人の意識の限界を示す人

    鍵コメントさんへ
      コメントありがとうございました!
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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