![]() 2012
07/19 23:26 |
コメントへのお返事 6. (あれから一年 2.) 東洋の 「因」と「縁」Category : 東洋思想
上高地の 一位 (イチイ)の木
![]() その昔、天皇など高位の人が手に持つ笏(しゃく)を作った木 江戸時代、江戸で度々の大火があり、各藩の大名屋敷が焼けました。 大火の後の各藩の大名屋敷再建ラッシュ時には、 その建材である良質の材木の供給地として、 松本藩の藩主が、高級銘木材の植林をした為に、 現在でも、その名残りで珍しい銘木の樹木が残っているようです。 先週の金、土、日で山登りに行きました。 東京では、7月にお盆をしますから、 翌日からは、毎日、静岡、関東近県の墓参へ行っておりました。 暑いですね~! 中央道も、先日は30km渋滞に遇いました。 また、先週は、訪問鑑定で長野にも行きました。 その時、美ヶ原に寄って、きれいな青空を写真に撮って、、、 もう、いつ、どこへ行ったのか ? 分からなくなりそうですが、、、 連泊の登山から帰りますと、身も心も、頭の中は特にですが、 ホーホケキョ 沢の水、サワサワと揺れる葉の音、雨から霧から青空、 目の奥にも、耳の奥にも、自然の中で過ごした余韻が残っていて、 現実の都会の中の生活に違和感があります。 10日間位は、まだまだ山の記憶の中を彷徨っています。 さあ、今日の記事は、 コメントへのお返事 6. (あれから一年 2.) 東洋の 「因」と「縁」 前回の記事のつづきから、、、 ”あれから一年 2 ”の記事にいただいたコメントの中で、 ② のコメントの処でした。 “ 人生の不公平には 因果(無意識)が正しく働いているようには思えないのです。” なるほど ! たしかに、 意識で捉えられる範囲内では、それはそうですね! この意識は、第五識までの意識ですよ、、、 でも、それを不公平と思う、、、意識の為せる業ですね! 心でそう意識しても、そのままにしておけば、 その疑問を何時か忘れてしまい、いつのまにか意識しなくなります。 どうでもいい、と、脳の前頭葉がめんどうくさいと無視をして、 つまり、無意識の領域のダスターシュートへ捨ててしまいます。 そう! 第八識にその意識は埋もれてしまうところを、 ・・・・・・・・・・ それを、このように因果はおかしい ? とコメントくださると云う事は、 ご自分の意識が、 第五識から、より深い第六識の方向へ潜行しようとしているのですね ! いい事です。 さすがですわ ! あはは。 真理の探究者。 なんだか、今日もややこしい ? むずかしくなりそうです。 記事が難し過ぎてコメントができない。 そう云う苦情を、よくいただきます。 ほほ。 本当に申し訳ありません。。。 むずかしいのは、まったく当たり前で、 なにしろ、五感でつかめない無意識の世界を窺(うかが)う、なんて事を やっているのですものね。 でも、これを窺うとは、すごい事 ! すばらしい事です。 東洋哲学の境地に立てれば、 現代文明は、あなたの両手に抱いた小鳥のようなものです。 では、ぼちぼち、 行きまひょか ? あはは。 まず、前回の“『陽』の世界の現象は、内因と外因の一致で起こる。” と云う事について、今日の記事と関連がありますので、 運命学的に説明をしましょう。 運命学的に、ひとつ例を挙げます。 あのう、冒頭から、痴漢の話などを、、、、、致しますが、 お許しくださいね。 一番、見ず知らずの人間同志が、事を起す単純な構図なのが、 例として分かりやすいのです。 あはは。 ビジネスや恋愛、結婚の出合いのたとえでもいいのですが、 それらはちょっと複雑過ぎるので、、、ご了承ください。 痴漢と云う事件が起きるには、 痴漢をする人間と、される人間が出会わないと起こり得ません。 どう云う事かといいますと、 痴漢をする人は、誰彼なく出会った全ての女性を相手にする訳ではなく、 また、 被害に遭う女性も、誰彼なく出合った相手から被害に遭う訳ではない。 痴漢をする人は、 深くは第八識の自分の業に染められた無意識的な衝動に駆られ、 その無意識の衝動を実現する為に、意識が周りの状況を把握しながら、 それなりに状況、人、場所を選んでいると思います。 そして、その機会というのも探っているはずです。 被害に遭う女性と云うのは、 被害に遭うべく運を持っていた、、、 その状況( 痴漢をしようとする男性 )にちょうど、合って、近くにいた、 その時と、場所との巡り合わせが、合致してしまったのです。 なぜ、その時と場所に居合わせたのか? 居合わせる内因を持っている。 それを「縁」が、「外因」に結び付けるのです。 運命学の災難、遭難運は、 災害に遭う運命、あるいは短命、怪我運、事故運、命の危機、手術など、 病気の発病、両親に縁薄い運命、家族運の衰亡、財(妻)を失くす運命、 性的トラブルに巻き込まれる運、いわゆる男難、女難の相、浮気運、 元々の孤命(一人ぼっちである運命)が実現する運、 これら、命式の中に表われているサインを読み取る事です。 どう云う運を持っているのか ? それは、どれほど可能性があるのか ? それは、いつ? 大事なのは、時なのです。 そして、それらを、未然にどう避けていくのか ? 避ける為には、どうするのか ? それを観るのが、運命鑑定なのですよ。 つまり、痴漢とは、運命的に、 ① 二人の命式において、起こりうる『時』の巡りが合っている。 ② 痴漢を為す可能性と、される可能性のある運命が出合った場所。 それらの諸条件が揃う時空間が実現して、その内実が惹起するのです。 つまるところ、当事者は、そうなる内因を持っていたとも言えますね。 それぞれの命式の中のサインが、もっとも具現しやすい「時」に、 お互いに、その相手になる外因に出会って意識化(実現)するのです。 その時、双方に内在するそれぞれの運命が、 ちょうどの相手の助縁によって意識界へ具現するのですね。 これが、運命が実現する仕組みです。 つまり、目には見えないが「内因」として持っていた運が、 我々の五感で意識できるように 姿・形を伴った物理的現象となる。 見て聞く事ができる = 意識で捉えられる世界へ出て来る訳です。 願いや思いが叶う。 目的を達成する。 そのシステムです。 ものごとが動く。 その全てがこの仕組みです。 ここが、大事です! 双方に何もなければ、内因がない時空間には、何も起こらないのです。 恋愛、結婚、人の出会い、すべてそうだと思います。 たとえ痴漢行為者の内因を持った相手であっても、 万が一、同じエレベーターに閉じ込められたとしても、 ほほ。 自分の運命が良好であれば、何も起こるはずはないのです。 結論を言いますと、 上で、紹介した運命学の遭難運のサインが 命式の中に、ない場合は、 たとえ、大災害地に居住し、遭遇したとしても、 そこが本人個人の死地、害地とはなりません。 前もって、災害を逃れられるような行動をとるものです。 しかし、家族と云えども、運命は、各自違いますから、 ご家族が、いつも、皆、同じようになる保証はありません。 前回の記事に、次のような鍵コメントをいただきました。 (一部編集、省略をして公開します。) 友人の話ですが、 阪神大震災の時に住んでいたマンションが全壊しました。 築年数自体相当古かったみたいですが、むしろそれが自慢で、 「昔、異人さん向けに建てられた由緒あるマンションなんだ」と話していま した。 震災の前日から、上の子どもの体調が悪かったことで、 友人は子ども2人を連れて実家に戻っていたそうです。 また、ご主人は、東京に出張中でした。 住まいも家財も「全部」使い物にならなくなったけれど、家族4人は無事で した。 マンション住人には怪我人が多く出たと聞きました。 この話を聞いたとき、「こういうこともあるんだ」と思いました。 当時、私は大阪に居ました。 自宅はかなり揺れましたが、被害は全くありませんでした。 前日の夜まで、関東にある主人の実家に泊まりに行っていました。 一日ずれていたら家に戻れなかった。と話したのを覚えています。 私は父が転勤族なので、今まで数回の引っ越しを経験しています。 あの土地に住まなかったら経験できなかったこと、 また、あのタイミングで引っ越ししたから逃れられたこと、 沢山のエピソードがあります。 「その時どこにいるか」「あのときああしていたから」など... 大きなことですね。 年を重ねていろんなことを経験するにつれ、 あらゆることが 「“偶然” じゃないのかも...」と思います。 そうですね! すべて必然なのですよ。 貴重な体験をどうも、ありがとうございました。 『天』の為す事に、一つの無駄もありません。 東洋哲学の最高峰、仏教では、これらの説明はこうなります。 よく、「因縁・いんねん」がある、とか、 これは「縁起・えんぎ」がいい、わるい。とか言います。 「因縁」も「縁起」も暗い古臭いイメージがありますね。 本来の意味は、次のようになります。 「縁」とは、「因」が「果」を生じる時に助ける要因です。 花で譬えると、花を咲かせるのは、まずその種が、あっての事です。 種がなければ、芽も葉も出て来ないし、結果の花を咲きません。 花の種 = 「因」になります。 しかし、種だけでは、花 = 「果」は咲きません。 そこには、土、日光、水がなければ育ちませんね。 これが「縁」です また、重要なのは、「時」です。 種を植えて、土、日光、水があって、「時」が経って、花は咲きます。 この「因」と「縁」が出合って和合をして、「時」をかけて、 初めて「果」が実る。 花が咲く訳です。 それぞれの内部に持つ「因」が、その「因」にふさわしい相手に出会う。 それが、「縁」です。 そして、「時」が、「因・縁」にふさわしい「果」を 運(はこ)んで来る。 「時」が運んで来るモノが、運(うん)です どう云う花になるのか? それは、第八識に積み上げられた、『業・ごう』次第です。 ここで、さまざまの差が、違いが生れます。 これが、因果応報の仕組みです。 人間の意識自体は、透明でも純粋でもありません。 また、一人一人が持つ五感・意識は、同じではありません。 それまでの過去のいろんな欲望の業に染まっていますから、、、 清浄な状態ではなく、歪み、癖、いびつさを帯びているものです。 実は、その個人の五感の違いは、 命式の違いから生まれて来るのが分かっています。 これが、さまざまな運命に違いが出る理由です。 どういう花になるのか? どういう花になったにせよ、その姿は、 自分の作った業に因って、そうなるしかなかった正解の存在です。 因果応報の答としての姿形は、間違っていないのです。 どんぴしゃの正解です!!!!! あはっは。 それはつまり、 存在の一つ一つを他と比べてどうだと云う次元のものじゃない。 これは、他と比べる物ではなく、それぞれが絶対的な存在です。 人と人とは、比べられる存在同士ではない。 比べるのなら、同じ人の過去と現在、又は未来における違いです。 因果応報のルールに則った姿形を表している訳ですから、 そう云う意味では、 だれびとにも絶対的な公平さが貫かれています。 その因果律のルールにおける扱いは、全ての人間は平等なのです。 これが、『陰』の世界における本質論、平等です。 近代合理主義の平等観と、一緒にしないでくださいね! ほほ。 『天』は平等で、依怙贔屓(えこひいき)はありません。 しかし、 現れ出た姿形は、あらゆる位相においての差別相があります。 この差別相が現れる世界を、仏法では「世間」と言います。 それが、中国の陰陽学で『陽』と云う現象世界・この世です。 この現象界・『陽』は、あらゆる差別相が現れる世界です。 この差別相を以って、この現象界で、競争をしてしまうのって ? なんなの ?????? この差別相を以って、この現象界は、不公平と言うのかしら ? しかし、ちょっと、考えてみてくださいって ? ここで、 ★ カール・マルクスの古典的著書 『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』から 有名な言葉を引用します。 人間は自分自身の歴史を作る。 だが、それを、自分の好きなように作るわけではない。 自分の選択した状況の下で作るのではなく、 過去から与えられ、伝播された、すでに存在する状況の下で作るのだ。 いかがでしょうか? 私たちは自分で思う程、自由ではありません。 自分の意識が好きなようにしていると思うのは、勘違いです。 たかが狭い意識の能力では、そこまでの力はありません。 過去から与えられた「因」と「縁」、業から伝播された意識の癖、 生れた時にはすでに存在した家庭家族状況の下こそが、 自分の過去からの因果応報、運そのものなのです。 もしか、私たちが、この差別相に囚われたら、 何も真実は見えなくなります。 意識に偏ると、現象の表面を真実だと五感が受け取るのです。 これが、近代合理主義そのものの癖です。 五感は、現象で騙しもしますが、楽に騙されやすいのです。 だから、今の文明で頭がいいと云うのは、問題です。 学歴が高くても、何が真実か? まったくお分かりになっていない御仁が、多すぎですわ! あはは。 人間の意識は、真実を蔽い隠します。 これは、原発の安全性の問題、滋賀のイジメの問題、みなそうです。 しかし、自然は、日常の中に、真実を暗示しています。 それを読み取るか、どうかは、 あなたが日常に馴れた五感の意識を捨てられるかどうかです。 海の沖の方から寄せ来る波立つ白波を見ても、 きれいだな、でも、波は波なんだ。 と、 そう思ってしまえば、そこまでです。 あはは。 そうすると、 海の底が見えないまま、もう次の波に囚われて、、、、、、、 囚われて、波に翻弄されるだけです。 囚われる自分に疲れると、波が悪いのだ! と。。。 あはは。 これでは、永久に、 寄せ来る白波は、大きくは月の引力が海の水を引っ張っている、からだ なんて、気が付かないままでしょうね。 あはは。 何が、その波を起こしているのか...? 何の為に、そこに月があるのか? ただ、『天』の目的は、調和です。 あなたと『天』との調和だけではありません。 あらゆるもの、すべてとの調和です。 それが、見抜けていない科学者達は、 地震などの予想を聞いていましても、 どうも、自然は勝手に動くと捉えているようです。 学問からしたら、人間にとって自然は、勝手なのでしょうね。 あはは。 この受け取り方こそ、西洋二元論、自然に対決しようとする観点です。 どう勝手に動くのか? それを知らない今の科学は、 電子望遠鏡や顕微鏡で部分を覗いて、それが、自然なんだ、 自然を解明した、としますが、とんでもない! はっきり言って、自然に対して、無知なのです。 まだまだ ”分かっていないと言う事”すら、一般的ではありません。 科学に疎い我々は、一般人は余計に、 科学は、自然に勝っているイメージを持っています。 だから、フクシマの人たちも、原発を自ら誘致したのです。 無知なら無知で、自然・『天』に従うしかないと思う方が、まだ、マシ。 救われる要素があるのですが、 近代合理主義の現文明は、隅から隅まで、、、ズズ、ズイと、 自分の意識で分かった範囲を、”解った”とする傲慢さが悪です。 あぁ、この乖離を、どうしたら埋められるのでしょうか? 意識で認識したものを知識とするなら、 知識で、未来など、解るわけが無いのです。 当たり前のことですが、未来は五感では捉えられないのですから。 未来は見えないし、手で触れませんでしょう? それが、どこかで、科学は人類の未来が解ると錯覚をしている。 この意識の思い上がりを止めなければ、、、、 今、この時代に、一番叫ばなければならないのは、 近代合理主義による『陰』の抹殺です。= 時代の最大の悪です。 近代合理主義は、男女平等と云うだけあって、 女性から母性を剥奪して男性と同じにしようとしている。 そうでしょう? 家庭は電子機器にまかせろ! 料理は、チンでいいんだ! 味付けは、レトルトがあるじゃん! あはは。 社会へ出て働け! 子を預けて働け! 男と同じ『陽』の価値観の中で競争をして生きろ! 社会で一番重要なのは、命よりも経済なのだ! 誰もが逆らえないこのリズムが、近代合理主義なのです。 ある意味、軍国主義の靴音に似ていませんか? 男女の結婚、子孫が栄える訳がない! 経済が伸びる程、命が衰亡しているのが分からないのかしら? この中で潰されるのは、子供です。 教育の現場が、『陽』の大過、命を守るイニシアチブが全然ない! 『陰』の存在しない教育現場には、 『陽』の警察権力で抑圧するしか方法がないのでしょう。 いじめの自殺から、もう気が付かなくてはいけないわ。 女性の中から、『陰』の本質を奪う。 それは、生命を生む母性の退化であり、自然の破壊であり、 命の誕生の消滅です。 それは、男性にとっても日々の生命のみずみずしさの喪失です。 この『陰』の衰弱が、『陽』の大過につながり、 『陰』と『陽』のバランスが危機的状況になっています。 その『陰徳』を無視し、存在を否定する今の文明は、 生命誕生の仕組みを、無視する憎っくき文明です。 ここが、あらゆる悪の中で一番手前にある悪ですね。 奥には、もっとすごい悪が隠れていますよ! はっは。 本質的平等など『陽』の世界にないものを、 自由・平等を実現したなどと平気で言う。 なんと、軽薄な!!!!!! 身震いがします! 本質的自由と平等は、『陰』の世界にしかないのですよ。 現文明、近代合理主義は、 此の世の真実を覆い隠す、人心を迷わせる悪鬼です。 最後に大事な事を二つ、 痴漢などは一時的な事件ですが、 恋愛、結婚となれば、一時的な関係ではありません。 その時に、彼、彼女が、運命の人かどうか、それらは枝葉の事です。 あなたがその時、運命的にどう云う時なのか? これから、どう云う時に向かっているのか? あなたの生涯の運命はどうなのか? その事こそ、大事です。 ★ すべての「因」は我にあり、です。 もう一つ、 たしかに、誰しも運の得意、不得意の領域があります。 それを知る事は、とっても大事です。 それを知って生きる力にして、余裕を持つ。 あるいは、知る事で、災難を避け、凶事の起こる事から逃げる。 悪「縁」を断って、謙虚に善「縁」に近づいて行く。 それは、ずるさではなく、 自分の役割を知って、他と比較をせずに、 自分固有の運に自信を深める事です。 そして、すこしでも誰かの役に立とうとする心地を取り戻す事です。 たとえ、悪い環境に在っても、その中で、 どう云う「因」を、積んでいくのか? それが、生きている意味、チャレンジですね! 是非、孫子の代まで幸多かれと、 伝えて行けるような「因」を積みたいものです。 それこそが、あなた固有の運命の中から、 あなたが掴む、本質的自由です。 この自由は、過去現在未来に亘って、 だれ人からも犯されるものではありませんわ! あ、そうだわ! 一番大事な事を忘れていました! 自分の積んだ業からの因果応報は、 自分の一生に報われるとは限りません。 これは、善悪に通じる事ですが、、、 最良なもの程、より最悪な因果応報ほど、先の子孫へ伝わります。 祖父の女道楽が、愛孫娘の人生に影を落としてしまう。。。 取り返しのつかない事になってしまうのですよ! それを、折々の鑑定経験から見聞きして記事にしたのが、 ( 命の継承と運命 )シリーズです。 次々回くらいからのこのシリーズの記事等もお読みになってください。 まあ、大変長くなりました! 最後までお読みいただきまして、感謝です。 コメントのお返事は、今回で一旦、最後とします。 また、機会を見て、続けたいと思います。 次回は、別のシリーズの記事に、 更新は、来週の週末の予定になります。 よき、一週間をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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No title一位の木というのを初めて知りました。
記事の中身も、 知っていたが、ここまで知らんで という処があって、 表現がむずかしいのを挑戦してますね。 運命に厳正で前向きなcosmos流を感じました。 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
No titleおはようございます~~♪
立派なイチイの木ですね。 何年か前まで北側の家の生垣がこれでした。 こんなに大きくなるんじゃ大変になるところでした(笑) 山に行ってきたばかりは余韻で暫く楽しめますよね。 今日はこんなに暑いけど cosmosさんはきっと涼やかな気持ちでいられることでしょうね。 No title毎日、あついですね~=
何回も今回も読ませていただきました。= 不公平と思う気持ちには共感をもってしまうのです。= でも、それは時間をこえて考えれば、cosmosさんの言う意味も解るような気がします。= やはり天は、公平でえこひいきの無いはずだと思いますから.....= そうだとしたら、今こうしてあるのは我々の先祖から営々と営まれてきた人の暮らしのおかげです。= 感謝をしなければいけませんね。= マスコミが報道をしているイジメの問題でも、因と縁あって果があるのだと考えると、= 社会の責任は縁になると思うのですが、、、、、= 陽に傾き過ぎた社会に置いて仕方がない事件であるような気もします。= 人の命が軽く扱われている風潮から、子供たちが何を真似をしているのか、、、= 考えれば頭の痛くなる問題です。= さまざまの事を東洋的に考えることができればもっと納得できるようになれるかなと思いました。= 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
No titleこんにちは。
今回の記事は、レベルが高い、コメントをされた人もそうですが...。 なにか内容に圧倒されて読みました。 >なぜ、その時と場所に居合わせたのか? >居合わせる内因を持っている。 >それを「縁」が、「外因」に結び付けるのです。 内因と外因、縁という言葉に分けられている、この目に見えない仕組みについて、 もっと知りたいと思いました。 いつもおっしゃる【天】の道理などでしょうか、、、、、 精密なルールを感じました。 秩序かな? 理論ではないですね? うまく言えませんが。 いろいろ考えていると、東洋の世界の深さと広がりに、ふと空を見てしまいます。 暑さに気を付けてご自愛を! Re: No title 鍵コメントさんへ
すっきりしましたか、、、あはっは。 ありがとうございます ![]() Re: No title> 一位の木というのを初めて知りました。
> 記事の中身も、 > 知っていたが、ここまで知らんで という処があって、 > 表現がむずかしいのを挑戦してますね。 > 運命に厳正で前向きなcosmos流を感じました。 ★暑い日が続きます。 毎日ごくろうさまです。 あら! 今日は、正当に褒めていただいたようで、うれしい事です。 いつもありがとうございます ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
いつも誠意あふれる行動ですね! 大したものです。 いつもありがとうございます ![]() Re: No title> おはようございます~~♪
> 立派なイチイの木ですね。 > 何年か前まで北側の家の生垣がこれでした。 > こんなに大きくなるんじゃ大変になるところでした(笑) > 山に行ってきたばかりは余韻で暫く楽しめますよね。 > 今日はこんなに暑いけど cosmosさんはきっと涼やかな気持ちでいられることでしょうね。 ★りんだはん、暑いどすな? そう、山はよろしおす~。 いつもかなわんなぁと思いながら、ついつい又行ってしまうのぇ。 どんなにか自然はよろしおすな。 あはっは。 だいぶ、りんだはんも京弁がおじょうずにならはって、いや、おどろいてますのや、て。 いつも、おおきに~! ![]() Re: No title> 毎日、あついですね~=
> 何回も今回も読ませていただきました。= > > 不公平と思う気持ちには共感をもってしまうのです。= > でも、それは時間をこえて考えれば、cosmosさんの言う意味も解るような気がします。= > やはり天は、公平でえこひいきの無いはずだと思いますから.....= > そうだとしたら、今こうしてあるのは我々の先祖から営々と営まれてきた人の暮らしのおかげです。= > 感謝をしなければいけませんね。= ★とっても大事な事を書かれてますね!> マスコミが報道をしているイジメの問題でも、因と縁あって果があるのだと考えると、= > 社会の責任は縁になると思うのですが、、、、、= > 陽に傾き過ぎた社会に置いて仕方がない事件であるような気もします。= > 人の命が軽く扱われている風潮から、子供たちが何を真似をしているのか、、、= > 考えれば頭の痛くなる問題です。= > > さまざまの事を東洋的に考えることができればもっと納得できるようになれるかなと思いました。= ★なかなかの東洋通になられましたね! あはは。 そうです、何を真似ているか? 大人がもっと悩まないといけないわね。 本質的には、それぞれの運命です。あとは、それをどう変えていくか? ですね。 いつもありがとうございます ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
今回の記事は、 今までの記事を読んでいたら分かりやすかったと思います。 いつもありがとうございます ![]() Re: No title> こんにちは。
> 今回の記事は、レベルが高い、コメントをされた人もそうですが...。 > なにか内容に圧倒されて読みました。 > > > >なぜ、その時と場所に居合わせたのか? > > >居合わせる内因を持っている。 > > >それを「縁」が、「外因」に結び付けるのです。 > > > 内因と外因、縁という言葉に分けられている、この目に見えない仕組みについて、 > もっと知りたいと思いました。 > いつもおっしゃる【天】の道理などでしょうか、、、、、 > 精密なルールを感じました。 > 秩序かな? 理論ではないですね? うまく言えませんが。 > いろいろ考えていると、東洋の世界の深さと広がりに、ふと空を見てしまいます。 > 暑さに気を付けてご自愛を! ★いつも良い勘をしていますね! ルール、秩序、摂理、どれでもいいでしょう。空を見上げるのもいいですね。 冴えていますね! あはは。 いつもありがとうございます ![]() |
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