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08/04 19:16 |
『呂氏春秋』 5 異宝 ・ 何が宝か? (受け取らないのが宝)Category : 呂氏春秋の世界
![]() 中国の楼 今日は、2012年 1月 12日以来の『 呂氏春秋 』の記事です。 異宝 ・ 何が宝か? (受け取らないのが宝) もしか、あなたが、こう云われたらどうしますか? 畑を耕していたら玉(ぎょく・宝石)を見つけました。 これは、私の宝物です。 それを、あなたに差し上げたいので、受け取ってください。 あなたの宝は、なにですか? 《 孟冬紀 》・ 異寶(宝) (町田版 冬の節113から) 宋之野人、耕而得玉、獻之司城子罕、子罕不受. 野人請曰 :「 此野人之寶也、願相國為之賜而受之也. 」 子罕曰 :「 子以玉為寶、我以不受為寶. 」 故宋國之長者曰 :「 子罕非無寶也、所寶者異也. 」 宋の野人、耕して玉を得、之を司城の子冠に献ず。 子冠受けず。 ( 冠の正字はカンムリの中が、ハに干 ) 野人請いて曰く、「 此れ野人の宝なり。 願わくは相国、之が賜(たまもの)と為して之を受けよ。」 子冠曰く、「 子は、玉(ぎょく)を以って宝と為すも、 我は受けざるを以って宝と為す。」 故に宋国の長者曰く、「 子冠は宝なきに非ざるなり、 宝とするところのもの異なるなり。」 宋の国の農民が、畑を耕していて宝石を見つけ、 その宝石を役人の子冠に献上しようとしたが、 子冠は、受け取らなかった。 農民は請い願いながら言った。 「 これは私、農民の宝です。 どうか之を宝として受け取ってください。」 子冠は、答えた。 「 おまえは、宝石を宝としているが、 私は、それを受け取らない事を宝としているのだよ。」 そこで、宋の国の長者は言った。 「 子冠は、宝がないのではない。 宝だとするものが一般普通の人と違っているのだ。」 子冠 = 実在の人物で、春秋、宋における賢大夫。 「春秋左氏伝」の魯の襄公6年と9年(紀元前567、564年)に登場し、 姓が楽、名が喜、字が子冠という宋の賢者。廉潔な人物として知られる。 廉潔の意味……(私欲がなく、心や行いが正しい事、 清廉潔白 ) 廉潔な人物として知られる子冠という宋の賢者は、 農民が自分の畑で見つけたと云う宝玉を、手ずから献上されても それを受け取らなかった。 おまえには、それが宝なのだろうが、 私は、それを受け取らない事を、宝としているのだよ。 宝とする物=大事なものは、人によって異なるのだ。 それぞれ、異宝(異なる宝)であると云っているのですね。 いかがでしょうか? さて、あなたにとっての宝は ? 何でしょうか ? 同じ「 異宝 」のこの後の段に、次のようにあります。 今以百金與摶黍以示兒子、兒子必取摶黍矣. 以龢氏之璧與百金以示鄙人、鄙人必取百金矣. 以龢氏之璧、道之至言以示賢者、賢者必取至言矣. 其知彌精、其所取彌精 其知彌觕、其所取彌觕. 子供に、百金と大きな黍団子のどっちが欲しい?と見せたら、 子供は、必ず黍団子を取るだろう。 田舎の人に、和氏の璧玉と百金を見せたら、百金をとるのだろう。 賢者に、和氏の璧玉と道徳の至言を示せば、 賢者は必ず道徳の至言を取るものだ。 その知が彌(いよい)よ精なら、その取る所も彌よ精であり、 その知が彌よ觕(粗い)なら、その取る所も彌よ觕くなるものだ。 このように、 人の知の、精( 邪気が抜けた )の度合いによって、 欲しいもの、手に入れたいモノが変わって来るのだと云うのです。 現代文明における知とは、 人間の意識が作ったロジックを理解する事や、その知識を持つ事です。 しかし、 以前にも書きましたが、中国古典の知とは、「矢」と「口」。 「矢」は、自分に嘘があれば自分の命を断つ武器です。 「口」は、「天」への誓詞(誓いの言葉)を入れた箱です。 「知」とは、自分の命を懸けて真実の言葉しか言わないとの意味です。 真実に命懸けなのですよ! ほほっ。 どこやらのイジメで真実を言わない教育委員会とは大違い! どこやらの原発事故で反省ができない電力会社とは大違い! もう、これらは、「知」以下なのですね! 意識を最上とする学問体系では、 単に知らなかった(意識しなかった)知識を耳で手で口で、 聞き、書き、言え、憶える事が、知でもあります。 習う側は、それでも良いにせよ、 それを教える教師、学問の先生、学府の教授、 命を懸けた「知」を頭に置いていらっしゃるのでしょうか? 今の〝知”は、いにしえの「知」と比べれば、 比較にならないシロモノですね ! あはは。 その知が彌(いよい)よ精なら、その取る所も彌よ精であり、 その知が彌よ觕(粗い)なら、その取る所も彌よ觕くなるものだ。 彌よ精( いよいよ精)の「精」についてです。 「精」とは、神のお供えをする米を選ぶ、と云う意味です。 神前に汚れのない傷の無いお米を備える為に、一心に良い米粒を選ぶ。 大変な、集中力と注意力がいる作業です。 ● 『呂氏春秋』 では、 人間の気を 「天・人・地」の三才における「人」の精気と云うものは、 天と地の間を上ったり下ったり活動して 巡り回り止まる事がない。 と、述べています。 ● 『呂氏春秋』 では、 天・地の気を 「天・人・地」の三才における「天」と「地」の精気と云うものは、 一年の季節の移り変わりの「気」として表現します。 ●● その「天・地」の移り変わりの「気」と、 「人」の精気は、結合をしている、 ≪ 我 即 宇宙 ≫ です。 だから、「人」は、その季節にあった生活をして、 政治も行わなければならないと、時令(時に合う規定)がされています。 ●●● 「人」が、時令に従って生活し、適合した政治をする時にだけ、 人や国は栄える。と述べられています。 ●●● 時令に反し従わない時は、個人も国も災害が起こると述べられています。 これは、 後々の 『 天人相関説 』と云う考え方へつながって行きます。 自然と人間との「気」を通しての「感応・かんのう」が行われる。 つまり、人間相互の気の交流と、 人間界と自然との間の気が影響し合うエネルギーの交換、 交流相互作用 が行われると云うのです。 その知が彌精なら、その取る所も彌よ精であり、、 その「知」が、いよいよ精とは、 あなたを含む人間界全体と、 『天』の「気」との感応(エネルギー交流)が行われた時、 『天』の気を享けた人の精気と云うものが形成されて行った時、 その取る所も彌よ精であり、 人は、何が一番大事か? 何を一番最高の価値に置くか? が、 その基準が、おのずと分かって来ると云うのです。 そして、それに応じた『天恵』があると云うのです。 それを知る事を、「知」と言うのです。 喧(かまびす)しい政争の明け暮れの、 政治が、時令に合っていない為に起こるさまざまの軋轢、 『天』から降る未だ経験した事のない風雨、 『地』が蠢(うごめ)く災害、 消費税、社会保障、一体改革と言った処で、何が一体なのか? それは、「知」と言えるのか? 原発、反原発、ウラン燃料の廃棄処理、 どれもこれも国の「あるべき姿」が無いから、 定まっていないから生じる漏ればかりです。 漏れがある事を、「精」とは言わない。 子供に百金と黍(きび)団子を見せれば、 子供は、百金を捨て、かならず黍団子を取るだろう。 田舎の人に、璧玉と百金を見せれば、 田舎の人は、璧玉を捨て、かならず百金をとるのだろう。 賢者に、璧玉と道徳の至言を見せれば、 賢者は、璧玉を据え、かならず道徳の至言を取るものだ。 この国は、子供なのか? 田舎人なのか? 賢者なのか? 国と云えども、我々一人一人の集団であるからには、 私たち一人一人が、どれを取るのか心で決めなければ... 子供のままか、、、 田舎人でいるか、、、 いやいや都会人になって子供のよさも味わいたい? あはは。 意識が真っ先に感じるのは、まず苦ですか? あはは。 快と楽を抱えて、道徳を見習えないモノかって??? あはは。 その知が彌よ粗(あら)いなら、その取る所も彌よ粗くなるものだ。 楽を求めれば、五感の奴隷になり 苦を避ければ、意識の餌食になってしまうのです。 意識の餌食になれば、苦を避け、楽を求めて、鬼になれますよ! 自分の楽の為には、他者の苦は平気になるのね! 不器用な近代合理主義の国家は、 経済の為に!、原子力発電を! 原子力発電の為に、国民が我慢しなさい! えっ? 仕事が、雇用がなくなるんだよ。って? どこかで聞いたフレーズ ??? 8月になれば、思い出す。 はるか60数年前、何の為に我慢をしなさいって言ったの? その時も、経済の為ではなかったの? あの時も、エネルギーを求めて、 大東亜共栄圏を作るんだって、 意識の作った絵空事の為に、国民を駆り立てて、 国家への『大義』を押し付けて来て、 もう、国民をおどかしながら、おびえさせながら、 今、同じパターンに入っているって気がしない? もう、いい加減にしておかないと、 意識の行きつく先は、『陰』の無視、命の殺戮です。 今は、兵器を使わない殺戮戦です。 まさにそうでしょう? 今は、平和と言いながら、 平和なりの殺戮と云うものが出来上がっているでしょう? 兵器や銃を向けられるより抵抗ができないのよ。 最愛の我が子に与える食べ物を求めれば、 近代学問の作った化学毒で汚された食べ物を買うしかない、、、 日本は、EUやアメリカよりもヒドイ! 家畜のエサのような食糧を、平気でスーパーで売っている。 遺伝子組み換えの商品を 食べ続けると3世代目は、どうなるか分からないのだから、 蝶の実験では、3世代目は幼虫の段階で、発育しないまま 死んだそうです。 こんな怖いものを、味噌や醤油や納豆に作らせ、 毎日食べる物にして人間が食べているのは日本だけです。 他国は、輸入禁止か、家畜のエサとしての利用だけです。 これを、二元論的に云うと、 精神が、偏狭な思想で汚されるのを放置する事は、 肉体に、取り出せない毒を入れる事になるのですよ。 つまり、下級な思想は肉体を汚す事が気にならなくなり、 毒で汚れた血液からは、神経がやられ、堅実な希望が持てないのです。 学校でのイジメと云う暴力事件、脱法ハーブ、未成年の性病 仏教の経典で云う処の、 『 毒気深入 』 そのものの姿です。 何が尊いのか? 分からなくなっているのです。 異宝 さまざまな宝 その中から、どの宝を選ぶか? その知に感応して、自然界からの現象が起こって来る。 それが、災であるか、禍であるか、 恵であるか、福であるか、 感応によって自然界から引き出される同値エネルギー交換なのです。 各々の知をいよいよ精にして、 何も受け取らない宝を持って、 この国を変えて行かなければいけないわ。 広島、長崎原爆記念日、 敗戦記念日、 長い記事を最後までお読みいただきまして、 感謝申し上げます。 暑い日々が続きます。 よき一週間をお過ごしください。 参考文献 : 「呂氏春秋」 町田三郎 講談社学術文庫 百家諸子 中國哲学書 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
Tag : 広島、長崎原爆記念日、敗戦記念日
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No title前回の記事には急に旅行をするようになってコメントができませんでした。=
暑い中で、なにか今年の夏は、熱帯地方のフィリピンのマニラよりも暑いとか?= 今日の記事も目が覚めるような清涼感を覚えます。= 人間界の気が自然の気につながっているという話ですが、それはそうですね。= 人が、生れた処、命の故郷とつながっているのは当たり前です。= 昔の人は、それを感じて生きていたのですね。= 今の私達より五感が敏感だったに違いありません。= 体や命の感じ方も鋭いという気がします。= まさに、生きている感覚です。= 今のような知識や情報を通して間接的に自分を知るのと絶対に違うと思います。= 便利さと物が溢れた方がしあわせとは言えない。なにもいらないというのが宝とする生き方を学ばないといけませんね。= これからも暑さがつづきますが、ぜひ、ご自愛くださいね! = No title夜回りならぬ午前ですわ
お盆を前に秋も立ち、そろそろ秋のよう、 今日の記事などは西洋にはない、 東洋の境地も格別なことで、 これこそを真骨頂にして 日本はやっていくしかない? そういうことでしょう? で、帰って寝ます、 おー、おやすみ。 Re: No title 鍵コメントさんへ
毎日暑いですね! でも、もう立秋が、、、 いつもありがとう ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
深刻な状態を気が付かない日本人、おめでたいのでしょうか? ほほ。 いつもありがとう ![]() Re: No title> 前回の記事には急に旅行をするようになってコメントができませんでした。=
> 暑い中で、なにか今年の夏は、熱帯地方のフィリピンのマニラよりも暑いとか?= > > 今日の記事も目が覚めるような清涼感を覚えます。= > 人間界の気が自然の気につながっているという話ですが、それはそうですね。= > 人が、生れた処、命の故郷とつながっているのは当たり前です。= > 昔の人は、それを感じて生きていたのですね。= > 今の私達より五感が敏感だったに違いありません。= > 体や命の感じ方も鋭いという気がします。= > まさに、生きている感覚です。= > 今のような知識や情報を通して間接的に自分を知るのと絶対に違うと思います。= > 便利さと物が溢れた方がしあわせとは言えない。なにもいらないというのが宝とする生き方を学ばないといけませんね。= > > これからも暑さがつづきますが、ぜひ、ご自愛くださいね! = ★お気づかい、ありがとうございます! 今の文明は確かに狂っているのですが、その狂気を利用して利益を得ようとする人たちもいる訳です。 おそろしい事ですが、それも本当なのですね。 この点を、もう少し記事にできたらと思っています。 いつもありがとう ![]() Re: No title> 夜回りならぬ午前ですわ
> お盆を前に秋も立ち、そろそろ秋のよう、 > > 今日の記事などは西洋にはない、 > 東洋の境地も格別なことで、 > これこそを真骨頂にして > 日本はやっていくしかない? > そういうことでしょう? > で、帰って寝ます、 おー、おやすみ。 ★お、遅くまでお体に気を付けてくださいね。 東洋は、東洋のやり方でしかやっていけないでしょうね。 いつも寛大なるお心で、 あはは。 ありがとう ![]() No title「受け取らないことが宝」で上岡原発建設に対し長年反対し続けている、
祝い島の方々のことを思い出しました。 電力会社からの補償金など一切受け取っていないそうです。 他の市町村は補償金を当然のように受けとったので当然のように原発建設が 進んでしまった・・・のと比べたら、すごいことだと思います。 まさに、「受け取らないことが宝」の見本のような話だと思います。 |
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