![]() 2009
09/06 21:10 |
★十二支 ハバスパイ滝はシャングリラ ・桃源郷と言われるインディアン村にあります。Category : 運命学
![]() 今日は、桃源郷といわれるハバスパイ村、 Havasupai Indian Waterfall (3分10) をどうぞ! 映像は、700年も昔からあるインディアン村のハバスパイ滝です。 滝は、巨大な岩が果てしなく林立するグランドキャニオンの 谷底にあります。 パピヨン型のヘリコプターでしか往けません。 グランドキャニオンの絶壁の間を降りて行くと、 シャングリラ/桃源郷と言われている村があります。 ハバスパイとは 《 サファイアブルーに光輝く水のある土地 》という意味です。 村人の祖先は、どういう方法で谷底へ到達したのかしら? 存在のあらゆるものは、今、見えている姿が全てではない。 少し此方の立ち位置をずらせば、今までとは違った姿を見せます。 もっと覗き込めば、今まで知らなかった姿を見せてくれますし、 もっと知ろうとすれば、見た事もないありのままを開扉してくれます。 あ、それで満足しないで! もっともっと奥へ扉があるの・・・ 以前、東洋に関心を持つようになったのは、 ( 十二支に気づいてから) と書きました。 今日は、その続編です。 その頃、十二支というものを意識し、観察を続けました。 対象は家族、塾の生徒は0歳児~高校生、父兄、生徒、友人です。 その結果、私の周りの人の十二支が偏っているのに注目しました。 例えば・・・・・・講師たちを子年とします。 塾の準備、採点の助手達、掃除等をする人は、丑年として。 教材、本屋、講師を調達してくれる人は、寅年というように。 私を中心にして、 それぞれの立場同士に、 ほぼ同じ十二支が集まるという傾向がありました。 奇妙だな? 何か意味が? う~ん。 なにか見えない道があって、集まって来ているような~ それを運命と思うよりも、 好奇心をそそられ、 本を読み、関心を持った結果、 人には定められた立ち位置のようなものがあり、 ある状況の変化をいろいろ研究するやり方があるんだ、 という発見が新鮮で興味深く、東洋学の神秘を見たようでした。 西洋的近代合理性から外れた東洋的な感覚が、 自分の中に沁み込むように入ってくる・・・ そういう感覚が、自分の中の腑に落ちた時、 いつの間にか自然に、私の人間を観る見方が変っていき、 家族や友人、生徒や父兄に対しての認識、判断、 言葉が変わっていったのです、、、。 そのあたりから、自分の意志や欲とは別のベクトルがあるという感覚、 これが運? たしかに運という字に納得したものです。 運ぶ、運ばれている、どこかに向かって誘(いざな)われている、 そういう感覚を運と呼ぶのなら運かもしれない。 そう思うようになっていました。 それを確認するために少しづつ東洋運命学へ、 一度知って( 知る事は悪くないだろう ) 受け入れてみようという覚悟で、 そして足を踏み入れた・・・という次第です。 当時の私の周りに集まって来た十二支の意味を 後日、 運命学的に観ますと、 実に、仕事が成功する役割であったということが 後になって解かりました。 それぞれの干支が、その立ち位置で私を確実にサポートする 組み合わせだったのです。 それが分った時、 過去のことですが、驚きと、感謝と、感動、大袈裟なのですが 光と言う言葉に意味があると、 (=神ではないですよ。そういうものではない。あは!) 思ったのを憶えています。 何かしら、恵まれた、たしかにラッキーな事だったのです。 今は又、その時とは違う十二支達が、私の周りにいますよ。 (笑い) 十二支とは違う捉え方が他にも、あるはず、あってもいいと思いますが、 暦の12という数に、妙味を感じます。 これを読まれて、さぁどう思われるか? 気違い!(ガハ) あはは! 『 たまたまでしょ~ 』 と言われても、 私が感じている実に広大な秩序正しいこの世界を 肉眼ではお見せできないし、、、(笑い) 昔の人は、自然と調和して生きる能力が高かったはずです。 そうしなければ生きていけないから。 五感というのは人間が決めたカテゴリーですから、 本来、六感も、九感も、六十感もあったかもしれません。 昔の人の全身感覚は外界といっしょに呼吸していて、 わずかな風でも、太陽系の変化までを、 ひょっとすると、肌の毛穴で、粘膜で、声帯で、内臓で 受け止めていたかもしれません。 遠くの水の音を聞いたり、風で臭いをかいだり出来たのでしょうね。 昔の人は危機管理は自分で行っていた・・・ そうするしかないから。 今、科学が、学問が発達して 他人の頭脳が証明した理論を信じ、 開発された計器が確認した結果を、 私たちは当てにしています。 自分の脳センサーを閉じて、それらを頼ってしまっています。 合理的で便利とは言いつつ、 それは、 自前の危機管理のセンサーを脳内部で消失することになり、 十全な生命力の発現を弱めてしまい、 自分の足元が、自然淘汰の波にさらわれているのに、 気づいていない のではないかしら? そういう不安を感じずにはいられません。 ----------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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