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    ★十二支   ハバスパイ滝はシャングリラ ・桃源郷と言われるインディアン村にあります。

    Category : 運命学
                             


    グランドキャニオン









    今日は、桃源郷といわれるハバスパイ村、   
                       

    Havasupai Indian Waterfall
    (3分10) をどうぞ!                               




    映像は、700年も昔からあるインディアン村のハバスパイ滝です。


    滝は、巨大な岩が果てしなく林立するグランドキャニオンの

    谷底にあります。

    パピヨン型のヘリコプターでしか往けません。

    グランドキャニオンの絶壁の間を降りて行くと、

    シャングリラ/桃源郷と言われている村があります。


    ハバスパイとは

    《 サファイアブルーに光輝く水のある土地 》という意味です。



    村人の祖先は、どういう方法で谷底へ到達したのかしら?                                      
                
    存在のあらゆるものは、今、見えている姿が全てではない。                  

    少し此方の立ち位置をずらせば、今までとは違った姿を見せます。
                                        

    もっと覗き込めば、今まで知らなかった姿を見せてくれますし、                                       
    もっと知ろうとすれば、見た事もないありのままを開扉してくれます。                             

    あ、それで満足しないで! もっともっと奥へ扉があるの・・・                                                  

    以前、東洋に関心を持つようになったのは、    

    ( 十二支に気づいてから) と書きました。 


    今日は、その続編です。                                                                  

    その頃、十二支というものを意識し、観察を続けました。                             

    対象は家族、塾の生徒は0歳児~高校生、父兄、生徒、友人です。

    その結果、私の周りの人の十二支が偏っているのに注目しました。                                                                                                                                                 

    例えば・・・・・・講師たちを子年とします。                                      

    塾の準備、採点の助手達、掃除等をする人は、丑年として。                                                              

    教材、本屋、講師を調達してくれる人は、寅年というように。                         

    私を中心にして、

    それぞれの立場同士に、

    ほぼ同じ十二支が集まるという傾向がありました。 
                                                                    

    奇妙だな? 何か意味が? う~ん。                                          
           
         なにか見えない道があって、集まって来ているような~                                    

    それを運命と思うよりも、

    好奇心をそそられ、

    本を読み、関心を持った結果、

    人には定められた立ち位置のようなものがあり、

    ある状況の変化をいろいろ研究するやり方があるんだ、

    という発見が新鮮で興味深く、東洋学の神秘を見たようでした。 
                                                                    

    西洋的近代合理性から外れた東洋的な感覚が、

    自分の中に沁み込むように入ってくる・・・




    そういう感覚が、自分の中の腑に落ちた時、

    いつの間にか自然に、私の人間を観る見方が変っていき、

    家族や友人、生徒や父兄に対しての認識、判断、

    言葉が変わっていったのです、、、。
                                                                                                

    そのあたりから、自分の意志や欲とは別のベクトルがあるという感覚、                                                                                  

    これが運? 

    たしかに運という字に納得したものです。 
                          

    運ぶ、運ばれている、どこかに向かって誘(いざな)われている、

    そういう感覚を運と呼ぶのなら運かもしれない。

    そう思うようになっていました。



    それを確認するために少しづつ東洋運命学へ、

    一度知って( 知る事は悪くないだろう )

    受け入れてみようという覚悟で、

    そして足を踏み入れた・・・という次第です。


    当時の私の周りに集まって来た十二支の意味を

    後日、

    運命学的に観ますと、

    実に、仕事が成功する役割であったということが

    後になって解かりました。

    それぞれの干支が、その立ち位置で私を確実にサポートする

    組み合わせだったのです。


    それが分った時、

    過去のことですが、驚きと、感謝と、感動、大袈裟なのですが

    光と言う言葉に意味があると、

    (=神ではないですよ。そういうものではない。あは!)

    思ったのを憶えています。

    何かしら、恵まれた、たしかにラッキーな事だったのです。



    今は又、その時とは違う十二支達が、私の周りにいますよ。 (笑い)
     
                      
    十二支とは違う捉え方が他にも、あるはず、あってもいいと思いますが、

    暦の12という数に、妙味を感じます。 
                                                                            

    これを読まれて、さぁどう思われるか? 

    気違い!(ガハ) あはは!         

    『 たまたまでしょ~ 』 と言われても、

    私が感じている実に広大な秩序正しいこの世界を

    肉眼ではお見せできないし、、、(笑い)    
     

                                                  

    昔の人は、自然と調和して生きる能力が高かったはずです。                          

    そうしなければ生きていけないから。                                         


    五感というのは人間が決めたカテゴリーですから、

    本来、六感も、九感も、六十感もあったかもしれません。 
                                      
        

    昔の人の全身感覚は外界といっしょに呼吸していて、

    わずかな風でも、太陽系の変化までを、

    ひょっとすると、肌の毛穴で、粘膜で、声帯で、内臓で

    受け止めていたかもしれません。
                                                                         


    遠くの水の音を聞いたり、風で臭いをかいだり出来たのでしょうね。                                                               

    昔の人は危機管理は自分で行っていた・・・

    そうするしかないから。 
                                      

    今、科学が、学問が発達して

    他人の頭脳が証明した理論を信じ、                                  

    開発された計器が確認した結果を、

    私たちは当てにしています。                           

    自分の脳センサーを閉じて、それらを頼ってしまっています。



    合理的で便利とは言いつつ、

    それは、

    自前の危機管理のセンサーを脳内部で消失することになり、

    十全な生命力の発現を弱めてしまい、

    自分の足元が、自然淘汰の波にさらわれているのに、

    気づいていない

    のではないかしら?                                                                                               

    そういう不安を感じずにはいられません。   
























    ----------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

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    どうぞ宜しくお願いします。

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    テーマ : アメリカ
    ジャンル : 旅行

            

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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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