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04/21 18:14 |
コメントへのお返事 13. (★姓名判断 1 ) 紀子さま/名の音霊についてCategory : 運命学
吉野山 (奈良県吉野郡吉町吉野山)
願はくは花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月のころ (願う事なら、花の下で、春の満月にこそ死にたいものだ) 西行法師「山家集」 一目千本(ひとめせんぼん)と言われる桜の山景色 ![]() 4月に入って日本列島を襲った低気圧のせいで花びらが散ってしまい、 葉桜ばかり、例年よりさみしい山肌でした。 いつもは、下のような幻想的な桜の山になります。 ![]() 4月11日 10時すぎ吉野山着、 地元の人によれば、 早朝には雪が降り、積って、日の出と共に瞬く間に溶けたとか、 おかげさまで、道中、足元は、程よいお湿りで土ほこりも立たずに、 下(しも)から中(なか)、上(かみ)、奥へと 桜を求めて登って行く事ができました。 吉野山 下千本(しもせんぼん) 花は散っているのが多いですね。 吉野山3万本の桜と云いますが、実は下だけで3万本あるそうです。 ![]() 吉野山 中千本(なかせんぼん) 花がまだ残っていました。 ![]() 昨年の11月には、持統天皇の面影をさがして紅葉の吉野山へ行きました。 その時の様子は、ここをご覧になってください。 「日本書紀」の巻の第三十の持統天皇紀に記録が残っている、 天武天皇の皇后 ・ 讚良皇女(さららのひめみこ)、後の持統天皇が、 九年間に、3~17日間の吉野への逗留を30回以上もされていたと云う 史実に肖(あやか)って吉野山へ行ったわけですが、 関西への仕事の合間の限られた時間の中でしたので、 上(かみ)まで行くのが精一杯、奥までは足を延ばせなくて、、、 それから、約半年ぶり、 その心残りと、冒頭に挙げました、 桜に魅せられた西行法師の辞世の句に誘われて、、、 ほほっ。 お花見に的を絞って奈良へ赴き、桜の吉野山へ参りました。 西行法師の事を少し、、、御存知の事とは思いますが、 本名・佐藤義清(のりきよ)。家柄が藤原の鎌足の流れをくみ 鳥羽院の北面武士と云う身分でしたが、23歳で家督、家族を捨てて出家。 出家の際に、彼を慕って裾に取りついて泣く娘(4歳)を 縁側から蹴落とした! と云う逸話が残っています。 まあ、そんな不埒な父親と思えなくもない男が出家をしたのですから、 どんな行く末、死にざまかと思いきや、 彼は願い通りに、桜の咲く満月に亡くなったそうでございます。 あはは。 この事を当時の貴族達は、こぞって賞賛をしたのだそうです。 23歳の若さで俗世間を捨てて出家をした動機には、 彼の失恋説があります。 そのお相手は、鳥羽天皇の中宮待賢門院か、あるいは 鳥羽天皇の譲位後の寵妃、近衛天皇の生母美福門院とか、、、 その為に、裕福な暮らしや官位、家族も捨てて遁世した彼が、 死ぬまで断ち切れなかった執心の的が吉野の桜の美しさでした。 花にそむ心のいかで残りけん 捨て果ててきと思う我が身に (花に染まり執着する気持ちが、どうしてこんなに残っているのか 俗世の事は捨て切ったと思う我が身であるのに) ----------------------------- 今日の記事から、しばらくの間、 過去記事へいただいたコメントへのお返事の記事になります。 今日のテーマは、 コメントへのお返事 13. (★姓名判断 1 ) 紀子さま/名の音霊について 2012年 10月 16日の記事 ★姓名判断 緊急! 『陰』を無視した名前は付けてはいけません。 へいただいたコメントからになります。 今日、引用させていただくコメントは、 ◯ 紀子様の場合、 読み方が『きこ様』と『のりこ様』では運勢は違ってきますか? 名付けた名前の読み=音の違いにおける運命の表われ方ですね。 よく深い処まで、お気づきになりましたね! そうなのです。 名前は、それが持つ音によって運の象徴は、まったく違ってきます。 秋篠宮 紀子様の場合、「きこ」さまと読むのは珍しいですね。 一般的には、紀子と書けば、「のりこ」と読みますね。 姓名鑑定では、「あ~わ」までの一つ一つの音に意味があります。 少し説明をしますと、 言葉には、言霊、 音には、音霊があります。 音霊には、母音と子音、その組み合わせの音霊があります。 「のりこ」の初めの「の」の母音は、お。 「きこ」の初めの「き」の母音は、い。 ◎ 母音の「お」は、すべてを受け入れる体勢を意味します。 外界を受け入れて、自己と一体になっている口の形です。 自分の口の中に外界を含み入れて包むように、 口の奥を大きく膨らませて、こぼれないように口をすぼめる。 おーー お の音がする言葉は落ち着くイメージの言葉です。 (納まる、修まる、桶、置く、起きる、、、) ◎ 母音の「い」は、外界と自分の境界線をはっきりさせる体勢です。 言い換えれば、外界を知って受け入れるかどうかの自己認識、 ひとまずは外界を拒否する口の形です。 口を閉じるように横に引き締めて、少しの隙間から息を吐きますね。 いーー い の音がする言葉は、意志、確固としたイメージの言葉です。 (いや! 意志、言う、行く、家、石、意味、、、) 「のりこ」と「きこ」の音の違いについてです。 ☆ 「のりこ」なら、 Nの子音の霊意も合わさって、 おおらかな知能型で、自分を伸ばしていこうとするタイプです。 ☆ 「きこ」なら、 Kの子音の霊意と強い自我意識「い」の母音が合わさる事により、 あらゆる外界に対して対面的に相い対して行きます。 名の音霊からの暗示は、自立的、孤独的。 紀子さまの場合、 それが、やわらかな従順さで包まれているのは、 知恵と他者に尽くす命式との調和です。 = 他者の為に努力ができる方でいらっしゃるのです。 人は、決して見た目ではありません。 でしょう? 嫋(たお)やかに見える紀子さまが、実はしっかりした方なのです。 コツコツと単独で自分の周りを運気旺盛に以って行ける人です。 紀子と書いて、「きこ」と読ませる。 そう決まった時から、今の運命が定まっていたのでしょうね。 天皇になられる人はもちろんですが、 天皇の妃になる人も、天皇の母になられる人も、 頑丈な自我意識を持っていないと潰れてしまいますよね。 発福する自我意識は、見えない処で『陰徳』に根ざしています。 よい果報を得る生き方と云うのは、 年柄年中、まるでキャンペーン? のような情報の濁流を放出する 近代合理主義社会の自然から浮いた囲みの中の現象に囚われる事なく、 唯一、依りかかれるものが『陰徳』と云う生き方です。 これが、最善最強なのです。 皇室にお入りになられたから、人は幸せになれるものではありません。 皇太子妃の雅子さまの例もあります。 ついでに雅子さまの音霊をさぐってみましょう、、、 「まさこ」の初めの「ま」の母音は、あ。 ◎ 母音の「あ」は、外界に気付いて驚く体勢を意味します。 口の形は、外界に対して無防備に開いた形です。 あーー あ の音がする言葉をさがしてみてください。 何か、あざやかなモノ、事が始まるイメージがあります。 (朝、明るい、遊ぶ、秋、あるいは、暑い、、、) 外界を受け容れるも拒否するもない、前駆的緊張状態です。 その緊張状態を周囲に及ぼします。 私に付いて来て! 生来のリーダーです。 仕切り屋さんでしょうか? あはは。 新しい事に気付くのが早く、それをマスターしようとします。 学芸技芸に興味を示し、常にトップを目指します。 その為には全身全霊を打ち込む人です。 ☆ 「まさこ」の名の音霊は、 Mの子音の霊意と、「あ」のリーダーシップ性が合わさって 静かだけれども女性らしさの中に、強烈なトップを目指す意志です。 あなたが一番よ、そう認められて大きくなって来た方ですね。 皇太子に見初められて、初めは固辞していた雅子さま、、、 それは、あなたが一番だと認められた事だったのですね、、、 しかし、皇太子妃と云うお立場は、 トップのままでいいと云う訳にはいかない。 ◎ 「あ」の音霊を持てば、 誰かに従う事は得意ではありません。 誰かに自分を犠牲にして尽くす事など性に合っていないのです。 自分の上に、目の前に、だれかが居る風景には馴れていらっしゃらない。 自分がトップランナーなのですから、、、ね。 人の適性と云う観点から観ると、 雅子妃殿下は、外務省のキャリア外交官のままであれば、 世界的に大活躍をなさった有能なキャリアウーマンだったのでしょうね。 人が怯む問題にも、既成概念に囚われずに、まず一番に挑戦し 先陣を切って必ず母国日本の為に何かを築かれたでしょう。 雅子妃殿下は、女系である三人姉妹の長女の出自でした。 兄も弟もおられません。 明らかに、女系の家系のお出になります。 将来、天皇になるべき男児を産まなければならないとするのであれば、 そこまでの見識を以って諮らなければならない事だったのではないか、 雅子さま、お一人の責任にしてはならないと思います。 ーーーーーーーー紀子様の事にもどります。 秋篠宮 紀子さまが、婚約中の記者会見ですが、 結婚式を終えて落ち着けば、学習院の大学院生に戻って、 心理学の研究を続けたいとおっしゃっていました。 当時、ひやっとしました。----------ーーーーあぶない! 事を言う、まだ若いな、と聞いておりました。 その当時、自己実現 と云う言葉が流行っていて、 何の為の自己実現か、分らないまま... あはは。 皇室がいかに開かれた皇室になったとしても、 近代家族のような、男女の役割が曖昧で均質化した夫婦でない事は はっきりしている訳ですから、、、 、、、、、、覚悟がない、と云う印象を受けていました。 周りにだれも、知恵を授ける人間がいないのか? なんと、合理主義的な、まわりも近代家族そのものじゃないか? 心配をしていました。 ほっー。 結局は、紀子さまは余裕がなかったのか、それをなさらなかった。 非常に、その事がよかったと思っています。 正確に云えば、約20年間、なさらなかった。 1989年(平成元年) 学習院大学院進学、 婚約内定 1990年(平成2年) 6月29日 結婚の儀 1991年(平成3年) 10月23日 眞子内親王が誕生 1994年(平成6年) 12月29日 佳子内親王が誕生 (この間、学習院大学院へ通われていたが) 2006年(平成18年) 9月6日 (39歳)悠仁親王を出産 2009年(平成21年) 4月 (42歳) お茶の水女子大学で研究活動を再開 2013年(平成25年) 3月 (46歳) 今年の春、お茶の水女子大学から博士の学位を授与される。 その間に、葛藤やお悩みがおありだったはずですが、 それで、よかったのです。 見事な生き方です。 悠仁親王さまが、御茶ノ水女子大付属の幼稚園に通っている間、 ご自分も、通っておられたのですね。 自分の本来の大きな役割に気付く。 こう云う女性(嫁)が、女系化した絶家の家系(皇室)を救い、 こう云う嫁が、息子、孫の嫁と、3代続けば家系は盤石になります。 自分の役割の為に、ある選択をする。 見えないもっと大きな何かを手にする為に、見える手の中の物を捨てる。 捨てるか、ある時期、我慢をする。 我慢や忍耐を経る事によって、 意識より、無意識の方へ重心を置く生き方へ入れるのです。 なぜなら、我慢と云うのは、 自分の五感が求める意識の満足をーーーーー見据えると云う事です。 自己の欲望をいぶし、虫干しをするようなものです。 あはは。 自分を苦から逃げさせようとする意識を潰す作業になります。 まるで、モグラ叩きのように、ね。 強欲な意識よ! えいっ! えいっ! ほほっ。 ここまですれば、惰弱な意識は潰れます! あはは。 忍耐は、人を作ると申しますが、こう云う事なのですね。 『時』が、人を鍛える、のですね。 我慢は、『時』を信じる智恵です。 陰徳から出て来る智恵です。 『時』を信じる事は、『陰』を信じる事に通じます。 無意識は、自分の欲を解かなければ見えて来ません。 無意識は、苦を避けていては見えないのです。 目に見えないモノが見えるようになる。 その事から、 意識が急(せ)かす狂騒に勝った満足境(天国)よりも、 無意識界から湧き出るもっと広い深い喜びに包まれるのです。 我々は、この現象界において、 自分の運命を示唆するさまざまな衣服を着ております。 その内の一つが、姓名の音霊です。 我々の存在は、精緻で精巧な作りをされているようです。 体のどこを切っても同じ血が出るように、 あらゆる方向から我々を占っても、それらの答えはほぼ一致しています。 そこには、なにか統一された設計図があるように思え、 そのルールは、普遍的な何かに貫かれているようです。 最後に少し、 最近の西洋批判を、、、西洋は、未だに『陰』を知らず。 アントニオ・ネグリ、 マイケル・ハートと云う現代の思想家が せいぜい〈共〉・コモンと云っているようなレベルです。 例えば、人々は大地や海洋、空気や生命を共にしている。と云うのです。 大地や海洋、空気や生命が、〈共)・コモンだそうです。 コモンウェルス(共通の財産)と云うのだそうです。 人々の(共通の財産)だから、資本家や国家の独占から、 それらを取り戻そうと〈帝国〉の革命を目指す。と云うのですが、 どこか、縦と横の次元が混乱しています。 まず、そもそも、 〈共〉の概念の中身、大地や海洋、空気は分るのですが、 それらと同列に、命を並べる事自体が、まったく奇妙です。 その上、大地や海洋、空気や生命を結ぶ何かが見えていないのです。 それらが、陰陽学の『陰』とかぶる概念かなと思うのですが、 彼らは、大地や海洋、空気や生命を、バラバラに提示するだけです。 宇宙観、自然観の未完成さ、未整備なのを感じます。 そして、現代新進の思想家が、相手にするのは資本家と国家とは?、 これでは、あまりに直接的な目の前の相手しか見てないのか? 子供が文句を言っているような浅い議論にしか思えないのです。 資本家、国家、そのどちらも個人にとったら大変なものですが、 新たな思想が相手をするとしたら小さ過ぎる観があります。 このように、西洋は、どこまで行ってもロジック 対 ロジックです。 キリスト教的宇宙観、自然観から一歩も出ていない。 共産主義、資本主義、合理主義の弟のようなレベルです。 だから、相手のロジックをも、包み込もうとする普遍性がない。 これでは、単なるロジックの置き換えにしか過ぎない。 そう思われませんか? ほほっ。 彼ら西洋人は、随分前に仏教の禅を理解をしたようですが、 禅では、まだ東洋を理解するには無理なのですね。 禅に、はじめて「空」観が説かれる訳ですが、 まだまだ、般若心経の「空」は、半端な空観しか説かれていないし、 禅を理解したと云っても、物事の存在の全貌が分っていないのです。 西洋は意識の中をグルグル廻って迷っているステップです。。 。 今後、西洋から大した思想は出て来ないと思っています。 それで足元を見れば、その程度で作られた近代合理主義のお仕着せで、 日本は晴れ着を着て舞台へ上がった気分でいるのでしょうが、 意識にダマし生きさせられている現代の日本は、寝言のレベルかな? はやく目覚めてほしいものです。 実に、『陰』の存在を知り探究をした東洋に生れて幸いです。 しかも、その『陰』のはしくれでもかじっているのは幸いです。 ながい、ながい記事を最後までお読みいただきました事、 感謝申し上げます。 おつかれなきよう~ ほほっ。 次の更新まで、よき日々をお過ごしください。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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No titleこんばんは~~♪
吉野山の桜 今年はちょっぴり残念そうですね。 でも山歩きにはちょうどいい感じでよかったですね。 西行法師の辞世の句は桜の季節になると思い出します。 私も願わくは花の元にて・・・・です。 名前をつけるって本当に大変なことなのですね。 我が家も子供たちは夫が名前のつけかたの本なぞを読んで 子供の幸せを願ってつけたのですが大丈夫かな? それにしても名前でその子の運が変わってしまうのも怖いことですね。 No titleせっかく吉野山まで行かれて、花が散っているとは残念でしたね。=
寄りの山は一度も行っていませんが、山全体が桜におおわれているのですね。= 西行法師の出家について= 人はさまざまな理由で(勝手な理由で)、高邁な理由だけではなくて出家をするのですね。= 偉いと思われる人物だって、そういう動機だったのかと、、、= それを受け入れるのがお寺だったんでしょうね。= 何も知らずに付けてしまうような音霊について初めて知りました。= 私たちには元々の運命があって手相も人相も名前もその人の運命を表わしている、、、= そんなような名前が付けられてしまうなんて不思議です。= 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
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No title休みの日の夜回りになりました。
西行法師とは粋な御仁だったのじゃろう! 野を彷徨う人間を迎え入れる場というか、 今よりもよき時代だったのじゃろう! 今は、ホームレスになってしまうよ。 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
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Re: No title 鍵コメントさんへ
> 人間は、十人十色と想うだけでは説明が付かないですから。 『時』と共に変わります。 それも念頭に入れて置いてください。 いつもど~も! ![]() Re: No title> こんばんは~~♪
> 吉野山の桜 今年はちょっぴり残念そうですね。 > でも山歩きにはちょうどいい感じでよかったですね。 > 西行法師の辞世の句は桜の季節になると思い出します。 > 私も願わくは花の元にて・・・・です。 > > 名前をつけるって本当に大変なことなのですね。 > 我が家も子供たちは夫が名前のつけかたの本なぞを読んで > 子供の幸せを願ってつけたのですが大丈夫かな? > それにしても名前でその子の運が変わってしまうのも怖いことですね。 ★おぉ! ロマンチストのリンダさんらしいわ! あはは。 私も、そうですね~、 庭に櫻の花をたくさん植えないと、、、 もしくは、山の中へ引っ越しましょうか? でも、それを考えなくもないのですよ、だって山へ行っていつも思うのは、 山梨辺りに住むのが便利だなって、思います。 登山好きが八ヶ岳山麓へ住むのが当然ですよね。 ガイドの方はそれが多いです。 あはは。 お名前は、中味が表われるままですから、中味に自信があれば、心配はいらない。 そう思っていてください。大丈夫でしょう。 いつもど~も! ![]() Re: No title> せっかく吉野山まで行かれて、花が散っているとは残念でしたね。=
> 寄りの山は一度も行っていませんが、山全体が桜におおわれているのですね。= > > 西行法師の出家について= > 人はさまざまな理由で(勝手な理由で)、高邁な理由だけではなくて出家をするのですね。= > 偉いと思われる人物だって、そういう動機だったのかと、、、= > それを受け入れるのがお寺だったんでしょうね。= > > > 何も知らずに付けてしまうような音霊について初めて知りました。= > 私たちには元々の運命があって手相も人相も名前もその人の運命を表わしている、、、= > そんなような名前が付けられてしまうなんて不思議です。= ★昔は、そう云う人でも受け入れる土壌が社会の中に在ったのですね。 さまざまな理由で、人は出家したものと思います。 丁度そう云うお話を土地の人から聞いてきました。 次の記事に書いてみましょうね。 いつもど~も! ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
名前には、画数、音霊、五行、陰陽、などいろいろな切り口があります。 一般的には、画数が一番知られていますね。 いつもど~も! ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> 仏教の中にも、さまざまな違いがあるのでしょうか? そうです。 いつか、又、東洋思想で記事にします。 お読みになってくださいね いつもど~も! ![]() Re: No title> 休みの日の夜回りになりました。
> > > 西行法師とは粋な御仁だったのじゃろう! > 野を彷徨う人間を迎え入れる場というか、 > 今よりもよき時代だったのじゃろう! > 今は、ホームレスになってしまうよ。 ★そうなのですよ! あはは。 今は、世知辛いですから、、、ね! その頃の時代は人が今よりも素直だったのではないでしょうか? まず、宗教が大事にされていた、、、社会で価値を持っていたのですね。 いつもど~も! ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> 音霊について詳しく学べる書籍等はあれば学んでみたいです。 知っている限りにおいては、ない。 音霊については、自分で研究をしました。 > でもまたここで学ばせて下さい。 ええ、どうぞ! 若い時に吸収したモノは、一生の土台になりますわ。 まだまだ先がありますから、こちらの方こそ、お付き合いくださいね! いつもど~も! ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> ここが気に止まりました。 > 見える手の中のモノを捨てる。 一番の核心を掴んでくださってありがとうございます。 今は、欲望、手に入れる事ばかりで、ココが忘れられています。 > 自分のちいさな欲望を捨てることを教えてくれているのだと思いました。 そう、これは、自分が成長しないと気が付けないのですね。 自分が大きくなれば小さく見えるようになる、 無理をしなくても大丈夫です。 欲を満たそうとするよりも、自分を成長させることですね。 そうすれば、見えてくることがありますから、、、ね。 いつもど~も! ![]() |
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