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    コメントへのお返事 15.      (★姓名判断 3 )      運命と努力について

    Category : 運命学
      吉野山  奥千本西行庵


    西行庵 2






    今回の吉野行きの目的は、西行庵を訪ねる事でした。

    高城山展望台からは、人影が少なく、

    こんな山道を、西行庵まで行くなど、誰も居ないのかしら?

    不安になりながら金峯神社の手前まで登って来ると、

    鈴なりの人達が、神社前で群れになっていました。

    門前色を成すとは、この事かと、、、

    バスで登って来た観光客の群れでした。

    そこからは、数珠つなぎの人の群れに混じって奥千本への道中です。

    西行庵は人気のあるスポットのようでした。




    奥千本 へ降りる山道から  桜の木がまばら、、、急斜面の切り株の痕
     


    奥千本




    上の写真ですが、

    桜の花越しに見える谷合にも、

    写真の下の方にも、

    地面に散らばっている短く切られた木の断片がありますね。

    これらは「ウメノキゴケ」と云う白いカビの被害で枯れてしまった桜の木を伐採したものです。奥千本は被害が広がっていましたね。

    桜を守る為に地元のボランティアの方々が、

    タワシでカビを幹から落としたり、伐採した桜の枝を持ち帰って

    新たな桜の苗木を育てたりされているそうです。





    実際に西行法師が、

    吉野山のどのあたりに庵を結んだのかは、はっきりしないらしい。

    庵は、上の写真の急勾配を右手の方へ降り切った処、

    谷に臨む南に面した平地にひっそりと建っていました。


    西行庵 1





         とくとくと落つる岩間の苔清水


               くみほすほどもなきすまひかな 



       (苔生した岩の間からとくとくと湧き出ている清水があるのだが

                汲み干す事もない位の一人住まいの我が身よ)


                               伝 西行作




    この「苔清水」と読まれた、西行法師が庵での生活水を得た場所が、

    この庵より東へ100m程進んだ所にあります。

    そこは、西行法師や彼を慕う松尾芭蕉が歌や句に読んだ処で、

    歌碑があります。 



    庵の前にある谷側の桜の木の下で、庵を正面から眺めていると、

    地元の人である老人が近づいて来て、次のような話をしてくれました。


    他国を放浪する法師などは、人間嫌いな人が多いのです。

    西行法師もそうだったのでしょう。

    こんな山奥に庵を結んでと、よくやるなあと思うかもしれませんが、

    逆に、人間嫌い、一人がいい人間だったのですよ。

    普段の生活は庵の裏山に当時あった宿坊で、

    山伏たちと共に起居をしていた西行法師が、

    一人になって歌を詠み、月や自然を味わう為に建てたものです。

    今は、社会の中で会社や組織、家族と云う人間関係をこぼれると、

    ホームレスになって路上生活をするしかないけれど、

    昔の日本は、寺がそう云う人たちを受け入れる場所になっていた。

    諸国を流浪する法師と云うのも、山には山伏、それが町に住めば浪人、

    ほとんどが武士の出です。

    なぜなら、百姓は子供が大勢生まれても、寺へ出すと云う事はしなかった。

    出す金子がないと云う事もあったが、

    子供は歩くようになれば田んぼの働き手になるんだから、

    武士は、決まった食い扶ちの中で、家督は長男だけしか継げないし、

    余った子供は養子に出すか、何かの金子を添えて寺に預けたのですよ。

    寺も、そう云うもので財産を増やし大きくなった面もある。

    その頃の寺は、今の葬式のような事をやっていませんでしたから、

    何もないまま寺に転がり込んだ者は、自分の食い扶ちの為に、

    近在の郷で、死人の出た家の死体を運んだり埋葬をしたりして

    物を貰うような事をやっていた。

    日本人には、仏教の修行者に物を与える=布施をする事が善行だと云う

    教えは広まっていたからです。


    この西行庵も、

    何度も朽ち果て、その度に地元の人達が立て直して来たのです。





    見知らぬ出会いのまま、老人は、そこまで一気に語ってくれました。

    いつもそうなのですが、どこかへ行きますと、

    このような不思議な出会いがあります。  ほっ。

    必要な人と出会えるのは無意識からの守りと、、、感謝しております。



    ★ ------仏教と葬式について少し。


    仏教では、

    お釈迦さまが亡くなった時には在家の人達が葬儀をしたようです。

    日本でも昔から、一般には葬式は儀式化されていませんでした。

    では、今のようになったのは?

    江戸時代からと、はっきりしています。

    理由は、江戸幕府のキリシタン弾圧です。

    自分の家はキリスト教徒ではない証明の為に、

    だれもが、必ずどこかの仏教寺院に所属する檀家制度を設けたのです。

    その宗派への信仰云々から選択をすると云うよりも、近場の寺院へ、

    つまり近在のお寺に、今の役所の住民課、戸籍係を担わせた訳です。

    それが、「宗門人別帳」です。

    幕府は、死の秘蹟と云うキリスト教式葬式と区別をする為に、

    仏教の寺院、僧侶に葬式をやるように命じました。

    そこから、現在の儀式としての葬式仏教ができ上がるのですね。

    当時の仏教界が、時代の政治権力に道具化され、屈し、

    思想としての瑞々しさを失い、制度化し硬直化した姿です。


    ★ ------ついでですから、仏教の歴史的な変遷について簡単に、


    ・もともとインド仏教は、輪廻からの解脱、生者の悟りです。

    故に葬式、墓参の概念はありません。


    仏教が中国へ伝わった時点、中国には儒教が広まっていました。

    儒教自体は、紀元前2Cには、それまで中国人が元々持っていた先祖霊崇拝と云うシャーマニズムを吸収し、それを基盤にした家族理論と政治理論を完成した国家的な学問になっていました。

    その儒教の影響を受けて成立したのが中国仏教です。

    ・中国仏教は、儒教の先祖霊崇拝の思想『孝』を受け入れたのです。


    古代の日本にも、先祖霊崇拝シャーマニズム的土壌がありました。

    中国から伝来した仏教は、日本古来の先祖霊崇拝と融合します。

    ・我々が日本仏教と思って来たものは、

    本来のインド仏教にあったものと、無かったもの -----

    --- 中国の儒教的要素や

    --- 日本古来のシャーマニズム的要素が、

    深く混交融合しているのです。

    従って日本仏教の味は、一番濃厚なはずなのですが?  



    このように、仏教は伝播伝道されて行く度に、

    その国の民族の魂を深く吸収しながら広まって行ったと云えると思います。

    逆説的には、

    仏教は、土着のものを貪欲に吸収咀嚼する深い懐がある

    高度な哲学大系であったと云う事です。

    ここが、土着を切り捨てながら排除するキリスト教とは全く違います。



    さぁ、伝播最終地日本で仏教は葬式仏教のまま死に絶えるのか?

    インド、中国の文化文明を浚(さら)って大きな潮流となった

    仏教の海流が、日本の土壌で新たに薫発発展するのか?

    非常に興味があります。



    ★★ ------ついでですから、現代の思想的現状について簡単に、


    現代は、これら東アジアシャーマニズムに発した宗教圏と

    人間の意識が作り上げた宗教(キリスト教)の激突の結果、

    ご覧の通りの意識的宗教(キリスト教)が生みだした

    近代合理主義の席巻する東アジアになっている現状です。

    人間の意識が作った人工的教義『陽』によって、

    人間を含む自然、命の根源『陰』が排除されているのが現状です。

    これは、このブログで繰り返し記事にしています。

    詳しくは、今後、追々東洋の思想シリーズで、、、


    ーーーーーーーーー













    本論へ入りましょう。






    今日は、前回からのつづきです。


    コメントへのお返事 15    (★姓名判断 3 )  運命と努力について






    今日の一つ目のコメントは、前回からのつづき、

    2012年 10月 16日の記事

    ★姓名判断  緊急!  『陰』を無視した名前は付けてはいけません。
    へいただいたコメントからになります。




    コメントを紹介をします。


    こんにちは、

    暇を見て、お昼休みに一読できました(^^)

    命名は必然な部分が多いようですが・・

    努力の仕様はありますか?   





    努力ですね?

    そうですよね、

    少しでも良ければ、、、と思うのが人情ですから、、、    ほほっ。


    努力は、良い事ですね。

    でも、お尋ねは、もうすでに悪い名前が付いてしまってから、

    それを努力で覆(くつがえ)すような事ができるか? ですね?





    少し、むずかしいですよ!   ほほっ。

    一般的には、

    意識の世界に置いては、努力は無条件に良い事です。

    論ずるまでもない。




    しかし、合理主義的発想に基づいている努力、と云う限りにおいては、

    大いに、、、問題あり、です。

    無意識を無視をした努力、、、と云う限りにおいて問題です。


    なぜなら、

    私達の生の衝動は、意識『陽』から芽生えるものではありません。

    私達の生の衝動とは、意識の奥、何層もの奥、


    意識のもっと奥の無意識から、

    私達のすべての生の衝動は起こっています。 


    私達は、自分の生の衝動によって生命を守られています。

    無意識を無視する意識中心の努力は、

    一時は栄えるように見えても、

    終には、家族を崩壊をさせ、家族、男女の役割を失くし、

    個人を孤人に変えて、社会の生の根源を途絶えさせるからです。

    こう云う混迷した人間のありさまを

    ずっと鑑定の仕事の中で見続けて来ています。

    こう云うのを、是非努力してとお勧めする訳には行かないのです。



    この処を踏まえてか、

    この質問を寄せられたコメントを下さった方は、賢明な方ですね。



    努力の仕様はありますか?   



    仕様はありますか? と、問われています。


    仕様 と言われています!   あはは。


    そうなのです!


    仕様 は、いろいろありますね!   あはは。



    しあわせになる仕様と、

    不幸になる仕様が、あって、

    その間には、しあわせと不幸の間のグラデーションが際限なくあって、

    どこの仕様なのかが問題なのです。




    ややこしい?   あはは。

    この視点から、今日は一つだけ、余り長くなるといけないので、

    このブログの視点から記事にして行きたいと思います。



    問題とは、仕様 次第で努力が実を結ぶどころか、

    不幸の結果の原因になる、不幸を招く事もある。

    そう云う点です。



    それが、特に、

    五感を通して入って来た情報である環境に振り廻わされた場合、

    努力の結果は、もっと不幸になる場合もあります。



    と云う事を覚えておいてくださいね。

    要注意です。

    最後に、出て来ますから -------★◎★の印の処です!




    まず、先に、


    運命的に悪名が付けられた場合に限ってどうするかですが、

    一番簡単に直ぐにできる努力は、改名をする事です。

    この場合、

    戸籍名まで変えるのは家裁を経なければいけないので難しいのですが、

    通り名くらいを変えるのは、直ぐにできます。

    改名は、我々の意識でする事、『陽』ですが、

    自分の意識を通して、名前の数霊、音霊、陰陽、五行などの

    無意識の力を用いると云う事になりますか、、、

    それは、ある時は思っても見なかった効果をもたらす場合もあれば、

    期待通りの運を呼び起こさない場合もあり得ます。

    それは、数霊や音霊や陰陽や五行の認識が不足していたり、

    無知から来るものです。

    改名の効果は、直ぐには表われません。

    使い初めて、『時』が必要です。

    でも、何事も興味があるようだったら、

    ご自分で勉強をして、いろいろ研究をするのも楽しいかも知れない。

    練習ですね!    あはは。


    名 即 体 と云う事が良く分る体験になるでしょう。

    一度、徹底的にどう改名できるか、紙の上でやってみたら分るのですが、

    自分の願う理想的な名前へ改名する事はむずかしいのです。

    あ、これは、専門家がやっても限界はあります。


    まず、姓がすでに限定されていますから、

    苗字まで変えられないでしょう?   あはは。

    その条件下の工夫になる。

    ----- 使える文字が限定されます。

    苗字の画数とバランスが取れる漢字と云うのも制限されます。

    苗字の画数に合う陰陽、五行を持つ漢字も制限されます。

    そこで、少なからず妥協をしながら

    幾らか希望通りの名前の候補を作って挙げてみると、

    その画数や陰陽、五行の何処かかしこに、

    そこが不思議なのですが、

    命式に表われている運命の特徴が見え隠れします。


    これが、名は体を表わす証明です。

    名で体を決して隠し誤魔化す事ができないのがよく分ります。




    例えば、

    結婚運も子供運も弱い、いわゆる家庭運の弱い命式の持ち主とします。

    画数から数霊、音霊、陰陽、五行を調べながら好きな漢字を選んで、

    改名を決めて、これでいい名前ができたわ! と

    最後、もう一度確認をすると気が付かなかった処に、

    孤独運や後家運を表わす数霊や音霊が出て来ているのですね。

    凶運の名前を、その代わりに吉運を表わす名前にしようと

    努力すれど、モグラ叩きの様に、どこかにその運気が出て来ます。

    最終的には、

    それを、多少なりとも妥協しながら決めるしか無くなります。

    命式の運命を全く感じさせない改名は、非常にむずかしいのです。


    例えば、

    松田聖子さんと神田正輝さんの娘、神田沙也加さんですが、

    ・ 彼女の誕生命式からは、

    異性関係の複雑さ、配偶者運の弱さ、孤独性が浮かび上がります。

    それは、裏を返せば、何事も自分一人で為し得る女丈夫の運です。

    同時に、それに耐えうる強さもありますが、

    ・ 姓名判断の大家の先生に命名してもらった名前は、

    すべてが大吉、吉数の数霊で付けられた名前です。

    明らかに社会的に成功をする名前になっていますが、

    家族運は修正できていないままの名付けです。

    決定的なのは、命式で欠けている五行の「水」が、

    名前全体の五行でも欠けているのには驚きでした。

    彼女にとっての「水」は、

    妻とする女性にはあってほしい五行になります。

    神田沙也加と云う名前には、妻としての幸せはないのです。

    姓名判断の大家の先生に付けてもらったのに、、、、、

    この過程、結果を含めた全てが彼女の運命と云う事になります。



    結論から云いますと、

    このように運命学的に先天的な運を示す

    誕生命式の表わす運を変える事は非常に困難です。





    が、しかし、改名の効果はそれなりにあります。

    しないよりは、随分マシなのです。    あはは。




    このように、私たちの誕生日命式を観れば、

    各自の命式の偏りや癖が分かります。

    ここで、もしか、私は命式など分からない! と云う場合ですが、

    一般的な個性、キャラが立つと云うのか、  あは。

    各人の考え方、行動様式、感受性の癖、偏りと解釈下さって結構です。


    命式を知らずに、意識しなくても、

    その癖、及び、偏りを以って我々は独自の生き方をしている訳です。

    いいえ! 私はそう偏ってはいないわ! 

    と云う方もおありかと思いますが、人は何等かの癖を帯びております。

    もちろん、その癖が良い結果になったり、その反対もありますね。


    ここで、何が何でもがむしゃらに努力! と云う場合は、

    その過程で、この癖や偏りが強調されて出て来ます。

    良い癖が強調されるのは、喜ばしい事ですが、

    凶運を招く癖が強調されますと、困った事になりますね。

    まず、自分の運の癖を知る事が、大事になって来ます。


    おのれを知る事の重要性かな?   あはは。


    自分の命式が分らない人でも、

    なんとなく、あまり苦労しないでうまくいく事と、

    苦労も努力もするのにうまくいかない事がある、と

    云うような事は分ると思います。


    命式に具わっている事は、楽に自然にできますが、

    命式に全くない事は、自分ができない事すら気づかない。

    そこが盲点になっているのです。    あはは。


    たとえば、こう云う事もありますね。

    人の集まりの中で、いつの間にか他人の世話を焼いている。

    片や、いつの間にか自分は誰かに面倒を見てもらっている。

    など、人との間での自分の立ち位置などは、

    全部、自分の命式の中に具わっている事なのですね。




    運の癖、偏りは、例えると運命の器に例えられます。


    ◎ 生れ持って出て来た運命の器は、変える事ができません。


    ◎ これは、無意識の領域に根「因」があるものですから

    意識では変えられない。



    意識でする努力では変えられません。


    この根「因」は、五感では掴む事はできません。





    ◎ その根「因」が、この意識世界へ現れたのが花実「果」です。

    この花実「果」が、五感で捉えられる我々の姿です。



    我々が、お互いに五感で捉えている姿は、花実の部分です。

    これが、千差万別の現象の姿です。

    つまりは、運命の器に盛った中身の部分です。


    この中味の部分は、努力で変える事が出来ます。





    例えば、運命は、

    大きさ、深さ、色、質などが違うさまざまな器だと思ってください。


    仮に、器を綺麗な焼き物の壺としましょう。

    この綺麗な焼き物の壺を、ガラスの瓶に変えられません。

    しかし、この壺に何を入れるのか?

    中味を変える事はできます。


    清水で満たすのか?  雨水を貯めて置くのか?

    青い液体を入れるのか? 牛乳を入れるのか?

    う~ん! 雨水とお酒を混ぜたものを入れてしまったら?

    メチャクチャです。。。

    あ、いつもきれいな水を入れて花を活けましょうか?


    これは、心掛け、努力で出来る事です!





    そして、誰だって、一番手っ取り早く変えているのは ?

    外見的には髪形、お化粧、服装、アクセサリー、体型、

    学歴、職業、、、意識で努力をする部分です。

    人間は、もうすでにあらゆる努力をしています。   あはは。


    現代の文化は、ここに集中していますね。


    おまけに、我々は、普段、この姿をすべてと思っているので、

    意識で捉えられるこの姿を変えれば、運命を変えられると!

    そう思っている人は多いですね。     ほほっ。


    でも、これらは、どちらかと云うと環境に振り回された努力です。

    そして、その成果も五感で確かめたり、確認できる。

    特に、この近代合理主義の思潮の中では、

    皆が、個性を尊重すると云いながら、

    横並びに、皆と同じ姿になる為に、

    自分の個性を埋没させる事が変身だって云う場合もある。。 。

    学生時代の服装から、リクルート服になる事が努力、

    大人になれば、世界中で大量生産されている服を買って、

    大工場で大量生産で作られた加工食品を便利だって食べて、

    大量生産で効率を追求した車や家具、家に住んで、

    だいたい同じ幸せの形を求めて生きるようになってしまいます。

    我々は、選択の幅が狭まった効率化のしわ寄せの文明の檻の中で、

    自分の幸せを見つけるように飼育されたモルモットのようです。

    画一化の波に乗れないなら、不幸せなのだ~~!

    と思い込むように支配、仕向けられています。

    我々の消費行動が、国の経済指標を担っているのですから、

    さぁ、お金を使いなさい! 効率こそが美しく、

    消費こそがしあわせへの方途! 

    と刷り込まれているような時代です。



    地球が、もう、限界が来ていると云うのに、、、

    物をもっと浪費する為に消費しろと?!




    我々は、経済学のシナリオの中で、

    演ずるように期待されている大勢のエキストラです。

    その他大勢の群衆の役割を演ずるのですね?

    セリフは?   消費こそが楽しい! ですって、 あはは。

    買い物こそが人生よ!  ですって、

    お仕着せのしあわせの衣装を着せられて、、、、、なんと、


    -------------------- ああ、なんとお節介な時代なのでしょう。





    -------★◎★





    今の文明の中で、求められている努力が、  

    私たちが真にしあわせになる為の努力なのでしょうか ?


    と、、、ハタと考え込んでみてくださいね。  あはは。







    さて、最後に、丁度、この記事の締めくくりにぴったりな感じの

    コメントを紹介致します。

    鍵コメントですが、公開を致します。  ご了解を下さい!


    前回の記事にいただいたほやほやのコメントです。

    皆さまがお読みになっていただいて、どうお感じになられるか、

    とっても興味が、あります。

    よろしければ、お知らせください!   ほほっ。



    先日、身の回りの草花や動物を眺めてふと思ったのですが、

    彼ら程自分を見失わずに、

    ありのままで天寿を全うしているものはないと感じます。。


    猫は飛ぶ鳥をみて「自分も」とか、「こうなりたい!」とか思いませんよね、

    花とて隣のコスモスが綺麗といって真似をする草花ってありませんよね....

    振り回されているのは現代人だけなのかもしれませんね。

    そんな意味で、動植物に頭が下がる思いです。 

    江戸時代の人々は、ありのままの自分の徳分や身の丈に

    心から納得して生きていたと思います、

    お百姓さんが机に向かって勉強し「江戸さ行って役人様になるだ!」と

    言ったら皆から笑われたと思います。(笑) 

    現代のように経済の為に皆、同じ道を無理矢理選び、

    意志による自己実現をするのが大人だなんて...

    当時は皆が生き生きとしていたのではないでしょうか。

    何だか、江戸時代にタイムスリップしたい気分になりました。。(笑)





    率直な真っ直ぐな感受性を感じましたよ!

    コメント、ありがとうございます。

    このように、自然の有りようから一片の真理を感じ取るのを、

    仏法では、縁覚(えんかく)と言います。

    自然の一縁に触れて、その一理を悟ると云うような意味です。

    なかなか位が上の方で、上から仏、菩薩、縁覚となっています。

    もっと深い意味があるのですが、今日はここまで!   あはは。


    又、機会があれば、お講義致しますね。      ほほっ。


    そう、あなたがお感じになられた似たような事を、

    私もよく思案致します。

    深山渓谷とまではいかなくとも、山へ登るたびに、

    普段は尋ねる人もいない山道に沿って咲いている花々を見るたびに

    誰に見られなくとも精一杯の自分を咲かせている植物を見ると

    感動に近いモノをいつも心に抱いて帰路に着きます。

    それら、植物の成功の鍵は、ただ『時』に従って生きる事です。

    ただ『時』に従う事だけを喜びにしているかのように、

    『時』に自分をゆだねて生きる様は、「木」の徳そのものです。

    『天』からの「火」と「水」、「土」の中の「金」、

    そのバランスの中庸の中に「木」の命はあるのですね。

    何かが欠けても、「木」は枯れてしまいますから、

    その事に感謝をして、芽吹いては花を咲かせ、土へ死して行く

    見事な命の生死、一生だと感動を覚えます。

    私もかくありたいと思っている一人です。


    それと、もうひとつ、

    山奥では、突風や嵐の後、本当に大きな高い木が倒れています。

    もう、あちらこちら、にです。

    短い根を露わに出して、根こそぎです!

    こんな大木なのに、こんなにみみっちい根だったの?

    なんと惨めな?    あはは。

    小さな木は倒れる事はないのですよ。

    根の力以上に幹が大きくなっていないから、倒れないのです。

    木は周りの養分を吸って大きくなった木ほど、倒れるそうです。

    自分の根にふさわしくない背丈と枝葉を伸ばし過ぎるからですって、

    そして、山のガイドさんが云う事には、

    大きな木が倒れるといい事があるっていうのです。

    周りの小さな木に日が当たるようになり、

    幾本もの木が救われるって言うのです。

    これが、自然淘汰。

    強きものは、いつまでも強くは無いのです。

    弱きものへも恵みは廻り、必ず、文字通り、日は当たるのです。

    こうして森は継続され、木々は伸びて行くのです。

    自然に反して、大木をなんとか保とうとするのは人の浅智恵。

    自然は、そうは望んでいないのですね。

    人間の欲で自然のリズムを犯す処から、自然のリズムが狂い、

    自然が壊れて来るのです。

    そう云う機智に触れて、真実を知るのも山の楽しみです。




    何が努力なのか、、、

    これを機会に、皆さまもどうか倒れないように、、、あはは。


    努力をし過ぎて、枝葉を伸ばし過ぎて、

    小さな木々に日陰の苦労をさせない為にも、

    自分の分限を知る。

    役割に徹して行きましょうね。



    このシリーズは、この後も続きますが、

    次回は、ひとやすみ、インターバルです。


    コメントへのお返事ではない記事になります。





    次の更新まで、よき日々をお過ごしください。



























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

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    テーマ : 命式の癖
    ジャンル : 学問・文化・芸術

            

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    No title

    改名の件、女性は結婚によって姓が変わる可能性を持っていますね。
    もちろん、少ないかもしれませんが、男性が婿養子になる事もありますけどもw

    だからと言って、運命を良い方に導く巡り合いが必ずしもあるとは限らないんですかね~。
    「破れ鍋に綴蓋」と言いますし、互いに似た者同士がくっつくことが多いのでしょうか?
    名前だけでなく、命式など総合的に見ていく必要がやはりあるのでしょうか。

    件のコメント、世俗の垢にまみれた身には穴があったら入りたいと(笑)
    世の中の神羅万象、足元の草花たちからも教わる事があるのだと肝に銘じていこうと思います!

    No title

    おはようございます~~♪
    西行庵 簡単に行ける方法もあるのですね。
    でも鈴なりの人では・・・ちょっと雰囲気が違っちゃいますね(。^p〇q^。)プッ
    庵での思わぬ人との出会いも不思議なご縁ですね。
    これも旅の楽しみの一つですね。
    本日の記事を読んで 足るを知る という言葉が脳裏を横切りました。

    じたばたしとったなぁ

    じたばたしても始まらないようですね。
    却って悪因を積み重ねそうです^^;
    今日の記事はすっと胸に沁みました。

    おらさ、ちょっくら賢くなったがね。。
    いんや優しく書いて頂けたんだぁ。

    ありがとございます。

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    No title

    ご紹介してくださったコメントですが、今時にはない瑞々しい心の持ち主ですね。=

    今どきの世相は、ありのままの価値をよく言いません。=

    あまりにも(自分を見失うこと)(自分を作り過ぎること)を進める情報が多すぎます。=

    まして、いつが自分の天寿なのか解らない程の医療漬けです。=

    最近、またまたいやな事が増えたような気がするのが、、、=

    人為の限りを尽くした不妊治療を経て、やっと妊娠したなら今度は遺伝子検査です。=

    検査の結果の伝達が間違えた産院を相手取って裁判を起こす事件が起こりました。=

    気が済むまでどこまでも自我を介入させていくやり方がいいのでしょうか?=

    そうしないと満足をしないようになって来ている事を考えると、ぞっとします。=

    そら恐ろしい気がします。=


    人間が子供を生むのは、自然なことでした。=

    自然を信じて子供を生む事ができなくなってきているんですよね。=

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    Re: No title

     鍵コメントさんへ


            江戸時代は、よかったなんて、
            モノは自給自足でしたし、次回の記事にも関連しますが、
            取り入れなければいけない生き方ですね。


                   いつも、ど~も! e-266 cosmos

    Re: No title

    > 改名の件、女性は結婚によって姓が変わる可能性を持っていますね。
    > もちろん、少ないかもしれませんが、男性が婿養子になる事もありますけどもw


    ★そうですね、女性は姓が変わります。その時によく変わるか、どうかが重要です。
    それでも、元々持っているモノが出て来ると云うのは同じです。
    一応、名前も調べてみる方が良いでしょうね!



    > だからと言って、運命を良い方に導く巡り合いが必ずしもあるとは限らないんですかね~。
    > 「破れ鍋に綴蓋」と言いますし、互いに似た者同士がくっつくことが多いのでしょうか?
    > 名前だけでなく、命式など総合的に見ていく必要がやはりあるのでしょうか。


    ★おっしゃる通りです。
    お互いにそうなるべくしてそうなる訳ですから、
    過去記事の、

    http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/blog-entry-126.html

    http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/blog-entry-70.html

    を、ご覧になってみてください。
    ただ、相手との相性と云うよりも、お互いの先祖まで似ている運命だと云う事もあるのです。

    もう、ここまでは意識でどうこうできる範囲を越えていますが、
    一応、こう云う事もあるのだと、一通りは気にしてみる方が良いと思います。



    > 件のコメント、世俗の垢にまみれた身には穴があったら入りたいと(笑)
    > 世の中の神羅万象、足元の草花たちからも教わる事があるのだと肝に銘じていこうと思います!


    ★そうですね!
    たぶん自然豊かな処へお住まいなのではないですか?
    余りに自然に近いと見過ごしてしまう事も多いかも知れませんが、
    自然の有りようから、生き方を学ぶと云うのが大事です。
    毎日の草花を育てている事からも、感じる事はあります。
    例えば、花が終わったバラなどは、枝を落とすのですね、ええ、次の枝や花の為です。
    そして、傷んだ葉は、取ってしまいます。弱った処から病気が広がるからですが、
    人間もこのように、次の世代の為には役目を終えた者から先に退場するべきなのか、とか
    また、弱った葉を取り除くように木全体を守るにはどうするべきかなど考えてしまいますよ。
    人間は、そう簡単には選定などできませんし、するべきではないと云う事も正しいですから、、、
    でも、自然本来は、そのように厳しいものです。
    人間だけが甘えていいとは思えませんし、、、むずかしい!    あはは。


               いつも、ど~も! e-265 cosmos

    Re: No title

    > おはようございます~~♪
    > 西行庵 簡単に行ける方法もあるのですね。
    > でも鈴なりの人では・・・ちょっと雰囲気が違っちゃいますね(。^p〇q^。)プッ
    > 庵での思わぬ人との出会いも不思議なご縁ですね。
    > これも旅の楽しみの一つですね。
    > 本日の記事を読んで 足るを知る という言葉が脳裏を横切りました。


    ★いつもさらーっとしたコメントの中に、星が入っていますね!
    さすがですよ。りんださん!   あはは。
    いろいろな出会いが、こちらが望まなくともあって、偶然とは思えない事を教えてくださる、
    そう云う体験は、一杯ありますよ。
    そう、それが旅の楽しみ! 普段にない自分の一面が発見できてうれしいものですね。
    足るを知る。 そうそう、現代は飽くなき欲望があって、皆が同じしあわせを求めてしまって、
    それが手に入らない事を不幸と思う、、、贅沢な不幸です。
    自分ながらの、っという個性が、実は、あるようでないのかも知れませんわ!
    モノを手創りで作るとか、とっても大事ですよね。  ほほっ。
    また、手作りのもの、見せてくださいね。


                   いつも、ど~も! e-265 cosmos

    Re: じたばたしとったなぁ

    > じたばたしても始まらないようですね。
    > 却って悪因を積み重ねそうです^^;
    > 今日の記事はすっと胸に沁みました。
    >
    > おらさ、ちょっくら賢くなったがね。。
    > いんや優しく書いて頂けたんだぁ。
    >
    > ありがとございます。


    ★いやぁ~とんでも! ですよ。  あはは。
    自分の運命を、ずずずい~っと、隅から隅まで気に入って生きる事がしあわせなんだと思います。
    我々は一人一人が絶対的な存在なのですね。オンリーワンです。
    だから本当は競争などないはずなのです。 
    それが東洋的な考え方です。
    私は、仏教徒ですから、そこここにその影響が出ているはずです。  あはは。
    仏教に興味がおありですか?
    また、記事にしますからお読みになってくださいね。


                 いつも、ど~も! e-265 cosmos

    Re: No title

           鍵コメントさんへ


          > このブログにコメントされる方々、みなレベル高いですね。


          ええ、そうなのですよ!
          私の代わりに記事を書いてもらいたい位!    あはは。
          どうぞ、何でも、気使いなく、コメントしてくださいね!


               いつも、ど~も! e-265 cosmos

    Re: No title

            鍵コメントさんへ


            > 名前を見せるってはずかしい、、、


            まあ、そうかもしれませんね!
            観る人が観れば、全部分かっちゃう訳ですから、
            だから、もう、ジタバタしないで覚悟を決めるしかないですね!!  あはは。


                 いつも、ど~も! e-265 cosmos

    Re: No title

    > ご紹介してくださったコメントですが、今時にはない瑞々しい心の持ち主ですね。=
    >
    > 今どきの世相は、ありのままの価値をよく言いません。=
    >
    > あまりにも(自分を見失うこと)(自分を作り過ぎること)を進める情報が多すぎます。=



    ★そうだ、そうです! その通りです!   あはは。


    > まして、いつが自分の天寿なのか解らない程の医療漬けです。=
    >
    > 最近、またまたいやな事が増えたような気がするのが、、、=
    >
    > 人為の限りを尽くした不妊治療を経て、やっと妊娠したなら今度は遺伝子検査です。=
    >
    > 検査の結果の伝達が間違えた産院を相手取って裁判を起こす事件が起こりました。=
    >
    > 気が済むまでどこまでも自我を介入させていくやり方がいいのでしょうか?=
    >
    > そうしないと満足をしないようになって来ている事を考えると、ぞっとします。=
    >
    > そら恐ろしい気がします。=
    >

    ★『陰』の創造性を『陽』で解決しようって魂胆ですね。
    これは、よくないと思っています。
    自然は、必ず反動をして来ると思っています。
    人間は、もっと謙虚にならないといけないですね!



    > 人間が子供を生むのは、自然なことでした。=
    >
    > 自然を信じて子供を生む事ができなくなってきているんですよね。=


    ★そう、そう、上に書いた事と同じですが、行き着く処まで行くしかないのでしょうね。
    意識は、その現前たる事実が目の前に出て来ないと反省をしないのです。
    頭を打つまで分からない!  意識は頭が良くないと思いますわ。   あはは。


             いつも、ど~も! e-265 cosmos
                

    Re: タイトルなし

            鍵コメントさんへ


           > 東洋の思想シリーズの記事も、楽しみにしています。


            どうも、ありがとう!
            頑張って書きますね。  でも、もう少し先になります。



          > 私は、鳥が大好きで野鳥観察が趣味ですが、


           まぁ、いいご趣味ですね!
           また、いろいろな事を教えてください。
           記事に挽いてもいいでしょうか?


          
           > 人間だけが、貪欲に食べて成長することだけを肯定して、
                自分が食べられることは否定しているようです。
           > 自然の循環の輪から外れた現代文明を造り上げてしまったように感じます。


           まあ、まさに、この事を次の記事で書きました。
            是非お読みになってくださいね。
           そして、又お気づきの事があれば、コメント下さい!


                いつも、ど~も! e-265 cosmos

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    Re: No title

            鍵コメントさんへ


            自分をいろいろカウンセリングできるようになられましたね。
            それは、唯自分の主観でするのではなく、
            いろんな手段を学んで手に入れたからだと思いますよ。
            その武器をもっと、磨く事の方が大事です。
            一喜一憂しないで、今のレベルで自分を裁定するのは、早いわ!  あはは。
            部分的にしかまだ、身についていないのに無理と云うものです。
            でも、今は、
            少づつ、いろんな情報で戸惑ったりする事は、良い事です。
            将来の訓練になるでしょう。
            全てを楽しみながら、、、、、、あはは。

            
                  いつもどうも! e-267 cosmos
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    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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