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    コメントへのお返事 18.   <近代化の奈落 3.>     「苦」と「楽」について 1.

    Category : 東洋思想
     至仏山登山  

       標高差、約821m   歩行距離、約10.7km   所要時間、5時間 30分



    晴れてきた至仏山

    写真をクリックしてみてください、、、

    方角的には、前方が奥只見湖、右に中禅寺湖、左に大利根湖





    ------ 至仏山登山の前記事からのつづき



    至仏山まで下山をした時です。

    周りのガスっていた視界が明るくなって来たではありませんか!?

    振り返ると、、、

    霧が猛スピードで消えて行っている!

    慌てて携帯のカメラで撮ったのが上の写真です。


    早変わりの『天』を見られるのも、たくさんある山の醍醐味の一つです。

    下の写真は、振り返って見えたガスが晴れきった至仏山の頂上。

    直前の荒れた天候が、信じられないほどのきれいな青空と白い雲が、、、

    、、、、、まったきの快晴です。 



    至仏山山頂を振り返って



    山の天候の変わり身の早さには、女心の方が敗けですね!    ほっ。


    安堵とは、こう云う事を言うのでしょうか、

    何事もなかったような空、と雲、そして至仏山の頂上を見届けられた。

    雨、風、霧、その向うに、変らずに存在していたのを確かめた。  

    慌てたのは、人間の意識だけだったのですね。   ほほっ。


    今日の記事は、少し仏教的な見方を交えて書きます。

    大変むずかしく感じられるようなら、読み飛ばして下さいね。 






    日本100名山である至仏山や蓼科山など、多くの山は、

    頂上へ近づくと、登山道にゴツゴツとした岩場が続いています。

    この大岩群こそが、山容を形作る山の骨格です。

    頂上近辺では森林限界で草木も生えていないので、風雪によって

    この骨格がむき出しにされていると云った方がいいのでしょうね。

    こう云う大岩群を見ると思い出すのは、

    あの3.11の大震災の時に休憩で座っていた筑波山の大岩です。

    低周波のような地鳴りの後に、木々の葉が擦れる音が辺りに響き、

    山の木々が根っこから、ゆすら~ゆすら~大きく揺れて、

    山肌の地中深くに在る岩盤同士の石臼が擦れ合うような振動が、

    岩からお尻へ伝って来た恐怖です。

    山で地震と云うより、地球が振れているのを皮膚が受け止めた恐怖です。

    地球が、割れてしまう? と、、、まさか!  あはは。


    今は、静かに山にある大岩群も、

    かってその大昔、地球が振れて吐き出したもの ---------- !

    長い年月の間に、骨格を土が筋肉のように蓋(おお)い、

    樹木の根が神経の様に、その中を張り廻(めぐ)っています。

    山は、生きている ----- 実は、生き物なのです。


    仏教では、心・意識を持つ動物(有情・うじょう)だけではなく、

    意識を持たない物(非情・ひじょう)にも命があります。

    道具、紙、石ころの一片でさえも仏性を秘めた命です。



    山、この生き物が、今度、いつか、再び動き出すまで、

    実に長い長い間、

    堅忍不抜な不動性を保った山と云う姿を現じているのですね。

    この不動性は、『天』からの水、火、風、空と、

    『地』の動・静との調和点です。

    仏教の云う五行(地・水・火・風・空)と云う周りのエネルギーが、

    山と云う一つの体になって現れているのです。


    近代合理主義下の我々の意識・五感の肉眼には、

    山と、それを取り巻く自然とは別々の【物】に見えますが、

    実は、それを成り立たせるエネルギーは一体なのです。



    こう云う風に物事を深く観ずる仏教的観点は、むずかしいかな?  ほっ。





    今日のテーマである「苦」と「楽」もそうです。

    「苦」と「楽」に分けるのは、意識の快、不快の都合です。

    仏教の ≪深い智慧≫ から観れば、苦楽不二、なのです。  ほっー。



    方便(ロジック)である一般的な仏教では「苦」と「楽」は対立しています。

    「苦」を滅した処に「楽」がある。とする教説が大半です。

    まるで西洋の二元論のようです。

    しかし、仏教の真骨頂、法華経の寿量文底下種に至って初めて

    「苦」「楽」は不二、一体である義が明かされています。



    --- この事から、仏教と云えども皆が同じではなく、

    魚と云えども、さまざまな魚があるように、

    仏教の一切経には、高低浅深の区別がある事をお見知り置きください。

    深い意味は分らないままで先へ行きましょう。   ほほっ。。



    深い智慧は、解るものではなく、触れるだけでいいのです。

    さあ、肉眼と云う眼識で触れるだけにして、読み飛ばしてくださって、、、








    では、登山へもどります。     ほっ。






    登山は、どんなに低い山であれ、その自己限界を感じる事ができます。


    自己限界とは、自分の意識の限界です。

    自分の限界ではありません!

    でも、100%意識を頼る限り、それは自分の限界になってしまいますが、、、


    現代の近代合理主義は、意識をこの世の中心に据えています。

    意識は、なんちゃって、真理を追求するものだ!

    意識が全てを分別して判断を下すのは正しい!

    科学は、人類の進歩に貢献するものである! 

    あはは。  なんと傲慢な意識でしょうか!

    でも近代合理主義の下で、我々の驕慢な意識は、そう思い込んでいます。

    意識は、自分の限界を感じる局面を避けるのが、ウマいのです。

    新たな知識を作り、カテゴリを立てて、分けて見えなくします。

    ですから、

    意識は、未体験のゾーンの存在すらにすら気が付かないのです。

    なぜなら、意識が知っているのは五感が感じた範囲だけなのよ。 あはは。



    だから、、


    意識は、未体験ゾーンに立つと「苦」と感じ取るのです。

    この世は、意識に取ったら「苦」の集まった世界のはずです。 あはは。





    だから、近代合理主義の世界は、「楽」ばかりを集める、集める!

    それは、「苦」を排除した空間 = 天国を自己の観念の中に作り上げた

    キリスト教の意識が、そのまま流れているからです。 

    しかし、この設定が、戯曲なら傑作と思うわ! うまいな~!


    それもこれも、過酷な自然の中で生き延びて来た西洋人のDNA、

    「苦」を認めたくないからですよ!    あはは。


    故に、我々の意識が「苦」を感じる時、

    そこを、意識の限界点と云うのです。



    言い換えれば、

    今まで(過去)、自分の意識が経験した事がない領域への入り口。

    つまりは、自分の未知の部分(無意識の領域)への入り口なのです。

    その入り口へは、創造性がなければ飛び込む事はできません。

    創造性があれば、飛び込む事ができるのです。

    「苦」を「楽」へとエネルギー転換できる!

    それを発見したのが、先ほどの仏教の真髄、法華経本門の部なのです。



    その入り口を突破しようとした最近のいい見本が、三浦雄一郎氏。

    彼の限界点は、80歳で、あのエベレストだったのです。

    その登頂に成功した事は、誰もが認める偉業には違いないのですが、

    それよりも成し遂げた偉業の本質は、

    80歳と云う年齢にも関わらず全く衰えていない、

    自分の未知の部分へ入って行こうとする勇気と創造性です。

    その為に、150,000,000円の協賛金が集まったのも、

    大した果報ですね!    あはは。


    目の前にある、自分の限界点を見つけて挑戦する -------

    ---------------- 次は、どんな自己発見があるのだろう?

    それが、登山の魅力のひとつだからです。    ほっ。



    現代人は、錯覚をしています。

    本当の自然を遮断して、

    人にとって快適な空間をしつらえる事が進歩だなんて?

    経済に都合よく効率性や利便性を追求する事が〝善”だなんて?

    人類に貢献する事だなんて? 本当に思っているとしたら、

    気が付かなければいけないわ ----

    それは、真逆なんだって、、、


    便利で効率的で、感覚的刺激に溢れた都会生活の中で、

    五感の快感を求めて満足する生き方が、

    実は、自分を、意識の限界の中へ閉じ込めてしまっている事に

    気が付かなければいけないのです。 



    登山は、その事を気付かせてくれます。

    山が、景色が美しくて自由ですばらしいからではありません。

    まったく自由ではないのです。泥だらけになるし、、、 ほほっ。

    抵抗できない天候への配慮、自分の体力、水やカロリーや塩分補給、

    体温や疲労の管理と云う重要チェック項目が、

    普段の生活では、何の気もかけていない当たり前のこう云う事柄が、

    山で、意識がやらなければならない仕事です。

    しかも、このような制約の下に意識がやっている事は、

    日常の生活の中で我々の五感が体験している「楽」とは明らかに違う、

    まったく反対の「苦」であるはずのものなの、、、、

    それも、それらが少しでも狂うと、とんでもない災害になるかも知れない

    緊張した状況なのに、です。


    意識は普段、常に、「苦」に直面しないように避けて、

    「楽」を集める事で、しあわせを実現しようと努力しています。

    「楽」を集める? って言ったって、、、

    自然の中に、それらの「楽」は一つもありません。

    自然の中は、意識にとって「苦」だらけのはずです、、、、、ほっ!


    なぜ、「楽」ばかりを集めたがる意識が、

    自然の中では、「苦」ばかりの中で正常に頑張るんだろう?

    ひょっとして、

    意識は、「楽」を与えると、お調子に乗るものなのかも知れませんね?




    ここに、人類の欲望のせいで破滅に向う地球を救うヒントが、

    意識の特徴の中に、あるのかも知れません。








    過酷な天候に巻き込まれれば?

    自分の体力を見誤ってしまえば?

    水分と塩分を入れたザックを谷底へ落としてしまったら?  ほほっ。

    こう云う喫緊の制約の緊張感を克服して、

    登山から無事に帰る、と云う、

    意識が一番恐れる死を克服して【人の生存欲を満たす】レベルまで、

    意識の欲しがる「楽」のハードルを上げた時、

    初めて意識は、意識の限界「苦」の瀬戸際を感じて、

    (無意識の支えで)未経験ゾーン「苦」へ飛び込む事ができるのです。


    意識は、必死な状況に直面しないと、

    方便の「楽」は、絶対に手放さないでしょうね。




    つまりは、この命が危ないかも知れない崖っぷちを感じて、

    初めて、何が生きる為に必要な、実に役に立つ力は、何なのか? 

    を、自然の制約・摂理の中で、

    初めて、意識は徹底的に学ぼうとするのです。

    余裕があったら、意識は、そりゃ「楽」がいいもの、学ばないでしょう。


    それは、もう、快感、快適、効率、便利、など

    山ではゼンゼン、役に立たないのですもの。  あはは。

    無事に帰られるのなら、そんなもの捨ててもいい位の状況です。  

    だって、車もないし、エアコンもないし、冷蔵庫もない!  あはは。


    命を守る事が先でしょう?

    バカな意識が一番、恐いのが〝死”なのです !   あはは。

    守りたいのが、自分の〝命”なのです!

    意識は、ある時は、他者を抹殺してでも守ります。

    それが、弱肉強食の論理、それで戦争を肯定するのですもの。



    どうも、意識を謙虚にするには、喫緊の状況へ追い込むのがいいみたい。

    そう、大自然の中へ放り込むのがいいみたい。   あはは。

    そうすれば、大自然と云う大師匠が、教えてくれるのです。


    〝方便の「楽」を捨てろ! 「苦」を浴びろ!

    そうしたらもっと強く柔軟になれるぞ!”     ほっ。




    なにが自然か、自然じゃないか、腹の底から分りますわ。

    現代人は、大自然の下へ、弟子入りをするべきでしょうね。 あはは。


    現代の子供達へ体験をしてほしいのは、この事です。

    ゲームなんかより、本物のサバイバルゲームなんだから、、、




    下山をして感じるのは、登山の疲れなどではありません。

    大げさに言うと、自然の摂理に浄化された意識に、

    無意識界の力が、こんこんと湧いて来るのが分かります。


    それで、ほぼ2週間ごとに山へ行くようにしています。  あはは。

    しかし、それだけの果報をいただいているような気がします。

    意識どころか、だけでなく、体が、、、

    これは、正直、ちょっとした発見、貴重な驚きでした。

    体は分っている、と云う事です。 バカな意識より知っているのですよ。

    次なる危険を防ぐ為に、潜在意識が待機しているのですね。

    命を守る為に、自然の中で、意識に負けずに体が進化して行く、、、

    もっと素晴しく元気に強くなって行く、希望を持つようになりました。

    体の潜在能力の方が、五感に操られるあやふやな意識より頼りになります。

    意識よりも、体の方が無意識に統御されている分、賢いのです。

    体は、無意識そのものか、無意識に近い、

    その分、自然の霊気、パワーをそのまま享受できるのかも知れません。

    その点、意識・心は鈍感です。

    五感の枠で抑えられていますから。

    そんな鈍感な意識に甘えたり、意識を甘やかす近代合理の社会は、

    一体、どんなものなのか?

    非常に、いびつである事は間違いがありません。

    これも大自然の大師匠に教えられた事ですわ!    あはは。



    至仏山の登山の記事は、今回が最後です。

    また、登山の事は、機会があれば、、、










    では、いよいよ本論へ参ります!


    今日の記事は、随分長くなりそうです。

    更新の間が十分ありますので、分けてお読みになってください!



    コメントへのお返事 18. <近代化の奈落 3.> 「苦」と「楽」について



    ほぼ、今までの前半の記事で、

    「楽」と「苦」についてはイメージが持てたと思います。

    では、最初のコメントから紹介をします。




    人は悪いことをするもんで、、、 性悪説だァ!

    cosmosさんから教えて貰った

    下の事が気になって今日調べました、


    >福島原発を破壊したのは、地震や津波じゃない!

    >地震や津波を起したのは、太陽なのですよ!


    それでなんですが、
    ふつうは地震は地殻運動と思いたいのですが、
    やっぱりそうなんですな、

    月や太陽の引力が地震の引き金に なると、
    防災科学技術研究所の田中佐千子研究員が明らかにした。
    http://www.asahi.com/science/update/1218/TKY201212170924.html
     





    まあ、わざわざお知らせくださってありがとうございます。

    地球の位相が、太陽系、すべてを太陽に依存している限り、

    そうであるはずです。

    そうであると解っていないのは、科学の認識が遅いからではないでしょうか、

    一般的には、地殻運動で説明するのが図柄的にも分りやすいです。

    専門家は、もっといろんな事が分っているでしょう。

    ただ、一般へ説明するのが邪魔くさいのです。   あはは。

    他の分野へ影響がある事柄は、外へ出さなければいけないでしょうが、


    しかし、地球上を見回してみて、

    解っている限りの古い宗教、哲学思想は、今に至るまで、

    太陽を神と位置付けたり、太陽を中心にしています。

    エジプトも、黄河文明も、日本の古代神道もそうです。

    それが、古代の常識みたいなものでした。

    しかし、キリスト教は違いますね。

    その教理を生み、育んだ中東や西洋の自然が過酷だったせいか、

    彼らにとって自然は克服し支配する対象でしかなく、

    自然を敵に見なして排除をし、人間の意識中心の教理です。

    その思潮に囲まれて生きなければならない現代のアジアは、日本は、

    独自の世界を潰されないようにしなければいけませんね。

    ほぼ、全部を潰されちゃっていますが、、、、、ほほほっ。

    自然を眼中に入れていない枠組みで設えた西洋の意識哲学は、

    そのまま西洋の芸術にも表われています。


    いわゆる、ゴッホなどが日本の浮世絵から影響を受けたジャポニズム以前は、

    自然を絵画の対象として描くと云う事すらなかったようです。

    そう云うDNAを持つキリスト教が根になって生れた科学ですから、

    科学自体が、自然をすべて解明する事は、目指しているのでしょうが、

    できない。と思っています。

    科学的知識は、そう云う誤謬を帯びているモノだと受け取っています。

    ある時、東洋的な世界観へシフトさせるような転換点を経なければ、

    真に、人間の為にはならないのではないか?

    そう云う懐疑を持っています。

    ここまで書きましたので、ついでに言いますと、

    太陽中心の宗教の時代は終わった。 とも思っています。

    いまさら、

    ・エジプトの太陽神のアラー (もう遺跡の値打ちしかありませんが)

     が、神として復活する事はないでしょうし、


    ・日本の太陽の化身の天照大神に代表される、自然の働きを象徴する神が
     中心の本尊に据えられる宗教の時代は終わったと思います。

     もしあるとするなら中心より脇で、その機能で働く善神としての部分神です。


    ・釈迦が、千も万も説き出した仏群、たとえば大日如来など、もです。

     これらは、太陽中心の社会の反映があって便宜上で説いた仏群です。

     理由は、当時の民衆が仏教を理解しやすい様に説いたのでしょう。


    今の我々の時空は、太陽を含む宇宙へと広がっています。

    太陽系を含む銀河は、宇宙の中心ではありません。

    今さら太陽中心では、全てを説明しきれない時空になっています。

    ちなみに、

    イスラムのアッラー神は、

    雨と空を司る神でギリシヤ神話のゼウスに相当します。

    砂漠の民、イスラムには雨を降らす空が、神に相当するのかな?

    ここで出した神々ですが、

    神という観念、概念は宗教によって意味合いが違いますから

    ご理解には、要注意を! なさってください。



    では、二つ目のコメントです。

    鍵コメントですが公開をする為に、部分的に編集をしています。   

    ご了承ください!

    ① ② は便宜上、付けました。



    ① 日光に独り旅に行ってきました。

    自然なるものに全身で触れられたことが一番の解毒?に

    なったように感じます....

    誰も居なくなった森の夕暮れの静寂さ、寒さ、

    どこか青臭いけど精気が戻るような懐かしい森の香り、

    裸足で原っぱに寝転んだり、腐植土をギュッと踏んだ感触、

    赤紫色のコガネムシ、夜の森の得体の知れない恐怖....

    素晴らしい体験が出来ました。

    するとふっと自分の今までの生き方が、

    何が自然で何が嘘か少しずつ見えてきたような、ないような感じました。

    自分が他人のように感じたのでしょうか...

    尊ぶべきは物質や合理、意志の力ではなく、自然にしかない様に感じます。

    現代はこれほどに便利でありながら、物質や合理、意志の力をもってして

    わざわざ自分から不幸になっているようで、きっと木々や草花、動物達から

    したら私や現代人は一笑されているのでしょうね(笑)
     
    東照宮の建造物も良いけれど、周りの堂々たる木々、彼らは凄いですね、

    まさに時に対して誠実で嘘がない、「陰徳」の賜物です!

    早く伸びろ、隣はもうあんなに伸びてる、こっちも急ぐぞ、とか思って

    伸びた訳じゃないのですよね。

    未来永劫どんなに努力しても、誰も見に来てくれない、動けない、

    一生No.1になれないことなんて、これっぽっちも気にしていないのですよね...

    日光で山や散策道で過ごした時は、

    強い拘りも緩くなっていたと覚えています、

    大抵、その時は食欲も普通であまり食べたくない、、、

    もしかすると、全ては繋がっている?!のでしょうか、そんな気がします!


    ② >生れ持って出て来た運命の器は、変える事ができません。

    >これは、無意識の領域に根「因」があるものですから意識では変えられない。

    >意識でする努力では変えられません。

    胸を突かれれるような思いで、

    今まで努力や意志の力ばかり信じてきた自分には

    無力感のようなものを感じました。。

    近代的合理の世界ではどうりで苦しいわけですね。。

    本当は全ての人にそれぞれの「仕様」としての生き方があると思いますし、
    どこかに本人らしい居場所がきっとあるんだと思います。

    「意志」や「努力」、「学問」でなら救われると思い、

    ずっと肩に力を入れて過ごしてきた自分が何とも哀れです。
    ところが、東洋の知恵には、自分に合った仕様の「仕合せ」がちゃんとある、
    ないはずがない(のですよね?)
    西洋の近代的合理は「その人に合った」仕様の仕合せがないのですね、  




    まず、①に対してのお返事からです。


    いい体験をしましたね。

    あなたが鬱蒼とした森の木々を見上げて、ため息をついている、、、

    、、、想像をしてしまいました!  あはは。

    大丈夫、自然を友にできる人は生き残っていけますよ!  

    自然から何かの啓示を受け取る時は、、、大事な瞬間だわ、

    自然を自分の外にあるものとして客観的に感じるだけでなく、

    自然を自分の体の中へ迎え入れましょう。

    例えば空なら、空を見上げて両手を広げて、胸いっぱいに抱きかかえて、

    ありがとう~ と声を出してください。

    声を出すとは、体を使ってと云う行為の体験と云う意味合いがあります。

    これ、気恥ずかしくて笑える動作なのですが、   あはは。

    すべてを受け入れる体勢は、感謝に通じます。

    感謝をする時は、自意識から解き離れて無意識へ扉を開ける瞬間です。

    あなたの無意識が、自然の無意識と通じ合って呼応するはずです。

    そうすると空が、自分の体の中へ入って来るのを感じます。

    自分の体内が空の色に染まったのを感じるでしょう。

    そうすれば、空は、もう外にあるだけの、外の自然ではなくて、

    自分の体と云う自然の中にも存在するようになります。

    そう云う感覚が芽生えて来ます。

    私は、ほんとうに持って帰りたい景色に出逢った時は、

    カメラで撮らないで、こうして体の中へ入れて持って帰ります。

    また、森を歩きながら、木々に話しかけてみられたら?

    木々は、おそらく、あなたよりも長生きです。

    あなたの事を木々は覚えていますよ。

    あなたを生かそうと、遠くの森からパワーを贈ってくれるでしょう。

    私は、行った先々に、そう云うつながりを作って来ます。  あはは。

    あらゆる処から、パワーが贈られてくるように、、、  ほほっ。

    植物に五感はありません。 が、命の根源である無意識でお互いがつながり、

    そこでは、あらゆるものが渾然と一体になっています。 




    今の我々は、知識としての物質としての宇宙を(知っています。)

    知ると云っても、◯◯億光年と云う距離単位で測って、

    五感である肉眼は、光りを集めて望遠鏡を覗くだけです。

    そこに秘められた無意識の世界については(何も知りません。)


    近代合理主義と云う現代文明に生きる我々は、

    宇宙の意味も、無意識の世界を何も知らないままに、

    意識が、これは「苦」、あれは「楽」と選別するのに従って

    欲しがったり、無視をしたりしています。

    さも、それで正しいように、です。


    さあ、目の前に「楽」を積み上げる事が、正しいのか?


    肝心な事は、目の前の「苦」を避ける事が、「楽」なのではありません。

    「苦」こそあっての「楽」、

    「苦」を「楽」のエネルギーへ変えられるのは、

    意識が作り上げた文化、知識、技術などの『陽』ではありません。

    まったく創造性の源である『陰』の無意識の力なのです。




    「苦」を乗り越えるのは、無意識の力です

    臆病な意識に、「苦」は乗り越えられません。






    また、東洋には、

    「苦」と「楽」を一緒にした苦楽と云う言い方があります。



    真実は、苦楽一如、 苦楽不二、です。


    これらは、無意識界における智恵で観る事のできる実相です。

    その無意識界へ通じる生命を統御しているのが、自律神経系です。

    便利に行き届いた、自然から遠ざかった都会生活は、

    「楽」の追求と云いながら、追求する熾烈な競争があります。

    「楽」の追求が、「苦」の因果を積んでいるとは露知らずに、

    このアンバランスが、人間の自律神経を傷めつけるのでしょうね。

    社会は、中庸を踏み外した『陽』のただ中、闘争の世界です。

    しかし、これは、逃げて通れません。



    もしかすると、全ては繋がっている?!のでしょうか、

    そんな気がします!  



    あはは。 そうなのですよ。

    心(意識)と体は、一体です。

    東洋は、色心不二でした。 (色は肉体)



    具体的には、

    我々の命を維持する機能は、無意識系の統御を受けています。

    無意識系の統御とは、宇宙の運行、時空に合わせて

    我々の体を統御する機能です。

    それを、自律神経が司っている訳です。

    おそらく、奥日光での自然との邂逅は、

    あなたへ自然のテリトリーにいる安らぎを与えたはずです。

    そして、自然から遠ざかった都会生活で、

    自己を緊張して防御する自我意識が、しばしの間の休息をし、

    意識の縛りの解かれたあなたの体は、調和を取り戻した。

    宇宙の無意識とつながる自律神経が正常に働けば、

    食欲も睡眠も、すべてが中庸を取り戻すのです。




    ② の部分へのお返事です。


    >生れ持って出て来た運命の器は、変える事ができません。

    >これは、無意識の領域に根「因」があるものですから意識では
     変えられない。

    >意識でする努力では変えられません。
     


    ここの本質は、

    東洋的 only 1 の存在である基盤になります。

    だれも、他人が真似ができない存在だと云う事です。

    世界中は、西洋的なNo.1 を目指すレースが席巻していますが、

    あなただけにしかない生き方を、東洋は、only 1 を目指すのです。


    しかしながら、生れ持って来た運命の器が、

    万が一、自分に気に入らなかろうと、それは受け入れざるを得ないのです。




    胸を突かれれるような思いで、

    今まで努力や意志の力ばかり信じてきた自分には

    無力感のようなものを感じました。。  




    近代合理主義の世の中へ生を受けて、

    まだ若いと云う事で、そう云った気持ちになるのは

    無理からぬ事なのかと思います。

    しかし、何もかもが、自分の意志と努力で思うようになるモノではない。

    その事は、もうすでに理解をしていますね?

    また、今まで努力や意志の力ばかり信じてきた事については、

    全面否定する事は無いのですよ!    

    ただし、ばかりと云うのは、否定をするべきかな? あはは。

    あきらかに努力と意志の力は、どんな場合でも必須要件です。

    しかし、厳しい事を言うようですが、

    努力や意志だけで、この現象界は、どうにでもなるものではありません。

    運命学で云う処の命式の癖がついた意識の為す努力と意志によって、

    出る結果と云うのは、その癖なりの結果を呼び起こします。

    ココが非常に大事なのですが、

    常に、自分を冷静に見る謙虚さが要求されます。

    その物差しとして、運命学の命式は十分に有効です。

    『陽』の範疇である意識がいくら努力をすると言っても、

    『陽』のノウハウ的知識で、この世は、動くほど、

    この現象界の時空は、軟(やわ)な時空ではないのです。

    この『陽』の現象を起すエネルギーは、『陰』無意識界から送られています。

    仏法では、

    この世は過去の業の集積である因果応報による差別相が現れる世界である。 

    と、なっています。

    生れた時点で、もうすでに自分の因果応報の姿であると、きびしいですね。

    ちょっと、待って!  と云いたくなるのですが、   あはは。

    これは、嘘ではない事が、運命学で家系を調べれば納得できます。

    しかし、これで、固まってしまったらダメなのですよ。


    ここで、少し、仏教的な事を書いておきます。

    仏教における、この因果応報の理法と云うものの、本質は、

    現在の自分は、過去の業の累積の結果かも知れない。

    それは、動かせない事実かも知れないが、

    これからは、未来は、自分の、今に、掛かっているのです。

    現在の因によって未来が決まるのなら、それも間違いのない事です。

    つまり、この瞬間からのあなたが、

    どう生きるかと云う事がもっと大事だと云う事です。

    この因果応報の理法の本質と云うものは、

    過去より未来の為に、現在の『時』を重要視しなければいけない。

    今、この現在と云う『時』にスポットを当てる事です。

    今と云えども、この刹那です。

    この瞬間をどう生きるかと云う事です。

    現在の『時』とは、ほら!ほら! 次々と過去になり、

    瞬く間に、未来の『時』が訪れて来て、今になる!!

    今と云う『時』を特徴だって意識させる内容なのです。



    未知な未来は、あなたのものです。  


    今の瞬間を大事になさってください。

    それが、無意識界でカウントされています。

    自然も、『天』の様相は、瞬間、瞬間に変化、移行、生まれ変わっています。

    この為に、至仏山の5時間余りの間の天候をお見せしたのです。

    この超・未来志向な説法は、仏教でも法華経本門文底下種に来てからです。


    ついでですから、これに関する概括的な仏教の内容に触れておきます。

    むずかしくても、眼識に触れるだけで止めておいてくださって結構です。


    仏教の中の、法華経以前の教え(爾前教・にぜんきょう)では、

    あなたの不幸は、過去からの因果で、もう定まっているから仕方がない。

    今世はあきらめなさい、、、今度死んだら、極楽へ生まれられるように

    念仏(南無阿弥陀仏)を唱えなさい。

    と、まず、自己の生を受容させる事に力点を置いた初歩の段階です。

    だから、なんとなく諦観に陥って無気力な風になるのです。 あはは。

    これは、釈迦のメソッドの一つ、民衆を引っ張って行く為の方便です。

    実は、仏教もいろいろなロジックを駆使しているのですね。


    しかし、あきらめなさい~と云われた事だけをクローズアップした教説は、

    仏教のイメージを暗いものにしていますね。

    正しくは、法華経が説かれた時点で役割を終えるべき教説なのです。

    捨てるべきロジックとでも言いましょうか。。。





    本当は全ての人にそれぞれの「仕様」としての生き方があると思いますし、
    どこかに本人らしい居場所がきっとあるんだと思います。  



    その通りです。

    「意志」や「努力」、「学問」でなら救われると思うのは間違いです。

    処世術的には無駄とは言いません。必要だが全てではない。

    はっきり申し上げますと、それらは所詮、食べて行く為の道具です。

    生きて行く為のエサを見つける術(すべ)なら、

    生物は皆、菌類から哺乳類まで自立をしてやっています。

    弱肉強食の世界の掟です。

    それは必要な案件ですが、十分ではありません。

    偉くもなにもない。

    戦後の大学教育までをやっても、その程度なのです。

    今の大学は、社会に役立つ人材と云う点で、学生に十分な力をつけていない。

    そう、思っています。  

    人間として、サルとは違う、その違いを持ちたいのなら、

    それらを優れた道具として活用する智恵を持つべきです。

    『陽』の世界を生き延びる知識の(知恵)ではありませんよ。 

    『陰』たる無意識界の(智恵)です。 ちの字が違います。

    厳しい自然と云う大師匠から学んで行ってください。

    そして、自分を知る為に、東洋智を学んでください。

    この両方を日本人が身に付けた時、西洋の人びとは、羨ましく思うはずです。

    ここが、日本の生き残る道だと思います。


    あなたが若くして、私のブログに出逢った事、運が強いのですよ。

    これまでの20数年間で、現代の画一的な世間知を知ったかぶり、

    分ったような顔をして、早々に大人になろうとはしていない。

    自己を安っぽいもので防護、固めていないのも運の良さです。

    大器晩成ですね。

    いろいろな境遇と云うものがありますが、

    自分に合った仕様の「仕合せ」を確立してくださるように、

    これからも、どうか自然の中へたびたび戻る事をおすすめします。


    まだお若いけれど、何が人生にとって大事か、正しい事か、

    ちゃんと弁えて行こうとする人間性をお持ちとお見受けしました。

    それらを携えて、これからの人生に取り組まれる事を、

    お祈りしています。




    長い記事がやっと終わりました!

    最後までお読みいただいた事には、最大感謝もうしあげます。


    暑さは、ますます厳しくなる模様です。

    どうか、ご自愛なさってください。


    次回の更新まで、よい日々をお過ごしください。


























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

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    暑中お見舞い申し上げます。
    連日の猛暑で昨日は熱中症1136人が搬送されたとか・・・大丈夫か!?日本列島!という感じです。
    至仏山頂上からのお写真 涼しげで癒されます。
    登山て本当に人生そのもののような気がしてきました。
    ずっと続く景色の良い所ばかりじゃないし・・・
    視界がなくどうしようもなくなっても 時間がたてばなんとかなるものだし・・・
    生きて行くうえで困難に出会った時は登山で苦労した時のことを思い出すようにするとよさげですね。


    暑中お見舞い申し上げます。

    毎日、暑い日がつづいています。=
    地球温暖化の結果なのか、冬は厳冬になるとか、です。=


    標高が高い処は涼しげです、写真を眺めてほっとしました。=
    どこか、高い処へ逃げて行こうかと思っています。=
    なにか工夫をしないと、この暑さには耐えられそうもないです、、、=

    今回の記事は、贅沢な無駄な現代人の生活がおもいやられて、ぞ~っとしたところです。=
    このまま行くと自然に耐えられないようになっていくような気がします。=
    それが自然淘汰されるっていうんでしょうか、、、=
    登山は、いい趣味ですね。私も始めたいと思うのですが、もう遅いでしょうか?=

    暑さに気をつけられて、、、=

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    No title

    いやぁ、最近はcosmosさんの関心は山でしたか、
    お仕事も忙しそうなのに、パワフルな女性なのでおっどろく。
    暑い地上とちがって山の頂は本来の自然が支配する所のようです。
    人間が征服をした地といっても
    それは、高々、便利な住みやすい所です。
    河の側、海岸に近い、平野、田畑が作りやすい所、
    それを外せばまだまだ自然は残っちょるようであります。
    今日は、高邁な仏教のお話を見ただけでしたが、
    いつか悟れるんでしょう。
    長生きの楽しみとします。
    遇い難きこと、ブログのお陰。
    暑さに負けないよう、きっと負けないに決まっているが、ご活躍ください。
    私はもう耐えられない程負けそうです。

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    Re: No title

           鍵コメントさんへ


           登山は、文句なく大好きです。
           お始めになられたら又、お連絡くださいね!


               ありがとうございました! e-266 cosmos 

    Re: No title

    > 暑中お見舞い申し上げます。
    > 連日の猛暑で昨日は熱中症1136人が搬送されたとか・・・大丈夫か!?日本列島!という感じです。


    ★ほんとうに、大丈夫か?! です。
    東北は冷害かもしれませんね?
    西日本は、水害だとか、関東は雨が水甕の上に降りません、、、
    とにかくいろんな気候が巡って来ても、耐え忍ぶ覚悟はしているつもりですが、、、あはは。
    あと少し、夏も半分が終わったわ、そう思って慰めております。  あはは。



    > 至仏山頂上からのお写真 涼しげで癒されます。


    ★後から写真を見れば、そうなの、、、
    その時には、もう足元しか見てないから、景色の印象はないのですよ。
    写真は、後から役に立ちますね!



    > 登山て本当に人生そのもののような気がしてきました。
    > ずっと続く景色の良い所ばかりじゃないし・・・
    > 視界がなくどうしようもなくなっても 時間がたてばなんとかなるものだし・・・
    > 生きて行くうえで困難に出会った時は登山で苦労した時のことを思い出すようにするとよさげですね。


    ★ええ、ええ、まったくその通りなの!
    山の苦しさに比べれば、下界の出来事は軽い、かる~い! 楽チンです!   あはは。
    どんなことにも挑戦していく気概は鍛えられましたよ。
    今度、ラフティングやってみようと思って、、、川の水を浴びながら、、、あはっは。
    パラグライダーも、年に1,2 回ですがします。
    体を動かす喜びを知ってしまった、、、、良い事なのか? いけない事なのか? ほっ。


              ありがとうございました! e-266 cosmos 

    Re: 暑中お見舞い申し上げます。

    > 毎日、暑い日がつづいています。=
    > 地球温暖化の結果なのか、冬は厳冬になるとか、です。=


    ★まあ、そうなのですか、、、熱帯と寒帯を一年の間に体験できるのですね!  ほほっ。
    夏ももう少し、そう思っていたのですが、早や8月となれば、
    夏の間に行きたい処に行っておこうかと、少々焦っております。
    えっ? どこ?  あはは。 川です。



    > 標高が高い処は涼しげです、写真を眺めてほっとしました。=
    > どこか、高い処へ逃げて行こうかと思っています。=
    > なにか工夫をしないと、この暑さには耐えられそうもないです、、、=


    ★7月の初めは、蓼科へ行ってきました。
    でも、日差しがあると下界と変らない位、暑かったですよ!
    何処かへ行かれる計画があるのですね!  たのしみ!



    > 今回の記事は、贅沢な無駄な現代人の生活がおもいやられて、ぞ~っとしたところです。=
    > このまま行くと自然に耐えられないようになっていくような気がします。=
    > それが自然淘汰されるっていうんでしょうか、、、=
    > 登山は、いい趣味ですね。私も始めたいと思うのですが、もう遅いでしょうか?=
    >
    > 暑さに気をつけられて、、、=


    ★登山を始められる年齢は、関係ないのでは?
    幼児を連れた親子連れから、80代のお年寄りまでお見かけします。
    自分のペースで始められたらいいのではないですか?


           ありがとうございました! e-266 cosmos

    Re: No title

           鍵コメントさんへ


           > 心より
           > 身体中心なら


           ★いびつな思想の下で、心だ体だと、分けて考える事が馬鹿げていますね。
            なんとかならない? 合理主義。   あはは。


                 ありがとうございます! e-266 cosmos

    Re: No title

         鍵コメントさんへ


           > 安岡正篤氏の御著書を読んで、、、
           

           よろしいですね!
           東洋学の本は、その時、理解できる、できないに係らず、読んでおくことが
           先々必ず我が身に生きて行きます。忘れた頃に智恵になって来ますよ。


           > 御地蔵さんを見つけたのですが、何故かほっとしました。
           

           ほっとなさるのはいいのですが、
           全て東洋的な存在が良しと云う訳ではないので、心は許さないでくださいね。
           何でも無条件に尊崇したらいいと受け入れないように、
           神道や仏閣寺にしたら、とんでもない!えらい言いがかりと思われるので、
           めったやたらに大きな声で云うのは憚られる事ですが、
           特に、仏教で云う処の末法時以降は、善神は天へ帰ってしまって此処にはいない。
           等のいろんな深い経典の奥義があります。
           じゃ、何が住んでいるのか? と云えば、悪鬼、邪神の棲家になっている、、、等です。
           そうはっきりと云う神道家の方も複数いますね。
           善神は、地球にはいない。天に帰ったと。
           これは、無視しない方がいいでしょう。
           外には、宇宙には、善もいれば悪もいます。人間界と同じです。
           よくスピリチュアルで、空の雲などを神の現れとして捉えるような事をしていますが、
           あれは危険な事です。自己流でやっていて何も知らないのですね。
           此方が外界へ係れば、逆に反対方向の存在が心に係って来ます。
           それらが侵入する機会を作る事になる訳です。
           この辺りの事は、大変むずかしい!  あはは。
           とにかく、今は、ここまでを知っておけば、、、
           それだけ、我々の命は神秘的だと云う事です。
           間違っても低級な存在に染められませんように!
           近代合理主義も、低級、悪の仲間ですよ!   
           だから、これだけ苦しめられている訳ですから、
           染められた人に気付かせるのは容易ではありませんわ!  
           私がブログで苦労をしているのは、その為です。   あはは。
           
           
           
           頭、結果はいかがでしたか?   ほほっ。



           > 異常気象や天変地異と人の「徳」には、、、


           大有りです。


            
               ありがとうございます! e-266 cosmos

    Re: No title

    > いやぁ、最近はcosmosさんの関心は山でしたか、
    > お仕事も忙しそうなのに、パワフルな女性なのでおっどろく。
    > 暑い地上とちがって山の頂は本来の自然が支配する所のようです。
    > 人間が征服をした地といっても
    > それは、高々、便利な住みやすい所です。
    > 河の側、海岸に近い、平野、田畑が作りやすい所、
    > それを外せばまだまだ自然は残っちょるようであります。
    > 今日は、高邁な仏教のお話を見ただけでしたが、
    > いつか悟れるんでしょう。
    > 長生きの楽しみとします。
    > 遇い難きこと、ブログのお陰。
    > 暑さに負けないよう、きっと負けないに決まっているが、ご活躍ください。
    > 私はもう耐えられない程負けそうです。


    ★暑さに負けずにいらっしゃる事と拝察いたしております!
    更新が随分時間がかかりまして、、、あはは。
    こんなことは、今までなかったのですが、原発を徹底的にバラシテおこうと決心しました。
    いかがだったでしょうか?
    また、ご高察くださいますように、、、
    仏教は深いので大好きです。山登りも大好きですが、、、 あはは。
    暑さ厳しき折、どうかご自愛くださいね。


         ありがとうございます! e-266 cosmos
      

    Re: No title

            鍵コメントさんへ


            > 東洋の思想シリーズの記事は、また今度続けるのですか?
            > 楽しみにしています。


             ええ、続ける予定です。
             少し、予定記事が立て込んでいて遅れていますね。
             楽しみにしてくださって、うれしいです!
             今日の原発の記事は、いかがでしたか? 
             また、ご感想をお知らせくださいね。

     
                ありがとうございます! e-266 cosmos
             

    Re: はじめまして

            鍵コメントさんへ


            > 実はニ、三年前からブログを拝読させてもらっています。


            そうだったのですか?
            長い間、読者でいてくださって感謝申し上げます。


            > 今回の参院選、政治家よりもマスコミよりも、
             国民の声にひどく悲しくなりました。


            今日の記事に書かせていただきましたが、
            皆が、目の前の生活について苦を感じているのですね。
            どう云う危機が、これからやって来るのか分らないのです。
            マスコミも、企業寄りで、何も知らせていないからです。
            ネット社会と云えども、お年寄りは全員がそうではないでしょうから、
            情報は、テレビや新聞が主です。
            新聞はまだしも、テレビは情報媒体としては、おかしいわね?
            まったく当てにならないです、、、
            近代合理主義ボケ、なんとかしなきゃ!    あはは。

            事は、本当に深刻ですね。
            お体、気を付けられて!
            また、何でも書いて来てくださいね。     ほほ。


              ありがとうございます! e-266 cosmos
      

    Re: No title

    鍵コメントさんへ


    > それ以前から西洋は自然との決別をしていたのでしょうが、
            産業革命がやはり勘違いの最たるものだったのかもしれませんね!


           西洋に取っては、日本の浮世絵に自然が描かれているのが
           衝撃だったようです。 ほら! 富士山などの絵です。
           自然と西洋人の意識は交流がなかったのですね。
           あまりにも過酷な作物も実らない土地柄では、
           自然に感謝どころではなかったのでしょう。

           おっしゃるように産業革命、からですね。
           正確な自然観もなく、宇宙観もないキリスト文明に攪乱された日本は、
           未だに、自分の足元を滑らせて立ち上げれていないように思います。

           今日の記事はいかがだったでしょうか?
           また、感想をお知らせくださいね。

    更新が遅くなりまして、
           心配をかけていただいたようで申しわけなく思っています。


                ありがとうございます! e-266 cosmos 
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    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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