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    コメントへのお返事 20.   神に成り上がった経済   「苦」と「楽」について 3.

    Category : 西洋と東洋の違い 
      高尾山南陵、山道に突然現れたヤマブキ草の群生  


    山吹草の群生


    写真をクリックしてみてください!


    (高尾山南陵の花たち・前の記事からのつづき)


    もう、3カ月も前になるのに、

    この写真に写っている、ヤマブキ草のお山の前に立った時の感動は!

    忘れられません、、、

    里山から、山の暗い森の中へ山道を進んでいくと、

    突然、正面に、こんな光景が広がっていました!


    ちょっと、我を忘れてポカーンとなって、、、 ほっ。 


    なんとよく見るとヤマブキ草のテーブル、です!




    ピンクの花も傍にちょっと、あしらわれていて、 

    まるで〝ヤマブキ草のお刺身盛り”。    ほほっ。


    森の奥から、白雪姫が、7人の小人と出て来るみたい。    ほっ。

    何やら柔らかな心になりました。


    ---- こんな風景って初めてですね。


    普通、山で見るお花達は、こんな風に集まって咲いておりません。

    藪の中に、1, 2 輪とか、 とびとびに、時々見る位です。

    後からお見せするクマガイ草など、きれいに横並びに整列してましたもの、

    ここは、素敵な花場ですね!



    写真の左下の隅に見えるのが、これから登って行く山道です。

    その山道の少し上、白い花が見えますね?

    後で紹介するニリン草の群生です。


    背後のゴツゴツした森の木々をご覧になって、、、比べてください!

    森が、なんとむさくるしく思える事!    あはは。



    まるで、今日の記事、 

    --- 神に成り上がった経済 --- 



    経済と云う魔神が住む森!     あはは。




    経済については、前々から記事を書きたいと思っていましたが、

    きっかけがないまま来ました。

    もちろん、私は経済の専門家ではありませんが、

    ここ30年間位の経済の異様さ!

    何から何にまで支配をしようとする経済!

    それ以上の価値は無いように振る舞う横暴さにカチンと来て!  ほほっ。



    いつか、今の経済の、 東洋の叡智からの鑑定をしたいと思っていました。


    少し前、フランスの哲学者、デュピュイの新著、

    「経済の未来」が出た処で、、、


    ド~セ西洋の意識哲学の範疇のハナシ、と思いつつ、、、 あはは。

    現在の意識哲学が、どの程度、

    自前の経済を訴追できているのか? (無理に決まっているわ)

    経済を、王位から蹴落としているのか? (できないと思う)

    西洋の知性と東洋智と比べるのもおもしろいかも知れない、、、   


    しょせん、西洋の意識哲学は、

    結局は前頭葉の中の血流がどこに充血しているかと云う

    五感が作り上げた方法論でしかないのです。 

    反転した云い方をすると、どこに血流が行かずに放置されているか、

    そのように意識が無視した部分が、

    そこが、人間がヒューマンエラーを起す処なのです。
     

    デュピュイの新著は、おそらく、方法論に終始していると思って読みました。 

    (あっら、失礼な事を申し上げてしまってごめんあそばせ!)


    それと真実味の無い言葉群です。   

    これは、デュピュイの言葉の問題ではなくて、

    近代合理主義における言葉は、

    当然、私自身も含めて誰もが自覚がないだけで、

    我々の中身が、実体が、近代合理に否定されている訳です。

    無意識で得たいろんな知恵やひらめきにとって肩身が狭い社会です。

    その反対に、大手を振って通っているのが、

    自然界に実体のない、中身が実在しない、観念が作り出した言葉群です。


    理性とか、感性とか、自由とか、平等とか、義務とか、権利とか、

    人権とか、契約とか、犠牲とか、奉仕とか、聖とか俗とか、

    ある時は、愛とか、無償とか、もそうですね、、、 


    製造元は、西洋哲学です、、、    ほほ。

    みんな人間の前頭葉・意識が作り出した観念の言葉ばかり!

    西洋哲学の本を読む時、うんざりします!!!

    実体の無い、いわゆる仮に作った虚構の中の言葉群です。


    これらを、仏教では、方便(真実ではないウソ)と言い、

    こう云う教えを説いてある経典を*権教(ごんきょう)と呼びます。    


    *権教 = 【仏教語】真実を内包する大乗(法華経)に導き入れるのに、

    衆生にとって真実が難し過ぎるので 受け入れやすくした仮の教典。


    これら西洋の観念的言葉群を

    我々は、自分が使う東洋の言葉のように、

    自然の中に、言葉の中身が実在すると思って読むから苦しむのです。 あは。

    むずかしいと思うのです!  ほほっ。


    たしかに、彼らが、有史以来、命懸けで鍛え上げて来ただけはある

    狩猟民族の外界を捉える五感のセンスが、

    鋭く光りを放っている言葉かも知れないが、

    昔からあるキリスト教教理の上に積み上げただけの

    旧態を守った方法論に過ぎないのです。

    西洋哲学者が言う処の方法論は、------- 何も新しくはないのです。

    言葉だけ目新しくて、がっかりします!

    今回の〝破局”もそうね。


    現代に惹起する問題点の原因は、

    すべて今の世界を仕切っているキリスト教根底の現代の思想である、

    近代合理が生んだものです。

    --------- それが、分っていないですね。


    そして、近代合理を生んだのは、当の西洋の人達ですから、

    今さら、西洋の西洋哲学者が何を謂おうと、

    その西洋人が発する方法論は、どこまで言っても、

    今の近代合理を広めて来た側の弁解にしか聞こえないのです。


    厳しいですが、そんな現状認識、発想なら、

    東洋では3000年以上も前に、すでに体系的に済んでいます。

    先ほどの権教、初期の頃の仏教の衆生を均(なら)すロジック(方便)です。

    仏教は、それらを、方便だから捨てろ! とも言っているわ。

    もう少し、東洋哲学も知っていただきたいなあ~


    西洋哲学で火事を起しておいて、もっといい方法がある!

    今度は、西洋哲学のこれで、どうだ?     あはは。

    これじゃ、マッチポンプです。

    そう云う食傷感が喉元から上がって来て、吐き気がします。




    西洋哲学は、難しいと云っても見えた現象の説明の言葉です。

    すべて五感で感じた事を説明する為の言葉群です。

    五感で、見た、聞いた、思った事の説明ですから、

    本来は分りやすいはず、

    それを難しく感じるのは、

    わざわざ、観念が造語した言葉で表現するからです。   あはは。

    もっと、素直に自然と云う対象を観察すれば、

    実体そのままの言葉が出て来るはずなのにと思いますが、
    (これが、東洋哲学の言葉です。)


    西洋人は、ほとほと自然を受け容れていなかったのですね?

    自分の欲望をどうしても満たそうと思う意識が、強すぎて、

    相手を強く意識した言葉になる。

    それで、自然のありのままから浮き上がった言葉になる。

    技巧的、偽装的、徹底的な自己愛の言葉群です。


    そうした事を

    東洋の叡智を以って、西洋哲学の氏素性を知って読めば、

    西洋哲学はそんなに難しくないのです。

    西洋哲学は、意識的で言語的で、絵画的で、紙芝居のようです。

    それは、紙上、口上の表現の上でしかないと云う意味ですよ。

    でも、いかにも spectacle スペクタクル!

    一枚めくれば、どんな展開があるのかしら!!?   

    あの、紙芝居のドキドキ感です!

    あっは~楽しいですね。

    で、言葉以上に壮観な想像をしてしまうのね ?    ほっ。

    壮大な見世物ですから、すごく偉大に見えてしまう。   あはは。

    それが、芸術作品ならそれでいいのでしょうけど、

    地球や我々の命が掛かっている事よ!

    いくらモナリザでも、我々を救う事はできないでしょう?  あはは。

    でも、人は、見えない、聞こえない無意識・東洋より、

    華々しい意識・西洋に簡単に魅了されるようです。


    だから、今、東洋は、西洋の影に沈んでいます。 


    沈んでも、かき消されても、東洋は不滅ですよ。

    だって、現象なんかじゃないから、 

    見えないけど、在ります。      ああは。



    人間の観念の偽性が、西洋の特徴的な長所なのですね。

    大抵の人は、この偽性を、真実だと思い込んでいますよ。  あはは。

    まるで、媚薬? か麻薬のようです。   あはは。

    近代合理主義で気持ちよくなると思って飲むと、

    もう、抜き差しならない奈落に堕ちている、、、    ほっ。


    今の時代の篩(ふるい)によって、

    我々、東洋人は、選別されているのかも知れないわ。

    むずかしさは、東洋の方が上です。

    東洋学をやれば、西洋は漫画を読むみたいにおもしろいわ。

    ただの現象だから、どうしてそうなるのか分ってしまうの。

    東洋学を、お勉強してくださいね。



    あーっ、

    今日の記事の前触れが、長くなりました!

    今年の春の高尾山南陵のお花の写真へもどります!









    高尾山南陵のお花たちの写真は、今日で終わりです。

      
    先ほどのヤマブキ草の手前には、

    珍しいクマガイ草が、お行儀よく並んで咲いていました。



    クマガイ草


    両手を広げた間に、まるで五円玉のように見える花弁が特徴です。



    近くで見ると、よく分るわ。

    紅紫色の網目状脈がある丸い袋状の花弁をぶら下げた

    ラン科の多年草の熊谷草(クマガイソウ)


    クマガイソウ




    ちょっとクマガイソウの薀蓄(うんちく)を、、、


    この袋状の花の名前の謂われは、

    平家物語の中、一の谷(現、神戸)の合戦で負けた平家が敗走する時の

    逸話からです。


    源氏側の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)が、

    平家を追い詰めて行った折に、

    平敦盛(たいらのあつもり)との一騎打ちになります。

    敵方の若武者、敦盛の首を討ち取らざるを得なかったのです。

    殺された若き敦盛は無念の死だったはずです。

    自分の息子と同じ年頃の敦盛を殺さなければならなかった熊谷直実は、

    その後、敦盛の無念を晴らし霊を弔う為に出家をします。


    この熊谷直実の逸話は、武家の逃れられない性(さが)、

    この世の無常を表現する題材として、

    後世の武士の間で非常に好まれました。

    能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』等の作品に取り上げられています。




    ------ ここの無常、無常観を、覚えておいてください。

    仏教有縁の地、日本では庶民感覚で、無常感が語られていました。------






    熊谷直実が、その一の谷の戦で、

    後ろからの矢を防ぐ為に背負っていた -- 布で袋状に縫った母衣(ほろ)--と

    この花弁の形が似ているので、それに見立て、

    若き敵将を弔った熊谷直実を忍んで命名したのがクマガイソウです。


    ★ 熊谷(くまがい)直実は、

    武蔵国熊谷郷(現、埼玉県熊谷市)の平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。

    彼の名は、日本一暑い街で有名な埼玉県の熊谷(くまがや)市の名前です。





    登山道に沿って一面に咲くニリンソウの群生



    一面のニリンソウ



    ニリンソウを近くで見ると、


    ニリンソウ








    最後に、巨大な切り株を、、、、


    一位の切り株



    この一位(いちい)の切り株は、ゆうに私の背丈の倍はある高さでした。

    カメラの目線が、切り株の高さの丁度、半分くらいの処かな?







    この一位の切り株を見て、何を想起されますか?



    かっての王者が、亡びた身をさらしているようだ。と

    ピーンと来た方は、ブログをよく読まれていますね?    あはは。





    自然から、『運命学』を学びましょう。


    この木が、まだ生きて聳え立っていた時には、

    森の中で一番目立つ、森の王者のような存在だったはずです。

    森で一番高いがゆえに、

    落雷で割れるか、折れて、最後は人の手によって幹が切られたのでしょう。




    このように、

    この『陽』の現象界で、このように気勢が強いと云う現象は、

    『陽』の極みの位相の現象です。




    こう云う場合は、

    「過ぎる」と云う事を気を付けなければいけませんね。 

    ここでの「過ぎる」とは、『陽』が過ぎる。『極陽』です。


    自然界の調和を乱す、に通じます。 

    「自然の摂理に逆らう」

    『陰』・命を破壊する事なのです。

    すなわち、「過ぎる」とは、滅びであり、

    『陰陽』の中庸(バランス)を破る事です。




    ついでですから、過去記事に何度か書いた事がある

    次の運命学の2つの言葉を、、、、、

    憶えていただいているかしら?  



    ★ 旺ずる極みは、衰。 (おうずる きわみは すい)

    (力を溢れ出して栄え、強さが究極になれば、後は衰えるしかない。)



    ★ 研ぎ澄ました刀は、切っ先から毀(こぼ)れる。

    (切れるように研いだ刀は、刃の先端から毀れるように欠けていく。)




    これらの運命学の言葉が言い表しているのは、「過ぎる」の意義と同じです。


    究極の『陽』は、滅びに通じます。

    『極陽』・人為を極めると云う事は、『陰』の磨滅なのです。



    このように、人間の五感で捉えられる意識の世界の、

    物事の成り上がりや、その全盛期においてすら、

    その中に、衰えの「相を観ずる」と云う洞察力は東洋独特のものです。



    特に、運命学では、

    たとえば、『陽』の現象界に〝成功の姿”が現れているとします。

    そうしたら、その〝成功の姿”の意識が、何に支えられているのか?

    つまり、奥底に潜む無意識界のエネルギーや、

    それらを支える命式から分る位相を観るのです。






    りっぱな花実を付けて聳え立つ樹木があれば、その根を観るという事です。




    根の状態です。 


    そして、その養分を吸う土壌(先祖、家系)を観ます。

    それが、ご本人の道徳観、生命観、人間観、人生観として意識され、

    命式と一致するのが確認できます。

    もしくは、どう云うエネルギーが成功と云う現象を生んだのか?

    その成功の由来を調べる。


    いつまで持つのか?  『時』です。



    また、立派な花実を付けた樹木の根は、疲れているはずです。

    支えるのに必死で、衰弱している(陰徳が無くなっている)はずです。

    その疲れを、どう回復させるのか?

    バックアップする陰徳の蓄えがあるのか?

    その回復させる大地(先祖の遺徳)に根は守られているのか?

    そこまで観えます。



    五感には捉えられない、目で見えない、意識で捉えられない、

    まだ意識化する前の無意識界にあるエネルギーを観じていくと云う事です。



    次なる現象化を起こすエネルギーが、まだ命式にあるかどうかですね。

    命式の中の季節、『時』が助けるように巡って来るのか?






    未来を観るとは、そう云う事です。


    現在の〝成功の姿”有頂天に溺れていても仕方がない事でしょう?

    現在は、瞬く間に必ず、遠い過去になります。

    過去を追いかけるのが、運命鑑定ではありません。






    現在は、どんなものでも捨てる為にあります。




    『極陽』の華々しい現象化を生むのは、調和を失ってしまう前兆である。

    最後の『陰徳』をすべて出し尽くして失って行く姿です。





    途中ですが、  


    丁度、この記事を書いている時に、

    藤 圭子さんの訃報をテレビで知りました。

    -------- 心からご冥福をお祈りいたします。

    私は演歌全般をあまり聞いて来なかった方なので、よくは知りません。

    しかし、宇多田ひかるさんが出て来て有名になられた頃ですが、

    運命学的に感じた事がありました。

    母娘そろって、有名に世に出る事は良くないなあ、と

    ピーンと感じるものがあって、気にはなっておりました。

    世間的には、成功の姿なのですが、それが不兆の始まりになる、、、

    そんな思いで、時々ですが、チラッと情報に接するたびに、

    私の胸が、チクリチクリと痛んでいたのは確かです。

    ええ、すべて私の胸の内の事です。

    ブログをお読みになってくださっている方にはお分かりでしょうが、

    --------- 藤 圭子、その娘、宇多田ひかる、一人娘です。

    これが、女系の証明です。

    絶家が確定する、、、な気がしました。

    ひかるさんも女系の生き方の運命ですから、

    しあわせな結婚や子供はない、子孫は途絶えるだろうと予感をし、、、

    その事をご本人へ伝える術はないですから、、、

    他人の運命ながら気がかり、そう云う心境でした。

    その後、まだ子供も生んでいないひかるさんが卵巣嚢腫摘出手術をしたと、

    藤 圭子さんが同じ夫との再三の離婚再婚の繰り返し、

    ひかるさんの結婚、離婚、両親の離婚、

    女系の運命コースをそのまま転落して行っているのを、

    ピシピシと観させてもらっていました。

    つらいだろうな、どうしてあげる事もできず、この先は、、、と、 

    で、この訃報でしたので、

    お辛かっただろうなと云う心でおります。

    女は、有名になったり、生活を背負って大金を稼いだり、

    成功をしてはいけないのです。

    女系の自覚を持って慎むようにした方がいいのです。

    なるがままに『極陽』の姿を現じる事は、即、破壊、

    自分の人生も破壊し、子供の人生も破壊が現象化します。

    世間の成功なんて、なんぼの物でもないのですよ。

    女性は、貧しくても、辛くても、どんな境遇でも、子を産み、

    『徳』を持って慎ましく自分の家族を築いて行く事です。

    それが、女性の『徳性』の生き方です。

    その片方の生き方は、女徳を捨てた男勝りな『極陽』の生き方です。 

    さあ、どちらを自分の生き方に選ぶか?なのです。

    『極陽』の姿を未練なく捨てて、『女徳』を選べるか?  

    『天』自然の摂理によるテストです。

    このテストは、当の女系の女性が能力や才能を持って生まれて来るので、

    自我意識や欲望が先行して、特に近代的自我を帯びた今の女性に取れば

    非常に『徳性』を選ぶハードルが高くなっています。

    女系で、『陽』の男と同じ生き方を選んでしまうと、

    社会的な成功はそれなりにおさめます。

    が、『陰』の女の徳性は失いますから、

    どんなに有名になってお金を掴もうが、最後が孤独です。

    子供の幸せを願って自分の代で、女系を終えたいと思うのなら、

    今度は反対で、貧乏でそれは大変ですが乗り越えるしかないのです。

    どんなに苦しくても『徳』を大切にする生き方をする事です。

    いままでの先祖が、『徳』を選ぶ『苦』を避けた業です。

    それを全部、今度は自分がどんなに苦しくても『徳』を持って引き受け、

    『天』・道理に合う生き方を貫いていくしか、

    女系の家系は、立ち直りません。

    藤 圭子さんは、『陽』を選んだ結果と云う厳しい実例になりました。

    他の女性の芸能人、知識人のキャリアウーマンの人にも、

    有名人の男性にも、女系であれば子供ができませんし、

    できても一人娘など、女系の典型的なケースが、沢山見受けられます。

    藤 圭子さんのご冥福をお祈りいたします。







    (先程のつづきから、)


    運命学とは、「今」が幾ら調子がいいと言った処で、

    過ぎゆく「今」を観るものではありません。

    間違いなく「今」になる未来を観なければいけないものですから、

    きびしいのです。  ほほっ。



    こう云う哲学的遺産が東洋にはあるのに、その歴史を何も知らない、

    東洋の日本に住んでいながら、

    日本人は、東洋の叡智も知らない方が多いのね?  あはは。




    私が、この「東洋の復権を求めて、、、」のブログを立ち上げたのも、

    東洋の運命学、および儒教や仏教の世界観を知るにつけ、

    見かけだけはカッコウよさをテラっているような

    現代文明の世界観の狭さ、

    過去と今を重要視する現代文明の近視眼の異常さに

    気が付いたからです。




    このままでは、とんでもない事になるかも知れない??!


    現代文明は、新しく変革するような? 素振り、見せかけだけはあります。

    しかし、実は、ジクジクと中味が変化できない文明なのですね。

    自分の「楽」が手放せない文明であります。

    自分の感じた事が大好きな文明であります。

    自分への執着と、感覚的な「楽」への執着を断ち切れないのです。

    見栄えだけ新しく見せても、素肌は垢だらけ !  あはは。

    たまには、キレイに洗ったら? と思います。  ほひ!


    それはそうですね! 

    どこにも『陽』の「偽性」が垢になって隙間なくこびり付いていますから。



    現在と自分を大事する近代合理主義では、

    我が身が、垢まみれな事にも気が付かないで、

    それでもなお、飽きもせずに、、、      あはは。

    欲望を追いかける事を正当化する言い訳のロジック作りに没頭中です。

    そんな意識のアクロバットばかりをしている現代哲学より、

    運命学で未来を観る方が、よっぽど気分がいいのです!

    未来が分かれば、今が、現在が変わりますから、

    運命学が新しさを求める流儀を気に入っております。   ほほっ。

    運命学で、近代合理主義は丸見えでございます。



    現代人は、たくさんの知識を身に付けておりますが未来が分かりません。

    だから、目の前の花火のような『極陽』の現象の目立つ姿に幻惑されて、

    誰もそれが衰える事など想像する事も思いつかないわね!  

    それどころか、いろんな感情に襲われるものです。

    ただただ、、、うらやましい~!  とか、    あはは。

    自分もああなってみたいものだ!  とか?   あはは。

    あいつは、なんと運がいいんだろう!  とか、  ほほほっ。


    愚かな意識は、無意識界の実相が見えないから、、、

    つい華やかな存在を見れば、それに憧れたり、    ほほっ。

    この現象界で、今起こっている事象に迷う現代人は、

    なぜ、そうなっているのか? が分からない為に、

    みんなが、少しでも多くの現象界の『陽』の成果を欲しがります。 

    欲望に突き動かされて努力をすれど、結果はどうなのか?

    悩んで生きていると云うのが実態でしょう。

    ほとんど、悩みはここら辺で起きているのですよ。  
       
    人間的と云えば、人間的ですが、、、

    『陰徳』も積まずに結果だけを欲しがっているのでは、困ったものです。




    と、云う事で、先にご紹介をした


    現代の近代合理主義社会での

    〝成功と云う価値観”に真っ向から冷や水を浴びせ、、、

    物質文明が、我々の心をあおって憧れさせている天国の方向へ、

    真正面から疑問を投げかける、、、

    こう云う運命学の言葉群を、--------

    さて、

    このブログの読者の方たちは、どう感じられるのでしょうか?



    それと、もうひとつ、

    運命学の言葉と、ほとんど同じ意義であろうと思われるのが、

    クマガイ草の名の謂れの処で出て来た平家物語の中の

    仏教の無常観を表わして有名な次の言葉です。


    驕る平家は、久しからずや


    正確には『平家物語』の

    「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」とあるのが

    言い換えらえたもので、

    ・盛者必衰、・月満つれば則ち虧く、・物盛んなれば則ち衰う、などの

    同義語の言葉もそうですね。

    俗には、驕るから滅びる、と云うように解釈をされて、

    滅びない為には、驕ってはいけない、と云う戒めの言葉になっています。


    ------


    そこが、

    先の二つの運命学の言葉とは意味が違っております。


    運命学では、「驕ろうが驕るまいが、極まりの次は滅びであるから、

    極みの手前で中庸・バランスを取りなさい。と云う厳しい言い方なのです。



    易学などの影響が大きいですね。

    易は、変化を科学する学問ですから、もっとダイナミックです。


    -----



    仏教は、もっと厳しいのよ!    ほっ。。

    全ての物事には、成り立ちから、それが盛んになって滅びる法則がある。


    成住壊空(じょう・じゅう・え・くう)と云う大きな時の区分があります。

    四劫(しこう)といいます

    成って、住して、壊れて、空になる、それを繰り返すと云うのです。



    宇宙自体も、宇宙の星もそうだと、当然、地球もそうです。

    すべてのものが、同じ処に、同じ時に、止まらない。

    その繰り返しが、ある意味、永遠に続く。と云う思想です。 


    なんと、東洋は、時も永遠に!

    すべてが、永遠に変化をし続ける!    ほほ。



    変化も、ある ない だけではなくて、どう変わるとか複雑です。

    変るリズムは変わらないけれど、

    その中で、どういう住劫なのか? 壊れていく時は?

    さまざまな状態があります。

    人間も、生れ方、死んでいくありさま、いろいろです。



    それに比べると西洋のキリスト教を根底にする西洋の哲学には、

    『時』と云う、移り変わる概念が無いので






    時系列、時軸、がない。




    死んだら天国へ行くらしいのです。

    後は、ずっと天国暮らしで、  そこで終わり。 あはは。

    過去世もなければ、未来世もなく、この世だけです。 

    この世も、五感・意識が掴み得る〝今”、だけなのですから、、、

    この今と云う『時』だけから、いろいろ言葉を出して来るのです。

    今と云う『時』から見える世界は、どんなのか?

    丸い筒を目に当てて、そこから覗いた狭い範囲の今と云う視界です。



    『時』を説いていない教理にも関わらずに、永遠の愛って? 

    西洋的恋愛では、言いますよね!?    あはは。

    天国にずっといる事が、それが永遠なのでしょうか、、、




    永遠の生命を解き明かしていない西洋文明の哲学では、

    有頂天を感じる意識を最高に持って来るしかない。


    それが、成功、一等賞、サクセス、それを夢見る事しかないのです。

    日本も、だんだんそうなって来ていますね!


    お祭りの〝わっしょい! わっしょい!” の御神輿の、

    その天辺に乗っている瞬間だけを追い求める。

    そこから先は、五感にとって淋しくなるから捨てる。

    意識には、祭りの後の淋しさの救いが見当つかないから、捨てるのです。

    なんでも捨てるのね! 意識では考えも及ばないのです。

    クリスチャンは、死んだら天国へ行って The END です。

    自分は、天国へ行っちゃうのですから、その先には責任を負っていない。



    農耕民族のように、『天』の時節を見ながら農耕をしなかったからか?

    洪水で精根傾けた作物が全滅になる経験がなかったのか?

    物が壊れる、失う空しさを味わっていないからなのか?



    狩猟民族にとれば、

    今日獲った獲物は無くなるのは当然、食べれば無くなるわ!

    無くなれば、又、明日獲物を探しに行けばよかったのですから、

    その日暮らしの狩猟民族ですか、、、あはは。



    守るものが、無い。  

    守る田畑が、無い。

    守っている物が、いつか全ては壊れると云う警戒感がない。

    『時』の推移で物事は移り変わると云う思想がない。



    -------- 無常感がない!   ほっ。




    そう!  西洋思想には無常観がありません。

    これがすべてに亘っての違いとなって現れて来ます。


    そして、

    まえがきで紹介をしました盛衰の理(ことわり)、

    当然、全ての事象は『時』と共に変化をする。

    旺ずる極みは、衰、、、

    盛者、必衰の理(ことわり)などの概念はないのです。






    自然と人間の関係においても、


    人間と、自然(この世界)は神が創った物ですが、

    自然は、神が所有する物になっています。

    しかし、人間と自然は、同等どころか、

    自然は人間が征服するものだそうです。

    ここで、不思議なのは、

    人間は、神の所有物である自然を支配してもいいの?   あはは。



    近代合理主義以降、世界の先進国は、この論拠で、

    このキリスト教教理を根底に持つ西洋哲学で、

    日本も、その仲間として、皆で、人間の欲望達成の為に、

    自然を利用、破壊、作り変えて来ました。


    地球資源を利用して価値を生み出す。

    それで、人間の生活の向上をはかって来た。

    これが、現在までの経済の目的であり行為そのものです。




    地球を破壊する限界まで自然を収奪してしまったのか...


    それが、自然を支配すると云う事なのか?




    自然を支配する。 -------- 西洋的自然観

    自然に感謝をする。-------- 東洋的自然観


    同じ自然でも、その対応はぜんぜん違います。





    ・・・自然への感謝、、、いかにも東洋的なのです。・・・・・・・・・・



    と、云うのは、

    この自然に感謝をする心が、持てなかったのが西洋の人たちです。


    えっ? そんな?  と思われますか?

    私自身も、海や山でバケーションをする外人の姿を思い浮かべて、

    ? ? と思います。   あはは。

    アメリカの人も、フランスの人も、やさしい人達です。

    人は馴染んで来たら、相手も自分と同じだって思い込むのですね。




    古来の日本人が自然を敬い、ありがたい! と思うのと同じような


    ・自然への感謝は、西洋のキリスト教にはありません。


    キリスト教では、感謝する対象は、この世界と人間を造った神です。



    ええ、収穫への感謝はありますが、

    それは収穫と云う恵みをお与えくださった神へ捧げるものです。


    宗教の教義ですから、いろいろあるでしょう。

    それはそれでいいのですが、


    それはそうだわ! 

    自分が支配しているモノに、感謝はしないものです。




    こう云う思想にかれこれ68年浸ってしまって、

    地球の資源がまるで無尽蔵にあるかのような?

    消費を奨励する経済がイニシアチブを取る近代合理主義の社会の中にいると、

    東洋の無常感など、どこ吹く風で、

    これが、天国に似ている感覚なのかしら ?  ほほっ。

    と云うような誤解すらしてしまいそうです。   あはは。


    経済が作る疑似天国を目指す社会にいれば、

    日本人の体の中からも無常感が蒸散して行くはずです。

    もう、ちいさな子供たちは、西洋のキリスト教徒の方と同じ様に、

    無常観って??? と云う人間になっているかも知れません。

    昨今、起こる事件などを想えば、そうかも知れないと思ったりします。

    我々は異教徒でありながら、

    自分は違うと思いながら、

    実は、もう、完全にキリスト教の思想圏の中で生きさせられている。


    これを、本気で自分の中から解除するのか?

    これを、このまま受け入れて、二元論の中で、

    無常観のない疑似天国の中で、

    埋もれて行ってしまうのか?

    考えなければいけませんね?    


    と云う事を、真剣に考えるようになりました。  あはは。

     



    四季のある自然と共に生き、在るがままの自然を恐れ感謝をし、

    自然へ畏敬の念を抱いて来た我々の先祖の生き方とは違う、


    神への感謝はするが自然を支配するキリスト文明、 


    『時』軸の無いキリスト教理が生んだ天国を志向する西洋哲学、




    この天国の「楽」を追求する西洋文明が、

    此処に来て、初めて〝破局”と云う言葉を使い出しました。






    現代における我々を取り巻く地球環境の問題、

    この問題は、イギリスからの産業革命が起こって、

    神に対する人間の意識の独立、

    そこから生れたキリスト教を母体とする近代合理主義、

    世界中に、その近代合理主義が、広まって、

    近代国家が増えるに従って起こって来た問題ではありませんか?




    地球上の近代国家である先進国を全部巻き込んで、

    まるで王権を揮うが如く振る舞う経済、

    この地球上の問題は、経済が起している?

    誰もがそう感じていますよね!



    この〝破局”と言う言葉を発信したのは、またもや、西洋です。


    では、現代の自然環境の破壊を許した思想は、何?


    何度でも、言います。

    これでは、マッチポンプですね?   あはは。


    今日は、長大編になりそうです。   あはは。

    どうか、数回に分けてお読みになってくださいね。







    今日の記事は、

    コメントへのお返事 20.  神に成り上がった経済  「苦」と「楽」について 3.






    実は、今日の記事に、ジャン=ピエール・デュピュイの著書、

    『 経済の未来 ー 世界をその幻惑から解くために 』の本を引用した記事を

    書こうと思ったのは、

    次のコメントの破局という言葉からです。

    前回の記事にいただいたコメントを紹介します。





    やあ、長編の記事、
    おつかれさん!
    ひさしぶりに大砲が轟く中、
    何度も目をこすりながら拝読終了。
    ものすごい音だ、
    今後も記事が長くなるようなら、
    分けて読みましょう。

    [破局]という言葉ですが、頭にチラつきました。

    cosmosさんの頭の中は、それ、前提ですか?




               [  ]は、編集で付けました。



    まあ、いつも励ましのコメントをお送りくださってありがとうございます。

    長い記事を、目を擦りながら!

    最後までお読みくださった事、深く感謝申し上げます。

    ところで、破局と云う言葉ですが、

    地球の破局、日本の破局、いろいろな意味がありますが、

    どの破局だろう? と考えてみました。

    私の頭の中は、今、特に、欺瞞に満ちた経済を憎んでおります! あはは。

    憎さ一千億倍! 憎たらしいですね、、、経済は!


    誰しもが欲と言うものがあって、お腹が空いていたら、

    目の前のおまんじゅうに手を出すだろう。

    その見え透いた人間の根性を的にして、弾を撃って来る悪党、

    それが今の『徳性』を失った経済です。

    そして、限りなく我々の消費の向こうに経済の成長があり、

    我々が幸せになれると云う天国を憧れさせる。。。

    みんな、嘘ですよ!


    かって、フーコーが、「人間が消滅するだろう」と述べています。

    これは、人間が、その人間らしさを失うだろと云う事だと思うのですが、

    近代国家が、便利さや「楽」を求めて止まない国民に、

    神に成り代わって、国民の望む医療の便利さや老後の快適さを

    与える代わりに、

    国民の命、健康、生死までを支配し、管理をするようになる。


    今回、日本で、

    40歳までの女性の卵子を冷凍凍結するのを許すのは国家です。

    本来、これは近代合理が排除した宗教、倫理道徳が決めるべきです。


    国が、近代国家と云う囲みの中で、宗教、その教理に成り代わって

    人間の命を扱い出したのです。

    いわゆる、善悪に係る、真理に係る部分ですよ!

    段々こうして近代合理に飼い慣らされて、

    我々は、自分の人生を国家の都合によって決めるようになる。

    我々の子孫は、最終戦争の兵士として、安全保障の同盟国の為に

    戦死をさせられるのでしょうか.....


    この足音が聞こえるから、

    数年前、このブログを立ち上げようと思ったのですが、

    今は、もっと、その足音は大きくなっている。


    それは、『陰』の抹殺から起こる当然の現象化ですが、

    これを、決して現象化させてはなりません。






    ◎ では、コメントへのお返事の記事です。



    経済が大事だって云う事は、重々理解しているつもりだけれど、

    ここまですると、何か社会全体がゆがんで来ている気がする。


    こう云う感覚を、お持ちではないでしょうか?


    ----- そう感じているのに、口に出して言えない。


    おまえも、経済のおかげで「楽」になっているんじゃないか?

    昔の人と比べてごらん、まるで、雲泥の差だ。

    経済がないと、今は、何もできはしない。

    まず、経済なんだ!




    我々の感じている、この感覚は、正しいのです。



    今の社会は、経済を神の様に最重要に扱っている。

    そう感じている事は、図星だったのです。







    ――― ここから、ジャン=ピエール・デュピュイの著書、

    『経済の未来−世界をその幻惑から解くために』を参考に致します。




    まず、デュピュイは、

    人間社会にとって究極の「悪」とは何か? 

    と云う考察を読者に誘います。



    現代での最も恐れなければならない脅威は、悪意ではなく、

    善意で消費者に便利で効率のよい商品を作り出す産業が生み出すだろう

    と予告していたが、その通りになっている。

    いまや怖れるべき事は、数々の悪意なのではなく、

    むしろ国際原子力機関のような、

    法的自己防衛としてのコンプライアンスのような、

    無人格な監査人組織に正当性を保証してもらうような、

    いいかえれば全世界に平和や秩序や安心をもたらそうと云う正当性を

    当てがわれた組織体の営為そのものなのである。

    そう云った善意に溢れた産業や組織体が、脅威を生み出すのだ。




    その通りです。

    制度や法律で、悪は止められません。

    制度や法律や組織や機構、システムは、人間の意識が作ったものであり、

    『陽』ですから、「偽性」が伴います。善悪に通じます。


    現代の悪は、正義の為の制度や機構、システムが犯す悪であり、

    個人が犯す悪よりも、社会的な影響は広く深刻です。





    我々が将来、回避する事が可能なリスクと、

    将来にわたって回避する事が不可能な「破局」は違うと云う事、

    産業社会が、生態系の深刻な破壊に直面しているのに、

    道具的合理性と経済的論理を優先して、

    未だに現実的対策を科学的検証に優先させる予防原則を導入しつつ

    リスク管理社会による延命を図っている。


    なぜなら、現代が直面している現在進行中の人類の危機は、

    もはや計算可能な管理できるリスクではなくて

    未来に起こるものとして、現在と未来との間に、必ず起こる破局だからである。




    もはや、現代の破局とは、管理できるリスクではなく、

    ちょうど、日本列島が、30年以内に、必ず見舞われると云う

    南海トラフの巨大地震と同じなのですね。

    地震自体を防ぐ事はできないけど、大地震が起こる事を受け入れて、

    後は減災の努力しかない訳です。






    デュピュイは、

    【経済】という考え方が生れた必然性について、

    近代合理主義の社会において、なぜ、経済(と云う概念)は生み出されたのか

    それについて次の様に述べています。



    近代合理主義によって近代化された社会は、

    絶対的存在である宗教を公的な場から排除する事で成立し得た存在です。

    この近代社会、近代国家にあっては、

    排除された宗教に代替する安全装置として期待された物こそが、

    経済に他ならなかった。






    近代合理主義は、

    西洋におけるキリスト教の神からの人間の独立運動です。

    原則的には、個人の信仰心は認めていますが、

    近代社会、国家の基軸や機構、判断から、

    意識では掴む事のできない無意識下や宗教を排除しています。


    ------ これが、東洋で云う処の『陰』の無視、

    近代合理の致命的欠陥です。




    排除した宗教・神の安全弁としての役割の代わりを、

    経済に託しました。

    つまりは、経済が、近代国家の中心的存在になったと云う事です。




    ここで、ちょっと注意書きをします。

    近代合理主義は、宗教を非合理として排除しました。

    この場合の宗教とは、キリスト教です。

    西洋の観念論哲学が、相手にしているのは全て、キリスト教の神です。

    西洋人は、このキリスト教の神をどう扱うのか?

    と云う点において、ずっと苦労をして来ました。

    神学論争や王権を脅かす教会の権威と王との権力争いです。

    また、神や教会と云うのは、人間を縛る桎梏でした。

    神や教会の権威に束縛された長い歴史の流れから

    それらに対抗をして生れた思想群の一つが

    近代合理主義です。

    西洋の歴史の中で、自由と平等の獲得と云うのは、具体性があります。

    自由とは、神から自由になる事だったのです。

    西洋人にとっては、

    神から、人間の意識が自由を得たのです。
     

    ここが、日本人の自由論とは、まったく違います。


    欧米の近代国家ではキリスト教の信仰はそのまま温存され、

    近代国家の礎としてのクリスチャンの宗教心が生き続けて、

    近代国家自体を支える役割をしています。

    例えば、アメリカ大統領は選挙で選ばれますが、

    その結果選ばれた大統領は、【神の意志】で決まったと見做されるのです。

    政治的な存在に宗教的権威が後にある社会です。

    だから、途中で何があろうと日本の様に引きずりおろしません。  あはは。

    毎年、総理大臣が変わるなんて! ありえないのです。 

    社会的成功も、神の恩恵です。

    神の恩恵で手にした財産は、隣人に寄付をするのが当然と云う考え方です。

    寄付の行為が宗教心の発露なのです。


    宗教心の温存が、日本の近代化の歴史とは全く違う様相になります。 


    日本での社会的成功は、自分の努力と実力です。   あはは。

    まず、我々を考えてみてください。

    欧米のキリスト教のような近代化以前から信仰している宗教を

    国民のほとんどが持っていますか?  

    形だけの初詣でとか、ばかり、、、

    心から日々信仰をすると云う事は、ないでしょう?

    現在の処、深く仏教や神道に帰依していると云うような人は少数派です。

    また、総理大臣や天皇を、神や仏の思し召しと思って受け容れていますか?  

    いいえ、この点において、まったく欧米とは違いますね。

    日本は魂もなく、丸裸になって近代化を成し遂げました。

    元々、魂らしいモノがあったのか?    あはは。

    地球上での、唯一の純粋種ウイルスを体内で培養した近代化病です。

    これは命取りになるかも知れません。ご用心あれ!







    では、再び、デュピュイに、戻りましょう!   ほっ。



    近代国家で除外された宗教、キリスト教の神の代わりに

    人間の意識が作り上げた社会の安全弁になった経済でしたが、

    2008年、世界金融危機を契機に、

    その安全装置としての経済も、その役割を果せない状態。自失に陥った。


    と述べています。 


    彼の履歴は、フランスの名門校エコール・ポリテクニク(国立理工科学校)で

    長年、経済学を教えて来た人ですが、

    現在はアメリカのスタンフォード大学で哲学を講義しています。

    デュピュイは、経済とは、何か? を考えて来た哲学者です。

    当たり前ですが、西洋の哲学で考えて来たのですね!

    西洋の哲学で!   惜しいですね、、、  ほほっ。


    デュピュイが、この本を書くきっかけになったのは、

    2011年のノーベル経済学賞の受賞者である

    アメリカのクリストファー・シムズとトーマス・サージェントが、

    「ユーロ圏の公的債務危機を解決するなんて経済理論から見れば、

    簡単!邪魔をしているのは政治ですよ!」と言っているのを耳にして

    その思い込みに対して、デュピュイがキレたからです。




    経済危機への処方箋が書けるのは、経済学だけであると云う思い込み、と、

    市場のみが経済に審判を下し得ると考えがちな現代人の思い込み、と、

    それを、ノーベル経済学賞の受賞者でさえ抱いている思い込みを、

    デュピュイが、西洋哲学の全てを使って、

    全力で突き崩そうとする闘争心から、

    この本を書こうとしたに他ならないのです。 




    その気持ちが、本の題名にそのまま表われていますね。

    『 経済の未来 ー 世界をその幻惑から解くために 』

    いわずもがな、ノーベル経済学賞の受賞者でさえ、

    こうなのですから、庶民においてをや、、、ですね!    ほほっ



    しかし、哲学者のデュピュイが、

    ノーベル経済学賞の受賞者でさえ抱いている思い込みに、キレて、

    全力で突き崩そうとする闘争心が、その道具として使ったのが、

    西洋哲学の全てだったと云う点は、疑問を持ちます。

    まさか!合理主義下で、国家の安全弁までに成り上がった経済を、

    同じ合理主義で突き崩せると思ったのでしょうか?


    合理主義も、過去からの西洋哲学全般は、

    みんな同じキリスト教を母体として派生したロジックです。

    その哲学群は、全て神が中心です。

    すべての世界観、自然観、人間観が共通のはずです。

    まして、キリスト教理の持つ物質文明、欲望の肯定、二元論と云う

    おなじDNAを持つ思想たちであります。

    その一卵性多胎児同士のような思想群の中で、

    近代合理主義で神の如く力を持った経済を、突き崩す力を持つ相手を

    見つけるなんてできる訳がないと思うのですが?

    皆さんは、どう思われますか?


    これに関して強く印象に残った事は、

    西洋人のクリスチャンであるほとんどの哲学者にとって、

    いわゆる哲学とは、キリスト教哲学だけを指すのでしょうね、、、

    非常に、残念でしかたがありません。

    もしそうならば、

    これは哲学の研究の為だけのアプローチではない訳ですから、

    全地球規模の破局を回避する為のアプローチであるならば、

    西洋哲学だけに限る事は、非常に不合理であります。


    もしやしたら?

    西洋の知識者、知性派の人たちにとって、無意識下と云う世界は、

    かなりハードルが高いに違いないのかも、と、、、ほほっ。

    実にモッタイナイ事です。





    デュピュイは、資本主義について、こう述べています。




    資本主義を時代の経済哲学として続けていく条件は、

    資本主義が不滅であると信じる事である。

    経済学者たちが経済について語る時には、資本主義経済の破局は語らない。

    常に、経済の未来の成長が語られ、絶対に破局は語られない。



    なんだ、そうなんだと、、、思うでしょう?    あはは。

    結局は、子供をダマシダマシ連れて行くのとおんなじ、 ほっ。

    経済がずっと成長を続けるなんて、おかしいよ?

    消費し続ける経済の発展を信じる ----- これは宗教です。

    消費を支える地球資源の担保のないニセ宗教です。


    日本では、経済の成長の為には消費! 国民は消費をするように!  

    そう云う宗教のお触れが出回っていますわ!   あはは。

    そう、たしかに、経済は近代国家で神格を得ています。

    この神は、我々を、

    地球資源の破局、人類の破局へと突き飛ばすのね!?  恐い!

    発展理論しか唱えない経済、

    この邪宗教を信じる大人の生き方を見て育つ子供は、

    滅びると云う東洋の言葉を理解できないだろうな、と思う。

    東洋の無常観もブッ飛んでいるわね!    




    デュピュイによる現状認識は、こうです。




    絶対に、自らの破局を認めずに、成長を説き続ける経済的思考が、

    ますます猛威を増して、

    社会を飲み尽くそうとしている現状に警告を発する。

    この自らの破局を認めない経済自身が、未来を信じていないのではないか?

    政治を含め、社会の全ての価値の最上階へ登りつめた経済は、

    自分をコントロールできなくなっているのではないか?




    その通りです。



    、、、経済自身が、未来を信じていないのではないか?

    、、、経済は、自分をコントロールできなくなっているのではないか?



    おや、おや? 経済学者で哲学者であるデュピュイにとっても、

    経済は、掴み処がないのですね!?     ほほっ。

    経済と云う人間が作った概念が、人間を超える事は無いはずです。


    このブログでは、何度も書いてきた事ですが、

    意識は五感を通した環境から集めた現在しか解っていない。

    環境にない未来は感覚で掴めない、分からないのです。

    この意識を中心に据えた近代合理主義に基づく経済が、


    ------- 未来が分かるはずもない。





    では、どうすればよいのか?



    デュピュイの答えは、こうです。



    我々の世界が「破局」する ------ 我々の未来イメージ、

    これを、全員が、その両肩に担いつつ共有する事で、

    破局の回避を窺(うかが)うしかない。

    破局の到来が確実であると認める事が、

    逆説的には、最悪の破局を回避する最善の方法である。



    これは、ウルリッヒ・ベックの論、

    地球規模の【*注】カタストロフィーの予感が広く共有される事で、

    国境を越えた新たな責任の共同体の成立可能性は高く保たれる。

    に通じる考え方です。


    【*注】カタストロフィー・カタストロフ(catastrophe)

    フランスの数学者ルネ・トムが創作した数学の専門用語、

    1972年にカタストロフィー理論で、不連続現象を扱う数学的理論。

    不連続な現象を説明する画期的な理論として 一時注目を浴びて、

    広くいろいろな分野で研究された。

    自然界および人間社会の大変動、変革、大詰め、悲劇的結末、破局



    東洋においては、

    数学のカタストロフィー理論を出すまでもなく、

    この現象界は、無常。

    常ならざる処なのです。

    いずれ、こうなると分っていた事、驚く事もない。

    それを知らなかった経済学者の無知、

    繁栄が、永遠に続くと云う幻想こそキリスト教の天国思想の害悪です。


    東洋では、「苦」と「楽」とは一体です。

    「苦」は「楽」へ変り、その反対も然りです。


    無意識の内に、我々は「楽」を選びながら、「苦」を捨てているのです。

    捨てたつもりの「苦」が、積もり積もって「大苦」になって、

    今回の破局となって、押し返して来るのでしょう。

    先ずは、破局の共感の前に、

    「楽」ばかりを選んで集める意識は、良くないと知らせなければ、、、




    地球上に生きる我々全員が、

    この破局の恐怖を同時に共感する事がなかったら、

    この破局を乗り越える事はできない。とは?

    方法論としては、理解しやすいのですが、

    いかにもいかにも観念的な方法論ですね!

    それをどうして実現するのか? 


    それが、question です。  あはは。

    すばらしいご提案ですが、具体論は?  ほっ。

           
    それより、そもそも、

    今まで、どうしてこうなると分っていながら放置して来たのか?

    今になって破局を受け入れる連帯感を説く鋭いセンスが、ありながら、

    惜しいですね。



    そもそも

    経済だけが悪いのですか?


    そう云う経済を生んだ近代合理主義、それを生んだキリスト教の歴史、

    そこまで、西洋思想を客観的に分解、解体できないのですね。

    経済を動かす人間自体への深い人間観の欠如と反省が欠けています。


    まず、本当の原因論を

    破局論の前に、それの原因を皆が分って共有できるようにしなければ、

    破局論だけの同時共感なんて、むずかしいのではありませんか?


    この原因は?

    自分の欲望が原因だと、皆が反省しなければ共感は生まれない。


    日本ですら、

    脱原発に、国民の大半がまとまる事は難しい、、、

    このまま行ったら、地球資源の枯渇、地球自然の破壊、

    各国間の食糧と資源の奪い合いの戦争の勃発に通じます。

    まず、各国の政府を、まずEUから説得をするべきです。

    各国の対応は、その政府に任すしかありませんでしょう。





    地球温暖化や巨大災害と云う破局の到来を認める事なくして、

    それが、間違いなくやって来ると云う認識をするしか、

    我々は、この危機を乗り越えられない。



    と、デュピュイは、言います。


    突飛な感じがしないでもない、、、

    周りの状況に揺れ動く意識の果かなさを感じます。

    どんなに賢い方でも同じなのですね。  ほほっ。

    生存の危機感の中から、今のエゴの枠を乗り越えるしかない、と

    云うのには共感できます。


    これは、今年の 7月 9日の記事、

    コメントへのお返事 18. <近代化の奈落 3.> 「苦」と「楽」について 1.
    に同じ様な事を書いた記憶があります。



    過酷な天候に巻き込まれれば?

    自分の体力を見誤ってしまえば?

    水分と塩分を入れたザックを谷底へ落としてしまったら?  ほほっ。

    こう云う喫緊の制約の緊張感を克服して、

    登山から無事に帰る、と云う、

    意識が一番恐れる死を克服して【人の生存欲を満たす】レベルまで、

    意識の欲しがる「楽」のハードルを上げた時、

    初めて意識は、意識の限界「苦」の瀬戸際を感じて、

    (無意識の支えで)未経験ゾーン「苦」へ飛び込む事ができるのです。


    意識は、必死な状況に直面しないと、

    方便の「楽」は、絶対に手放さないでしょうね。



    つまりは、この命が危ないかも知れない崖っぷちを感じて、

    初めて、何が生きる為に必要な、実に役に立つ力は、何なのか? 

    を、自然の制約・摂理の中で、

    初めて、意識は徹底的に学ぼうとするのです。

    余裕があったら、意識は、そりゃ「楽」がいいもの、学ばないでしょう。





    最後に、デュピュイの経済に対する見解です。




    地球温暖化や巨大災害と云う破局の到来を認める事なくして、

    経済は、真に道徳的にもならないし、自らを律する事もできない。




       

    経済が間違っているのではなくて、

    それを派生させた近代合理主義の欠陥なのです。

    この破局の解決には、

    近代合理主義自体の欠陥の認識をする必要があるでしょうね。

    でも、これは、キリスト教徒の哲学者に期待するのは無理です。

    他を知らなすぎます!


    近代合理の欠点を克服しなければ、経済は、少しも道徳的にはならない。

    余計に、悪が隠れてズルくなるだけでしょう。



    そして、東洋の叡智である『陰』の存在を、

    西洋知は、受け入れなければならない時が来るのではないでしょうか?



    つまりは、西洋意識哲学『陽』の極みは、

    意識『陽』に囚われつづける事は、衰亡へ続くと云う事。

    意識『陽』に囚われつづける事は、命が枯れると云う事。

    意識『陽』に囚われつづける事は、家系が枯れると云う事。


    これに、まだ、西洋の知性は、気が付いていないのです。

    仕事柄、一個人の商売の儲け話や、恋愛の成就、離婚の相談など、、、

    さまざまな事象をつぶさに見させていただいておりますが、

    まさに、運命そのものの自分の悩みを解決するのに、

    まったく傍(はた)迷惑を考えない、

    と云うのが、今般、当たり前の様になっています。

    個人の人権の尊重が個人主義に拍車をかけて、

    家も家族も、どころか社会の責任も顧みない風潮です。


    また、新聞紙上では、まるで物の様に人間の遺棄死体が

    毎日、発見される世の中です。


    私も凡愚の身で、エラそうな事は言えませんが、

    個人のその姿を助長させているのが、経済の為したモラルの破壊ですね。


    ええ、これは、もう、無理が通れば道理引っ込む、と云うように、

    欲が通る、札束が通る、私の満足が先だ! そこどけ! そこどけ! 

    欲望さまのお通りだ!


    これは、もう、目も当てられない、、、

    このままでは阿鼻叫喚(あびきょうかん)が現象化するのではないか

    と恐れる毎日です。


    阿鼻叫喚 = 【仏教語】阿鼻地獄と叫喚地獄を合わせ地獄の

    さまざまの責め苦にあって泣き叫ぶ様子。




    ええ、ええ、もう、経済の前線では、すでにそうなのでしょうね。

    日本の巨大商社が、巨大スーパーのバイヤーが、

    世界で安く買い付けて来る食料品のおかげで、

    我々の便利さ、快適さ、生活は確かに、まだ、守られては、いる。

    しかし、

    それらは、同じ人間なのに、後進国だと云う事で、

    経済水準が低いと言う事を利用されて、経済援助だと云う表看板で

    実は、低賃金で働かされている現地の人々、貧しい人々がいるから、

    我々の生活がデフレだと云われながらでも、

    成り立っているって言う事、

    それらの人達の犠牲の上だって云う事、

    御存知ですよね?


    我々は、それを狩猟民族の様に安く狩り取って来てくれる

    日本の商社のバイヤーよりも、独占的なスーパーよりも、

    遠く離れた同じ地球上の、どこかに住んでいる貧しさを我慢して働く

    現地の方々へ、感謝をしなければいけないと思います。


    いつかは、日本人も、そうなるかも知れない、、、



    日本の企業、メーカーは、

    低賃金で済む後進国を求めて、次は工場をアフリカへ移しています。

    中国は、もう、人件費が高くなったから儲けが少ない。

    それで、次はアフリカらしいのですが、


    そのおかげで、こんな生活が出来ると、、、



    でも、こんな事、いつまで続くの?

    私は、幸いにも?  経済学者ではありませんから、   ほー。

    解ってないよーー! と云われても平気です。  ほほっ。




    そんな他人を苦しめて、得た「楽」の代償は恐いと思うわ。

    いくら個人主義の今だって、自分だけが栄えればいいと云うのを、

    決して快くは思わない人間の心って云うものは、まだあるわね。


    私の職業は、そう云う人達の悩みを観る訳ですから、

    どうしてそうなったのか、つぶさに毎日それが、分かります。


    人間は、経済で生きちゃダメなんですね。

    『陽』を重んじた生き方には、命が生れません。

    後継ぎが出て来ません。

    『陽』に生きた人の家系は、孤絶して、衰えます。

    この恐ろしさを、真直に観ているのが、私の仕事ですから、、、


    近代国家は、

    世界中の国々が力に応じてそれをやっている訳です。

    それの競争、狂騒ですよね!   あはは。



    そんな麻薬のような事をやっていて、、、

    これは、世の中の破壊につながると考えざるを得ません。  ほっ。




    この現身が、世の中をどう生きるかと云う事が、

    そのまま個人やその御子孫の陰徳に反映されるのが運命となれば、

    全部大事な事でございます。

    逃げては通れません。



    逃げた「苦」は、必ず祟ります。   あはは。

    人は祟りませんが、他人に与えた「苦」は、必ず戻って参ります。


    今生れて来ている子供たちは、もう、

    こう云う因果応報の理法を知らないで育つのでしょうね。

    それを語る大人がいなくなるからです。

    これは、ほんの一例で、

    我々の先祖が残した東洋的な思想の伝統は、

    ボロボロと失われていっているのが現状です。


    どうか、これをお読みいただいている読者の方々は、

    ご自分の子供、孫、メイ、甥、近所の子供、だれかれ関係なく、

    機会があれば、東洋の事を言い伝えてください。

    此れをしないと、日本は溶けて無くなってしまうのですよ。

    精神が無くなれば、その体が滅びるのは自明の理です。


    日本は、68年前から、

    我々の心は、クリスチャンでなくとも、

    我々の命は、二元論の放射線を浴びています。


    そして、東洋智の故郷から遠く離れた異教の空間に生きています。


    知らない内に、

    キリスト教世界観の中で、生きさせられているのですよっ。

    それを自覚しないといけない! と思います。

    自覚して、その後は、いいか、悪いか、自分が決めるのね!    

    フワフワと浮き草ではダメです。

    日本は、68年前から浮き草のようだから、

    キリスト教の教理で作り上げた戦略の中で、思惑の中の役割を

    させられているのです。

    その証拠に、

    本当は欲しいと思わなかった原発を、

    国策として作る処まで踊らされたのはどうしてですか?

    事故が起こって、イヤだイヤだと云っても遅いと云う勉強はしましたね。


    どうして、こうなったかは、自分の頭で、

    自分の思想で考えて来なかったからです。

    よく、東洋と西洋の違いを知って、

    自分は今、どっちに立っているんだと云う自覚をしなければダメです。

    また、うかつな事をしてしまうからです。



    実はもう、うかつな事をしてしまって、、、

    地球の現状も弁えないで、

    自国の経済の指標に奔走するエコノミック・アニマル!

    それを先進国と云うのですね?

    日本は、先進国とみられているのですね?


    あ――、、、

    もう、こんな恥ずかしい先進国日本は、結構です。


    東洋には、どうして、

    この栄枯盛衰の理(ことわり)があるのか? 見抜けたのか?

    これは、もう、長くなりすぎて書く訳にはいきませんが、


    たしかな事は、

    68年前の日本は、見抜けなかった、

    イヤ、もっと、前に、その敗因はあるのですが、

    一応は、68年前にしておきましょう。   ほほっ。

    今が、その結果です。


    今、我々が直面している地球環境の問題は、

    運命学が解く処の、

    『極陽』の華々しい現象化を生むのは、調和を失ってしまう前兆である。

    最後の『陰徳』をすべて出し尽くして失って行く姿です。



    近代合理主義が、その欲望を燃やし続け過ぎて、

    『極陽』の繁栄を欲しいままにした見返りです。

    我々の命を最上の価値としない経済至上主義と云う神を祀り上げた

    その間違った思想性の中味が、そのまま現象化しているのです。


    この地球の現状から判断をすれば、

    近代合理主義と云う思想が、

    『陰』・命の根源・無意識を傷めつける『極陽』の思想であると云う

    間違いない証拠であります。


    この思想では、我々はしあわせにはなれません。

    地球と云う自然も我々の命も守れないはずです。

    東洋運命学ではそう認識を致します。


    その事を研究していただきたいものです。

    急務です。




    次回は、

    デュピュイの「 経済の未来 」に対する反論の続きを

    引き続き書く予定です。

    その中で、

    東洋には、どうして、

    この栄枯盛衰の理(ことわり)があるのか? 見抜けたのか?

    に触れて行きますので、お楽しみに。



    コメントへのお返事シリーズは、今日で一旦終わります。

    まだまだ、取り上げさせていただきたいコメントはありますが、

    また、次の機会へ。  かならず!

    よろしくお願いします。


    やっと、秋、  ほっとしますね!

    次の更新まで、よい日々を、、、




























    参考文献 :「 経済の未来 ー 世界をその幻惑から解くために」

    ジャン=ピエール・デュピュイ著  森元 庸介(翻訳) 以文社


    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。

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    No title

    むずかしかったですねー。でも熱意が伝わっているので、一生懸命読みました。

    No title

    今回の記事は大作ですね。
    「破局」と一言お尋ねしたら膨大なお返事をいただきました。
    目を擦りながら2回に分けて読みました。
    読む端から忘れて行くのはどうしたもんじゃろ、、、
    一言でここまでなら、
    もっと書いたらどんな記事を書いてくれるだろうかと
    おそろしい、
    cosmosさんの頭の中は何が詰まっておるんや?

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    No title

    おはようございます~~♪
    今朝は起きたら結構な強さの雨。
    このところ関東は2日続きの竜巻の被害。
    これからどうなるの?と不安になってしまいます。

    東洋と西洋の根本的な違いが少しづつわかってきました。
    言われてみればキリスト教では確かに天国で終わりですね。
    日本の中には輪廻転生とかあったけど最近はそういう言葉も聞かなくなってきたような・・・
    一回限りの人生なら・・という考えと 巡り巡っての人生もあるとなると考え方も生き方も違ってくるかもしれませんね。
    子育て中はどっぷり近代化の中の考えで子供育ててたような気がして
    今になって思うとちょっと怖いかも(。_゚)〃ドテッ!

    No title

    今朝、ピカッ! と、窓ガラスが光って目が覚めました。。。=
    驚いて、外で道路工事? こんな朝方から、、、、、と起き上ったら=
    ゴロゴローと遠くで雷が鳴る、、、もう、ここは東南アジアになっちゃった!=
    というような目覚めをしました。=


    日本でも、おだやかな朝がなくなって行くような気がします。=


    2日前には、埼玉と千葉で竜巻が、昨日は栃木で竜巻なんて、、、=
    なにか、言葉にはできないさざ波を体で感じているようです。=


    ちょうどここ2カ月の間に読ませていただいた地球の現実、そして現代のゆがみ、=
    記事の内容が、あまりにもそっくりそのまま起こって来ている凄みを感じています。=


    みんな、テレビもそうですが、自然や天候がおかしいとは言いますが、=
    だれも近代合理主義の事に気が付かないです。=
    大雨というよりもスコールですね、亜熱帯気候になったみたいです。=
    ひょっとして、cosmosさんのこのブログは、時代の先端行っていますね。=

    No title

    2020年のオリンピック、東京に決まりましたね!

    周りのみんなが喜んでるのを傍目に見ながら、なぜだか喜ぶ気持ちになれない自分が。
    へそ曲がりですね~(笑)でも「旺ずる極みは、衰」という言葉が思い起こされてしょうがありません。

    economic 訳して「経済」ですか。
    経済の元は「経世済民」からとったと聞いた事がありますが
    本来の言葉とはかけ離れた、まさしく西洋的な状況にあるのだな、と本ブログ拝見しつつ。

    7年後、とてもオリンピックどころじゃない状況になっていなければいいがと取り越し苦労してます。

    次回も楽しみに待ってます。
    季節の変わり目、風邪などひかぬようご自愛ください。

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    Re: No title

    鍵コメントさんへ


        > でも暫く登山もしてないので筋肉痛に、、、


         そうなのですか、、、
         日が空くと筋肉が遊んでしまいますものね。
         だいたい2週間おきに行くようにしていますが、どうしても暇がない時は、
         高尾山へ行って、足慣らしだけ、、、します。
         もう、高尾山へは、今年で4回位行きました。
         山は、今が一番の紅葉の時期です。がんばって行ってみてくださいね!


             いつもありがとうございます!e-420 cosmos

    Re: No title

           鍵コメントさんへ


           > むずかしかったー。一生懸命読みました。


           あはは。それは大変でしたね。
           むずかしいと、思いながら書いています!   ほほっ。
           長いし、読んでいただくだけでもうれしいですね。

           今回のも、どうぞ、よろしく!


            いつもありがとうございます!e-420 cosmos

    Re: No title

    > 今回の記事は大作ですね。
    > 「破局」と一言お尋ねしたら膨大なお返事をいただきました。
    > 目を擦りながら2回に分けて読みました。
    > 読む端から忘れて行くのはどうしたもんじゃろ、、、
    > 一言でここまでなら、
    > もっと書いたらどんな記事を書いてくれるだろうかと
    > おそろしい、
    > cosmosさんの頭の中は何が詰まっておるんや?


    ★いや、お返事をと思ったら、長大文になってしまいました、、、
    目を擦りながら読んでいただいたのですか?    あはは。
    頭の中? 普段は空っぽですのよ!
    遊びや山の事ばかり、、、
    東洋学になると、急に、滝の様に言葉が、出て来てしまいます。。。  あはは

    今回の記事が、最終編です。
    次からは、少し軽いのを書きたいなあと思っています。


        いつもありがとうございます!e-420 cosmos

    Re: No title

           鍵コメントさんへ


    > 、、、、近代合理的な思想にはアレルギー?をも感じます、、


    あはは。よい傾向ですね!
    私なども、近代合理の理論は、もう飽き飽きしていますよ。
    絶対に、本質論はありませんし、結局は、自分がどう思っているかと云う事です。
    なにの解決にもならない事を聞いているのも、怠くなります。  あはは。


    > 高尾山、私もいつか行ってみようと思います、双眼鏡を携えて。


    ええ、どうぞ、気楽に登れる山です。
    私は、遠くに行く暇がない時は、足慣らしによく行きます。
    高尾山口から頂上を越えて、小仏のバス停へ出たり、相模湖まで行ったり、いろいろです。
    体を鍛える事は、可能性が広がります。


    > 深遠なる東洋の世界を学ぶべく、さらに邁進していきたく思います。。


    ええ、頑張って進んで行ってくださいね!
    前々のお答えしないといけない案件? がありましたね。  ほほっ。
    忘れてはおりませんので、いずれ記事に致します。今、しばらくお待ちくださって、、、


        いつもありがとうございます!e-420 cosmos
     

    Re: タイトルなし

           鍵コメントさんへ


    > 前回の記事のコメントにお返事をいただきましたが、
    > cosmosさんへ、私の気持ちを伝えられなかったかんじがするので、


    ええ、そうですね!
    私は、日本の事だけに関して問題にしておりました!
    他国については、その通りですね。


    いずれにしても、すべて「戦争」が生み出したものではなくて、

    便利で楽な生活をするために、その実現の為に戦争をしてきたのです。
    誰が?
    便利で楽な生活をしたいと望む人間の意識が、戦争をするのです。
    いいですか?
    意識は五感の満足を欲しがるのです。
    五感で「苦」を感じたくないのです。
    だから、「苦」を避けて「楽」を手に入れる為に戦争を肯定してきたのです。


    犯人は、「戦争」ではなくて、我々人間の意識です。


    過去の記事ですが、
    http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/blog-entry-176.html に、

    原爆から原発へ意識が変わって行った事について書いています。



    全記事のタイトルリストを次から出して、

    http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/archives.html

    その中の

    2011年 9月10日 ~ 10月30日の記事 無意識の不思議1,~8,に、

    意識の誤謬、欠点について書いてあります。

    一度はお読みになっていると思いますが、

    このシリーズをもう一度読んでみてください。



    >「絶対に戦争に勝って、相手国を絶対的に支配したい」


    自己の利益「楽」の為に戦争と云う手段を取ってきたのです。



    >「原子力を手に入れれば、戦争に有利で国のためになるのだ」という、強烈な欲望が、、、


    この欲望こそが、自己が「楽」になりたい欲望です。
    その為に、意識は他者を殺戮してまでもその「楽」を手に入れようとするのです。
    それを思想的に許しているのが、近代合理主義です。

    ● 強烈な欲望自体が、意識そのものなのです。
    ● 強烈な欲望自体=意識そのものの働き



    私の記事は、この事ばかりを書いています!    あはは。
    もう一度、意識に関する過去記事をお読みになってくださいね。




    >脱原発ができない理由は、
    >原子力でエネルギーを得て、便利で楽な生活をするためのほかにも、
    >「戦争」が生み出したものであると思います。


    >脱原発ができない理由は、
    戦争を肯定するロジックを作り出す意識そのものです。
    脱原発ができない理由は、意識のせいなのです。
    事ここに至って、自分の欲望を我慢できない近代的自我の意識です。
    地球がおかしくなっているのに、それでも「楽」をしたい近代的自我の意識です。


    その意識を中心にした近代合理主義の思想を世界中が根本にしているからです。
    近代合理主義と云うのは、欲望中心の思想です。
    この思想圏にいる限り、無理です。
    なんだかんだと理由を作って止めないでしょう。
    もう、瀬戸際まで行ってもダメかも知れないですね。
    それを記事で「破局」と言っています。
    近代合理主義下では、人間は自分の欲望の為にしか生きられないのです。
    意識は、今現在の自己満足の為に、未来の自己破壊を選んでしまうのです。
    意識は、今現在と自分を守りたいのです。
    これも、過去記事に書いています。
    つまりは、「楽」を求める思想=近代合理主義が。その原因です。


    今日の更新した記事にも、ディズニーを取り上げて書いています。


    支配すると云う言葉ですが、観念的西洋哲学の非常に意識的な近代合理主義的言葉です。
    獲物を支配したい狩猟民族ならではの自己の欲望の確認、その為の言葉でしょうね。
    西洋においては、自分の意識を強く主張する為に、支配すると云う言葉が生まれたといえます。


    その反対に、東洋では仏教でも儒教でも、支配などと云う言葉はありません。
    ひとまとめに煩悩といいます。
    私のブログをよく読んでいただくとお分かりだと思うのですが、
    「楽」は、仏教的な言葉です。
    あらゆる欲望、煩悩の満足の頂点に立つ事を「楽」と云います。
    だから、「楽」の中には、西洋的な狭い満足である支配欲の満足も含まれるでしょう。
    そもそもそう云った煩悩の満足「楽」を求めて人間は原発を作ったのです。

    仏教的に云えば、原発を作ったのは、人間の煩悩です。
    戦争をするのも、人間の煩悩からです。
    意識と云うのは、近代合理の言葉です。
    記事の中では、煩悩と云う言葉よりも読者に分かりやすいだろうと思って、
    そうしています。
     

    > >『極陽』の姿を未練なく捨てて、『女徳』を選べるか? 
    >
    > 山口百恵さんは、女系の生まれの有名人でも、女徳を選んだ方なのでしょうか?
    > たぶん女系だと思われる有名人の中で、山口百恵さんのことが気になっています。


    芸能人を止めて、家庭に入ったのはあっぱれでした。
    しかし、本当に女系を克服できたかとなると、不安な点が多々あります。
    まず、生活力ですが、本当に夫の力だけなのだろうか?
    この内情は、外からでは分かりませんね。
    結婚当初、百恵さんの収入で、2億円のマンションを買ったのは報道されていましたが、
    こう云う事をするとよくないのです。
    息子は2人生れています。これは、よい兆候ですが、
    彼らが結婚をし、子供をもうけられるだろうか?
    まず、孫を持つ事ができるかどうか?
    それが、曾孫へと続くかどうか?
    3代見なければ、、、確定はできませんね。
    7代までは、慎重に生きて行く事が大事です。

    そこまで、女系になると云う事は、大変なことなのですよ。 ほほっ。

        
       いつもありがとうございます! e-420 cosmos

    Re: No title

    > おはようございます~~♪
    > 今朝は起きたら結構な強さの雨。
    > このところ関東は2日続きの竜巻の被害。
    > これからどうなるの?と不安になってしまいます。
    >
    > 東洋と西洋の根本的な違いが少しづつわかってきました。
    > 言われてみればキリスト教では確かに天国で終わりですね。
    > 日本の中には輪廻転生とかあったけど最近はそういう言葉も聞かなくなってきたような・・・
    > 一回限りの人生なら・・という考えと 巡り巡っての人生もあるとなると考え方も生き方も違ってくるかもしれませんね。
    > 子育て中はどっぷり近代化の中の考えで子供育ててたような気がして
    > 今になって思うとちょっと怖いかも(。_゚)〃ドテッ!


    ★大変なあつさの夏も終わり、ほっとしましたね!   あはは。
    これもco2の削減をしていない事が原因と思うと、罪深いですね、、、
    これからの子供達が大人になる頃は、どうなるのだろうかと不安ですね。
    リンダさんだけじゃなくて、日本中の子育てが、そうだったのではないかしら?
    日本の将来が、ちょっと恐いかも?   あはは。

    長い記事を丹念に読んでいただき有難うございます。
    いつもありがとうございます!e-420 cosmos

    Re: No title

    > 今朝、ピカッ! と、窓ガラスが光って目が覚めました。。。=
    > 驚いて、外で道路工事? こんな朝方から、、、、、と起き上ったら=
    > ゴロゴローと遠くで雷が鳴る、、、もう、ここは東南アジアになっちゃった!=
    > というような目覚めをしました。=
    >
    >
    > 日本でも、おだやかな朝がなくなって行くような気がします。=
    >
    >
    > 2日前には、埼玉と千葉で竜巻が、昨日は栃木で竜巻なんて、、、=
    > なにか、言葉にはできないさざ波を体で感じているようです。=
    >
    >
    > ちょうどここ2カ月の間に読ませていただいた地球の現実、そして現代のゆがみ、=
    > 記事の内容が、あまりにもそっくりそのまま起こって来ている凄みを感じています。=
    >
    >
    > みんな、テレビもそうですが、自然や天候がおかしいとは言いますが、=
    > だれも近代合理主義の事に気が付かないです。=
    > 大雨というよりもスコールですね、亜熱帯気候になったみたいです。=
    > ひょっとして、cosmosさんのこのブログは、時代の先端行っていますね。=


    ★もう、本当に『天』のお怒りは如何ばかりかと、、、
    毎日、『天』を仰いで、謝ってばかり、、、    あはは。
    今年は、どうやら終わりましたが、来年はもっと? ほほっ。
    思いやられます、、、
    時代の先端? そうかも知れません。運命鑑定家ですから、  あはは。
    今回の記事も、長いので、読んでいただくのに申しわけないような気がします。 ああは。


       いつもありがとうございます!e-420 cosmos

    Re: No title

    > 2020年のオリンピック、東京に決まりましたね!
    >
    > 周りのみんなが喜んでるのを傍目に見ながら、なぜだか喜ぶ気持ちになれない自分が。
    > へそ曲がりですね~(笑)でも「旺ずる極みは、衰」という言葉が思い起こされてしょうがありません。


    ★そうですね~、 あはは。
    冷や水を浴びせようとは思いませんが、どうなんだろうと云う気持ちですね。
    するからには、成功をしてもらう事が一番なのですが、、、
    日本に決定するだろうと思っていたので、
    日本はどうなるのだろうかと、その後の事を考えていました。



    > economic 訳して「経済」ですか。
    > 経済の元は「経世済民」からとったと聞いた事がありますが
    > 本来の言葉とはかけ離れた、まさしく西洋的な状況にあるのだな、と本ブログ拝見しつつ。
    >
    > 7年後、とてもオリンピックどころじゃない状況になっていなければいいがと取り越し苦労してます。
    >
    > 次回も楽しみに待ってます。
    > 季節の変わり目、風邪などひかぬようご自愛ください。


    ★いつもお気遣いありがとうございます。
    実際の社会の営みの中では、勝って行かなければいけませんし、
    これからの展望を、どう持って行くかと云う問題ですね。
    今日で、ちょっとヤヤコシイ記事は終わりました。   あはは。
    いつもご覧になってくださって感謝申し上げます。

       いつもありがとうございます!e-420 cosmos

    Re: No title

           鍵コメントさんへ


    > 国家、経済、教育、家庭、家系、、、分野は違えど、共通しているのは..

    > 進歩や成長、発展、、一見すると格好よさそうですが、、
    結局は先代が残してくださったものを使い尽くしている、ただそれだけで実態は薄っぺらいのですね。
    枯れた井戸のように思えてなりません。。オリンピックは喜べません(笑)


    鋭くなりましたね!  ほっ。
    心から喜べませんね、、、
    何が、進歩なのか? 発展なのか?
    中身を少しも言いませんね。
    たぶん、分っていないのでしょう。   あはは。


    > 仰るとおり皇族の方々、、、


    そうなのです。どうすればいいのかさえ分っていないでしょう。
    その前に、皮相的な処にばかり目を奪われて、そう云う現実にすら気が付いていない、
    そう思っています。
    ひそかに、心を痛めてきた事柄です。


       いつもありがとうございます!e-420 cosmos
    非公開コメント

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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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