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12/09 17:01 |
『老子』56章「和光同塵」 意識に囚われない生き方 3 ・ 有名(ゆうめい)無実Category : 孔子・老子・他
![]() 中國山水 今日の記事は、 『老子』56章「和光同塵」 意識に囚われない生き方 3 ・ 有名無実(ゆうめいむじつ) 「和光同塵」わこうどうじん------ 非常に有名な一節でございます。 ★ 老子を取り上げるのは、これで3回目です。 老子の思想にあるものと、四字熟語「有名無実」のコラボ、 老子の思想と、仏教の「有名無実」のコラボを、 いつか、やってみたいと思っていました。 ブログの読者のみなさまには、今まで『陰』『陽』を通して、 身近かに感じていただいているものです。 いつも、ザックリ『陰』と謂っている世界が中心になります。 ここが、東洋思想の本領地、本貫地です。 『陽』に相対しての『陰』は、 いままでの大雑把な一括りでいいのですが、 『陰』に焦点を当てると、ザックリひとまとめとはいかないのですね。 『陽』は、ひとまとめでもいいのですよ。 それを、分かり易い例えで比較しますと、 『陰』全体を、東京ドームとします。 (ありえないですが、、、ほっ。) 『陽』の現象界は、東京ドームの空気中に浮かぶホコリの一つ、 よほど日光を当てて見ないと分らない位のものです。 無意識界に対する意識界の存在は、その程度です。 実際は、ホコリ一つにも当たらないのでしょう。 我々は、自分が生まれ出たその母体である『陰』をそっちのけで、 見えないホコリ一つにも当たらない現象界で必死に生きている訳です。 一つのホコリ位の狭い現象界で、 みんなが押し合いへし合いモバイル端末を持って、 なんと滑稽な習慣を作ってしまったのでしょう、、、 わざわざゲームに熱中しなくても、 、、、自分の身口意がやった事の結果を背負うと云う、、、 ほっ。 逃げれば、逃げただけの数のオバケが追いかけて来ると云う、 我々が、まさに障害レースをしているのですよ。 あはは。 オバケの数を、どうしたら減らせるか? その事を解決する方が先のはずなんだけど。 オバケを背負ったまま自分が死んだら、 オバケは子供へ乗り移って子供が受け継いで、 最後、オバケが増え過ぎて背負えなくなったら負けなのよ。 この世に、誰もいなくなってしまう。 ----- 絶家です。 そう云うゲームを実際に、やっているんだから! ほほっ。 笑いごとじゃない。 我々が意識できる世界は、無意識全体の領域から云うとそんなものです。 その微細な意識できる世界を本物と思って、そこで勝負を掛けて、 中国が防空識別圏を、 普天間基地が、 特定秘密、、、、、、、 ほっ----- っ、、、 ため息がでます!!! 一つ一つに対症療法のような事をしないで、 どうして、そんな現象ばかりが出るのか、考えてみたらと思います。 宇宙ステーションだって、そのチリの中の事です。 あはは。 もう宇宙の利権争い? 馬鹿じゃないの? 『陽』が、どんなに狭隘な世界で命懸けで競争を必死にしている事か! 『陰』が、まだよく分らないんだよと仰るかもしれませんが、 無辺に無窮に広がるこの世界こそが東洋の神秘です。 ★ 老子が、彼の思想の中で〝玄”と謂っている世界です。 西洋の思想家が、想像だにできない世界が、そこに在ります。 西洋は、ここまでの世界に到達する前に、 「楽」を求めて天国と云う休憩所を作ってしまったのね。 あはは。 今や、休憩所ではなくて、目的地化していますが、、、ほっ。 老子の思想は、『陰』の入り口を指し示す道標と思っています。 入り口だと言っているのではありませんよ! ほほっ。 入り口を指し示す道標です。 まだ、入り口に至らずです。 これらの事を、 できれば、今回と、次回に分けて記事にしたいと思っています。 きっと、今までにない長い記事になる予定です。 適当に途中で切って、何回かに分けてご訪問ください。 よろしくお願いします。 東洋思想のプロローグの始まりの匂いを嗅ぐ、 その、おつもりで、、、。 ほほっ。 まず、今日は、老子の思想と四字熟語「有名無実」を、 1.「ブッダ」の尊称と釈迦について、 2.「老子」の尊称について、 3.「有名無実」について、 それらを踏まえて、今日の本論、『老子』56章「和光同塵」へ 行こうと思っています。 次回が、老子の思想と「有名無実」の仏教的解釈です。 計画通りに行きますように、、、、、、、ほほっ。 老子は、 『老子道徳経』を書いた人物とされていますが、不明な部分が多く、 老子と云う人物が実際にいたかどうか、実在は疑問視されています。 ----- 古代インドで、「ブッダ」が「覚者」を意味する様に ----- 古代中国で、「老子」とは「偉大な人物」を意味する尊称でした。 この「ブッダ」「覚者」や「老子」の尊称について、 ついでに釈迦について、ほんのサワリになりますが、 次回の記事の為に少し書いておきます。 「ブッダ」について、なにを思いだされますか? 「ブッダ」は、仏教を始めた人で、仏になった。 インドで生まれた。 仏像になって寺院に祀られている。 一応、その通りでしょうが、すべてではないのですよ。 ほほっ。 実に、意識が捉えられる限界はここまでなのです。 意識はそこまでしか手を出せない。と云う事でございます。 一般的に、我々が知っている「ブッダ」についての知識は、 おそらくよく知っている方にしても、 通俗的な領域を出ない、と思っています。 これは、我々の知識を馬鹿にすると云う事ではなくて、 感覚器官の情報に制限された近代合理主義の世界の時空の狭隘さ、 限界が原因なのです。 それは、まず第一に、 現在の学問、史学は、唯物的史観で成り立っていますから、 物的な証拠集めが最重要なのです。 これは、犯罪で犯人を特定する証拠集めと同様です。 そして、それに基づいて、 日記に書くように、いつ、どこで、誰と誰の子供として生まれた、 それから、どうして、どうなった、なにをして、亡くなった。 亡くなったら、あの世の事は意識には、解りません。 意識には理解不能ですから、死んで仏になったの? あはは。 一番肝心要の事柄が、曖昧で、想像の域を出ないのです。 学問が、「ブッダ」に関する全てを片づける事ができない。 「ブッダ」は仏教の創始者ですから、 取りあえずは無意識界が対象になるのですが、 学問は、無意識界の領域は、無いとして放置する。 無意識の領域とは、神仏の領域もアリ、の世界なのですよ。 近代合理主義が非合理的と捨てたものです。 だから、学問では「ブッダ」全てを網羅する事ができないのです。 現代科学は、 意識で捉えられないものは、非科学的なオカルトのレッテルを貼ります。 曖昧で、想像の域を出ない、、、 その隙間に、スピリチュアルの必然性があると思っています。 キリスト教理の二元論が産んだ双子、 一人が近代合理主義の物質文明、もう片方がスピリチュアルです。 近代合理主義の物質文明の欠陥を埋めるべく生まれ出たのです。 その存在は、二元論の世が続く限り、です。 学問も学問です。 真理を見つける。と言う。 どこで? 見つけられるのでしょう? 意識で、意識界だけを探索して、 真理が存在する無意識の領域を無視して、よく言えたものです! 一片のチリの世界などに、真理はあるものですか! ほっ。 科学とは、五感で掴めるものと、 掴めないもの、との間に、 ボーダーラインを引いて回る事ですか? そのボーダーラインの外側は、無いものとして無視をする。 そのやり方で、この世界を狭くして来たのは、 どこのどいつですか? 「ブッダ」も同様に、インドに生まれて、、、、仏になった。 近代合理主義下では、 これを積み上げる事が、仏教を知る知識、歴史になります。 意識にとっては、これ以外には、在りません。 仏教の教えそのものより、理科的に観察をする訳です。 これそのものが、 意識が、築き上げた知識と云う砂の上の楼閣です。 近代合理主義に生きると云う事は、 砂上の楼閣と共に、 我が存在も滅びてもいいと、 意識が作り上げた砂上の楼閣に我が存在を賭ける事です。 我が命を賭けると云う事は、 我が子孫も、もろともと云う事になりますね。 よく、考えてみれば、 我々の命は、近代合理主義から戴いたモノではないのに、です。 命の川上を捨てて、自分の命をムダに捨てているのです。 近代合理主義を命に染めると云う事は、恐ろしい事です。 これが、『陰』の否定、 命の川上を尊敬し感謝をし恩を報ずると云う『孝』、 『孝』の無視でなくて何なのでしょう? この事に、本当に気が付いて欲しいと思っています。 かように、 いつも云う、『孝』の抜けた国土とは、日本の事です。 無意識の領域のあるものを無視するだけなら、まだましです。 意識の大罪は、 無意識に本領のあるものを意識で整理する事です。 科学的に、 学問的に、ね! ほほっ。 学者が仏を!!! 五感に基づく意識、理性で説明をする。 できると思っているのでしょうか? そして、理解をしたと思うから、本にするのでしょう。 本で、幾ばくかの糊代をいただく訳です。 当然ですが、職業の自由はございます。 表現の自由も、言論の自由も、 ああは。 何を書かれようと他人の生業をとやかく言う謂れはございませんが、 悪とは申しません。 が、仏を、自分のメシのタネにする! この事は、全身がイタイ! と悲鳴を上げます。 (意識の世界)の学者が、 (無意識の世界)の仏を、言葉で解説説明、言葉で解剖をする。 近代合理主義で、(無意識界)を排除した学問で、 東洋の神秘が分る訳がないのに、です。 西洋哲学の言葉で、 東洋の智慧を表現する事ができるとは思えないのです。 私は何者でもありませんが、何者でもないからこそ、 守る権威も、地位も、近代合理主義からの利権がないからこそ、 このチグハグサは痛い程分かります。 仏には、自分の糊代を削ってでも、ご供養を捧げたい。 それが、ブッディストとしての矜持です。 無意識を無視をして意識を中心に据える秩序の破壊、 意識と無意識の立て訳が分かっていない無秩序、 人と云う立場で、仏を講釈する無法、 痛い! 非常に全身がイタみます。 そう、仏教の中身は、無意識の領域に存在します。 仏の悟りは、無意識界に、存在しているものですから、 言葉で書いた本を読んで理解する世界ではありません。 言葉は、『陽』の現象そのものです。 『陽』の現象如き言葉に、無意識界を説明できる訳がないのです! 「ブッダ」は、と云う説明に、 近代合理主義と云うものは、 史学的に、理科的に、 こうだ、ああだと、言葉を尽くして説明をします。 これが、近代合理主義下のバカ知識です。 ほほっ。 肝心要の仏教的立場については知る事も述べる事もできません。 「ブッダ」を歴史的に知って何の役に立つと云うのでしょう。 仏教の流れの中でこそ、その意義があるのです。 近代合理主義の世界は、こう云う価値のすり替えを平気でやりますね。 「ブッダ」を、仏教上の位置づけでは、、 「始成正覚」(しじょうしょうかく)の仏と謂います。 此れは、華厳経と云う経典の巻一に、 「--- 始めて正覚を成ず」とあり、 釈迦は今世において仏道を始めて仏になったとある処からなのですが、 短に、仏と云う言い方では、いつの、誰の為の、 どう云う身分の仏なのか? 漠然とした仏では、役割の詳細が分かりません。 そこまで、仏教と云うものは厳密なのです。 そして、◯◯仏と云うものが大勢居るからなのですが、、、 あはは。 「始成正覚』の仏とは、ゆえに、 永遠性の時軸を持っていない仏と云う意味があります。 詰まる所、 釈迦在世(インドに釈迦が生きていた時代)の人々を対象に法を説いた。 その為の仏だったと云う括りの意義を持つ名前です。 これから観ると、釈迦が無くなった後の世の我々とは関係が無い、、、 我々の仏ではない! あはは。 大変な事なのですよ。 アダやおろそかにはできない重要事項です。 この身分が、難しいですが、法華経迹門(しゃくもん)まで続きます。 と、云う事は、 それまでの釈迦が説いた法は、釈迦在世の人々の為であって、 遠く時空を離れた我々を対象としている仏の法ではない。 と云う事になります。 でも、俗っぽい事を云いますが、 その時の経典で宗派を成立させている仏教寺院が多くあります。 釈迦の仏としての呼び名では、又は、 *インド応誕(おうたん)の仏とも言います。 これも、そうです。 活躍する場所が、括られているお名前です。 全世界、いや日本は、入っていないお名前ですね。 注: *インド応誕の仏 = (釈迦が説いた教えである仏典には、 単なる仏と云っても釈迦以外に、数えられない程の数が説かれています。 それらの無数の仏群と区別する呼び名です。 インドに生れたガウタマ・シッダールタが、王子の位を捨てて王城を出て、 出家をして修行をし始めて成った仏と云う意義(始成正覚の仏)で、 いわゆる、我々が通俗的に知っている釈迦の事です。) インド応誕と断る名前が付いていると云う事は、 インドに存在した時に限った仏と云う意義があります。 つまり、我々が一番知っている「ブッダ」は、 「始成正覚の仏」、「インド応誕の仏」であり、釈迦とも謂われます。 正式には、サンスクリット語で शाक्य (シャーキャ) 音訳で「釈迦」、〝力ある者”と云う意味です。 意訳で、能忍、能寂、など。 釈迦牟尼(しゃかむに)の略語です。 牟尼と、尼の字が付いているからひょっとして女性? かと思えば、そうではなく、 ほほほっ。 「釈迦」とは、釈迦族と云う出身部族名であって、 それに続く「牟尼」は聖者・修行する者の意味です。 本来は、人の名前ではない。 つまり「釈迦族出身の聖者」という意味の尊称です。 ここまでで、どこにも仏と云う呼び名はありません。 釈迦は、自らが仏であると名乗った訳ではありません。 まして、自分こそが宇宙の最高の仏などとは言っていないのです。 又、自分の仏像を作って本尊にしろと言った訳でもありません。 すべて、後世の弟子たちがやった事です。 仏と云う尊称も、弟子、信者がそう、呼んだのです。 次は、「老子」と云う尊称について、 「老」と云う字は、日本語の中では、老いぼれた、、、 ほほっ。 などのように、若さを失い心身の力が衰えて価値が無いイメージ、 意味などを持つ語です。 中国のお酒「老酒・ラオチュウ」と云えば、 古くなって味が落ちた酒ではなく、 長期間の貯蔵によって香りと味がともに円熟した黄酒(醸造酒)、 一般に貯蔵年数の多い紹興酒の事を指すように、 「老」には、古いと云う事への尊敬の意味があります。 老子も、周りの人たちが尊敬の意味を込めてそう呼んだのでしょう。 ここで、ひと段落しましょう。 長いので、お疲れでしたら、 また、出直してくださって続きを読んでいただきますように、 なんだか、途方もなく続くような気がします。 ほほっ。 次は、「有名無実」について、、 これも、全部書こうとしたら、もう、大変です。 あはは。 四字熟語の有名無実(ゆうめいむじつ)は御存知ですね? これは、中国の春秋時代の歴史書「国語(晋語)」の由来です。 世間に名が知られていても実質が伴わない事を謂います。 この熟語の、前半の「有名」は、 普段、我々が使っている「有名」(ゆうめい)と云う言葉です。 これは、誰でも知っている、 そう! 有名です! ほほっ。 後半の「無実」は、「有名」ほど有名ではないのです。 ほっ。 そもそも「無実」ってどう云う意味なの? あはは。 この「無実」は、悪事をしていないと云う意味ではありませんのよ! もしそうだったら、 この四字熟語の与えるイメージは、 有名である事は、罪がない事である。 なあ~んて、なってしまう? あはは。 有名人っていいなあ、と云う人間のどこか浅はかな気持ちすらを 肯定してくれる? 四字熟語になってしまいます! じゃ、有名になろうとする事は良い事なのだ、、、あはは。 とんでもない誤解です。 あはは。 でも、その方が、反って、「有名無実」と云う四字熟語は、 「有名」と「無実」が引き離されずに、広まったかも知れません。 「無実」が、「有名」を讃えているのですから、、、 あはは。 こうなれば、「有名」は、もう、完璧に強い言葉になっていたでしょう。 軽佻浮薄な現代の風潮に合っているかも知れませんわ、、、 ほほほっ。 翻って、現代文の中では、 「有名」の方だけが、一方的に使われる頻度が高くて、 「無実」を切り捨てて独り歩きをしています。 「無実」が、「有名」と一緒に使われる事は、ほとんどありませんね。 邪魔なのです。 なぜでしょう? 「有名」は、人間の欲望にとって、心地よい言葉なのです。 特に、意識が作為するこの『陽』の現象界において、 他を差し置いて有名になる事は、『陽』の真骨頂なのです。 そう! 『陽』の旺ずる極みの一つの姿でしょう。 競争社会の中で勝った成果としての現象であり、 この世が、現象界とはつゆ知らず、 勝ちたい欲望が果たされた、 人間の欲や願いが実現した状態なのですね。 ほほっ。 だから、「有名」と云う言葉は、 憧れや羨望が入り混じった人々の意識のおかげで、 「無実」を置いたまま勝手に拡散して行く力を この世の中に有していると云う事です。 でも、これは、四字熟語ができた意義からは遠ざかっている。 だから、結果から見ると、この熟語の通俗化、と言えるでしょうね。 一方、「無実」は、拡散する事はありませんでした。 それは、そうです。 そもそもが、「実」は、何なのか? その原点を知る事は、難しいからです。 また、権力者にとって都合の好い政治をしようとすれば、 「実」を知った僕(しもべ)は邪魔です。 思い通りに云う事を訊かせられなくなるでしょう? それを国を挙げてやったのが、 朱子学を国を治める思想とした日本の徳川、中国の清でした。 朱子学派は、 儒教としての最高徳目『孝』を忠や義に変えたのです。 幕府や皇帝に「忠」や「義」を尽くすように、 「実」の中身をすり替えたのですね。 権力者にとって都合の好い「偽・ニセの実」に変更した。 ええ、もう本当の「実」ではありません。 「不実」です。 そのように国民の真面目な性質を利用して、 国が「不実」を掲げ、 結果は「無実」な国へ堕ちて行った。。 。 外国の力に屈する処まで腐敗したのです。 そう云う絶対王政や独裁政治を経て、 今、民主主義の時代と云って「実」が有りそうに見せながら、 そもそも近代合理主義自体が、 肝心要の「実」である『陰』の世界を捨てて無視しています。 時代が、「実」を捨てて否定をしているのですから、 「実」がどこにあるのか分らない時代へなってしまっています。 きらびやかな「楽」や〝真ともらしさ”を喧伝する意識グループに 残念ながら「実」は、何処にもないはずです。 今の世に、誰もが「実」は有ると思いたい。 しかし、近代合理主義が「実」の世界に蓋をして否定をしています。 しかも、誰もが、それに気が付かない。 民衆と云う者は、めんどうな事はイヤですから、 ほほっ。 釈迦が誰の為に説いた経典なのか、確かめもしない。 どの経典も、宗派の違いも無頓着に、同じだと思っていたい。 近代合理主義が、どう云う思想なのか、知りたくもない。 あはは。 気が付かないまま、無事に生きれたらいいじゃないか! あはは。 それも、一つの考えです。 しかし、 正しい知識を身に付けないと、それは智慧には結びつかないのです。 未来へ発展する為には、正しい認識を! 浅い知識は、 智恵になるどころか、我々を、その浅く低い所に縛り付けます。 そして、我々自体が淀んで腐ってしまいます。 それが、個人であれば、早世、夭逝。 それが、家系であれば、絶家です。 それと、民衆がバカな方が、いつの世も、 為政者には、やはり今の政治や経済には楽なのです。。 。 これらの意識グループには、未来は見えないのですから、 今の政治で得をしている人々にとれば、 じつに、「実」を知る人間は、邪魔のはずです。 今回の秘密保護法の状況を見ていると、 民主主義と云う政治形態だけではどうにもならない。 実に、国家が、堂々と国民に秘密を持つ国家とは何ぞや? それならそれで、その前に、 国民の一人一人が「実」を知らなければ意味がないのです。 それも、事が起こってからではダメです。 常日ごろからの「実」を知る努力が要ります。 それを努力させないように、好い頃合いに、ホメてダマして、 モバイルの端末を与えて、国民総出でゲームで遊ばしておけ! と、 歩きスマホで、思索をしない大人ばかりにして置けば、 あはは。 政治家は、楽なのでしょうね。 国民は、反対する知慮を持つヒマが無くなるからです。 意識全盛の時代です。 意識はいくらでも、上位の意識が、 下位の意識へ目先の楽を与えて邪魔をし、騙す事ができます。 楽を求める意識こそが、騙されるのです。 そう云う意味で、便利と効率を求める先には、「実」はないのです! 意識の狂騒(競争)の果てには、「実」はありません。 この事を、本論の『老子』まで覚えておいてください。 まさに、今は、「無実」の時代です。 実に民主主義を徹底させる為にも、 我々一人一人が「実」を知るひとりひとりになるしかないのですよ。 いくら、グローバリズムと云っても、 日本人がグローバル人になる訳ではありません。 みずからの伝統と東洋の矜持を失ったら、 我々は、地球上の彷徨(さまよ)い人です。 母国の山河を失うまで、便利と効率を欲しがりますか? あはは。 ところで、 「無実」の「無」と「実」は、 反対語の関係ではないでしょうか? 「無」に似ている語に、「虚無」があります。 その反対語は、「充実」ではなかったでしょうか? 「無」の意味が「実」の意味を完全否定しています。 その「無実」が「有名」を完全否定しているのです。 ここまで、「有名」を否定するのか? ここまで、ダメ押しをされますと ドキン! と意識は、緊張します。 あはは。 意識は、快『楽』を求めていますから、 快楽を求める事を否定される事が、一番キライです。 意識は邪魔をされたように感じるでしょう。 「有名」をそんなに否定する事はないだろう? ほほっ。 それでも覚悟ができない愚かな我々の欲望は、 「有名無実」の四字熟語の「無実」を取り払って、 「無実」って、なに! 見なかった事にしよう! あはは。 (意識が、無意識を無視しているように、) かくして、 「有名」は、簡単に一般大衆に受け入れられて行きました。 「無実」を無視をして「有名」の方だけ流行ったのでした。 あはは。 人は、有名が、お好き! まさに、これが、俗世間の常識ですね。 「無実」は、ツラいですね。 モテてない! ほほっ。 俗世間から浮いています、、、 あはは。 これこそが、「有名無実」の四字熟語の通俗化と云いますか、、、 歌は、世につれ、人につれ、と云いますが、 言葉も『陽』そのものですから、近代合理主義の世につれ、 言葉の内実が磨滅し、すり減って行ったのです。 近代合理主義は、元から「実」(じつ)を捨てた思想ですから、 「実」(じつ)と云う意味が、もうすでに、 我々には解らなくなっています。 意識が、無意識界の本質を覆い隠して、 「実」のない合理の近代化以降の世界では、 方便ロジックの合理さえあれば、 正は、外に見せる為に装うものになり、 悪は、内にあるのを感づかれないように言葉を尽くして隠すもの、 恥じも外聞もなく、目的は、利さえあればいいようになっています。 もう、お気づきと思いますが、 「有名」 = 「無実」 を理解するには、 その前提として、分っていないといけない世界があるのです。 それを、 『陰』とまでは申しませんが、 無意識までとは申しませんが、 現に目の前にあるものの奥、肉眼で見えないもの、 その物を、もの足らしめている力を感ずる智力が必要なのです。 決して学歴で云う頭の良さではありません。 子供ですらウソとマコトを見分ける、あの敏(さと)さです。 人生の経験はなくとも、、、言葉はなくとも、、、 自分にとって何が本当に大切なものなのか? そこで、初めて、「実」の意味が腑に落ちるのです。 「無実」が、「有名」の後に付いている意味も府に落ちます。 だから、 「無実」=「偽性」を感じる智恵がなければ、 とうてい、「有名無実」の熟語を使う技量は持っていないはずです。 もうすでに、 モダニズムの時空にある日本人に、その技量はないかも知れませんね。 「無実」の「実」の意味さえも分らないまま、 「有名」を追いかけて生きてしまうでしょう。 このブログの読者のみなさまは、次の事もお分かりですね。 東洋思想とは、「有名」の向こう側にある「無実」の意味を知る事です。 ★ 「有名」は、意識が捉える現象世界の『陽』の陽炎(かげろう)、 五感で捉える現象そのものなのです。-----------------『陽』です。 ★ その反対に、「無実」であるかどうかの判定は、 目で見えない世界ですから、言葉や理屈で説明では表現できない。 五感で捉えられない本体。--------------- 『陰』そのものです。 「有名無実」とは、 『陽』が旺じた極みは衰になる、と云う事です。 『陰』が衰えれば『陽』の現象は消え、実は残らない。 「実」を疎かにして「名」を重んじれば、当然「実」りはないのです。 『陰』を軽んじ、『陽』の現象ばかりを追いかける事は、「無実」です。 --------- これは、この世に拘って、 『陽』の現象界に閉じこもって観る限り、すべては無常である、 と云う仏教の無常観に通じます。--------- 『陽』意識を中心に据えた近代合理主義が、 『陰』無意識そのものを捨てたように、 我々の意識は、意識では捉えにくい「無実」の意味を無視して、 パッと見、意識にとって直ぐに解る「有名」だけの語をいいように使う。 よくも悪くも、都合の好いように「有名」を利用するのです。 これこそが、意識の都合よさ、勝手、ウソつきの本質を持つ『陽』の癖、 これが、我々の前頭葉、脳のやり方なのです。 しかし、こう言った処で、 人類が生き延びて来たのは、『意識』の発達のおかげ、 なぜなら、、、これが、 競争世界の生存狂騒(争)に打ち勝つ為に潜り抜ける経験から 『陽』が身に付けて来た脳に蓄積しているテクなのです。 -------- 都合に悪いものは、切り捨てる。 -------- 都合のいいように、真実を隠して捨てる。 これらは、現象界を生き伸びる『陽』が必死に身に付けた癖です。 しかし、忘れてはならないのは、 その癖で、意識に本質や真実が掴めると思ってはいけない。 ここが、近代合理主義の大罪なのですから。 もっと、言えば、いつかは消えゆく現象に、 あなたは、命を、子孫の命を賭けますか? その空しさに耐えられますか? 欲望を達成した満足をいくら得ようが、 「有名」を幾ら達成しようが、 それが「無実」である事を知るべきなのです。 ------------------------ 子孫繁栄に、まったく逆行するものです。 本質も真実も蓋をしてしまう『陽』の『偽性』・欺瞞に 生き延びる為の手段は、任さざるを得ないのですが、 我々の命や地球を任せる訳にはいかないのです。 現代の闇を作り出しているのは、 無意識を否定した意識グループが、 我々の無意識を本体とする命や地球上の自然全て仕切っている事です。 それが、近代合理主義の醜さです。 この思想は、進めば進むほどその闇は濃く深くなる。。 。 なぜなら、この文明においては、 「楽」を生みだす「苦」を避け、 将来の「大苦」となる「楽」だけを追い求めるからです。 楽だけに囲まれる天国思想。 近代合理主義の掲げるこの幻想の天国思想こそが邪悪そのものです。 便利さを追求すれば、天国へ至るのですか? 効率こそが、天国への近道なのですか? ほんとうですか?? 便利さと効率の追求の結果は、原発だったのではないですか? 原発は、天国を実現すると云って作ったのですよ。 あはは。 ウソだって分ったのに、まだ作ろうとしている! この辺で、一息を入れてくださいね! あはは。 まだ、まだ、本論は、これからでございます。 ほほっ。 長々と書いて参りましたが、 以上の事を、踏まえて、 合理主義で知る釈迦と云う知識の浅薄さ、 「有名」は「無実」。 これで、 ようやく本論の 『老子』56章「和光同塵」へ進みます。 あっ、憶えててくださったかしら? あっは。 意識の狂騒(競争)の果てには、「実」はありません。 ほっ。 やれやれでございます。 今日は、テーマが多くて書くのも大変ですが、 読者の方々も大変です! ほほっ。 本文の1節ごとに、1~12の番号を付けます。 今日は、前半の部分 1.~ 5.だけです。 それだけで、十分長くなると思います。 後半の 6.~12.は次回へ廻したいと思います。 『老子』56章「和光同塵」 の原文の(前半)と書き下し文。 1. 知者不言,言者不知。 知る者は言わず、言う者は知らず。 2. 塞其兑、閉其門、 その兌(たい)を塞ぎ、その門を閉じ、 3. 挫其銳、解其分、 その鋭を挫き、その分を解き、 4. 和其光、同其塵。 その光を和し、その塵に同じくす。 5. 是謂玄同。 これを玄同と謂う。 1. 「知っている者は言わない。知らない者が言うのである。」 ここは、おもしろいですね! ほほっ。。 (本質や極意を)知っている人は、 それが言葉では表せない事が分かっているので、言わない。 『陰』の真理を、『陽』の言葉などで表せないのです。 『陰』が何かを覗(うかが)った事のある者は、 『陽』の言葉で言い表す事はできないのを知っているので、 わざわざそれを言い表そうとはしないのです。 二元論の言葉で、無意識界の事は表現できません。 それが分った人は、自然に、そこは伏せて黙ってしまう。 言葉自体は、人間の意識が作った『陽』です。 言葉自体は、無常の範疇の物です。 中身も変われば、形骸化し廃れる事もある。 言葉に真実があるのではなく、 言葉を発した人の奥に、どれだけの実体があるのか? また、言葉の受け手、読み手の存在自体もかかっています。 近代合理主義の現代と云う世の中は、 『陰』の廃れた言葉のみが、人の口と耳の間を、目と目の間を、 空しく飛び交っている。空中遊泳しているのです。 だってそうでしょう? もう、原発の安全と云った処で、 我々には、〝安全”と云う言葉の中身が分らなくなっている! あくまでも、真理に対して意識は、欺瞞を帯びているものなのです。 智恵こそが真理に近づける、これがこの前提に在ります。 2. 「その兌(たい)を塞ぎ、その門を閉じ」 ここも、おもしろいですね! 兌とは、穴です。 五感の耳や目や鼻や口の穴! ほほっ。 穴を塞げ! と云っているのですね! あはは。 おっ! いい匂い~ おいしそうだな、 あはは。 我々の欲望の縁は、五感から入って来ます。 それを閉じろとは? ためしに、みなさん、ご自分の両手で、目や耳を塞いでみて、、、 どうですか? ほほっ。 つまり、そう云う状態、 あはは。 ------ 自分の五感を閉じて、欲望に囚われない様にならないと、 ------ 何が「実」なのか見分けがつかないのです。 ------ 意識中心では、真実、本質は掴めない。 門を閉じ、、、、、門とは出たり入ったりする、 何が? 目や耳や目から得るもの、、、刻々と入って来るあたらしき知識、 それらを閉じよ! ------ 自分の知識に惑わされず、知識に振り回されるな! ほら、先ほどの釈迦の知識、 我々の処へ届いた知識には、俗のホコリがまぶしてありました。 その知識を疑う事なしに「実」には至る事はできないのです。 3. 「その鋭を挫き、その分を解き、」 その鋭(光っている自分の才能)を、 地面に折り曲げて挫(ひざまづ)くように鈍(にぶ)くして、 自分の到達した意識の積み上げを崩すのだ。 (自分の才知を頼らずひけらかさずに、自己に執着するな) 今まで自分が努力をして築いて来た処世術やノウハウに拘らず、 自己顕示欲や自負心を頼ってはいけない! 4. 「その光を和し、その塵に同じくす。」 光を和す、、、、、光を和らげる。 自己の光を和らげて、チリと同じに成れ! なんと! 激越な命令なのでしょう! ほほっ。 ホコリまみれになれとは? 有名になる事とは、まったく違う?! これはどう云う事なのでしょう、、、 どんなに鋭い光を放つ智恵を持っていたとしても、 ------ その智恵の光を和らげる事が大切である。 環境に振り回される我々の意識が、さまざまな観念を作り出し、 そこから生れるあらゆる苦しみがうごめく現実の社会。 その『陽』の現象世界、狂騒(競争)の修羅場です。 そこに、勝利者は少なく、 傷付いた敗者がうごめく暗い地獄のはずである。 そこを、あまりにも眩しい光で照らすと、 チリにまみれた曇りに馴れた地獄の人の目には、 智恵の光は、眩しすぎる。 それでは、逆に受け入れられないだろうから、 自己の才知を塵にまみれさせて目立たない様に同化しろ。 自己の智恵を周りの埃やチリと同化して、そうして 我々の住む社会、地域、周囲に溶け込んで行け! と云うのです。 まったくこれは、目立つ、有名になる事とは真逆です! 決して、目立ってはイケナイ。 光を放つ存在として視られてはいけないのです。 そして、これは、単に周囲に同調して行く事ではないのです。 塵にまみれて地獄の人の目にまぶしくないようにしながら、 光を放つ発光体としての自己を失ってはいけないのです。 これは、むずかしいですね! ほほっ。 そこが、「その光を和し、」の意味です。 和した光を内に秘めて、地獄の様な現実社会に同化して行けと、、、 これそのものが、修行ですね。 あはは。 そこにしか、しあわせはないのだ。と云う事です。 西洋と、ここが全く違います。 「楽」しかない天国、 「楽」だけを集めた天国に憧れるなんて、これっぽっちもない。 ここが、東洋のすごさ! 宇宙即我、 我即宇宙の真骨頂なのです。 この現実は我、と云う一体感、 あくまでも、自己の現実を大事にせよ、と。 西洋のような天国に逃げて、現実の苦を逃避した処に幸せはない。 と云う事です。 5. 「 これを玄同と謂う。」 そうすれば玄と同じになれる、と謂うのである。 玄----- 老子、荘子が説いた道家思想における万物生成の根源 「道・タオ」とも云う。 玄色 --- 天の色、赤みを帯びた黒色 ここで初めて、真実と一体になれると云うのです。 ふっ。 ここは、痛烈なる意識世界の価値観へのアンチテーゼなのですね。 現象世界での価値観、 有名になるとか、偉くなるとか、お金持ちになるとか、 賢いと言われるとか、知識人として認められるとか、 政治家、経済人、学者としてどうなるとか、 もろもろのそう云った現象世界の火花に囚われる事が 人間としての本当の価値を決めるのではない。 と、言っているのですね。 穴を閉じろと! あはは。 意識を閉じろと! 五感の満足だけを求めるなと! これは、近代合理主義の真反対ですからスッキリします! ほほっ。 もしか、自らに才知が有るのなら、 その自らの才知を現象世界の比較や評価の対象にせずに、 その社会の一番、塵(チリ)の様な存在と同化して、 差別なく俗世間と交わる事こそ大事である。 その中で、静かな光として地獄の昏さを照らす事が重要である、と。 それが、 老子の場合は、無為自然の「道・タオ」と一つになれと云うのです。 老荘思想と云うと、 世間では、白い髭に白い着物の長い杖を持った浮世離れしたお爺さん (仙人)が雲に乗って天を飛んでいるような? あはは。 イメージですが、ここを読むと、そんなものじゃない! ほほっ。 天国憧憬の甘えた思想に寄っかかった我々よりも、地に足が付いて、 深い慈愛に満ちた思想だと云う事がお分かりいただけるでしょうか? 地獄の底まで自分の力を隠して降りて行け! と。 とても現代の軟弱な我々にはできそうもない事を、 それこそが「実」の生き方だ!と 叱咤激励してくれているのが生々しく伝わって来ます。 「有名無実」は、名のみあって実がない。 つまりは、名目上(意識)で捉えているものは実質的なものはない。 からっぽ! 目や耳や、体の穴を閉じろ! そこまで言われて、、、 「有名」が、「無実」だなんて! そんな正直な事、言えないですよね! あはは。 〝有名な方よ~” とは誉めても、あなたは中身がないんだなんて、、、 そんな辛辣な事! ほほっ。 日本人は、奥ゆかしいですから、(おほん!) お相手に、そんな失礼な事、言えませんわね。 あはは。 最後、Q&Aでやってみましょうか? あはは。 Q: 名前があるとは、どう云う事なのか? A: その名前が『陽』の現象界で旺じた姿を現じているのです。 『陽』が旺じているのです。 Q: 意識で捉えた物が無実、 中身がないとは? A: 『陽』が旺じる極みは衰。 「有名」の実体は、衰。 『陰』の創造性が枯渇して来ているのです。 すなわち、内部の崩壊。 実(じつ)が無くなっている。 偽であり、虚なのです。 「有名」になった瞬間に、本質は衰なのです。 Q: えっ! そんな~? そんな事ないでしょう? A: 意識がワァーワァー、きゃーきゃー喜ぼうと楽しもうと、 満足をしようと、 そこには、現象界には、本質も真実も、ないのです。 意識である五感は、現象の奥の「衰」を捉える事ができない。 だから、人は人に騙されるのですよ。 有名であれば、立派なのだから、中味がありそうで、ない。 名があると云う事は、実がない。 名があればあるだけ、実はない。 とほほっ。 それを、有名無実(ゆうめいむじつ)と謂います。 有名、 って、良い事? と思われていたかもしれませんね? ほっ。 無実がなければ、その通りのイメージです。 イメージですよ! 意識はイメージで騙されますから、、、 もっとも通俗的には、目立ちたい! と云う自己顕示欲を満足させる有名と云う言葉は、 若者の、目立つ為には何でもする。 と云う昨今の行動を生んでいます。 現に近代合理主義が爛熟した21世紀の今、 我々の目の前にあるのは、 我々を欲に狂騒させる欲望の肯定の上にある経済至上主義と、 その為に弱き意識を脅す為に持つ大国の大量破壊兵器、 今は、その論理に則って北朝鮮など経済的に弱小な国まで、 自国の存在をなぎ倒されない為に、核武装を着々と進めている。 しかし、大量情報伝達・マスコミ、知識偏重社会は、 それをどうしようもできないのです。 宇宙自体を意識で探査する物質の世界としか見ない科学。 知識は膨大に膨らみ殖えるけれども、その中に智恵は一つもないのね! もうひとつ、 意識の思い上がり、勘違い、その傲慢さを言いましょう。 人の理性は、堂々と、 〝人類は生物界の頂点にいる” と勘違いをしています! これは、意識が作り上げたロジックの一つでしかありえません。 つまり、『偽』。 人は、決して、生物界の頂点に立ってはいません。 人と自然を切り離し、 人の方が自然の上位にいると云う傲慢を生みだす二元論、 二元論は、その事だけで、十分邪悪です。 有名と云う欺瞞のマントを着なければ落ち着けなくて、 他者を支配しなければ安心できなくなるのは、 人間は、自然の中で孤独を感じているのです。 その恐怖から逃れる為に、名を欲しがるのかも知れません。 有名など、かなぐり捨てて、 自分の立つ足場の 真下の地獄の底まで自分の力を隠して降りて行け! そこは、あなたしか、降りていけない処だから、 たった一人で、自らの放つ光だけを頼りに降りて行け! 自らの放つ光、 それが東洋の叡智です。 自分を掘れば、湧き出てくる自然からの湧水です。 この湧水は、どこまでへも入り込んでいくはずです。 細い水の流れになって、絶えず岩盤を潜って下りて行くのです。 きっと、地下幾ばくか降った岩盤の下には、 あらゆる方向から流れ来た細い水の滴が集まって、 一つの大きな水脈になって、地中深く滔々と流れているはずです。 老子の思想と、四字熟語のコラボ、いかがでしたでしょうか。 長編の記事を最後までお読みくださった事に、 深く感謝申し上げます。 ひょっとしたら、来年に持ち越すかもしれませんが、 年内に、もう一度更新を、と思っています。 さて、どうなることか、、、、、 ほほほっ。 その時まで、今年の残り少ない日々、 大切に、良き日々をお過ごしくださいますように。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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No titleおうう! 我が一番乗りとは光栄至極、身に余る光栄でありまする!
光をやわらげるとは、好い言葉で、 老眼が入って来た我が目にはありがたい、、、 チト疑問が、 cosmosさんはまぶしいのです、 それで和らげた智恵とすると、 実はもっとまぶしい人? いやはや恐れ入りやの鬼子母神、あ、、そう母神、 母神であらせられたかや? あっはは! 早めにコメントを書くと気が楽になって良き年を迎えられそうです。 No titleこんにちは~~♪
陰と陽の違いがあまりにも凄すぎて しかも今の我々は小さすぎる陽の中で生きているというのはショックです。 東洋思想とはなんと奥が深いかとため息です。 しかも東洋の叡智に出会うためには 自分の真下の地獄の底まで力を隠して自分の放った光だけで・・・・ う~~む。 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
No title12月も半分を切りました。=
あと2週間で新年だとは、信じられないです。。。= 今回の記事は、”おばけ” も不気味ですが、= いつもcosmosさんが言っておられる事がこうなるのですね?= どんなオバケがついているかが、命式でわかるっていうことですか?= 東洋の智恵は計り知れないですね!= 今年は、いろいろお勉強をさせていただきました。= 来年もよろしくお願いします。= ブログの皆さまのご多幸をお祈りいたします。= 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
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Re: No title> おうう! 我が一番乗りとは光栄至極、身に余る光栄でありまする!
> 光をやわらげるとは、好い言葉で、 > 老眼が入って来た我が目にはありがたい、、、 > > チト疑問が、 > cosmosさんはまぶしいのです、 > それで和らげた智恵とすると、 > 実はもっとまぶしい人? > いやはや恐れ入りやの鬼子母神、あ、、そう母神、 > 母神であらせられたかや? あっはは! > > 早めにコメントを書くと気が楽になって良き年を迎えられそうです。 ★あけましておめでとうございます! お返事が遅くなりまして申し訳ございません。 暮から落ち着かないまま年を越しまして、未だにバタバタです。 冬山へも行きましたが、それ以外も何かとPCの前に坐れませんの、、、 これか、いかなる運命でしょうか? ほほっ。 母神? まあ、とにかく神だなんて、凄いモノへ例えていただきまして恐縮でございます。 なにか、分かりませんが、和光同塵は大好きな、と云うより、老子は読むのが楽です。 あはは。 あ、記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!お年玉をどうぞ~ ![]() Re: No title> こんにちは~~♪
> 陰と陽の違いがあまりにも凄すぎて > しかも今の我々は小さすぎる陽の中で生きているというのはショックです。 > 東洋思想とはなんと奥が深いかとため息です。 > しかも東洋の叡智に出会うためには > 自分の真下の地獄の底まで力を隠して自分の放った光だけで・・・・ > う~~む。 ★あけましておめでとうございます! ごあいさつが遅、遅、なりまして、、、やっと更新がスタートです。 東洋は、むずかしいおますやろ? それでも、いまの若い人に、日本の精髄ですから伝えないといけませんやん、 これこそが民族の自尊、これを失くしたら、日本列島は誰のものになってしまうんやろう? と、云うのがブログのモチベーションどす。。。。。 結局は、根っこが深い人が生き残りますさかいに、 それと、今の世が、あまりにもはかなさ過ぎて、若い人、子供が、かわいそうどすなあ。 何度か、お立ち寄りくださってお読みくださいね。 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!お寿司をどうぞ~ ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> これで今シーズン インフルエンザに~~ よかったわ~! いつも、お元気でいらっしゃってくださいね! 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!焚火をどうぞ~ ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> 東洋の叡智なぞ鼻にもかけていないんでしょうが、西洋からすると そうなのです、困った問題ですわ。 これからの地球は、東洋がどれだけ巾を効かせていくか? だと思いますよ。 ほっ。 > 膝に関して、、、、、去年の夏、、、 やはり、そうでしたか、、、 昨年の8月位から、膝が、膝を、、、と気になっていました。 いつお聞きしようかと気がかりでした、、、 冷やしたらだめです。大事になさってください。 > 実際の生年月日が違うそうなんです。 これは、何とかなりますが、今は、もうちょっと無理かな? ほほっ。 あなたが、鑑定力をお付けになってから、解決できます。 実際の人生の出来事から、こう云う命式ではなかったか?と想像するやり方です。 今は、ご本人に関する出来事を書き留めておいて、後々、それを参考にします。 私は、生れ時が不明だったのです。母の、人が死ぬと云う引き潮の時だった、 と云う言葉を記憶していただけで、でも、それを手掛かりに、気象庁に誕生日の、 生まれた場所を言って、引き潮時を調べてもらいました。 ちゃんと、そう云う窓口があって、ほんの1,2分で、引き潮時を教えてくれましたよ。 引き潮は、日に2回あります。 ★ その2つの時の命式を作って、さあ、どっちだろう? と云う判断は、 自分の生きて来た人生内容から、此方に当てはまると、決定しました。★ 時は、一生のうちで老年期、又、子孫運になりますから、 今は、それで全体の五行の調和を観ますと、間違っていなかったと、、、 ★の部分は、正しい鑑定力が要ります。 力を付けるには、大勢の人の命式に出合って観てみる事です。 知人、友人、有名人、犯罪者、ネットやテレビや新聞で捜します。 これらを参考になさって、御精進ください。 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!プレゼントをどうぞ~ ![]() Re: No title> 12月も半分を切りました。=
> あと2週間で新年だとは、信じられないです。。。= > > > 今回の記事は、”おばけ” も不気味ですが、= > いつもcosmosさんが言っておられる事がこうなるのですね?= > どんなオバケがついているかが、命式でわかるっていうことですか?= ★分かります。 御相談では、どこまでお話しできるか難しいですが、私には分っていますよ。 > 東洋の智恵は計り知れないですね!= > 今年は、いろいろお勉強をさせていただきました。= > 来年もよろしくお願いします。= > ブログの皆さまのご多幸をお祈りいたします。= ★東洋に縁を持つ事ができて、しあわせだと思っています。 このしあわせを共有できる人が、一人でも増えるとうれしいですね。 計り知れない智恵を、ご一緒に! ご返事が遅くなりまして、ご迷惑でした! ほほっ。 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!お船をどうぞ~ ![]() Re: タイトルなし 鍵コメントさんへ
> 近代合理主義の恐ろしさは呪いのように思えてなりません。 いやあ、おどろきました! そこまで深く取っていただけましたか。。。 すこしづつ、出版界でも、それを語る本が出ているようです。 でも、軸足が、近代合理主義の中のままで語られているのばかりです。 それこそ、またまた合理主義を広める事になっているのに気が付かないのですね。 要は、買ってほしいのですね。 ただのメシのタネでしかない。 「偽」が「偽」の批判をしたところで、「偽」の上塗りでしかない。 読む気はありませんが、、、、、、、 あはは。 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!テニスはいかが? ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> 老子は読んではいたのですが、すっかり、、、もう一度読みたいと思います。 それでいいと思います、、、東洋は、目で読むだけでは失礼になるのです。 老子なども本人は、自分の一生を賭けて書いているはずです。 ある意味、汗と血と涙と障害を掛けて、、、、、 だから目で見て読んだとは言ってはいけないのです。 読書では、読んだ事にはなりませんね。 ほほ。 決して、本を書いて売ってやろうとか、印税で生活しようとか、 あはは。 今のような欲望の為に生きている知識人ではないはずです。 そう云うものは一片もない無私の心境です。 意識世界の競争は越えている場所で生きたはずです。 だから、身で読む。行動で読む。そうしないと読んだ事にはならない。 そうしないと、老子に失礼です。 または、身で修める。と云います。 昔の修身と云う言葉になりますが、血肉で読むから忘れないのです。 わざわざ記憶した訳ではないけれど、丁度の時に、口を付いて出て来る。 子曰く、、、等はそうですね。 東洋は、覚えようとしないで、忘れると云うのは、身に付いていない証拠ですね。 あは。 そう思って、またまた、ページを捜せばいいのです。 その繰り返しで、、、毛穴から入って来ると云うのですよ。 その為には、生活の場面に、手近に常に置いて置くようになさったら? > 実(み)が無くなると書いて無実、子孫(つまり、実)が無くなる (=絶家)とも解釈できるように感じました。 その通りです。 記事にはちょっときついかな?と思い書きませんでしたが、、、ほっ。 > 程度の高い教えに触れておられる宗派は何でありましょうか? 次の記事を、よくお読みなって、又、コメント下さい。 是非になら、私が信仰しているのをお教えしてもいいですよ。 ほっ。 > 家系について ご自分を見つめる良い流れになって来ましたね。 反省と謙虚と、素直さと実直さが生れるはずです。 そこから観える未来は、間違いなくあなたにふさわしい道です。 良い選択ができているのではないかと、あなたの行く末を安堵しています。 今後の記事の流れですが、老子の後、命の継承シリーズのつもりでいます。 無意識が、なにか、、、 あはは。 あれば変更もありですが、 きっと、そうなると思っています。 自分が書いているような感覚があまりないので、、、あはは。 いい加減な感じで申し上げていますが、、、、お許しあれ! それが、きっと参考になるのではないかと思います。 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!粗茶ですが、どうぞ~ ![]() Re: No title 鍵コメントさんへ
> あれからもう一度、ある日ふと推命の本を開きたくなり、すると不思議なことにさらさらと、 そう、そんなものでいいのです。 あはは。 東洋智は、意識・目で読むだけでは直ぐにはあなたの無意識まで届きません。 あなたの意識に、無意識へ行く事を邪魔する概念が一杯あるからですが、 あはは。 それらを潜り抜けて、あなたの無意識と合体するのには、 『時』がかかる。 と云うより、『時』があなたをあなたの無意識と一体にするのです。 その時には、あなたの意識は浄化されて、邪魔なものが、 あはは。 無意識へ平伏してしまっていますわ。 智恵を身に付けると云うのは、心身を漬け込む期間が要るのですね。 だから、修養の時間がかかると謂うのです。 理解できたと云うのは、新たなあなたができ上がった、そう云う事です。 >人間以外の生き物にもそういった、、、、 生き物どころか、物にもある。そうです。 実感では捉えられませんが、原理的には、国土、土地にもあると、 仏教書には書かれてあります。 >良い命式でも 本当に良い命式なら、せめてこの世の中では守られるはずです。 あはは。 > それが一番の原因だと、、、 そこまで思索できましたね。あはは。 その一番の原因について、これも、記事にする予定なのね。 女性の犯罪者に付いて書きたいと思っています。 お待ちあれ! > 四柱推命の全てを貫く原理? 今回の記事で書きました「時」です。 >近代的な学問に因る見識が如何に蒙昧甚だしいか、 その通りです。 ちょっと悪口を言えば、 あはは。 幼稚で子供ダマシな、愚かな、 まず、どんな小さな欲望だって、つまみ出す実力がない! チンピラ程度な、、、あはは。 『偽』そのものです。 ほほほ。 記事を今朝、少し校正致しまして書き加えたところがあります。 もう、一度お読みになったのに、再度、お手数ですが、よろしくお願いします。 ことしも、相変わりませずよろしくお願いいたします。 良き年になりますよう!おでんはいかが? あはっ。 ![]() |