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    『老子』56章「和光同塵」  意識に囚われない生き方 4 ・ 有名(うみょう)無実

    Category : 孔子・老子・他
        中国山水


        中國山水










    今日の記事は、

    『老子』56章「和光同塵」

    意識に囚われない生き方 4 ・ 有名無実(うみょうむじつ)





    昨年の同題名の記事からのつづきです。



    お気づきですか?

    今回は、前回とは、有名無実の読みが違っているの?


    前回は、有名(ゆうめい)無実と、ふりかなを振りました。

    四字熟語なのに、広く知られている普通の読みなのに、

    わざわざ、難しくもないのに?? ふりかなを?と思われたはずです。   



    実は、今日の記事の伏線でもあったのです。

    一般と仏教では読みが違うんだって、念を入れて、、、 ほっ。




    仏教の中では、有名(ゆうめい)ではなく、


    有名(うみょう)と云う読み方を致します。






    と云う事で、

    今日は、老子の思想と、*仏教の「有名無実」(うみょうむじつ)の

    言葉のコラボ記事です。


    注: *仏教 = 仏教と云っても、宗派によって違いがあります。






    いつもそうですが、    

    今日の記事は、堅い! ですね!   あはは。

    普段の『陰』『陽』より、一段と難しいはずです。

    きっと、そうお感じになるはずです。    ほほっ。

    ええ、今日の老子も、むずかしいですね。   あっは。



    近代化された我々の前頭葉にとれば、ホントむずかしい。

    肥大化した意識には、見当もつかない事ばかりでしょう。




    仏教の根幹に触れそうになる部分、

    そして、老子が遺してくれた智恵、


    そのいずれも、めったに記事にする機会はありません。

    仏教の、ちょっと本格的な記事になると思います。

    現代のさまざまな矛盾点を、書き連ねてみようと思います。


    あ~ぁ、また、、、長くなりそうです。


    うまくいくかなぁ~、、、      ほっ、ほっ。





    その前に、

    普段、我々は、宗教的な教理も深く知らないままに、

    マスコミや学者から伝聞された知識でイメージを脹らましたり、

    そのまま知ったかぶりで使っている言葉が数多く有ります。



    元々の言葉の内実とは真反対の意味なのに、

    まったく庶民が、自分たちに都合が好いように解釈をして、

    それが、世間に当たり前の如く流布している現状を思うと、

    もう、身震いするほどです。


    どうでもいい事はそれの方が良い事だってあるし、

    庶民らしい逞しさが、そうさせると云うのも楽しいのですが、

    事が、宗教、哲学になると、それを信じる弊害が、、、

    おそろしいですね。




    身近な歴史認識や、近代国家の利害対立だってそうでしょう?


    韓国の慰安婦問題や竹島の領有権、

    中国の南京大虐殺や尖閣諸島、

    いや、これより、そもそも戦勝国の裁いた東京裁判。


    大勢が大声で言った方が、勝!   みたいな?  あっはあ。

    ええ、たしかにそうなのですよ。


    この世は『陽』の現象界、

    特に近代合理主義の現地球上は、

    絶対界があるのに見ざる言わざる聞かざるで、無視をしていますから、

    そう云う申し合わせの上で、作為的に作り上げた世界観なのですね。



    ある意味、人類の初めての試み、


    絶対的な価値観を捨てた完全なる相対世界を作り上げたのです。


    はっきり言って、今までの人類が生きた事もない異様な世界です。




    近代合理主義の相対世界と云うのは、

    ある意味、皆が平等、自由に利害を主張し、話し合って決める、

    と云うのが原則なのですが、

    そんななまっちょろい! と、

    ある時には、殺し合って決めると云う事になるのですね。

    事実、そうです。


    それぞれの立場での、バラバラの意識が、

    その意識に都合のいいロジックで争う訳です。

    爭う限りは、声が大きい方、力が越えている側、武力がある方の勝です。

    正しい方が勝つなんて、現象界ではそうそう単純ではないのですよ。


    正しいって、どの時点での事?

    今、直ぐの事がボタンを押したみたいに答えは出て来ないし、

    過去の無意識の溜めこんだ因果の現象かも知れない、、、


    意識は、目先の現象だけを追いかけるしかないので、

    強いと云う事が、正しいと云う事になってしまう。  

    それも、次、どの時点で引っくり返るのか?   あは。

    皮相的な現象面だけを見ていたら、もう、狂っている、

    意識の勘違い、ネジれた倒錯の世界です。


    意識は、

    正悪の根拠の「実」を見ない、言わない、聞こうとしないのだから、、、

    せめて、意識は数字化する、統計で見る、それしかない訳です。




    もうひとつの、相対世界の特徴は、『時』には敵わないのです。

    『時』に翻弄される。

    それをくい止めようとしているのが、科学。

    若返りとか、その何んとか細胞とかも、そう!    ほほっ。

    ノーベル賞を与えたり、ビッグニュースになったり、

    本当に、意識が『時』を征服したいと思っているのが分るわ。

    でも、本当に重要なのは、そんな事じゃないのよ。

    『時』は動かせないのだから、、、



    つまり、現象は時間軸で見ればクルクル変わる、

    つまり、仏教が云う処の無常そのものなのです。

    その無常である現象界での競争に、命をかけているのが『陽』です。




    そこでの大いなる欺瞞は、

    『陰』の絶対価値観を捨てた近代合理の『陽』の国家群が、

    我が国こそが、〝正しい!〝と主張する事です。

    相対世界で、正ですって???       あはは。


    欺瞞もいい加減にしてほしいですね!

    何の絶対観ゆえに正しい! と云うのでしょうか?    ほほっ。

    相対化をすれば、絶対の正しさなんて、無いはずなのです。



    この近代合理の思潮の中では、絶対正も絶対悪もありません。

    あると思っているのは、幻想です。 




    だから、人間の理性が作文した刑法で、人間を死刑に処するなんて、

    決めていいのかと言う大きな問題もある。

    人間を死刑にできる程、人間の意識はエライのですか?

    近代国家と云う人工の囲みの中で仮に決めた決め事にしか過ぎない法、

    その法に、ここまでの権限を与える事は、果たして正しいのか?


    ほらほら! そうなるでしょう?

    だから、見ざる言わざる聞かざるなのよ。    ほっ。



    ほらほら! 

    現代人は、普段は、こう決めつけて考えないようにしているのよ。

    どこかを誤魔化しながら、欺瞞を見ないようにしている。。。


    民主主義だって、

    多数が正しいとは限らない。

    少数が、間違っているのかと云うと、そうではないはずです。


    いい加減、いい加減なのよ。

    近代合理主義は、合理と云いながら、アバウト。



    だから、近代合理主義の思潮の下で出来る事は、

    お互いが都合を主張をする、それで、譲り合うしかない。

    それが、民主主義で、近代合理のはずです。


    それでいいじゃないですか?  あは。


    だのに、近代国家の国同士が外交でやっている事は、

    ぜんぜん合理じゃない。

    民主的ではないのです。



    どっかで、自分の側を、正しいと飾るのね!

    ウソでも、武力で押し通そうとする訳です。



    おかしいと思いませんか?


    つまりは、ですから、、、近代合理は矛盾だらけ、キリがないわ。    


    あはは。






    ついでに、靖国問題。

    時が解決するでしょう。

    靖国は、絶対ではありませんから、

    現在の双方の拘り自体が、時と共にいずれ古くなります。

    どうしてああ云う言動をしたのだろうと云うようになると思います。


    いずれ、靖国は存続できなくなるからです。

    理由は、今後戦争をしない限り、新たな戦死者が増えない限り、

    そうあってほしいものですが、そうであればそうである程、

    あそこをお参りする遺族は増えないでしょう。


    よく、お考えになってください。

    あの神社は、

    増えない方が良いと思っている人達に支えられているのですよ。

    これから先、平和が恒久的に続けば、支える人はいなくなる。

    未来志向で、発展興隆するとは思えません。


    『時』が経てば、ご遺族は、高齢になりだんだん少なくなられます。

    一神社としてどうやって維持経営して行くのか、、、、、

    これは、もう、計算で予測可能なはずです。


    国の為に戦死した方が眠る神社とは謂えども、

    れっきとした一宗教法人ですから、国営ではないのですから、

    国は維持経営の為に予算を与える事はできません。


    それを、その時点でどうするかは別問題です。

    何らかの形に改変せざるを得なくなるでしょう。



    そもそもが、国の秀才や優秀な人間が頭を集めて作ったはずが、

    いずれは今のままが維持できない構造が孕んでいた、なんて、

    そう云う構造に作った事が不思議です。

    未来永劫の鎮護国家、戦死者の鎮魂を考えたのだろうか?

    本当にそう云うものがあって、祈りが根本にあったのなら、

    平和が続けば、弥栄え、

    遺族がゼロになっても、弥栄えるものが仕組まれたはずです。

    しかし、そうではない。





    『陽』の世界は、

    同じ現象が、永遠に続くモノではないのですよ。  ほっ。


    しかし、爭う時は、

    このままが、永遠に続くかのようにロジックを構える。

    そうしないと、喧嘩はできませんからね。      あはは。

    喧嘩は、相手を潰せる自信が出来た時にしかしません。

    ロジックの中身じゃないのです。

    その思う壺に、嵌まらないようにした方がいいですね。




    『陽』の世界は、力と力の現象のつぶし合いの世界ですが、

    そうそう焦らなければ、全ての現象は、

    いつか、必ず、消えます。

    一つの勢いが、まず、3年、 10年続かないのです。

    100年続けば、中味が腐りだして100年、崩れるのに100年かかります。


    そうそう、エネルギーは一つ所に止まって停滞をしないからです。

    木・火・土・金・水の気は巡り、絶えず周流が起こります。

    毎日の天候の様に、『天』は瞬時も止まる事なく動いています。

    365日、同じ天候の日は無いのですから、

    3年後、同じ人が居ると云う保証はなにもないのです。





    そう云う事から、見えて来ませんか?



    一番の正しい人は、『時』を自分の味方にできる人です。





    それなのに、それを忘れて、


    人は、今の自分を絶対化するのです。

    そして、言い訳をして、今の自分を飾って維持したいのです。

    こう云う病気なのでしょうか?    あはは。




    人間は、どこまで『偽』が好きな動物なのでしょうか? 

    人間は、自分を飾るのが好きなのですね。    あはは。

    それは、表に出せない恨みや嫉妬や欲望があるから、

    それらを根拠にして物事を動かそうとする時には、

    それらを〝正しく・美しく”と飾るのです。

    そうして自分の方が正義だと、ウソばかりをつきます。 


    この『天』を騙せると? 思っているのですね!    ほっほっ。




    国家も個人も似たようなものね!     あはは。



    ほんの生きている刹那の自分の意識を満足させる為に、

    未来までをも巻き込んで、ウソをつくのです。

    戦後65年、まだ巻き込まれていますでしょう?



    ウソは広まります。

    楽の為なら、欲望はウソをついて団結しますから、、、ね。

    本当の正しい事が広まると困る人が大勢いるからです。  あはは。



    ゆえに、真に正しい知識と云うモノは広まらない。

    広まるどころか、覆い隠されて出られなくなります!

    尖閣だって、竹島だって、     あはは。

    まったく真実を伝える歴史が無いように、です!   あはは。





    他国の事ばっかりではありませんわ。

    日本もです。


    今年度より、我が国は、やっと日本史を高校必須科目にします。

    今までは、日本史を教えていなかったのですよ!

    今更ながら、やっとです。

    ひとまず、ホッとしましたが、また、新たな不安が、、、

    どう云う歴史を教えるつもりなのか?     ほほっ。



    この『陽』の闇は深くて、、、、、、






    では、

    今日の記事に関する重要な語句で、深い闇を、、、

    その言葉の意味が、もう何百年も、1000年以上も

    源流の意味が、正しく広まっていない例をあげてみます。。。





    ・ たとえば、キリスト教の天国


    クリスチャンが死後、行くと謂われる遠い天の国。

    思いを叶えた喜びだけが溢れているそうです。   ほっ。


    この思想に現代の我々は染まってしまって、クリスチャンでもないのに、

    日本人は、いつの間にか、死んだ人が天へ行ったような事を云います。

    例えば、


    夫が天から見守ってくれていると、、、

        亡くなっても、あの子は、天で遊んでいると、、、等です。


      ≪クリスチャン以外は、幾ら憧れても天国へ行けないそうですよ!≫


    行けもしない天国を、気休めに言う日本人の寂寥感!   ほっ―。

    当て所(ど)ない死後の世界の迷い人、天国をさがす日本人!  ほ。





    ・ 仏教で云う極楽、= 『西方極楽浄土』


    西の遠い方角にある、浄土宗の本尊、阿弥陀仏の住む土。

    あらゆる苦が無い世界で、ただ快楽だけがあると!説かれています。  


    あらっ、なにの努力もしないで、

    欲が満足した後の快楽だけが与えられるなんて!

    素敵な処じゃございませんか?    ひゃひゃあ。

    なにやらキリスト教の天国と、似てる? 
        

    でも、欧米化をした現代では、天国の方が人気がありますね。  ほほっ。

    極楽なんて? 行きたくないわ、、、って。     あはは。


    ただし、です。

    浄土宗系のお葬式は、死者をここへ送っているのですよ。  ほっ。

    あなたの家の御宗旨でお葬式をすれば、そう云う事です。


    あはは。  もっと大事な事があります。


    極楽は女人禁制で、男だけしか行けないのです。 ほほっ。


    なぜなら、

    仏教で、法華経以前の経は、女は地獄の使いとしています。

    修行をする男の煩悩を起して邪魔をする存在であるとされています。

    たしかに!     あはは。


    阿弥陀経(の経法レベルに置いては)における女人の扱いは低く、

    仏法の修行すらできませんでした。

    男性だって、種々の戒律があり妻帯をしなかったのですね。

    女人を断つのです。

    ですから、男女別々、銭湯のような仕組みになっています。 

     ほほっ。


    女性も成仏できるとしたのは、女人成仏を説く法華経からです。

    そして、行く処は極楽ではなく、常寂光土と云う処に変ります。


    このように、経が違えば、仏の住む土もランクアップします。

    ですから、昔から、お婆ちゃんたちが、ナンマンダブと言いながら、

    死んだら極楽へ行くと信じているのは、あれは無理なのですね。

     
    可哀想~~に。

    どうして、そう云う宗派の教理上、明らかな事を教えないのでしょうか?




    後ほど出て来ます天台大師は、

    この阿弥陀仏の住む極楽浄土を、

    四土(常寂光土、実報無障礙土、方便有余土、凡聖同居土)の内の

    最下位の凡聖同居土として分別しています。


    要は、阿弥陀仏の浄土は釈迦の教えの中でもランクが低いと

    天台大師は謂っているのですね。

    浄土宗、阿弥陀系と云うのは、まだ仏教の導入部なのです。

    だから、まだまだ高度で緻密な世界が展開されていないのです。


    四土につきましては、難しいので今回は説明を省きます。






    ・ 『常寂光土』(じょうじゃっこうど)


    これは、天国や極楽と比べれば余りポピュラーではございませんね。

    一般には、知られていない仏教語ですが、

    天台によると、最高の浄土なのです!


    此処へ行きたい、と思っていますが、、、   あはは。


    あはは。 と云うのは、此処は行く処ではございませんの。

    ここだから。      ほほっ。

    今あるこの世界です。 

    この現実の世界が、そのまま常寂光土なのです。



    法華経の本門寿量品で初めて明かされた仏の住する国土の事です。




    むずかしい~? 

    そう、だから一般的に広まりにくいのですよ。  あはは。


    これは、天国や極楽のように、どこか遠くにあるのではなく、

    なんと! 自分が住んでいる場所、この世だと謂うのですから、、、


    余程の自信がある証拠か?  

    そう、初めてこれを知った時、

    その確信に触れてショックを受けました。

    まるで目が覚めるような、、、  ほほっ。



    物事は、本当を知ろうとすれば、大変です。

    その苦労を厭っていれば、掴まされるのはガセなのですね。






    この3つの語句を比べてみると分かるのですが、

    キリスト教の天国や、、、仏教の浄土宗の阿弥陀教の極楽の存在は、

    あるのか、ないのか、はっきりしない、、、 ほ、ほ。




    ごめんなさいね!

    浄土宗やクリスチャンの方々。

    私のブログ内ですので、納得するように書かせていただきますね。

    あしからず!




    (この、あるのか、ないのか、はっきりしないと云うのが、

    無意識界の事なんだからと云うのは、ちょっと違うのですね!

    この存在では、余りにも観念的。想像の域を出ていないのです。

    あらゆる事に普遍性がつながって行かないのです。)


    しかも、天国や極楽が、

    この世を嫌って遠くの方へ在ると云うのは、現世逃避的だし、

    なにやら子供だまし、の感を強く感じますね。   

    なんの事はない ---------------

    この世の現実を放棄させて、目をつぶれと、、、あきらめろと、

    現実を改変する力量、自信を感じさせない内容だと、、、


    人を救うと云う宗教が、これでいいのか? って、、、  あはは。





    だから、天台が四土の内で最低のランクだと言ったんだって、

    納得だなと思います。





    それに比べれば、

    この現実の世が、そのまま寂光土であると明かした点で、

    『常寂光土』は、非常に画期的で天地雲泥の感があります。








    『常寂光土』については、

    このブログの一番最初の記事である


    寂光について...  に少し書いています。





    これ以上の事は、

    意識が覚知も想像もできない無意識界の事ですから、

    意識の低いキャパで、あれこれ語る事はふさわしくないと思っています。




    老子も、

    知者不言,言者不知。( 知る者は言わず、言う者は知らず)と      

    謂っていましたね。 ほほほ。




    せめて、これ位の処で、

    凡夫には窺う事しかできませんが、、、

    想像する? いいえ! 勝手な想像はダメですね!    ほっ、

    過ちの元です。

    あくまで、想像は意識のキャパですから、、、、、、

    勝手な想像を止めて、

    極力意識を抑えて、密やかに、窺うように、、、です。 あはは。




    今日の記事は、書きながら難しいなあ、と感じています。  

    できるだけサラッと読めるよう努力を致しますが、、、


    読者のみなさまへは、とっても失礼な言い方になるやもしれませんが、

    分らないままに、目を泳がすだけでも読み飛ばしてくださいますよう、 

    切にお願いを致します。


    あはは。  それもむずかしい?


    たぶん、一度お読みいただいたとしても、

    腑に落ちるよりか先に、お忘れになってしまうかも知れません、、、あは。

    それはそれで大丈夫なのです。  ほほっ。


    ひよっとしたら文脈に目を泳がすだけでも、  

    字面だけでも追いかけてくださったら、    

    意識には抵抗があって忘れてしまっても、

    あなたの無意識に入ったものは決して失われる事はないのです。  

    それが分っておりますから、承知の上で、

    あなたの無意識、未来へ向かって、記事にさせていただきます。
      

    (ここが大事なのです。)

    無意識は過去・現在・未来です。

    つまり、永遠です。

    意識は過去より来る現在です。

    その狭い現在に留まろうとします。

    希望を失くしてうつむくしかないのです。

    そして、現状を守ろうとする姑息性、保守性です。



    またまた、意識の悪口になってしまいますが、   ほほっ。

    意識は、過去の延長としての現在の自分の楽だけにしがみ付いて、

    新たな創造や改革は、意識からは生まれません。

    全ての発見や、創造は、インスピレーション、無意識からです。

    真の未来を作るのは、無意識なのです。

    現代の袋小路は、意識ばかりを重用する思潮が原因です。

    そして無意識を捨てるから、行き詰るのです。



    だから、現状の肉体を保存する医学ばかりが科学されます。

    欲々(よくよく)しい意識だけなんかどうでもいいのです。

    あなたの無意識との関係こそが重要なのです。

    新たに転生するのは、

    あなたの無意識の内容そのものなのだからです。



    あなたが、私のブログで出会った内容を忘れたとしても、

    あなたの無意識が、それを、ずっと抱え続けて行きます。

    意識に、腑に落ちるようになるには、

    『時』を積み重ねるしかありません。 


    でも、個人差がありますの。

    この『陽』の現象界においての『時』は、

    意識が捉えられるtime が一番分かりやすいですね!


    それは、数日か、数週間か、半年か、1年か、3年か、大運の10年後か?

    果ては、30年運に拠る季節を待って30年後か、60年後か、90年後か?

    あなたの死後かもしれません。

    あなたの子供か、孫か、3代先の子孫か、7代先の子孫か?

    これは、オーバーではなくて、遺伝子と同じですね。

    必ず、つながって行くものです。



    でも、、、




    今、すぐに役に立たないじゃない? と言われても、、、  

    それは、無理と云うものです。   ほ、ほほっ。



    ちょっと理屈を云いますと、ね!    あは。

    感覚器官で捉えている〝今”をフィーチャーする意識が、

    今、すぐ損か得か、即時の合理性を求めても、ねえ?  

    それは、騙してくれと云うようなものなのですよ。  ほほ。



    特に、この傾向が、今の近代合理主義の思潮では強いのです。

    もっと、私を騙してほしいと云う思想です。

    もっと、もっと、だましつづけてほしいって、、、  あはは。



    現代の我々を取り巻く世界は、

    クルクル変わる意識の性向を、正しいと認めた思潮ですから、、、

    我々の意識は、

    今、目の前で、自分を利する情報を集めようとします。

    今直ぐに! 意識は、安心できる〝楽”を求めていますから、

    自己利益が叶う! と認識する論理でないと受け入れにくいのです。

    目で見えない、計算できない事は、分らなくなるのですね。


    ------------ そう云う意味でのムズカシさ、、、




          

    意識にとっては、

    今、目先の満足に役には立たない事は、 = むずかしい! のです。   



    だって、意識は、過去から現在までがテリトリですから。




    あ、でも、

    その奥の無意識こそが、

    実は、我々を幸せにするのだと云う事が分っていれば、

    意識が、何を邪魔しようがガードしようが、    ほほっ。

    ス―――ッと意識を透過して無意識へ入っちゃうのです!



    あなたはどちらでしょう?    

    運命学で云えば、これらも命式で分るのですよ。   

    命式の中に、④と⑩ がある場合は、

    意識と無意識の境界がストレートにつながっている方が多いようです。


    (④⑩も、まだ、ブログ内では記事にしておりません。

    お勉強中の方は、④⑩を当ててみてください。

           いずれ不思議な命式シリーズで記事にする予定です。)






    人間は、どんなに優秀でも意識だけでは生き延びてはいけません。

    生き延びる叡智は、目に見えない部分『陰』です。

    --- 誰の意識にも捉えられない処に在ります。


    上のピンクの文字の部分、↑ ここを憶えていてください。

    老子の「和光同塵」後半の部分、

    印の処まで覚えておいてください。









    前置きが長くなりました。


    では、すこしづつ本論へ。




    有名無実(うみょうむじつ)についてです。



    この言葉を、仏教の意味において、その淵源から詳しく書くとすると、、、

    百科事典ほどのボリュームになるやも知れません、、、  

    それも不可能な事、、、そうも行きませんので、、、、、 ほっ。

    とにかく、いかに簡単に書くかを心がけてみますね。    あはは。





    有名無実(うみょうむじつ)を簡単に云いますと、

    ◯◯仏、と云うように仏の名前が付いているのが多いけれど、

    それは、名のみであって、

    その中味、仏としての実体はない。

    つまり、肝心要の仏としての力が無い。

    衆生(命あるもの皆)を救う仏力・法力はない。



    こう云う事です。



    つまり、◯◯仏と云う名前だけで騙されてはイケナイ。


    四字熟語の有名無実について、

    この世界の事物で、名が有るモノは、内実がない。

    と云うような事が、実は、仏にも当て嵌まると云う事でございます。



    この事はどう云う事かと云いますと、

    前回の記事にも、少し書きましたが、

    釈迦が説いた(とされる)仏説には、

    日本古代の神道で云う八百万(やおよろず)の神どころか、

    未来世に仏になれると云う授記を受けた菩薩や

    *比丘、比丘尼(びく、びくに)までを含めると、

    ◯◯仏、 ●●仏、 ××仏、、、、、、のように、

    仏教と云っても、沢山のほとけさんがウジャウジャいるのですね。


    *比丘、比丘尼 = 仏法における仏・法・僧と云う三宝(さんぽう)の中の宝の一つで、僧の集団の事。

    比丘は、男性僧、比丘尼は女性僧の集団。





    それを簡単に紹介ているウィキがここあります。クリックしてどうぞ!

    もう、スクロールするのが大変な位です。    ほっ。





    いかがですか?    ほほっ。

    書き切れないほとけさんと云うのも、他にもっといます。

    では、それらは、どう違うの?     

    近代合理主義に馴れた頭、意識には難しいですね。 ほほ。



    しかし、これが、釈迦が予言をした末法思想の意味なのです。

    末法とは、釈迦の説いた仏教の内実が抜けて行って法力を失い、

    教えが形骸化して仏力を失った仏だけになる。

    名前だけの仏群が残る。と云う事なのです。



    末法思想 = 詳しくは、ここへどうぞ!







    詳しくは、又、東洋の思想シリーズで記事にしようと思いますが、


    現在の大勢のほとけさんの名前を見せられて抱く不明瞭感は、

    なにか、分かりにくい、難しい、

    仏教の中身が秩序立って整理されていない感がします。

    この事自体、仏教の形骸化、内実が伴っていないと云う事なのでしょう。


    初歩的な疑問なのですが、

    社長だって、

    一口で社長と云っても、いろいろです。     ほっ。

    上場会社、個人商店などの規模や、

    資本金、有利子負債等の会社力があるように、

    仏だって、

    一応、仏と云う呼称が付けられているけれど、

    その実力は?   

    と、聞きたい位です。   あはは。

    会社なら、就職や投資をする時には、会社四季報を見ます。

    そうでないと中身が分らないでしょう?   




    それを、乱れに乱れた教理と本尊群を、

    釈迦の教理に沿って整理、整頓したのが中国の天台大師です。

    各経典、種々の仏の四季報のような著書を著しています。 ほほっ。


    「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の天台三大部です。

    世界史で習った方もいらっしゃるでしょうね。


    あ、念の為に云っておきますが、

    これほどの天台も、ご自分が仏だとは一言も言われておりません。

    それより、末法の仏の出現を預言、待望していました。






    東アジアの仏教は、ヒンズー化、道教化はしていますが、

    それでも、日本ほど多種多様な本尊を造立して乱立させ、

    1宗派が何種類もの本尊を飾ってゴチャゴチャしてませんよ。




    日本は、本堂や仏壇に、曼荼羅に釈迦像に菩薩像3つとか、  

    お雛さんの段飾りみたいです!  あっはあ。  

    日本のこれって、何なのでしょう??

    まったく理解に苦しみます。



    日本は、多神教。

    その通りです。

    仏教の中に現れる神は、これまた、たくさんです。

    しかし、、、、我々凡夫は、迷います。



    もったいなくも、、、 


    これと同じようなお気持ちを持たれた天皇が居らしたのです。  


    平安朝を開かれた桓武天皇です。






    これに関しては、

    2010年 10月 16日から約2カ月ちょっとを掛けて書いた記事の、


    天武天皇流の天皇の女系化と、系列の断絶化に観る運命学 その2


    において、この辺りの事は詳しく書きました。



    詳しくは、そちらをご覧になってください。






    -------- また、なぜ宗派がいろいろあるのか? 

    と云うご質問を

    ブログの読者の方からいただいております。

    それにつきましても、この記事内に詳しく書いてありますので、


    是非、この機会にご覧になってください。








    先ほどの桓武天皇の業績について、






    中国、隋の煬帝 ・ 天台大師 から

    日本、桓武天皇 ・ 最澄(伝教大師) へ



    中国の南北朝時代に、

    南の揚子江流域の3宗派と、

    北の黄河流域の7宗派

    = いわゆる南三北七(なんさんほくひち)という10もの宗派が、

    当時の中国仏教界の中に乱立しているのを

    憂えた時の皇帝、隋の煬帝が、

    10宗派と論争をして論破をした天台大師を擁護をして、

    正しい仏教は何であるかを宣揚されました。



    天台大師が10の宗派を論破でき得た論拠は、

    釈迦の一生の間の

    化導・けどう(民衆を導いた)をした『時』代を五つに分け、

    又、一生の間に説いた教えの内容の全体を八種類に分けて、


    -------- いわゆる『五時八教』と云うものを自ら立てて、

    釈迦の全ての経典の浅深優劣を明確に示して、

    10宗派の僧侶と法論を対決をした訳です。


    10宗派の僧侶たちは、仏教の一切経を読んだのかどうか、

    その内容の高低も浅深も知らずに、

    経典に権実、本迹の違いがある事も、

    正邪すらも知らなかったのです。


    知らなかったからこそ、我こそ正しいと乱立できたのでしょう。


    釈迦一代の一切経を読破した天台大師は、

    その乱立した10宗派を糺し、整理をします。

    煬帝の御前で法論対決をした結果が、そうなったのでした。








    それを、遣隋使から伝え聞いていた当時の日本の天皇が、

    第50代・桓武天皇です。



    桓武天皇は、

    それまでの平城京における天武天皇系の血統が途絶えた故に、

    元の天智天皇系から天皇になられた方ですから、

    それを機会に、それまでの天武朝の朝廷政治の改革を断行します。


    まず、772年に天武の孫や聖武の娘を捕らえ流罪として、

    天武系の血筋を根絶やしにしています。


    古代からの天皇は、

    古代神道、道教などの影響を受けた葬送、墓所を造っていますが、

    桓武天皇は、

    仏教で葬送を行い、泉涌寺を天皇家の菩提寺とした方です。





    都を奈良・平城京から、京・平安京へ移します。



    天武系の朝廷に影響を行使するまでに勢力を伸ばしていた

    平城京の仏教各宗派、各寺院の政治介入を排除し、

    その権門勢力の力を削ぐ為でした。




     平安京へ、奈良平城京の既成仏教寺院の移転を禁止します。



    それまでの権力を持った平城京の既成仏教界を奈良へ残し、

    平安京まで、腐敗した奈良仏教界の影響を及ぼしたくなかったのです。

    これは、桓武天皇が日本の仏教界を正しく刷新する目的の為でした。




    中国仏教界の乱脈を正した天台の教えを我国へ持ち返る事を

    最澄に命じて、遣唐使として派遣します。



    桓武天皇は、我が国の仏教界の乱れを

    宗教上の教義として、その正邪を糺す事で刷新しようとしました。


    天武系の朝廷政治に権益を持ち、腐敗した奈良仏教界を抑えて、

    日本に、正しい釈迦の教えを確立しようと願ったのです。


    その為には、中国の天台の教えを日本に持って来なければいけません。

    それを、桓武天皇は最澄に命じます。


    最澄が、遣唐使として入唐したのが、803年です。




    この年は、

    釈迦が予言をした*末法の時まで、あと269年の時点です。

    まだ、釈迦仏法の力が完全消滅していない時期に当ります。



    *末法の時 = 「周書異記」にあるように

    釈迦の入滅を周のバク王52年(前949年)とすると、

    日本の後冷泉天皇の永承七年(1072年)が末法の初年になります。





    今年、2014年は、末法の初年より942年経過しています。

    後、58年で末法1000年の節目になります。

    我々は、今、

    釈迦の予言通りの有名無実(うみょうむじつ)の時点にいます。











    『有名無実』(うみょうむじつ)の「実」について、


    まず、仏教的な「実」とは、なにか?

    よく考えれば、仏教ほど「実」を重んじる宗教はないのです。


    このように、桓武天皇によって糺された日本の仏教界が、

    末法と云う時に入って、今現在、どうなっているのか?



    そう、みなさんが生れて来て、見て、知ったこの日本、世界の状態、

    よくよく御存知のこの状態、現実です。




    東洋の「と」の字もない、この日本の状態、

    『陰』を捨てた近代合理が跋扈する、この状態、

    日本人の何割が、仏は存在すると信じているでしょうか、、、

    確かに、寺院には仏像は残っています。

    観光で拝観料が取れる寺院は、それなりに整備がされています。

    しかし、仏教はさびれつつある、、、これが、事実です。

    この状態を、「有名無実」(うみょうむじつ)と云います。








    かの桓武天皇が、中国の天台に習って導入した甲斐も無く、

    ただただ仏の名前だけが末法にはあるけれど、

    仏としての実体が無くなっていると云うのですね。



    道徳どころか、

    末法は、根本法が失われて行く訳ですから、

    我々、庶民にしましても、

    何が尊いのか、何が賎しいのか、分らないと云う事です。


    そう云う時代、世界、がまず、ここにある。

    そして、

    『陽』の現象界だけを認める思潮の中で生きる我々の意識がある訳です。 






    そう思えば、

    まさに、末法とは、

    『有名無実』・うみょうむじつの実態とは、

    『陰』の世界を捨てた近代合理主義の近代化が、

    形骸化した仏教を飲み込んだ構図、世界だと、

    捉えたらどうでしょう?





    釈迦仏法が衰微するプロセスを辿るように、

    我々の先祖が持っていた外来の思想を吸収咀嚼する力、

    相手を飲み込んで来た逞しさが低下すると共に、

    近代合理主義の思潮の中へ飲み込まれて行ったのです。



    残念ながら、釈迦仏法に関する現況は、そうであろうと思います。




    民族を滅ぼそうとしたら、

    なにも武器を取って攻め込まなくても、


    中国がチベットでしている事を見ていたらよく分ります。

    チベット固有の国民性、文化、宗教の独自性を奪い、

    自然環境の破壊を引き起こし、中国軍の男性をチベットへ送り込みます。


    チベットでの人口は、チベット人600万人に対し、中国人は750万人です。

    経済開発・社会開発という口実で、集団転居をさせられる移住政策は、

    チベットの男性の生活力を奪い結婚をできなくするのです。


    中国政府は、チベットの女性と漢民族の男性との結婚をすすめ、

    ある意味の民族洗浄をして行きます。

    その方がしあわせになれると云う価値観を推し進めていくのです。



    民族は、こうやって30年もかければ無くなります。

    ある民族のDNA、人間がいなくなる前に、

    その前兆に、文化や伝統が破壊され消失して行きます。






    道徳を失った意識はどうにでもなります。



    人から生きる規範を失わせて、文化を破壊し、

    豊かな食事と衣服と住居が有る物質文明へ漬け込んだら、

    人々は雪崩を打って、そちらの方へ行くはずです。


    意識の、そう云う特性を知った上で、ある民族をコントロールすれば、

    武器を使わずに一国を飲み込む事は、簡単です。




    真の戦争とは、武器戦争ではなく思想戦の事です。

    敵にミサイルを落とす事ではなく、相手の自尊を叩きつぶし、

    その生活の根拠となっている文化を形骸化する事です。  





    見えない処の闘いなのですよ。

    見えるスマホの画面でゲームに勝つ事じゃないのです。  ほっ。




    特に、これは『陽』である男性の領分の闘いです。

    ここが、男の本分なのです。



    少子化だから、年金保険料や所得税を払う人数を増やすには、

    女性を働かそうとか?    

    頭数ばかりを国は数えています。

    女性が喜んで受け入れられるようなロジック仕立てをして、

    政府は、お膳立てに躍起です。    ほほっ.



    しかし、この闘いは、男性でなければだめなのですよ。




    何でもそうですが、

    本質は、世に広まる事によって、本質を失います。

    言い換えれば、本質は、通俗化する事によって広まるのです。

    言い換えれば、通俗化した部分には、

    本質は、無い。



    だから先ほどの天国や極楽、と云う広まって通俗化した知識は、

    本質を失い、滑稽な程に意味そのものが変っているのです。





    だから、本質を守ろうとすれば、

    常に本質原点に帰る運動が必要になって来る訳です。

    常に『陰』に帰る必要があります。




    それを忘れると、疎かにしますと衰微します。

    本質が見失われて、枝葉にエネルギーが拡散します。

    『陰』が見失われて、枝葉の学問の知識ばかりが拡散します。

    源流の湧水『陰』が枯れると、川は亡くなります。


    川と云う現象が大地から消えるのですね。

    だから、『陰』を無視する近代合理主義ではダメなのです。




    絶家も亡国も、同様です。

    川と云う現象が大地から消えるのです。

    絶家も亡国も、その家の、その国の『陰徳』が枯れ、男が破れる事です。

    国も家も栄えるには、『陽』の現象界での力が要ります。

    故に、男は強くあらねばならない。  

    立てなければならないのです。










    この『陰』と『陽』の違いを余韻に残しながら、、、   ほほっ。

    いよいよ、最後です。




    だから、本質を守ろうとすれば、

    常に本質原点に帰る運動が必要になって来る訳です。

    常に『陰』に帰る必要があります。



    ------------ 常に『陰』に帰る生き方とは、、、









    『老子』56章「和光同塵」の後半です。




    本文と、書き下し文




    6.  故不可得而親、       故に得て親しむべからず、

    7.  不可得而踈         また得て疏(うと)んずべからず。      
    8.  不可得而利、        得て利すべからず、

    9.  不可得而害         また得て害すべからず。

    10. 不可得而貴、         得て貴ぶべからず、

    11. 不可得而賤。         また得て賤(いや)しむべからず。

    12. 故為天下貴。         故に天下の貴(き)となる。




      
    「和光同塵」・ 自らの智恵の光を和らげて、チリと同じに成って

    この『陽』の現実世界の中へ溶け込んで行って玄と同じになる。

    それを実践している人を、

    大衆の中から捜そうとしても、それは不可能であると謂うのです。

    おもしろいですね!     あはは。


    「和光同塵」を実践して玄と同じくなった人との付き合いは、

    どのようなものか?



    この事について次の様に書かれています。




    6. 「故に得て親しむべからず。」


    仮に、和光同塵を実践している人と知り合ったとしても、

    もっと親しもうとしても、それは無駄であるからやめなさい。



    7. 「 また得て疏(うと)んずべからず。」 


    仮に、和光同塵を実践している人と知り合ったとしても、

    疎んじてやろうとしても、できないから止めた方がいい。


         
    8. 「得て利すべからず、」


    仮に、和光同塵を実践している人と知り合ったとしても、

    利用しようとしても無理だからしない方が良い。



    9. 「また得て害すべからず。」


    仮に、和光同塵を実践している人と知り合ったとしても、

    害してやろうとしてもできないからしない方が良い。




    10. 「得て貴ぶべからず、」


    仮に、和光同塵を実践している人と知り合ったとしても

    貴んだりしても意味がないからする事もない。




    11. 「また得て賤(いや)しむべからず。


    仮に、和光同塵を実践している人と知り合ったとしても、

    賤しんだりしても意に介さないから意味がない。




    12. 「 故に天下の貴(き)となる。」


    和光同塵である人物は、天下に恥じない貴と云うものなのである。






    と云うのです。     

    どう云う事かと云いますと、



    『玄』と同じになった人に対しては、

    馴れ馴れしくしても、それ以上に親しくなれないし、

    疎遠にしようとして無視しようとしても、妙に気を引く処があったりして、

    利用しようと思ってイイ話を持って行っても、そうそう乗って来ないし、

    妨害してやろうと足を引っぱっても、怨む気はないみたいだし、

    ヨイショしても、その効果はないし、舞い上がらないし、

    非難して悪口や陰口を言っても、なんら気にしないようだ。

    と、言うのです。     


    つまり、他人の意識では、動かし難い人物であるという事です。




    親しみさえ、意に介しない。

    まして、反対に疎ましくしても、気にしていない。

    利害や損得でも振り回されない、 

    毀誉褒貶では動じない、 

    意識レベルでは、心を動かさない人物なのです。





    つまり、玄と同じになった人、

    和光同塵を世間の中で実践して生きている人は、

    他者からの働き掛けではコントロールする事ができないのですね。




    頑固や偏屈とは違います。    あはは。



    いかなるものにも動じない自分を持っている。

    他人の意識どころか、自身の些細な欲得では、でも、動かないのです。



    故に、賤(いや)しくないのです。

    自分の意識と欲望をコントロールできているのですね! 
       




    では、何によって動くのか?


    老子が謂うには、『道』(タオ)です。


    自然の有りようの本質に合わせて生きている。

    自然の摂理に従う智恵で生きているのです。

    お金でなく、名誉でなく、人気の為でもない、儲けの為でもなく、

    誰にへつらう訳でも、媚びる訳でもなく、ホメられたい訳でもなく、

    賞が欲しいから、 メダルが欲しいから、、、と云う欲望はなく、

    自分が玄と同じであると云う立場を保っている人であるから、

    ゆえに、天下において、最も貴い人と成るのである。     




    和光同塵である人物は、世間の器などには入りきらない、

    他人の意識などでは、図る事のできない、

    世間で云う処の偉人、成功者とは全く違う人物であると謂うのです。



    そして、



    もし、和光同塵を実践し、実現している人物であれば、

    そう云う事すら世間にも知られず、

    本人には、何の気取りも無く、傲慢な素振りもなく、

    平々凡々と暮らしているはずであるから、

    これは、己(おのれ)の分においての貴であると、、、




    『陰』の本体における創造性の本然的な貴である。





    初めの方で、覚えておいてくださいと云った文ですが、

    この本然的な貴と云うのが、そこに一致します。


    ★ --- 誰の意識にも捉えられない処に在ります。


    自分と云う位置付けを、

    誰の意識にも捉えられない処に置いてある訳です。


    自分すらも犯せない、

    まして他人などが、この人物をどうしようとしても

    決して犯す事ができないのです。





    ------ それを、貴と云う。------




    実は、これが、『陰』の働き、女性の本分なのです。


    えっ!?  男性は? って

    それは、、、 男性もそうであればこの上ないのですが、

    先ずは、男の本分は、生きる糧を稼ぐこと、    あはは。


    この現実の社会の中で、負けないで戦う事ですよ。  ほっ。




    山本周五郎の本などに出て来る女性は、

    江戸や明治の、女性の人権なども認められていない時代の、

    男女平等でもない夫婦関係の中で、

    名も無い普通の庶民の女ですが、非常に芯がある女性達です。


    その名も無い庶民の女たちが、周五郎の小説の中では

    どこかで家運隆盛、子孫繁栄を、≪ 目立たぬように ≫

    役に立って行く訳です。

    自分の役割を、周りに関係なく、果して行く女たちです。

    それは、当たり前の事でした。




    近代合理主義は、この役割と云うものを壊しました。

    あさはかな、皆平等と云う皮相的合理のウソを広めた訳です。

    これも、都合が好いから一斉に、広まりましたあ!   あはは。


    今の、若い女性に、こう云う話をしましたら、

    とんでもない!      あはは。

    と、排斥を喰らってしまいそうですが、

    この時代の女性には、「実」がありました。




    だから、ゆえに、その子孫である我々が、生れているのです。




    今の近代合理主義は、「実」を無視した思想ですから、

    この『陽』の現象界は、「実」が転がっていない世の中になっています。

    その中で、幾ら現象の花を咲かそうと、「実」は残せません。





    現代人は、心底「実」の味を味わった事すら無いのですから、

    「無実」の意味も分らないのは、当然です。


    それで、有名と云う現象こそが「実」だと勘違いをして、

    名に頼るしかないのです。

    看板とラベルに騙されるのですね。


    しかも、「実」は、目の前の利益になりませんから、

    両手にいっぱいの「利」の方が良いに決まっている!    ほほっ。




    無いと蓋をした「実」の代わりに、

    心だの、感じるだの、好きだの、嫌いだの、スピリチュアルだの、

    ハートだの、愛だの、と主観で好き放題を言う事が、

    自分らしさであり、個性だ、精神性だと大きな誤解をしています。


    非常に幼稚性が大手を振っております。

    国も女に働いてもらいたいので、煽いでおりますが、

    さあ、その行き着く先は、、、




    「実」より、「楽」がいい。




    こう云う現代と云う時代の欺瞞をどう捌いていくのか?

    みなさまの本物を知る知識と智恵に掛かっています、、、



    そして

    どうかホコリにまみれて下さい。    ほほっ。


    まさに、物だけは溢れているようですが、地球上は地獄の様相です。


    日本だって、板子一枚下は地獄。



    そこへ、あなたの柔らかな暖かい光を、

    この世の地獄へ、

    静かに、静かな光を、、、、、、










    ああ、やっと書き終えました!


    長編の記事を、最後までお読みくださった読者の方へ

    心から感謝申し上げます。


    ありがとうございました!



    次回より、

    運命学を中心にした記事、命式の事、

    命の継承シリーズの記事へ移行して行きます。

    そんなに長い記事にはならない予定ですので、

    すこし、早めに更新ができるかなと思っております.


    どうなることやら、、、


    次の更新まで、インフルエンザに気を付けられて、

    あなたのいい時をお過ごしください。



































    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

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    どうぞ宜しくお願いします。

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    No title

    老子もここまで讀めるのですか、
    現代の原因を仏教の末法時でまとめ、
    天国と極楽を見事に斬って捨てる。
    cosmosさんはどっちにも行く気はないんだね?


    老子といえば、
    欲望だけでなく、
    知識、学問、技術、法律などは、
    社会の混乱と争いの元と考えた人らしいです。
    ちょうど近代合理主義の欠陥を予言したような人なのか?
    御存知でしょうが、
    老子は孔子の師匠だったとか、面白いです。

    No title

    男の本分たる「陽」の世界で、腹くくってもうひと踏ん張り!
    そんな気にさせていただきました、感謝m(__)m

    懸案事項は、「陰」の本質を実践している女性の方々がいかほどいらっしゃるか?
    (そういう方との出会いがあるか?が最重要事項、が本音www)

    今回の大雪(家は鹿児島なので助かってますが)の被害が、あまり報道されていませんが
    実際に被害にあわれた方々がどれ程いらっしゃったのか、気がかりです。
    これもまた「天」からのサインなのだとしたら、いったい何を知らせようとしているんでしょう?

    まだまだ寒い日が続きそうです、春までもうひと踏ん張り!ご自愛くださいませ。

    No title

    天は常に動く、それを実感する大変な雪でしたね。=
    無事にお過ごしの事とおもいますが?=
    交通渋滞で物流もたいへんなようです。=
    我が家には届くモノがまだ届かないのです。=



    ソチのオリンピックの方も、メダルが増えて来ました。=
    羽生くんの金メダルも良かったですね。=
    でも、cosmosさんのいつもおっしゃる運そのものを感じました。=


    今回の記事は、丁度雪で家に閉じこもっていたので、ゆっくり読みました。=
    身近な処で本当の事は見つからないというのは、通俗ですね。=
    俗の中にこそ本当の事があるのではと思うところもあります。=
    それは惰性を排除し、常に本質に戻ろうとする努力がいるのだと思いました。=


    無知は不幸である。=
    この言葉を思い出した処です。=

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    No title

    こんにちは~~♪
    今回は読ませて頂いて 和光同塵を実践できる人になりたいと思いました。
    なんか楽に生きられそうな気がしてきました。
    あっ!「実」より「楽」がいい じゃいけないんですね。

    それにしても日々乱れる乙女心(乙女とは大嘘つきました)とは決別して
    何事にも動じない自分でありたいと思います。

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    Re: No title

         鍵コメントさんへ


         仏教の流れだけでなく、物事の真実と云うのは、
        『陽』の世界では、蓋をされて外には出られないのです。
         
         
         >世の中の一般的な事柄として、、、、、


         一般的な事柄で真実が通ると云う事は、まずない。むずかしいですね。  ほほっ。
         日本だって、韓国と中国に理解されると云う事はとってもむずかしいのが
         お分かりになりますね。
         真剣に読んでいただきまして、ありがとうございました!


                お返事がおそくなりまして! e-420 cosmos 

    Re: No title

    > 老子もここまで讀めるのですか、
    > 現代の原因を仏教の末法時でまとめ、
    > 天国と極楽を見事に斬って捨てる。
    > cosmosさんはどっちにも行く気はないんだね?
    >
    >
    ★それはそうですね!
    あきらかな偽性を帯びた世界で、言葉だけで片づけられる問題ではありませんね。
    これは、仏教に無関心な民衆を引き入れる誇大宣伝文句、 あはは。 方便です。
    どっちにも行く気はないですよ~!   あはは。



    > 老子といえば、
    > 欲望だけでなく、
    > 知識、学問、技術、法律などは、
    > 社会の混乱と争いの元と考えた人らしいです。
    > ちょうど近代合理主義の欠陥を予言したような人なのか?
    > 御存知でしょうが、
    > 老子は孔子の師匠だったとか、面白いです。


    ★その通りですね!
    でも、これは、老子の激しい所ですが、そのままはちょっとね!   ほほっ。
    でも、そう云いたく程の『陽』のありさまですね、、、
    えらく東洋通なのですね、すばらしい、、、


              お返事がおそくなりまして! e-420 cosmos  

    Re: No title

    > 男の本分たる「陽」の世界で、腹くくってもうひと踏ん張り!
    > そんな気にさせていただきました、感謝m(__)m
    >

    ★あら、そうですか! よかったです。


    > 懸案事項は、「陰」の本質を実践している女性の方々がいかほどいらっしゃるか?
    > (そういう方との出会いがあるか?が最重要事項、が本音www)
    >

    そうですね。 でもお互いの努力は必要ですよ。  ほほっ。
    是非、いい方をゲットなさってくださいね。
    それには、明確な意識をお持ちになってください。
    ええ、もちろんあなたの無意識を反映した不断な意識です。



    > 今回の大雪(家は鹿児島なので助かってますが)の被害が、あまり報道されていませんが
    > 実際に被害にあわれた方々がどれ程いらっしゃったのか、気がかりです。
    > これもまた「天」からのサインなのだとしたら、いったい何を知らせようとしているんでしょう?
    >
    > まだまだ寒い日が続きそうです、春までもうひと踏ん張り!ご自愛くださいませ。


    ★これに関しましては、はっきり今回の記事に書きました。
    それでいいでしょうか?
    本当に春はもうすぐですね! 待ち遠しいです!
    冬の間、膝は大丈夫でしたか?
    冷やさない様になさってください。今は大丈夫でも年をとってから出ますわよ。 あはは。


            お返事がおそくなりまして! e-420 cosmos

    Re: No title

    > 天は常に動く、それを実感する大変な雪でしたね。=
    > 無事にお過ごしの事とおもいますが?=
    > 交通渋滞で物流もたいへんなようです。=
    > 我が家には届くモノがまだ届かないのです。=
    >
    >
    ★そう言った事もあったようですね。
    雪国ではない処は準備がありませんから大変でした、、、



    > ソチのオリンピックの方も、メダルが増えて来ました。=
    > 羽生くんの金メダルも良かったですね。=
    > でも、cosmosさんのいつもおっしゃる運そのものを感じました。=
    >
    >
    ★お感じになっていらっしゃる点は、その通りでしょうね。
    浅田真央さんは、残念でしたが、あれは仕方ないのです。
    次、記事に少し書こうと思っています。



    > 今回の記事は、丁度雪で家に閉じこもっていたので、ゆっくり読みました。=
    > 身近な処で本当の事は見つからないというのは、通俗ですね。=
    > 俗の中にこそ本当の事があるのではと思うところもあります。=
    > それは惰性を排除し、常に本質に戻ろうとする努力がいるのだと思いました。=
    >
    >
    ★俗の中に光るものがある、それはあるわね!
    でも、俗全体=本当の事 ???ですね。
    本当の事になった時には、それはもう、俗ではないのよ。  あはは。



    > 無知は不幸である。=
    > この言葉を思い出した処です。=


    ★さすが!ですね~~! でも、無知は救われますよ。  あはは。


              お返事がおそくなりまして! e-420 cosmos


    Re: No title

           鍵コメントさんへ


    > ④とは傷官でしょうか?
    > ⑩は、印綬ですね。


    よくできました!
    さすがです。随分お勉強をされましたね。
    精進なさってください、、、、


     お返事がおそくなりまして! e-420 cosmos


    Re: No title

    > こんにちは~~♪
    > 今回は読ませて頂いて 和光同塵を実践できる人になりたいと思いました。
    > なんか楽に生きられそうな気がしてきました。
    > あっ!「実」より「楽」がいい じゃいけないんですね。
    >

    ★あっらっ! もう和光同塵をなさっていたのではなかったかしら?   あはは。
    何にも犯されず、いつも明るいリンダさん~ そう思っていましたよ。
    まあ、楽の時々、今までのご褒美ですよ。よろしいでしょう?  あはは。



    > それにしても日々乱れる乙女心(乙女とは大嘘つきました)とは決別して
    > 何事にも動じない自分でありたいと思います。


    ★あははっ。 もうこれ以上動じなくなったらどうしましょう?
    私などは、もう、本当にそう思いますよ。   あはは。
    たまには、よよと泣くとか、  あっは。 アリエナイですね!  ほほっ。


         お返事おそくなりましたっ! e-420 cosmos


    Re: タイトルなし

            鍵コメントさんへ

    > この常寂光土の教えは、初めて知りましたが、とても、感動しました!!


    これは、これからの世の中を変えて行けると云う重要な意味があります。
    どう云う事なのか深く思索をなさるのもいいと思います。




    > スピリチュアルな、、、「アセンション後の高次元の世界」は綺麗事っぽいし、
    現実逃避だと感じていました。


    いい感覚を持っていますね!
    そのセンスを大事にしてください。
    本当に高次元の精神世界を知っていれば、近代合理主義の低次元さを
    見抜けなければおかしいのに、そうじゃないですね。
    高次元の精神世界を説明するのに、そう云う世界を否定する近代合理主義の言葉を
    使う事自体に、違和感がまったく拭えないのです。




    > 高速増殖炉「もんじゅ」、新型転換炉「ふげん」、インドの核実験「微笑むブッダ」
    と名付けられたのは、末法の世だからなのでしょうか。
    > 核実験や核施設に、仏教の名前を付けるのは、違和感を感じますね。


    それもその通りですが、逆に、どうして釈迦を本尊とする既成の仏教界が、
    俗っぽい施設に本尊の名前が使用されている事に憤慨しないのでしょう?
    その事が本当に、奇妙です。
    ま・さ・か! それを、抗議する程の値打ちがないものと思っているのか?
    それはないでしょうが、使う側も、抗議もせずに認めている側も中途半端、いい加減です。





    > 和光同塵を実践している人は、最初はなぜか「悟りを開いて飄々と生きている高齢の男性のイメージ」が思い浮かんだのですが、
    > 女性の本分だったのですね!!とても感動しました。
    >
    > これから死ぬまでの間に、少しでもこのような生き方ができたらいいな…と思いました。
    > ありがとうございます。


    私の願いが、女性の読者へ届いたようでうれしいですね。ありがとうございます。
    きっと、すばらしい女性に成長をしてくださいね。



         お返事がおそくなりましたっ! e-420 cosmos



    Re: No title

            鍵コメントさんへ



    > 、、、浄土真宗系の私には驚愕し、、、損をした気持ちになりました。(笑)


    そうですか、、、でも損どころじゃないのですよ。
    絶対価値には中途半端はありませんから、損どころか、ゼロ、いや、マイナスです。
    それを、よ~く思索なさるいい機会だと思いますよ!




    > 、、、やはり日本人の雑食的な精神性が悪いほうに流れてしまたのか、と思いました。



    日本人だけの問題ではありません。
    『陽』の世界の問題ですから、、、軽く認識をしてはダメですね。 ほほっ。





    > 、とすると禅宗についてはどう思われますでしょうか?



    まだ、記事にはしておりませんが、法華経以前の釈迦の説いた教えを爾前教といいます。
    この語句自体、釈迦の教説の中に在って、いわゆる釈迦の本心への導入部なのです。
    仏教へ誘い入れる、呼び込みのような経です。
    〝さあ、いらっしゃい! いらっしゃい! 仏教だよ! こんなにいいよ!”という、
    ウソも方便、呼び込みですから、オーバーなウソ、虚構だらけです。  あはは。
    そう読んでいかなければいけない経なのに、それをしない。

    浄土もその一つ、大売出しの目玉なのですね。  あはは。
    浄土以前の経は、流行らなかったから廃れたものも多く、
    今、有名どころで残っているので一番幼稚なのが浄土系です。
    禅宗も、爾前経の範疇の方便経で、少し幼稚さが改善されています。が、
    改善されたから、浄土よりましなのか?と云えば、呼び込みの範疇ではの話です。
    呼び込みのアジテーションの中では、少し複雑にはなっていますが、
    それは、真実が顕われた段階では、価値の意味が逆転します。
    真理を単純に曲げた幼稚な浄土経より、より狡猾に真理にウソをついた経になるのです。

    たとえれば、ニセ札、
    子供がおもちゃの偽札で買い物をすれば、罪にはなっても注意位で済みます。
    それが、どうでしょう?
    精巧なスーパーノートのような偽札を使って大人が買い物をすれば、これは重罪です。
    オモチャの偽札~精巧な偽札の間には、いろいろな段階の偽札があるとすれば、
    禅宗は、精巧なスーパーノートクラス程の精巧さはありませんが、
    浄土経より、緻密、それだけ悪の程度が格上げされ罪も大きいのです。  ほほっ。


    禅宗は、浄土経より学っぽいから、漢籍等の教養を持つ武士階級に広まったのです。
    幕藩体制の朱子学が『孝』とすり替えて『義』を『孝』の上に格上げをした欺瞞性で
    武士道なるものを作った事には、禅宗の自語相違の教相が役立っていたのではないかと
    疑っています。
    禅宗の教説の核になる空観についての欠点は、過去の記事の


    無意識の不思議 3  無意識と意識の役割分担 〈コメントへのお返事) を
    読んでください。
    そこに、詳しく書いてあります。


    http://jakkoucosmos.blog103.fc2.com/blog-entry-106.html


    事、宗なる教である宗教については、自分の意識だけで判断をするのは危険ですよ。

    世評によるのも愚かです。

    この『陽』の世界に置いては、慰安婦や竹島問題等、

    どこまでも真実は歪められるためにあるようなものですから。   ほほほ。





    > 双子で生まれてきた方は、お二方とも同じ命式ということになるのでしょうか?


    そうですね。同じ命式ですから、何時、どうなのか、という点はほぼ同じです。

    つがいは、後天的運としての要素ですね。命名、命名者、育てる人の運などが、

    絡んで来ます。あと、生れ順、第1子、第2子など、先祖から差異が出ます。




    > ★②命式に現れている事はどんなに努力しても変えられないのでしょうか?



    変えられますよ。でもそれは一言では申し上げら得ませんね。





    > ★④干支と変通星、十二星運の解釈について



    これは、あなたが精進をなさる中で分った方がいいでしょう。
    言葉で教えらえて満了する内容ではないでしょう。




    > ②母と私の家族について


    今回の記事でお答えしたつもりです。

    家族道徳を大事に、『仁』『義』『礼』を失うと絶家に近づきます。





           お返事がおそくなってしまいましたっ!e-420 cosmos


    Re: No title

            鍵コメントさんへ



    > 五行が一応そろっているからといって



    そうですね。それでいいと思います。が、流行り五行が周流する命式を持つ人は、

    悩まないで物事が自分の為に周って行く場合が多いです。





    > 、、、女性の漂流もいつかは止まるとお思われますか?



    極まればの話です。まだ極まってはいない。そう思います。





    > 理想の女性像が大きく変わってきたのを感じます。



    それは、よかったですね!    あはは。





    > 、、、人間の意識の汚さ、欺瞞、、、、、事はよくありますか?



    あはは。

    この事に付いては、記事の中で一文を書くようになるでしょう。あはは。

    もっと、驚く様な事例だってありますよ。  あはは。




        お返事がおそくなってしまいましたっ! e-420 cosmos
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    家系・個人の運命鑑定
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