![]() 2009
11/27 22:28 |
自然観 2/4 自然観の誤りから起こる問題を、3つ、提起します。Category : いのち/ふしぎなるもの
![]() 那須高原に行くと必ず立ち寄る石窯で焼くパン(天然酵母、国内産小麦)のお店です。 知る人ぞ知る、 《 NAOZO 》 さん!! 今日は 野鳥の声 を聞きながら~ 「遺伝因子」という言葉をご存知でしょうか? これは先祖代々、親から子へ、受け継がれていく情報です。 肉体や精神を長い間かかって、変化させながら繋がれていくものです。 遺伝因子は3000年かかってようやくひとつの形が作られるそうです。 例を挙げれば、 西洋である欧米人と日本人とでは腸の長さが違います。 耳の下のラインから尾てい骨までの長さの約6倍が欧米人で、 日本人は約8倍だそうです。 私たちの先祖の日本人の腸の長さは、 お米などの穀類や野菜を多食してきたから長く、 西洋は腸の短さから、 動物性のタンパク質に頼っていた歴史が見えてくるのです。 また、動物では、 馬は体長の10倍の長さの腸を持っています。 牛は20倍、 羊は25倍、 ライオンやトラなどの肉食動物の腸は体長の5~6倍。 これで草食動物の腸は長く、 肉食動物の腸は短い、と言えるのです。 つまり、何を食べるのかということで腸の長さが決まったのですね。 このように自然の造形というものは、 「遺伝因子」そのものに意味や、存在価値、理由が、 付託されているものだと認識していいと思います。 ここで、現実的な問題提起①ですが、 牛はもともと草を食む動物なのに、 今や穀物や牛骨粉といって牛の骨や血液を粉にして 乳牛に食べさせるようになりました。 牛の乳の出が良くなるというのです。 まったく自然のタブーを犯したと、言ってもいい位! 食べさせるべきではないものを人間の都合で与えてきたわけです。 それで、 生体内の秩序が狂ってBSEという難病が発生するのでしょう。 肉骨粉を食べさせられている牛の遺伝因子が、 どのように変化してくるか、 将来にわたって、まったく誰も、わかりません。 狂牛病も根っこにあるものは、 本来の長い間の自然の食の姿が、ねじ曲ってしまった事に あるのです。 もともとあった自然を犯すとどうなるのか? 科学者自身だって、わからないまま、 効率優先で現場が動いている・・・ 経済の効率性が自然を、無理やり捻じ曲げている姿です。 ここで、現実的な問題提起②ですが、 酪農を経験していない日本人は、乳糖分解酵素の分泌が少ないのです。 それで乳製品が苦手な人、アレルギーなどが多いということもあります。 日本人は、牛乳を飲み続けるのは無理があるようです。 進んだ病院では、牛乳が癌の治療時には禁止される病院もあります。 牛乳が乳がんの原因である。 癌は、肉食が原因である。 と、 ずっと書かれている野母伊志穂さんのブログを紹介します。 奈良時代の皇室は、 「醍醐」とか「蘇」といって牛乳や羊乳を飲んでいたようです。 量的には今の洋風の食生活ほどもなかったはずです。 世の中には、さまざまな食養生の考え方があります。 基本は先祖が食べ繋いできた食文化、 本来の地力のあるものが基本です。 おかゆ、梅干等のように何世代にもわたりチェックを受けてきた、 自然な身体に合う食べ物です。 食べ繋いで来たものを取り入れておけば間違いないはずなのに、 それを歴史に学ばず、 流行や誰かが言ったことを鵜呑みにしてしまえば、 当然さまざまな弊害が起きてきます。 まさか、 病み上がりにインスタントラーメンや、 コンビニのジャンクフードはないでしょうから。(笑い) それらは嗜好品として楽しむくらいで・・・ いいのではないですか。 実際に日本人は繊細な「味覚」を持っているといわれているのですから、 その特質は失いたくはないですね。 欧米には、 「甘い」「酸っぱい」「塩辛い」「ピリッと辛い」 の4つの味しかないと言われ、 中国はこれに「苦い」が加わって、 日本はさらにもう一つ、「うまい!」 という6つのティストが存在しているのですって! それは、日本の伝統、発酵食品のおかげだそうです。 そしてここでもうひとつ、現実の問題提起③です。 豊かな食資源の日本における、 世界に誇る数多くの発酵食品群、味噌・醤油・お酢・酒などですが、 約40年前から自然が作る発酵ではなく、 工場で科学が作る発酵、「化学食品」に成り果てています。 これを発酵と言えるのかしら? もともと食が持っていた本来の力を、 工業化と経済性が奪った結果です。 自然菌の発酵食品のように食品の工業化と、 大量生産の効率化のせいで食品の本来の力が失われた結果、 それを補う機能が必要になりました。 それが、サプリメントなどの栄養補助食品で、今が全盛です。 このように心の中で、何を大事に思うのか? で、その行動の目的が変わります。 その行動の目的のために、人間は心まで変えてしまいます。 心・精神とモノ・肉体とは、相互不可分のものです。 そう捉えるのが東洋であり、 また、人間と自然も一体と捉えます。 そこから、人間を含めた自然界は循環するものであり、 変化するものであり、たえず、時と共に移ろうものと捉えます。 それに反して、 簡単に言えば、西洋思想は、 心と肉体は別々のもの、自然と人間は対立するもの、と捉えます。 自然という中に、人間は入っていないじゃない! ほほっ。 そこには、 過酷な自然と常に闘って、 動物を相手に殺戮をして、 相手を負かすことで命の糧を手にして来た、、、 西洋の先祖の長い歴史があるのを無視する事はで来ません。 そうしなければ生延びれなかった試練のなかで、 自然と一体だという訳にはいかない。 そうして強い相手と争う事で自分の征服の意欲を沸きたて、 自然を人間のために使役して来た歴史があります。 そういう風に、 みずからを守るために自然を変えてでも克服してきた処に 西洋の自然観の「遺伝因子」がある。 と説明する方が、妥当でしょうね。 心のなかで、 大事なもの・何を基軸にするかという事が変われば、 作るモノまで変わってきてしまいます。 現実に生きる私達の考え方・思想と、 生活のモノ・物質は、相互不可分のものです。 文明とは一切のものを含みます。 『文明を、身体だけが取り入れた、心だけが影響を受けた。』 と云う言い方は、いかにも西洋文明的です。 心と体が、それぞれ存在しているかのような言い方です。 本当は、そう云う事はありえません。 ばらばらには、存在していないのです。 東洋的な考え方では、心と体は一体。 仏教においては、そうなっています。 (次ぎへつづきます。) 参考文献 (國學院大學名誉教授・故樋口清之博士の研究を要約) 『日本料理の真髄』 講談社α新書 阿部 孤柳 著 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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ラーメンで育った現代っ子たちが将来どうなるか不安ですね。
物のない時代で育った私たち老人が長生きできるのもやはり食生活と関係があるのでしょうね。 西洋的な物の見方から東洋的な物の見方への変換期にありそうですね。
次回も楽しみにしています! おはようございます!早起きの早朝の空気に”小鳥の声”は合います。
記事を読みました。 太陽もいろんな形や表現が世界中にあります。 最近、世間に、”純粋”と言う言葉が出てこなくなりました。 扉を閉めきって、暗中模索じゃなくって、 扉を開け放つ、そうなったのかな? 扉を開けて自然に出会う、そうなったのでしょうか。 Re: タイトルなし> ラーメンで育った現代っ子たちが将来どうなるか不安ですね。
> 物のない時代で育った私たち老人が長生きできるのもやはり食生活と関係があるのでしょうね。 ★やっぱり、同じ事、考えます! 何かをしてやらなければ、、、と焦ってしまいます。せめて、自然を・・・! いつもなつかしい写真を、そして、ご訪問ありがとう............................。....。..。。..*☆゜ Re: タイトルなし> 西洋的な物の見方から東洋的な物の見方への変換期にありそうですね。
> > 次回も楽しみにしています! ★なんらかの波を、起こさないと、、、さざなみでもかまわないから、、、、、 次回、ご期待くださいね ! あはは~ ご訪問くださってありがとう............................。....。..。。..*☆゜ Re: おはようございます!> 早起きの早朝の空気に”小鳥の声”は合います。
> > 記事を読みました。 > > 太陽もいろんな形や表現が世界中にあります。 > 最近、世間に、”純粋”と言う言葉が出てこなくなりました。 > > 扉を閉めきって、暗中模索じゃなくって、 > 扉を開け放つ、そうなったのかな? > 扉を開けて自然に出会う、そうなったのでしょうか。 ★あ、そのイメージ! 主観から客観への扉ですか~? そう、もういい加減に、本物の自然に出会いたいですものです。 ご訪問くださってありがとう............................。....。..。。..*☆゜ |
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