![]() 2009
12/02 11:06 |
自然観 3/4 歴史学者のトインビーは、西洋文明の終焉を見通し、東洋に期待をしていたのです。Category : いのち/ふしぎなるもの
![]() 冬を迎える木立から差し込む朝日 今日は、湖面のキセキレイの声 を聞きながら! 【前置き】 難しいのでもっと、分りやすく書いてくれというご要望をいただきました。 分りやすくと心がけてきたつもりですが、、、 もっとですね !(笑い) 。....。..。....................................................................。....。..。。 140年以上も前に、わが国は、西洋文明を取り入れるようになりました。 それは、例えば、 西洋料理を楽しむのなら、テイスト・味を楽しむだけでなく。、 あ! フランス料理っておいしい~。 食べる楽しみが増えたわ! あはは! それだけで済まない、と、いう事なの。 。。 その成り立ちの歴史や精神、一切合財を味わうことになるのですよ~ そういうことを、意識する余裕が、 あろうが、 なかろうが、 私達にとっての都合が、いい事も、悪い事も、 それらがもたらす、全ての因果応報を全部受け入れて、 私達の心、五感を通じて体へ命へ取り入れると云う事です。 そう認識していたのかしらん? 鎖国を開国へという時に、その覚悟があったのか? 、、、まさか! 西洋は、すばらしい!!、 利用しなきゃソンなんだ。 西洋に追いつかないと、列強に負けてしまう~ 日本の意地を見せないと、欧米に馬鹿にされるぞ~~ 開国しないと、日本の国を潰されそうだ~! 助けてくれ~ いろいろの欲望と、成り行きで西洋を取り入れ、取り入れ、真似て、 さぁ、目的のミイラは取れましたか? あはは。 じつのところ・・・ ミイラになって、うろうろ・・・しているのかしらん~☆!? 心臓と目を抜かれて、心も体も抜け殻のようになり、 西洋という包帯で全身をぐるぐる巻きにして、 ” 日本人はいやだから外人になりたい~ 顔も整形してアメリカに住みたい~ と、 呟いているのかしらん~☆? あはは~ 文明というものは、一切合財! そういうものなのです。 法律から、食料から、病気から、菌まで、 全部染ってしまう物なのですよ。 頭から足先まで。 骨から心まで。全部変えてしまうのです。 自分が利用するだけだって、思っていたとしてもです。 そのように、自然の存在である人間のたたずまいと言うものは、 心だけ、体だけとはいかない、そういうものです。 心と肉体といっしょで一つの命、 つまり、東洋では、精神と肉体は、一体不二のもので、 又、人間と自然も一体と捉えると、前回書きました。 でも、東洋的といい、西洋的といい、あるいは、他もそうですが、 真の自然観から見たら、これも仏教的な見方を、お借りしますが、 それぞれが、部分観=部分智に過ぎないのではないかと、思います。 それでも、兎に角、西洋と、東洋を比べて見れば、( 悪趣味かな?) やはり、西洋の自然観よりも、東洋の方が、優れているのではないか、 私はそう思っています。 身びいき?そうかも知れない~~ (笑い) 大航海時代、産業革命、 未だ地球の全てがわからない時代、 資源が無尽蔵にあるという幻想を抱いていた時代は、 西洋の二元論的思考で ”自然というものは、人間が発見して、開拓して、開発して、征服するものだ ” と、主張しても、まだ良かったと思います。 余裕なのです! しかし、今、地球のすべてのパイが限られているという事が分ってしまった 状況下では、人類が地球を征服するという思想、自然観を持っているとどう なるのか、 心配と不安がいっぱいです。 このままじゃ危険ですね。 きっと、地球を取り巻く成層圏には、そういう不安な意識が雲になって溜まっ ているのではないでしょうか? (笑い) この事は、数十年前に歴史学者のトインビーは、西洋文明の終焉を見通し、 彼はその当時、これからは東洋の文明だ、と期待しました。 人間が自然の中で生き伸びていく中で、人間の心の中で大事と思うモノや 基準が変化していくのに、生活が変わらない訳は、ありえません。 そういう意味で、基軸を何にするかというのは非常に大事です。 これが、哲学というものになるかと思います。 そうみれば、哲学って、生活に身近なものなのです。 初めは、自然における差異に応じて、東洋、西洋における人間の営み、 生きる為の教訓、自然に対する知恵、思想、おおもとの教え=宗教など の特長が、その地域の必要に応じて生れたのですね。 ここで、思い浮かぶのが アラブ諸国等の姿です。 どんなに西欧が、 。..*☆゜キラキラ~*☆。.. して見せても、(笑い) こっちの水は、甘~いよ~と言われても、 自国の宗教と風俗を失っていない、堂々としている誇りある姿です。 彼の国の男性たちが取り組む宗教行事のあの礼拝の姿は、 日本の若者には、かっこ悪い、ウザイ、に映るのかしらん~? と~んでもない! 彼らは先祖から受け継いだ彼らの信念を守らないと、他民族に浸け込まれ る、滅ぼされるということを分っているのですよ。 彼らのいのちの継承の川上へ感謝と尊敬の念を失っていないということの 証しでしょう。 砂漠の民としての先祖の歴史から、それを守らないと、 規律を失ってしまうと、内部から崩壊して、我が民族が、寄る辺なき民に なると云う事が、骨の髄まで沁みこんでいるからでしょう。 自らの知恵を失ったら、どうなるか、分っているのですね。 もちろん、石油の力もあるわ。(笑い) しかし、それだけなら利用されてしまうだけで終るかも知れない。 国の有り様はいろいろあって、比べられるものではありませんが、 宗教の差異はあったとしても、、、、、、自国の伝統を守り、堂々と、 彼の国々は、本当に心から尊敬に値する国々だと思っています。 そう考えれば、自分のはっきりした意識で選んだわけではないけれど、 長い歴史や伝統のある日本の国土に生まれて、住んでいると云う事実、 現実は大事にしなければいけないですね。 原因が意識で見つけられない、無意識で成り立った現実、 それを運命的と呼んでもいいと思います。 その運命的に生まれ来た日本で、(笑い) 約3000年前から、 日本という国土に、生きた人々、 私達の先祖と呼べる人々が、幾度も失敗を乗り越えながら蓄えた知恵、 守ってきた方法、身に付けた節度、それらを知らず無いものとして無視し、 自分が好きなように、勝手に何を選んで生きようといいんだ! それが自由でしょう! となるのかしらん? それでは、あまりにも未熟なまま、退行した選択に陥ってしまう、 精神的な原始に戻る事にはなりませんか? 人間にとって、何も選択しないという状態はない、 それは、ピュァーでも、真っ白という白紙状態でもない、 ただ、それは、無秩序な場当たり的な、無目的な今という時を見つめただけの ものにならざるを得ない。 つまり、目先の損得的な経済観や、欲望に支配されるエゴのスパイラルから 逃れられないルツボの中を周回するだけにならないかしら? 現代は、それが、そのままこの地球の存続にまでダイレクトに結びついてし まう不思議なポイントに、私達は立たされているのですね。 誤りの自然観が、 その自然そのものを全破壊するかもしれないポイントです。 (次へつづきます ) -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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>西洋という包帯で全身をぐるぐる巻きにして...
表現が、いいです= 包帯と言えば、病人かけが人で= 日本の姿がありありと見える感じがします= 包帯を取るに取れない===== 笑おうとするのに、笑えないです== 運命は変えることが可能?読みました。次ぎのボールが投げられたような気がしました。
運命的、この言葉から、 自分に拘わりなく誰かが決めたものが運命?と思うのが自然です。 今直面している現実は、そうではない要素もあることを、暗示します。 この運命は変えることが可能というメッセージですね。 YouTubeのキセキレイの鳴き声と、外のスズメとヒヨドリの鳴き声がリンクして、
不思議な空間となりました(笑)。 現在は西洋的考え方の限界が見えている時代。 それを打開するためには、幕末から始まった西洋に向かう意識の方向転換を考えるべきで、 そう簡単ではないと思いますが、 そのためには一人ひとりが東洋的考え方を基軸とする必要があるということですですね。 まだまだ学ぶべきことがたくさんありそうです。 リデル・ハートは言う。第一次大戦後に「このままの軍事思想では、人類は危ない」という危惧もあって、イギリス人の退役将校のリデル・ハートは「間接接近戦略」という考え方を生み出しました。そのころに孫子を読んで「この思想こそが、これからが大事になる」と主張したそうです。
それ以前の戦争の考え方は「一騎打ちのたとえ・結果は皆殺しが理想」というもので、第一大戦・第二次大戦は、それで戦いが行われて、際限ない殺し合いを繰り返しました。 多少なりとも、リデル・ハートの思想の重要性が認識されたことと核兵器の登場で、あの戦争以降、「世界大戦」は行われていません。 多少なりとも、東洋の英知が人類全滅を防ぐ働きをしました。 ですが、いまだブッシュ時代のアメリカのような「善悪の決戦・皆殺しにするかされるか」に偏った思想が世界を覆っています。 それは人は、愚かにもキレイな「死んだ理想」を貴び、生きた人の命の美しさがあまり見えないということもあるように思います。 西洋で軍事の思想が最初に、西洋思想だけでは行き詰ることを主張していたのですが、賢者の意見は愚かでゆで蛙に耽溺した西洋文明人には、遠いものだったようです。 再見! Re: タイトルなし> >西洋という包帯で全身をぐるぐる巻きにして...
> > 表現が、いいです= > 包帯と言えば、病人かけが人で= > 日本の姿がありありと見える感じがします= > 包帯を取るに取れない===== > 笑おうとするのに、笑えないです== ★あはは! 笑いたいのに、笑えないです! 包帯の下は、どうなっているのかしら? 見たくないですね~。 ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆ Re: 運命は変えることが可能?> 読みました。次ぎのボールが投げられたような気がしました。
> > 運命的、この言葉から、 > 自分に拘わりなく誰かが決めたものが運命?と思うのが自然です。 > 今直面している現実は、そうではない要素もあることを、暗示します。 > この運命は変えることが可能というメッセージですね。 ★そうですよ! 当然です。 幾分かのyesと、幾分かのnoが含まれていますが、 希望を持って、いいと思います。 ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆ Re: タイトルなし> YouTubeのキセキレイの鳴き声と、外のスズメとヒヨドリの鳴き声がリンクして、
> 不思議な空間となりました(笑)。 ★きっと、それはmasumien's world かもしれませんね! 自分の周りには、自分らしい空間があるのよ・・・ きっと、鳥たちも居心地が良いのでしょうね! ..................................................。....。..。。..* > 現在は西洋的考え方の限界が見えている時代。 > それを打開するためには、幕末から始まった西洋に向かう意識の方向転換を考えるべきで、 > そう簡単ではないと思いますが、 > そのためには一人ひとりが東洋的考え方を基軸とする必要があるということですですね。 > まだまだ学ぶべきことがたくさんありそうです。 ★そう、自己の主体性を取り戻さないと、どこまでも付属物でしかないわけです。 一度、太陽を浴びるように東洋を浴びる。体内の自分を呼び起こす事からですね~ ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆ Re: リデル・ハートは言う。Re: リデル・ハートは言う。
> 第一次大戦後に「このままの軍事思想では、人類は危ない」という危惧もあって、イギリス人の退役将校のリデル・ハートは「間接接近戦略」という考え方を生み出しました。そのころに孫子を読んで「この思想こそが、これからが大事になる」と主張したそうです。 ★”間接接近”という言葉こそ理屈屋の西洋的翻訳言葉ですね。一言でぱっと言えない、漢字の持つ意味のふくよかさのない言葉、、、あは~、又、西洋の悪口を言ってしまいました。 。....。..。..................................................。....。..。。..* > それ以前の戦争の考え方は「一騎打ちのたとえ・結果は皆殺しが理想」というもので、第一大戦・第二次大戦は、それで戦いが行われて、際限ない殺し合いを繰り返しました。 > ★”際限ない殺し合い”これこそ狩猟民族の本分ですよ! あぁ、いやだ~! あ、また悪口言ってしまいました。(笑い) 。....。..。..................................................。....。..。。..* > 多少なりとも、リデル・ハートの思想の重要性が認識されたことと核兵器の登場で、あの戦争以降、「世界大戦」は行われていません。 > 多少なりとも、東洋の英知が人類全滅を防ぐ働きをしました。 ★そう、東洋のやさしさですね~ 。....。..。..................................................。....。..。。..* > ですが、いまだブッシュ時代のアメリカのような「善悪の決戦・皆殺しにするかされるか」に偏った思想が世界を覆っています。 > それは人は、愚かにもキレイな「死んだ理想」を貴び、生きた人の命の美しさがあまり見えないということもあるように思います。 > > 西洋で軍事の思想が最初に、西洋思想だけでは行き詰ることを主張していたのですが、賢者の意見は愚かでゆで蛙に耽溺した西洋文明人には、遠いものだったようです。 > > 再見! ★”生きた人の命の美しさがあまり見えない” これは、自然と一体感のある、何にも命の存在を投影する殺生を禁止した東洋的命の捉え方と、 相手の命に止めを刺す狩猟民族の命への自我の投影の仕方が、あまりにも違う、 そういうことからでしょうね・・・・・・・ ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆ |
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