![]() 2010
06/18 10:14 |
『因果応報の源 時間を生きる』1. 「知」と「権力」の共犯関係、 フーコーの言う「生政治」そのものです。Category : 身近な物質文明
尾瀬・大清水 炉端の山女と鹿の肉
![]() テーマ『時が主役』を 『因果応報の源 時間を生きる』に変えて続きます。 ★前の記事にいただいたコメントからです。 ”時は無情に過ぎ去り、全てのものを消し去るもの”だと思っていました。 新たな時の意味に冷静になっています。 また新たに変化ですか?秩序ですか? 次はどんな驚きがあるのか楽しみになっています。 そうなの、私たちの主観の世界では、 『時』は苦しみ辛さを癒してくれるモノと映ったり、、、 時間の残酷さとありがたさと、受け取ったり、、、 一般的には、時の流れに救われると感じることもあるようです。 また、この瞬間を記憶に留めて置きたいと望んでも、 それでも忘却してしまう事を『時』の仕業? と思ったりします。 しかし、これらは、 直接『時』そのものが働きかける効用ではなく、 私たちの脳、脳の働き、生命保存の脳が持つ脳力の仕業です。 それを私たちの意識が、『時』の仕業と感じるのでしょう。 そのように、 私たちの認識というものは、まず、 人間脳のフィルターが、掛かっていて、 人間脳のフィルターは、個の生命存在を保存する為に有無を言わせぬ 必死のバランスを常に取ろうとして、 私達の意識に魔法を掛けるのですね。 更にその上に、 個々人の癖のある感情なり、 その人なりの変化に富むキャラクターという フィルターが掛かっているわけですから、 ”『時』は苦しみ辛さを癒してくれるモノと映ったり、、、” というのは、 まさか! これだけが『時』の本質とは認識していないでしょうが、、、 『時』に対する人の感情的解釈の一端なのでしょうね~ ほほ。 これは、 人間らしい、人の感性の豊かさの表れなのですね。 ★拍手コメントにいただいたコメントを、もうひとつ、 現代の女性は、 働くコトを前提に子育てをすると言う考えが当たり前になっていますよね。 根本的に、小さな子供を他人に預けて働くという考えを持っていること そのものが既に問題の様な気がします。 これは、すこし以前と今とでは、 子育てに対する認識が、明らかに違って来ているのに 疑問を持たれたコメントですね~ 本当に、いただいたコメントに同感、共鳴してしまいます~ 今日は、これに拘って記事にしたいと思います。 ずっと以前、 子供を育てるには、 母親以外の人間や保育所に預ける事は良くない! どんなに経済的に苦しくても母親は働かないようにして、 かけがいのない子育ての時期を親子で触れ合って子供を育てましょう。 と推奨され、それが正しいと言われていたのです。 その頃の母親は、 ある意味必死で自分の手元での子供の世話に拘りました。 それなのに、どこでどう教育学や育児方法が変更されたのか? 現代は、母親が働くという事が前提です。 おかしいなぁ~ 働くと言えば、子供を預ける正当な理由が成り立ち、 その為の託児所が足りないと、 正々堂々と、本人だけでなく公共や国が言っています !? ぁー あ、 最近は子供を保育所へ預けるのに誰も反対しないのね! コメントを書いていただいた人のように 普通に子育てを今までして来た世代の女性たちは、 コメントのように不審に思って、わだかまりを持つはずです! ”保育園に預けるのを当たり前だなんて、おかしくない?” と大勢の訝(いぶかる)る声が、聞こえて来そうです~ この社会における、 子供に対する育児観の変遷に、正直、付いていけなくて、 内面は忸怩たる思いの大人たちも多いことでしょう。 娘や息子の嫁の、子供(孫)達を 保育園まで送迎している祖父母の方たちも多いはずです。 本当に世の中、どうなっているんでしょう!? 大家族が助け合って暮らしていた昔の暮らしぶりからすれば、 核家族の中で、気ままと気楽さを手に入れた代わりに、 なんと余分な道具立てと、余分なエネルギー、 余分な努力で周りを巻き込み、 国も税金を投入するという、、、、!? あ・ほ・らしいと思うばかりです・・・・・ だって、 この幼児教育における宗旨替えの主役は何なのだ? ナニのため? 誰じゃないのよ? 主役は人間じゃない、モノですよ! おそらく、きっとこの理論付けは、教育畑からではなくて、 人口統計学、経済畑、その周辺からです! ほらね!やっぱり、 現代を牛耳っているのは経済です。 お分かりでしょう? 子供が主役じゃない。 子供の為であるはずがない! 子供は、犠牲者です。 もう、今は子供まで生贄に出す。という構図です! 母親の為でもなく? ええ~! 母親も振り回されている生贄ですよ! じゃぁ、、、何の為? 社会は何のためにこれだけのエネルギーを、、、 集めて、集中させて、怒涛の如く流れていくの~? この濁流の根源は、物質文明という魔王です。 モノこそ・命・の魔王よ! すべてをモノ化して、 モノの坩堝(るつぼ)に集約していくエネルギーです。 精神に価値を置かず、 最終的には自然そのものをモノと認識した延長に、 人間存在そのものも、モノとして扱っていく。 恐ろしい魔王! 私達も、 ”モノが命よ! ”と認識したら最後、この流れに乗ってしまうわ! モノに脅されて、 哲学や倫理的心を、さげすみ、捨てた民が辿る流れです。 これが、命の流転というコースです。 あぁ、日本人は流浪の民になるかもしれない? 流れて、転がるように生きる羽目になったのは、 どうして? それは、たぶん、吉田茂。 65年前、サンフランシスコの彼の地で、 国が、きっちりした羅針盤を持たずに、 唯一、経済を頼んで、これからは経済で生きようと、 モノの為の従属の道を選んだからでしょうね。 いや、その前にも、、、、、、 それが、一億総民の流転の始まりとは露知らず、 その時の為政者が為した結果です。 吉田氏は、自分の死の前に洗礼を受けて洗礼名を貰った。 おそらく心中は、ずっと前から神の子であったはずです。 だから彼は、母国の伝統を軽視できたのでしょうか? フリーメイソンの結社の名簿にYOSIDAの名前が、、、、、 神の御名にかけて、この国を神の国にしたかったのか? 疑ってしまいます、、、、、、 それから、65年。 表面的な物質文明の繁栄?を国民は享受して、 彼が画策したモノは手にしたけれど、 他はぜんぜんダメ!! 精神に大穴が、、、空洞が、、、アイテイル。 もう、反省するしかないのに、それもできないのね~ 最後、人は、 地に落ちた権威を守って地獄へ行くのだわ! 65年前の為政者の決断がどうだったのかは、 『時』が審判を、もうすでに、出しています! この日本人の心身共の流転の現実そのものが、、、 東京裁判の判決文なのではないですか.......? 最近、 新築の福祉法人の経営する保育所を見学する機会がありました。 公的補助の少ない自治体は、経営が大変だから、 基準ギリギリの設備は、 お砂場やブランコもないし、裸の土の園庭もなくて~。 お砂場やブランコがないといけないとか、 園庭が裸の土でなければいけないとか、 そういう基準はないようでした。 ごぞんちでしたか? どうでもいいのですね! あれだけ大事だって、幼児教育で言っておきながら、 お砂場も、ブランコも、なくていいのですね! あはは。 子供を入れる建物があれば、いいんだ! 保育園は、そんなものでいいのですね・・・ 敷地全部が、コンクリートで覆われて、 まるで動物園の飼育小屋 じゃないですか? 砂や土は、玄関や廊下が汚れて管理に手数が掛かるかららしい。。。 母親が社会へ駆り出されたせいで、 邪魔になった子供が預けられた居場所として 期待していた事が見事に裏切られていて、 やるせない不幸感で、いっぱいになりました。。 。 これでは、収容所ではないですか。。。 。 あれだけ大事であったはずのモノが、 躊躇(とまど)いもなく無くなっている、、、、、、 暗澹たる思いで、帰って来ました。 なにかが無残に壊されている。 「ここは、公的補助が少ないところだから、もう増やす計画はない 」 これで当然の施設である。 と。 そう堂々と、、、管理者の言葉です。 小学校の放課後、児童を預かる児童会の現場も見て来ました。 殺風景な倉庫のような建物で、狭い! 一畳に、1、2人が思い思いに床に座り込んでいる窮屈さ! まるで難民キャンプのような風景だった、、、 目まいを感じて。。 、、、? 国が、国の未来を大事にしていない、、、 この因果応報は、10~20年後に現象化するでしょう。 今の世は、 敗戦後の廃墟ではありません。 廃墟をうろつく孤児ではないでしょう。 大人は、自分の楽を求めて生きる余裕がある時代にですよ! 親までが自分の事しか考えていない。 ”私たちが施設の向上を求めれば、親の負担が増えるだけなのです。” 帰路の車の中で、率直に、悲しみが、 どこかで慟哭したい気持ちが込み上げてきました。 国は、国民の命を道具のように扱う。 そう云う社会に、いつのまにかしてしまったのですね。 この事は、敗戦を経て、65年経っても変化がないようです。 国家が、 人口減少の穴埋めに、働き手として男の代理を女に求める。 それは、女から母性を虚勢し、子供からの母の略奪でしかない。 将来、 未来に亘る母性の欠如を国家が行っているのです。 同時に、女性の側の智の欠如=おろかさ、も原因です。 これは、自然である『天の道』への謀反であり、 『地の理』が歪められ、その破壊です。 これで完璧に『人の紀』は乱れ、 天変地異が起こり、政がうまく実現できない。 これが東洋の考え方です。 なぜなら、自然と人は一体であるという思想からです。 今の世界を覆う現代思想の問題点は、 政治や経済をリードする哲学が萎え、 新たな芸術を生み出すべく力ある思想が生まれていない状況下で、 人間が、経済の手駒になってしまっている。 その現状は、(政治が生み出す混乱)= (近代における「知」と「権力」の共犯関係)を暴き出してきた ミシェル・フーコーが晩年、提起した 「バイオポリティクス(生政治)」そのものですよ。 その昔、 国王が持っていた自分の領民に対する生殺与奪の権力が、 近代に至って革命で王政を倒して出来上がった近代国家に、 そのまま移行しているという。 18Cにおける「規律権力」は、まず従順な身体を作り出す為に ”監視と処罰というシステムを利用した。” 19Cになると「生権力」が登場する。 今度は個人の身体にではなく、 住民・人口という新たな政治主体に向かって、 形を変えて、国民を統治する法律として、 「出生率や死亡率」「健康増進や人口調節」などの 国民の生存管理に取って変って、 国民を統治する権力を《生権力》と言うのです。 それを行うのを《生政治》と言います。 まさに、行われているのは、《生政治》そのものです。 それを支えるのは、「社会防衛」の理念に立つ 精神医学、公衆衛生学、統計学などの学問であり、 まさにそれらが、 今の「少子化対策」、「介護保険」、「後期高齢者医療」、「嫌煙権」 などの施策になっているのです。 「後期高齢者医療」が国民の大多数に理解されないのは、 そういう生政治の陰湿さがあるからです。 裸の国民をまとめて薄暗い牢屋に閉じ込める。 そう云うイメージです。 また、法律によって 脳死体が臓器移植の対象と見なされることを「身体の国有化」と捉え、 これらの”現代の《生権力》が、 時に、不穏な相貎をもつ”と云うフーコーの指摘は、当たっています。 この行き着く先が、 どういう社会なのかも説明されないまま、 (おそらく、現政府も何のヴィジョンもないはずです!) その道具にされかねない命 !を、 自分が生むかもしれないという恐怖が、じわじわと、、、、 女の心の無意識に伝わっている事が、 少子化へと続く原因のひとつ、 なのではないか? 女は、鋭い嗅覚で分っているのかもしれません。 彼女に突きつけられているのは、 社会での男性化と家庭での子を産む器械としての役割だと。 生めよ! 増やせよ! どこかで聞いた事がある・・・ 国の制度の為に子供を増やせ? 過去は戦争の為だった・・・ 今度は、平時だから、昼間は社会で男と対等に労働をしろ! まったく同じじゃないでしょうか? どういう顔をして、国はそういう事を言えるのかしら? 国民は国に対する奴隷だ。 と、 大国に従属しているポチのような国に言われたくはないわね!! 《 それが、女の本心かもしれませんね~》 本当に、国家権力に言われて生みたくはないですね~。 管理統治されるために生みたくはないですね~。 その苦しみが聞こえてくるようです。 女性が子供を生むのは、自然です。 それに逆らう事はできないけれど、 ナニの為の子供の命ですか? モノの取り合いの争いの道具にするつもりですか? 今、子供を生んで母になろうとする女性は 子供が生まれてきて、ナニがしあわせなの? そう考えちゃうでしょうね~ それでも、いじらしい女性は、国の施策に従順です。 どこかで洗脳されているのに気がついていないのかも? 産後1,2ヶ月もしないうちから、認可保育園が一杯なら無認可へ、 19時までの保育時間しか預かってもらえないなら、 わが子を19時に保育園から受け取って、 19時からの預かりがある保育園へ、 自分の代わりに預け変えてくれるパートを雇ってまでも、 仕事をがんばってしまう、、、 子供を荷物の預け変えのように、 子供をモノとして扱う? 子供と対面するのは、深夜ですよ。 子供は夕食を保育園で食べてきます、、、 そこまで子供を犠牲にする値打ちが、世の中の仕事にありますか? そこまで値打ちのある仕事を、社会は彼女へ任せるのでしょうか? 足元のしあわせを大事にできなくて、 他に何を大事にすると? この女性の焦りを作り出し、将来に亘る母子関係を混乱させる元凶は、 「知」と「権力」の共犯関係、 ミシェル・フーコーの言う「生政治」そのものです。 国家というものは、国民のためといいながら、 国の利害の為には、 国民の生命を軽んずるのは平気です。 むしろ、善とする道徳をぶち上げるものです。 その原理は、敗戦の経緯を経ても変わっていません。 学問の「知の力」を利用しながら立法、行政で国民を翻弄し、 国家権力で行使するという国家のエゴイズムは不変です。 今、女性としての本来の生き方を確立するためにも、 真の主体性の確立が女にとって必要な時です。 それは、学問の「知」ではなく、東洋学の「智」に依るべきです。 雑学の「知」ではなく、実学の「智」を、、、 「智」も持たずに獲物を探しに慌てて外に駆けて出て行ったって、 大した物は、手に入れられないはずです。 焦りや、渇望から生まれる飢餓感は、 餓鬼界のモノを漁る貴女です。 貴女の心が、ぼろぼろになるだけです。 雑学をいくら知っても、結果は、”労のみ多く、実少なし”。 実は、智の中にこそ存在します。 西洋の知から、東洋の智へ、お戻りください! ”慌てる乞食は、貰いが少ない”って? そうならない為に、、、、、、あはは。 よき一週間を、お過ごしください。 参考文献: 「フーコー 生権力と統治生」中山 元(哲学者) 河出書房新社 「 《生政治》の哲学」 金森 修(東大教授)ミネルヴァ書房 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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専業主婦が疎んじられ、働く女性=新しい女性=進んだ女性と目に映った時期がありました。
これは東洋学的立場から見ると、間違っていたのですね。 法律にあるからとはいえ、中学の教科書まで物質文明に染まっていては、 もう一人ひとりが、しっかりとした価値観を持てるようにしなければいけないのですね。 おはようございます!今朝も、ドタン、バタンじゃないのですが、この時間に来ました!
夜勤明けというのは、そらの色が目に染みます。 空が、目に染みるって一体感があっていいですね! (笑い) 今日は土曜日、ほっとしていますーーー。 >臓器移植、、、「身体の国有化」、は誰でも心のどこかにあることでしょう。 何か判らないまま事が先へ進んでいく、、、医学を仕事にしている私でも進む速さに付いていけないと思うことがあります。もう少し、倫理道徳の必要性を思います。 こちらはとても暑く、夏日ですよ!庭から眺める山々は、なんだかいつの間にやら、浅黄色!
まだ青々とまではいきません、とにかく変化が早くて、いきなり夏になるんでしょう。 cosmosさんは、活動的でいろいろ見学等されるのですね。その行動にはいつも驚かされます。 お元気でおすごしください。 本当に、2,3年くらい前から働く女性の思いを汲んで世の中が変わったんだと感じていました=
ずいぶん、働く女性にやさしくなったもので、現実的に流されていっていいもの?= 社会の大事な常識がずれていくのを疑問には思っていました= おかしい事はおかしいという記事を読みまして、すっきりしました= でも、誰もおかしい?と言わないのですね= 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: タイトルなし> 専業主婦が疎んじられ、働く女性=新しい女性=進んだ女性と目に映った時期がありました。
> これは東洋学的立場から見ると、間違っていたのですね。 ★こういう判断には、時間軸で見た場合や空間的にも何層ものステージがあって、それぞれ解はステージ毎にあるのでしょうが、陰陽の本質的には間違っています。 今、そこまでの検証をする思想が巷には転がっていないのです。 > 法律にあるからとはいえ、中学の教科書まで物質文明に染まっていては、 > もう一人ひとりが、しっかりとした価値観を持てるようにしなければいけないのですね。 ★そう! 本当は教育というのは経済などに引っ張られてはいけないのですね。 根幹になる哲学がないから、現状にわざわざ竿を差してまで主張をする教科書を作れないし採用する勇気がないし、現状に抗弁する力がないからでしょうね。現状を追認だけしていたら、 このまま、すべてが小粒になって最後は見えなくなる位小さくなって、、、 、、、無くなる? (笑い) いつも変わらぬ友情、ありがとう! 感謝★cosmos Re: おはようございます!> 今朝も、ドタン、バタンじゃないのですが、この時間に来ました!
> 夜勤明けというのは、そらの色が目に染みます。 > 空が、目に染みるって一体感があっていいですね! (笑い) > 今日は土曜日、ほっとしていますーーー。 > > >臓器移植、、、「身体の国有化」、は誰でも心のどこかにあることでしょう。 > 何か判らないまま事が先へ進んでいく、、、医学を仕事にしている私でも進む速さに付いていけないと思うことがあります。もう少し、倫理道徳の必要性を思います。 ★朝方ですか? 夜明けの空が目に染みる、、、いい表現ですね! 昨日は、いい夕焼けを見ましたよ~ 自然との一体感をかんじました!! そう、経済や効率化の進む速度は早いです。歩いていたらついていけないわ・・・ いつも変わらぬ友情、ありがとう! 感謝☆cosmos Re: こちらはとても暑く、夏日ですよ!> 庭から眺める山々は、なんだかいつの間にやら、浅黄色!
> まだ青々とまではいきません、とにかく変化が早くて、いきなり夏になるんでしょう。 > cosmosさんは、活動的でいろいろ見学等されるのですね。その行動にはいつも驚かされます。 > お元気でおすごしください。 ★そうですね。新緑とはまだ遠いような気がします。 梅雨が晴れて、初夏の頃、いつでしょうか? 今年は早いような気がします。 年運といいますか、、、今年はすべてが行動的で、我ながら驚いています。 また、お花を見に行きます!! コメントありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> 本当に、2,3年くらい前から働く女性の思いを汲んで世の中が変わったんだと感じていました=
> ずいぶん、働く女性にやさしくなったもので、現実的に流されていっていいもの?= > 社会の大事な常識がずれていくのを疑問には思っていました= > おかしい事はおかしいという記事を読みまして、すっきりしました= > > でも、誰もおかしい?と言わないのですね= ★常識も世につれ、人につれて変わっていくものだと最近思っています。 フワフワと、すべての根が無くなっているようです。 流されているという感覚すらないのではないかしら、、、? いつも変わらぬ友情、ありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなしコメントありがとう! 感謝☆cosmos
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