![]() 2010
06/13 10:36 |
☆ 易学 《易の三義 》 陰陽学の「 女性の生き方 」 女性たちよ、整然と秩序の中へ、お戻りになってください!Category : 易学
![]() 尾瀬・大清水 水芭蕉の群生と湧き水 前回までのテーマ『 時が主役 』は、まだ続く予定ですが、 今日はインターバル【interval】をとって、 陰陽学の「 女性の生き方 」編の記事をひさしぶりにアップします! と言うのは、 恋愛や家庭内のご相談で、一番増えているのが 男女平等的な考え方の食い違いに関する内容です。 たとえば、「彼が、私が働く事に理解を持ってくれない。」 又は、「夫が、共稼ぎの生活の中で、家事を手伝ってくれない。」 「帰宅が遅い夫は、育児を手伝ってくれない。」等です。 要は、女性が社会進出をして働くことが、 自己実現とまではいかなくても、 経済的に負担を担って働く事で、 男性と対等に扱われるのが正しい、という 女性側の主張が当然のように出て来た、 そういうことでしょう。 近頃は、どうも、 そういう周辺の問題?迷いが、多くなっているようです。 二重も三重も、迷いと倒錯が入り乱れて正常な姿を失っている・・・・・ まず、悩みの当事者が、家族の相手を攻める言葉は、 無関心であるとか、無理解であるとか、果ては愛情がないとか、、、 相手の社会性を疑うような意味合いを帯びていますが、、、 要は、”相手が~~してくれない、” ○○してくれない、クレナイ、、、 暮れない族の問題なのです。 (笑い) クレナイ族シンドローム ? この原因は、 ひとつには年齢相応の社会性成熟度に対する、 その未熟性の問題です。 社会の縮図である家庭が、 自分の要求する主観的な愛情という一本槍の秩序だけでは、 成り立たないという事が、解っていない! 人間が成熟しにくい家族構成=核家族 という最小単位の家庭生活の中で、 社会性を磨く事ができないまま育った二人が, 又、核家族を営む、、、 その結果、 家事や育児の分担という些細な事から、 家庭不和や離婚にまで発展するという社会性というのは、 単に、 短絡的と言うよりも、今の未熟社会がそのまま投影されていて、 人間関係にこなれていない? 万年少年、万年少女の儘の周辺に起こる迷いや問題です。 それにも増して、国の場当たり的な施策が、余計迷路を作っています。 これに関しては、また別の機会に、、、 国も推進している女性の社会化の流れは運命学的にはどうなのか? という事は、 これもまた別の機会に記事にしたいと思っていますが、 これには、大いに問題があって《すべての女性が働いた方がいい!》 なんて! とてもすべて一律に、賛成することはできません。 今のままの世相が続く事は、 もっと「生の衝動」を弱める、 大げさに言えば、民族の消長に係わる問題なのです。 が、今日は、 ご夫婦の現実的な問題としてだけ考えてみましょう。 これは本当にケースバイケースで、女は、、、男は、、、と、 一概にすべてをひとククリにして理屈で片付けられませんね。 人によって、違う。男といっても、それぞれです。 当然、女もひとククリにできません。人に依って違うでしょう? (笑い) 今の私たちは、個人による違いに鈍感になっています。 ”男は、”、”女は、”という捕らえ方をしてしまう癖が有ります。 これも、戦後教育の表面的西洋化=西洋かぶれのせいです。 というのは、 まさに戦後の悪・平等的な教育を受けて、 皆が同じであると云う事を前提に、 物事を考える癖がついてしまっているように思います。 政治的ないわゆる法制度の下で、 憲法の保障する権利や義務関係は、 それでいいのでしょうが、 哲学的思考や、道徳的生き方を追求する時、 人間の本質的な問題にタッチする場合は、 それでは、間違いを犯してしまうでしょう。 間違いを犯すとは、心のなかに苦しみが発生するということですよ! その使い分けに慣れていないまま、哲学や道徳が力を失った社会で、 失われた それらの空洞を 経済の下僕である政治が肩代わりをしています。 人間生活の営みを、 すべて政治的な概念がリードしている昨今の現実は、 人間が作った概念で人間を抑圧する社会の現出です。 わたしたちは、 一人ひとりにある差異に目をつむる生き方を しなければいけないと脅迫的に思い込んでいるようです。 差別になるのではないかという、強迫観念に縛られています。 これは、戦後の日教組の進めた教育のせいかもしれません。 自然は変るけれど、 人間は、いつも変わらない強い存在である。 そういう前提で世界を眺めていませんか? 人間には差異がない。 平等なのだから、、、と言い訳をして、、、 温暖化もそうです。 地球は、変わっていって危険だけれど、 人間は強いまま変わらない。 だから、自然との関係は人間上位で変化がないはず・・・・ このように日本人は、西洋の二元論を取り込んでしまって、 常に人間中心の自分に都合のいい尺度を正しいと、 思っている、、、 これは、完全なる倒錯ですよ。 この矛盾の波形は、 いつか大きな津波となって社会を押し流すに違いありません。 現代は、 人間は自然の一部と言う東洋の思想を置き忘れたまま、、、 人間は自然の外で、自然を人間の外部のものとして眺めている、、、。 自然と人間、 西洋の二元論は、 人間と自然の真の関係性すら解明しないまま放置して、 しかし、 人間に限っては、人類は平等=ほぼ皆が同じだと、? 平等と同じとは違います。 その次に、人類は平等=ほぼ皆が同じ人間なのだから、 男と女に分けても、 この男と女の質の違い、真の関係性すら解明しないまま放置して、 男同士は平等=ほぼ皆が同じだと、? 女同士は平等=ほぼ皆が同じだと、? と、片付けていませんか? 曖昧なまま片付けているから、 個性という定義もあやふやなのでしょうね。 実際はわからないまま、しかし、わかったふりをして、、、、 それが、常識のように!振舞う。 時代の思潮は欺瞞性を帯びています。 西洋二元論では、自然と人間。 男と女。 ただ対立的に捉えるだけで、 その幸せな関係性は解らないまま、放置されているのです。 調和点が未だ見出されていない、、、 ご存知でしたか? だから常に、問題があると関係が緊張するのでしょう。 しつこいようですが、 人類は平等=ほぼ皆が同じ人間。 ではないのです! 男同士は平等=ほぼ男は皆が同じ。 ではないのです! 女同士は平等=ほぼ女は皆が同じ。 ではないのです! はなはだしい勘違いです。 男女が平等に社会へ出て働く時は、 機会均等に受け入れられ、 男女はお互いが平等に家事と育児をするべきである。 この欺瞞に溢れた文章のどこが、おかしいのか? 見つけた方は、笑ってください~! 私が、東洋的な学問に目覚めて、 いろいろな事を学びだした頃、 新鮮な思いで受け入れた事は、 「こんなにも、人間は、一人一人が違うと云う事が、 なんの遠慮もなく事実で、 それが大前提なのだ!」と 云う東洋の人間を捉える認識論でした。 東洋学の世界は、外から見たら難しそうに見えますが、 一度その中へ入ったら、その世界は広く自由で、 個々の存在感が生き生きと認められる個性豊かな人間観でした。 女よりもやさしい男がたくさんいて、 並じゃない強さの女もゴロゴロいます! それを認めた上での理屈であり、それが前提の知恵そのものなのです。 ここまで、個性を出していいのね! ここまで、違うって示されているのね! その原因は、易経に代表される、 変化に関する学問といってもいい位の深い、 広い知恵が、人をあたたかく包み込んでくれる仁愛の宝庫です。 そして今までの思い込みが、なんて狭く、単純なものだったのかと、 それが西洋思考の常識の狭さです。 ほら! あるパターン以外は、外れている存在とか? 知らず学問の合理性で分けて、 狭い枠に分割します。 それが、網の目のように作られているのが学問です。 新しい事象が出てくれば、また新たな枠を作って説明する。 その繰り返しです。 しかし、 易経は、変化の書という意味でしょうか、 学問的には、The book of changes と翻訳されるだけあって それが大前提ですから、 初めから変わったものばかりがあるのが常識です。 自然のあらゆる物の存在は、有機的に変化をしているのが普通です。 完全に変化が止まっている存在はないのです! この自然の中にあるものは、 すべてが、 死して、なお、変化を続ける。 生きるという事は、そういうことです。 だから、ただ今、変化中の存在ばかりなのです。 科学は、止まったある位置、 止まったある時の詳細ですから、、、 西洋的思考は、変化し続ける『時』が抜け落ちていますね。 科学の知識や分割では、いくら寄せ集めても真実から遠ざかるでしょう。 たしかに、 易経は時空に亘る変化を哲学するものです。 『 易 』 は、宇宙の運行を時間軸に移り変わる変化を追求し、 ある時の空間の多方面からの見方の変化を追求します。 易の三義の第一の意味は「 変わる 」 ということです。 その変転してやまないそのものを(化)といい、 自然も人生も絶えず変化する。これを大いなる化と言います。 『 大化の改新 』です。 しかし 「 変わる 」 ということは、その根本に変わらないものがあって初めて 変わるのですから易の第二の意味は 「 不変 」 です。 自然は原則に基づいて変わっています。 その自然の変化を洞察し自覚する。 その変わっていくことに 自分から積極的、意識的に参加し、共に変化する。 これを 「 化成 」 と言い、易の第三の意味です。 結論から言いますと、どう変わるのがいいのか? 『天』の気を享けて『天の道』を謳歌し、生の肯定へ至る変化です。 当然、『時』の本質の不滅のものへの具現化です。 『時』を継ぐものが喜びの変化と言ってもいいでしょう。 それは、秩序とも言えるかと思います。 そして、 易のすばらしさは、この現実をあくまでも対象にしていることです。 この現実、そう、変化するのは、宇宙や自然だけではないのですよ。 地球の自然だけではないのですよ。 全く、人間も変化しています。 男と女をひっくり返したような生き方は、だめ! 男と女の役割、それは、ひとつの秩序です。 この秩序を犯せば、 陰と陽のアンバランスは、さまざまの現象を引き出します。 たとえばその内の一つ、男性的な活動性の高い女の子が生まれ、 逆に、やる気の乏しい男児が産まれて来ます。 最終的には、男性が女性をほしいと思わなくなり、 女性が、子供をほしがらなくなります。 個人的には、それでいい、と。個人の自由でしょう!と。 しかし、それでは、あまりにも身勝手に過ぎませんか? 卑近な政治的な例で申し訳ないのですが、 あなたの老後の年金になる税金は、 誰が払うのですか? 他人が生んでくれた子供たちが、あなたの為に払うのです。 そういう政治程度のルールだって、秩序が前提です。 秩序は皆が守らなければ破綻します。 あなただけの破綻ではなく、全体が破綻します。 わたしたちは、太陽の秩序によって生かされています。 太陽が秩序を少し変えただけで、全生物は死滅します。 均衡なる秩序の上の生であることは、事実です。 私たちが均衡を破り、秩序を犯すことは、 未来を暗くすることにならない? 赤ちゃんを見ると、未来が見えます! 赤ちゃん誕生で、命名を依頼されて鑑定をしますが、 近年、そういう傾向を感じています。 生まれる子供の運命の分布も変わって来ている!! このことは、今まで折に触れて言ってきました。 まず、現代は陰の大過が考えられます。 大過とは、過ぎて及ばざるが如し。女の大過です。 内面的に女性が女の本質を失う・・・ 外面的に女性がケバクなって女を装う・・・ 中身がなくなると外面を作ろうとするのですね~ (笑い) 女性はやさしく、かしこく、かわいらしく、 整然と秩序の中へ、お戻りになってください! (笑い) それが、貴女の夫と子供たち、子孫の繁栄の基なの。 貴女がたくましい 「 根 」 になることを祈っています。 青字の部分は、安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』のなかから引用、参考に させていただきました。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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西洋の二元論は、ラベリングの一種のような気がします。
曖昧にしたくない気持ちはわかりますが、真実からは遠ざかっているのですよね。 男女に性差があるのはパッと見でわかりますが、 学校の教科書に「男女共同参画社会」や「性別にとらわれない生き方が求められています」など、 このことが当然のごとく現代社会の情報として蓄積されていて、 まさに東洋思想を置き忘れの教育がなされている感じがします。 「国も推進している女性の社会化の流れは運命学的にはどうなのか?」のお話も楽しみにしています。 こんばんは!ひさしぶりのテーマ”女性の生き方”を、興味深く読みました=
現代の二元論のいい加減さを、あらためて教えていただき驚きました= その程度で、何の疑問も持たずに過ごせるのですね= 反省です。= これからの社会の行き着く先が怖いような気がします= いつもですが、陰に関する記事を読むたびに身が引き締まる思いがします。
陰とは何か、それも判らなかったわけですが、今のテーマである時の影響を受けないと思っていいのでしょうか? 西洋的思考を排除することは今は非常に大変です。 運命学でどのように今の時代を生きていけばいいのか、記事に期待しています。 おはようございます!
ここの所、ドタンバタンしておりました。・・・・・!!! そうしてこんな時間に訪問を、、、、、(笑) ”時は無情に過ぎ去り、全てのものを消し去るもの”だと思っていました。 新たな時の意味に冷静になっています。 また新たに変化ですか?秩序ですか?次はどんな驚きがあるのか楽しみになっています。 梅雨らしい?ので、お体をご自愛ください。 Re: Re: タイトルなし > 西洋の二元論は、ラベリングの一種のような気がします。
> 曖昧にしたくない気持ちはわかりますが、真実からは遠ざかっているのですよね。 ★そう、まるで美しいきれいなおとぎの絵本のようです! (笑い)> > 男女に性差があるのはパッと見でわかりますが、 > 学校の教科書に「男女共同参画社会」や「性別にとらわれない生き方が求められています」など、 > このことが当然のごとく現代社会の情報として蓄積されていて、 > まさに東洋思想を置き忘れの教育がなされている感じがします。 ★ほんとうに~、これからどうなっていくのでしょうか? ひとりひとりが主体性で臨んでいく?しかないのでしょう。これ自体がフルイに掛けられているような気がします。 > 「国も推進している女性の社会化の流れは運命学的にはどうなのか?」のお話も楽しみにしています。 ★いつも変わらぬ友情をありがとう! よき6月をお過ごしくださいね。感謝☆cosmos Re: こんばんは!> ひさしぶりのテーマ”女性の生き方”を、興味深く読みました=
> 現代の二元論のいい加減さを、あらためて教えていただき驚きました= > その程度で、何の疑問も持たずに過ごせるのですね= > 反省です。= > これからの社会の行き着く先が怖いような気がします= ★ほんとうに!そうだわ~ (笑い) 今の時代に一番欠けていることかもしれませんね。 反省!反省! あはは! しっかりね! いつも変わらぬ心、ありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> いつもですが、陰に関する記事を読むたびに身が引き締まる思いがします。
> 陰とは何か、それも判らなかったわけですが、今のテーマである時の影響を受けないと思っていいのでしょうか? > 西洋的思考を排除することは今は非常に大変です。 > 運命学でどのように今の時代を生きていけばいいのか、記事に期待しています。 ☆あら! よくお気付き~になられました! 陰は、時の影響を受けないのです! 期待ですか? あはは! 大変です! がんばります! よき6月をお過ごしくださいね。 いつも変わらぬ友情、ありがとう! 感謝☆cosmos Re: タイトルなし> おはようございます!
> ここの所、ドタンバタンしておりました。・・・・・!!! > そうしてこんな時間に訪問を、、、、、(笑) > > ”時は無情に過ぎ去り、全てのものを消し去るもの”だと思っていました。 > 新たな時の意味に冷静になっています。 > また新たに変化ですか?秩序ですか?次はどんな驚きがあるのか楽しみになっています。 > 梅雨らしい?ので、お体をご自愛ください。 ★ドタバタ! あ、ドタンバタン? 大変でしたね!(笑い) お元気そうで何よりです。あ、いつも驚いてくださって、、、楽しくて良かった!! あはは~、いつもお気遣いありがとう! 感謝☆cosmos 管理人のみ閲覧できますこのコメントは管理人のみ閲覧できます
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