![]() 2009
07/04 15:30 |
陰陽学 その3/5 我々は、今、意識に偏重した思潮の時代に生きています。Category : 陰陽学
今日の映像は、たった一分間の宇宙の旅です。 どうぞ! (笑い)
宇宙の果てから地球へ ! 宇宙の果てから、地球へ、いかがでしたか? 宇宙は、未知の空間、途方もない暗闇に見えます。 『陰』そのもの・・・ やっとたどり着いた地球の明るさ、光は太陽から。『陽』そのものです。 『陰』が本体です。 そうです! 途方もない暗闇からすべてが生まれたのです。 その暗闇から光が生まれたのでしょう。 今日は、本体である『陰』について、 東洋の陰陽学の、『陰』 についての記事です。 『陰』が本体といっても、 本体だけでは物事、用を為さないのはお分かりですね。 テレビセットだけではテレビは見れません。 『陽』は、『陰』を待って初めて『陽』であり、 また『陽』があって、『陰』が生きるのです。 ところが、 なぜ、『陰』にこだわるか? というと、 今の私たちには、どちらかというと『陰』はわかりにくく、 『陽』の方がわかりやすいのです。 したがって、特徴も欠陥も、『陽』の方が認識しやすく、 『陰』の方が認識しにくいのです。 ということは、『陰』は意識ではつかみ難い、言葉で表しにくいのです。 なぜ、『陰』は認識しにくく、意識でつかみ難いのか? それは、我々が、今、 意識に偏重した思潮の時代に生きているからです。 もっと、いにしえ(科学が未発達な時代の)人は、 自然をとらえるのに違った捉え方ができたでしょう。 特に易学を生んだ時代の民衆は、 もっと自然を見るのに今のような意識のフィルターが、 掛かっていなかったと思います。 反対に『陽』は分り易い。 意識は、『陽』です。 私たちの意識そのものと言えるかと思います・・・ 意識に偏重した現代の思潮は、『陽』に偏っています。 意識と共に、理知も『陽』です。 西洋文明における理知の科学は、 人間の意識に引っ掛かった物だけの存在を認め、 名前を付けて知識にし、 そして膨大な知識の蓄積を人間は作ったはずです。 しかしその膨大な知識をもってしても, 現代科学は、命を創造する事はできません。 あたりまえですが、 科学は自然そのものをありのままに捉える事は不可能です。 なぜなら、この宇宙に具わっているものでも、 科学というものは、 人間の意識の網に引っ掛からなかったもの(無意識の領域のもの)を、 その時にその場に存在しないものとして捨ててきたのです。 そしてそのままにして、次に行くことを進歩としてきました。 中途半端のまま、、、、、、。 つまり、科学には漏れがあるという事です。 (有漏) 次は、学問は分かれ分かれていきます。分派です。 西洋医学は、病院で、体験されるように、診療科目においても、 医療の診療科目が細かく分かれて増えています。 一つの症状を治すのに、 どこの科に診てもらったらいいのか分らない位でしょう? 東洋医学はそうではありません。どの症状も、身体全体の症状として診ます。 だから、『陽』(理知など)は、 それに走りすぎるとわからなくなります。 わからなくなるという事は、頭が悪いという事ではなくて、 元の根幹『陰』から離れてしまって全体観を見失うということです。 人間を幸せに導く目的のはずが、科学が進んで、進んで、進んで? 先端では、何のためだったのか目的を見失う。 原爆が日本に落とされた事は、 『陰』=(徳)を見失った『陽』の現象の代表です。 これでは、易学ではなくて、不易学です。(この説明は省きます) 『陰』は、たとえれば、 宇宙の未開の大部分、 無辺な、無尽蔵な、無常の反対=いつも在る?(笑い) 無窮な、意識できない=無意識の世界にあてはまります。 言い換えれば、例として、 地球に丁度いいところに太陽があると云う事は そのエネルギーのおかげで生を営むのに丁度の距離です。 これは、まったくの『陰』の無尽蔵なエネルギーです。 丁度の所にある不思議さ、それはどうしてなのか? 理解するしないに関わらず、 命を産み、育む、エネルギーとして存在します。 その価値は、無意識です。 でも、人間の意識では、 なぜ地球が太陽から丁度のところにあるのか分らない、、、。 謎として於いて置いて、 分らないものはそのまま捨てておきます。でも、ある。 でも、あることの謎は、解けないままです。それが意識の限界です。 『『陽』とは、有限、辺境、無常、 という我々の意識で捉えられる五感の意識上の限界のある狭い世界。 宇宙から見ると、猫の額ほどの世界かも知れません。 または、現象としての形や、数値や、広さや高さ、高貴や富、満足や豊穣など の実現を五感で捉えられる範囲に表出する事を望む欲望と言えるでしょうか。 危険といえばどちらかというと陽の方が危険です。 才知に走る、利口である、利己的になります。 先の原爆の例です。 女は、『陰』の代表と言いました。 どちらかといえば無意識を司ります。 心の中、目で見えないものの世界を信じる、信心深い。 『陽』の欲望に対して内省、反省、理知より情・仁を重んじ、 慈母ともいい、これはいい言葉であります。 この女と男が、相待って初めて、 堅実な創造活動が、できるのです。 そういう意味で女性教育がたいへん大事でありまして、 これによって民族の繁栄、永遠の生命を得ることが出来ます。 さぁ、ここで、我がご相談者さんの数ある体験の中から、 男の方たちが、つゆ知らない (笑い) 女性の能力(夫の浮気は必ずばれる)という一つのお話をしましょう。 Aさんが、夫の浮気を発見したのは、普段通りのある夜のことです。 夜中の12時過ぎまで夫の帰りを待っていた処、 帰りが遅い事には慣れていたはずなのに、 何となくしんみりとさみしい気持ちになったそうです。、 それを打ち消そうと妙に心を込めて、 夫のために何か疲れの取れる飲み物をと用意をしたそうです。 これが、実はもう虫の知らせというものです。 そうして寝付いたのが1時過ぎでした。 うつらうつらとして、2~30分後、ある夢を見たと云うのです。 それは、ご主人の車が走っているのを 自分は何にも乗っていないのにテレビの画面のように ず~っと後ろから見ていたのだそうです。 夢の中で、夫の車が止まり、 建物の中へ入って行きました。 それは、いつか通りがかりに見た記憶のあるラブホテル! 驚いて目覚めて、数分後、 Aさんは行動しました。、、、、、行ってみようと。 夜中の2時過ぎに車を走らせている自分が。 道も解からないのに自然とハンドルを切っていたそうです。 着くと歩いて駐車場へ、夫の車を・・・ 車があった! 夢で前もって覚悟が出来ていたので冷静に、、、、、、、 この後のことはご想像にお任せします。 (笑い) が、女の勘とは、さほどにすごい!ものです。 驚かれたでしょう? 私も、仕事柄いろんな浮気の気づきを聞きますが、 この件は、みごとに女性が無意識と一体であるという点で ダントツ秀逸なのです! このブログの読者である真面目な男性の方には、 本当に余分なことなのですが、 女性という存在は誰でもが、学歴や知識に関係なく、 聡い力を秘めている存在なのです。 そう、あの卑弥呼と同じ、女という人間なのです。 戦後、本体である陰を失った日本では、 西洋文明の上澄みにどっぷりつかった今の知識偏重の教育を浴びて、 わが女性たちは、どこへ流されていくのでしょうか? ジェンダーたちは、女性を男性と同等に扱おうとします。 女こそ陰の本体、徳育を! (古風だ、ウザイと、なんと言われようと) 心からそう祈らずにはいられません。 参考: 安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
|
Comment |
1分間の宇宙の旅をしてきました。
今日授業でたまたま太陽の話となり、 太陽にも寿命があり、何十億年先には巨大化して 消滅すると話をしたところ、 「地球はどうなるの?」という話となり、 同じく消滅してしまうと説明しました。 そうしましたら、「その後は?」というので、 その後・・・宇宙に漂って、またどこかの星の一部となるだろうと 言いましたところ、ぽつりと「宇宙は暗くて嫌だなあ」・・・と。 もう、宇宙を漂っている姿?を想像しているようでした。 何か、今日の記事と関連があって不思議な感じがします。 Re: タイトルなし> 1分間の宇宙の旅をしてきました。
> 今日授業でたまたま太陽の話となり、 > 太陽にも寿命があり、何十億年先には巨大化して > 消滅すると話をしたところ、 > 「地球はどうなるの?」という話となり、 > 同じく消滅してしまうと説明しました。 > そうしましたら、「その後は?」というので、 > その後・・・宇宙に漂って、またどこかの星の一部となるだろうと > 言いましたところ、ぽつりと「宇宙は暗くて嫌だなあ」・・・と。 > もう、宇宙を漂っている姿?を想像しているようでした。 > > 何か、今日の記事と関連があって不思議な感じがします。 ★まぁ、そうですか~ ふしぎですね~ シンクロしていましたね。(笑い) 今の子供たちは、宇宙時代に産まれて生きていると言いながら、実際に考えている空間や時間は狭くて今の近辺なのでしょうね。 多分それは、自分の五感で捉えた物だけを基準に世界を限定しているからだと思います。 ゲームなど自分の目や手で処理できるものだけが”ある”と云うものだと錯覚しているのでしょうね。 反って、天体望遠鏡もロケットもない時代の方が、想像力でああでもないこうでもないと悩んで、目で見えない世界を絵で描こうとしたり、検討を点けるというのか、解かろうという集中力がありました。 人に聞いても誰も知らないのだから、自分で確かめたいという気持ちが強かったのでしょう。 釈迦の頃のインドでは、膨大な宇宙観がありました。 ご存知かもしれませんが、三千大千世界といいます。 古代インドの世界観で、仏教の世界観です。 須弥山(しゅみせん)という高い山(ヒマラヤ?)を中心に、太陽、月、四州、六欲梵天を包含するものを小世界といい、 それが1,000集まったら小千世界で、その小千世界が1,000集まったものは中千世界、 それを1,000倍したものを大千世界といいます。 小、中、大の三つの区別があるので、総称して三千大千世界といいます。 この宇宙には、この三千大千世界が、無数にある。 というのが、古代インドの宇宙観です。 これを知ると、何故インドに数学者の天才が出てくるか分るような気がしませんか?(笑い) ついでに、私達の命は、この宇宙を旅して地球にきたということになるのだと解釈しています。 キリスト教には、この世と天国が説かれていますが、想像の産物としても空間が狭いですよね~ あはは 仏教の方が、優劣というより壮大なおとぎ話のようで、実際コンピューターで広さを計算したら今の宇宙でも、そこまで掴めないそう、、、、、 だからもう想像しただけで心がスカッーとしませんか? (笑い) ありがとうおおお~お~~。(ありがとうが、宇宙にこだましています)あはは。 |