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    物質文明1 身近な物質文明の影 《心と体》

    Category : 身近な物質文明
    吾妻山菜の花

    先週末に登った吾妻山の頂上展望台の菜の花。

    大勢の人で賑わっていました。






    音楽をどうぞ~








    子供の体を育てる時には、食べ

    子供の心を育てる時には、音楽や本の読み聞かせ。


    体というには、を! 

    心には、心を動かすを与えましょう! 

    なにかそういう風に、決めていないでしょうか?



    え、何か気が付かれましたか ? (笑い)


    そう、両方とも、なのですね!

    体を育てるにも、心を育てるにもに頼ってるの?


    物質文明ですね。

    お母さんの心だけで、子供の心には十分ではないですか?



    そして、こういう風に物質と精神を分けて考えるのは、いかにも、

    西洋合理主義の二元論です。




    “モノの時代からココロの時代へ” 


    このスローガンを幾十年の間、何度聞いたことでしょう?



    何時まで経っても、ココロの時代にはならないですね?

    どうして?

    物質文明のパラダイム(認識の枠組み)の中にいる限り、

    心の時代ではない、のです。



    物質文明という【物で人の心・精神が決まる】という時代の思潮の

    枠組みから出るか、その枠を壊さないかぎりは、変らないのです。




    それこそ、それは物質文明の中のココロ編に過ぎないのです。




    物は、物が育てるのでしょうか?

    心は心でしか育てられないのでしょうか?

    こういう風に分けて考えること自体が、私達の持っている力の可能性

    を狭めています。もう、こう考える事を止めなければいけませんね。




    私達は植物を育てる時、何が大事?


    と聞かれれば、作物はと判断

    して、土や肥料や水という物質をすぐに思い起します。

    まさか、私の心を準備しなければと、まっさきに思わないでしょう?


    でも、アメリカインディアンにとっては、

    作物に笛を吹いてあげることが「肥料」だったそうです。実り多く

    なって欲しいために、彼らは畑の作物に笛を吹いて聴かせました。




    現在、青森で、農薬も肥料も使わない自然栽培のリンゴ農家の

    木村秋則さんは、テレビや講演等であまりにも有名な人です。


    一般に林檎は実の収穫までに、農薬を50回は使うと言われます。

    栽培農家の方は、妻が妊娠中だと林檎園に入れないとか聞いた事は

    ありますが、そのように林檎は、無農薬で栽培するのは絶対に

    不可能だといわれてきました。

    木村さんは7~8年苦労した後、

    30年もりんごを自然栽培しています。


    《有機栽培は有機農薬、肥料を使いますが、

    自然栽培は農薬はもちろん、肥料さえ使わないで、草もそのまま、

    自然のままで作物を実らせようとする農業です。》



    最初、木村さんは山のタンポポと自分の畑のタンポポを見比べて、

    山のタンポポの方が元気なことにハッとして、

    木村さんは両方のタンポポの根を掘り返し、

    それぞれの根の量の差に愕然としたそうです。



    肥料を与えない人間の手が加わってない山のタンポポの方が根の

    量が多く、小さな根までしっかり張りきっていました。

    一般の農学の理屈の通りならば、人間の手が入り、肥料を与え、

    農薬を使って害虫から守られたタンポポの方が立派に育つはずです。



    この時、『これは、おかしい! 』 と、

    木村さんは肥料や農薬が、林檎の木を弱くしてだめにしている!!


    と気づかれたのです。

    それから肥料をやめ、農薬をやめたそうです。

    それからが苦労で林檎の木は肥料、農薬がきれた禁断症状を起こし、

    8年もの間、「無収穫」。木村さんには、ご近所からの中傷も、、、。

    7年目、林檎の木の苦しむ姿に、木村さんはリンゴの木に

    これまでの栽培の間違いを謝ってまわったそうです。

    林檎の木に謝る言葉を声かけしているのを近所の人に見られたら、

    又、何を言われるかと気にして、隣に近い林檎の木だけには謝ら

    なかったそうです。



    そうすると、8年目に、謝らなかった林檎の木を除いて、リンゴの樹は

    一斉に花が咲き、実を実らせたのです。

    そのなかで、驚くべきことに、

    近所の目を気にして、謝らなかったリンゴの木たちは、

    全て枯れたそうです。



    『本当に植物は人の心がわかっている、

    作り手の思いやりこそが

    実を実らせる肥料である』とお話されるそうですよ。



    このサクセスストーリーは、自然栽培の農業の人の間で有名です。



    追求を重ねた自然栽培で、

    りんごを実らせたいと言う情熱から出る言葉、

    その底流に流れているリンゴを対等な生命の存在として思う

    木村さんの心、それらがすべて肥料になったという事です。

    なぜなら、いわゆる肥料は全く与えていないのですもの、、、。




    自然のままなら、

    山のリンゴと同じように小さな実しか付けないものを、

    木村さんのりんごは、普通の大きさ、味は深みのある甘いりんごです。


    それに、不思議な事にりんごを二つに切ると、真ん中に

    ある種のまわりの囲みがありません。


    じつは、中央にある種を囲んだあの部分は、リンゴ自身が、農薬や

    異物から種を守ろうとして作るのだそうです。

    木村さんのりんごは、無農薬ですからりんごが種を守ろうとする

    必要がない、だから種を囲む部分がないのです。



    自然というものは、あらゆることに対して、

    自分の種を守るための均衡を求めて変化します。

    それが造化の美です。





    また別な例をあげれば、

    心のさみしさ、嫉妬などが凶悪な事件等の行動の原因や機縁になって

    いるといった事などもあります。





    物と心は生命という存在の次元で一つなのです。


    物は、生命の存在の中で心につながり、

    心は、生命の存在の中で物とつながっています。

    生命という次元では同一の物が、

    現象界では物質と精神とに分かれています。



    何事もそうですが、

    現象だけに囚われたら本質を見抜けません。



    インディアンが作物に笛を吹く、

    木村さんがりんごに語りかける、

    そういった生命と生命との真の触れ合いが、

    心と物の繋がりを教えてくれます。



    これらは、

    今あたりまえに思っている近代合理主義の二元論では、

    説明のつかないものです。

    近代合理主義の二元論は、もうたくさんだと思います。


    この古い二元論の枠組みで不可能だとされ、考えもしなかった

    事実が、枠組みを出ることで可能になります。




    さまざまな問題があふれる中、二元論ではない新しい自然への

    対応の仕方を生活の中で、探っていかなければいけないと思います。

    学問が変わるのを待てないわ~


    庶民が生活レベルから変えるのが本物です。



    そうすれば、生命と生命との真の触れ合いとは?

    新しい物と精神との関係性の構築ですね。

    人と人との関係も。


    普段、当たり前だと思い込んでいるものを、

    疑問に思う事から始めましょう。



    身近な物質文明の影。

    それらに気が付く事、これが幸せへの一歩です・・・




























    -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 
    記事は無断転用なさいませんように、お願いします。

    [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。

    どうぞ宜しくお願いします。


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    テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
    ジャンル : 心と身体

            

    Comment

    モノに悪意の載せると、善意を載せると。

    モノに悪意を載せると、それは刃になります。
    モノに善意を載せると、人を癒せるかもしれません。

    モノで無関心を誤魔化す偽装をしても、人間見破るものです。
    その現象が、「自己責任論」の跋扈です。
    その挙句が、多くの人が自殺とホームレス化・社会不安の元凶なのですよね。

    「礼儀作法にこだわる人は、付いてこない人を無理やりに人を引きずる」
    と老子と言います。


    モノに固着する文明が、形だけ、結果だけを重視する文化を日本に出現させたように思います。

    結局、それが日本の現在の「不安」「混乱」の大きな一因でしょう。

    再見!

    なぜ、物が溢れているか解りました。

    捨てても捨てても、減らない物=
    どうして?どうして?と情けなくなります=

    これは、自分が物質文明の考え方にどっぷり漬かっているから・・・=
    そうか、心を軽く物を重要視して見ているのです=

    昔の人は、今ほどの物に恵まれなくて貧しかったのに=
    かしこい、人としては立派な方が育っています=
    文明は、解らずに知らずに難しいと思って来たのですが、幸せに関係する重要なことだった=
    今の教育は何やっているのかと大いに疑問です=

    Re: モノに悪意の載せると、善意を載せると。

    > モノに悪意を載せると、それは刃になります。
    > モノに善意を載せると、人を癒せるかもしれません。
    >
    > モノで無関心を誤魔化す偽装をしても、人間見破るものです。
    > その現象が、「自己責任論」の跋扈です。
    > その挙句が、多くの人が自殺とホームレス化・社会不安の元凶なのですよね。

    ★物質文明を利用して物は無機質であるという面を他人に向けるという事は、悪魔の仕業ですね。
    しかし、それは物質文明自体が低級だから、見透かされているのですね。
    この低俗な文明を壊さないと! (笑い)
    。....。..。..................................................。....。..。。..*☆゜

    > 「礼儀作法にこだわる人は、付いてこない人を無理やりに人を引きずる」
    > と老子と言います。
    >
    > モノに固着する文明が、形だけ、結果だけを重視する文化を日本に出現させたように思います。
    >
    > 結局、それが日本の現在の「不安」「混乱」の大きな一因でしょう。
    >
    > 再見!

    ★滅びの過程においては、本質を失いながら内部が崩れ、人々が皮相的な事柄に囚われる時代が、だらだらと七代くらいに亘って、、、続くと思います。
    元禄文化の後の江戸末期のようなもの。今が江戸時代にあたるという事ではありませんが、、、それよりもっと低い底、三番底のようなところを彷徨っているかな?
    これは、人間が悪いというよりも、この時代の思想が力を失っているからです。
    力もない思想(物質主義)を掲げた国が人々を幸せにするという本当の目的を失って、覇権だけを維持する為だけに虚業を盛んにするから、逆に不孝な人がたくさん出て来ている。
    時代そのものの徳が薄れて来ているのでしょうね。
    すべてが一度がらくたにならないと、、、分らないかも?です。
    それでも時代が気が付かないとしたら、おそらく気が付くまで壊れていくでしょうね。
    それで今までの偏りを取り戻して均衡を保とうとしている、そういうエネルギーが自然にあるような気がします。
    ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆

    Re: なぜ、物が溢れているか解りました。

    > 捨てても捨てても、減らない物=
    > どうして?どうして?と情けなくなります=
    >
    > これは、自分が物質文明の考え方にどっぷり漬かっているから・・・=
    > そうか、心を軽く物を重要視して見ているのです=
    >
    > 昔の人は、今ほどの物に恵まれなくて貧しかったのに=
    > かしこい、人としては立派な方が育っています=
    > 文明は、解らずに知らずに難しいと思って来たのですが、幸せに関係する重要なことだった=
    > 今の教育は何やっているのかと大いに疑問です=

    ★物が溢れるでしょう?
    それは、すべての思考に物を通さないと行けない回路が組み込まれているのね!
    しあわせになるには、物! 良くなるには物!(笑い)
    一度、その回路から抜け出る事が必要だと思います。
    愛情も物! あはは~まさにバレンタインだ~、クリスマスだ~、バースディだ~って、
    物を買いに走る?習慣が当たり前になっていますから、、、。
    何もなくて心から無形のものを大事に、その力を引き出す努力をするようにしたいですね~
    ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆

    菜の花、きれいです。

    今日は、オペが重なって大変な一日でした。
    丁度出会った事と同じ事が、内容になっていて驚きです。

    肉体といっても病気の体は、それぞれです。
    しかし、同じオペをし、薬を投与しても治り方が違います。
    生命の奥の、その方の精神力の強さ、信じる心の強さで体に出る結果が違います。
    コスモスさんの書かれている通りの世界を感じています。

    Re: 菜の花、きれいです。

    > 今日は、オペが重なって大変な一日でした。
    > 丁度出会った事と同じ事が、内容になっていて驚きです。
    >
    > 肉体といっても病気の体は、それぞれです。
    > しかし、同じオペをし、薬を投与しても治り方が違います。
    > 生命の奥の、その方の精神力の強さ、信じる心の強さで体に出る結果が違います。
    > コスモスさんの書かれている通りの世界を感じています。

    ★学問で分ることより、実際の現場で分った事の方が真実を掴めますね。
    その強さに支えられながらお仕事がんばってくださいね。
    ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆
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    寂光ーcosmos

    Author:寂光ーcosmos
    家系・個人の運命鑑定
    東洋運命学教室を主宰

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