![]() 2009
11/10 20:37 |
知識が豊富だけでは、何にもなりません。Category : 大自然と科学
![]() 科学は、部分観の智です---+"*☆★ 夕暮れ時の波の音 (33秒) をどうぞ! 知識が豊富だと云う事は、どれだけのものでしょう? 科学的だと云う事は、どれほどのもの? 私たちは科学という造形の城を、幾度も作り、作るたびに、 ” これが最高の城だ!” って、眺めて来ましたね! 何度驚いたり、びっくりしたりしたことかしら? それを積み重ねては壊し、古い知識を放りぱなしにして、 今は、もうその残骸と情報のスクラップのなかで生きているようです。 科学的な言葉は、それを使う時に、注意しないといけません! 科学的をよそおった言葉は、 ある一地点の、ある分析を、書いた一枚のメモでしかありません。 あるときが、数十年かも知れないし、 数百年かも知れないが、 無窮の時からみれば、 偽になる言葉だって含まれると云う事です。 だから、ある事がらには対応できる知識でも、 別の事には応用がきかないケースが、 自然界には、いっぱいあります。 どんなにテクニックを労しても、徒労ですね。 それは、部分観にしか過ぎないからです。 ” 部分智 ” です。 部分で全体を推し測ることなど、それは、無理です。 元初からの自然界そのものが、全体です。 人間は、そこから生まれたもの、 そのほんの一部なのですから・・・ 科学の知識は、 そのもっと、ほんの小さな部分だからです。 科学の力は自然界全体の数パーセントも解明してないかもしれません。 たぶん、そうでしょう。 だから、科学や知識はすぐ限界を露呈してしまいます。 自然は何もしなくても、 そのままありのままで、広大無辺です。 時空に亘って、際限なく限りがないのです。 完全であります。 自然は人間にとって偉大な師匠です。 自然は、血がめぐり熱を発する体そのもの。 科学は、次ぎの新たなメモが書かれると、偽になります。 もともと、それだけのもの、 人間の分かる範囲の中のものだからです。 科学が無駄、無能だという意味ではありません。 ただ、科学の出発や目的が、 すべて人間の善意からであっても、 結果は、どう利用されるかわかりません。 そして、人間の立位置を知って謙虚でなければ、 それは自らを滅ぼす暴力になるということです。 破壊や衰え、 滅亡につながる行為になるという恐れをもたなければ、 いけないと思います。 ----------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
|
Comment |
心からの賛辞を!!
ありがとう!! 又来ます。 Re: タイトルなし> 心からの賛辞を!!
> ありがとう!! > 又来ます。 ★どうぞ~ お待ちしています! 心からの不思議を、ごいっしょに、又。 ありがとう。★-------------------------------------:*・+☆+"*☆★☆ |