![]() 2011
08/06 16:57 |
.。.:*:.。..。 思い出の 海 .。.:*:.。..。.: 五行学の水の徳は、『智』Category : 東洋思想
![]() 海のなぎさ 潮騒の音 をどうぞ~! 今日は、五行学の水の徳・『智』についての記事です。 波の音には, 1/ f (エフぶんのいち)と云う揺らぎがあります。 周波数が高くなると音のエネルギーが小さくなって行く 規則性の音と不規則性の音が程よく調和したリズムが、 人を心地良くしてくれます。 それは、耳で聞こえない超音波も含み、 人がリラックスした時に表れる脳波・アルファ波を活性化するからです。 このゆらぎは、 耳ではなく、皮膚や骨を通して体のなかに入ってくるのですね。 五感以外からも人の脳は刺激を受け取っている訳です。 音楽は、耳から、 色彩は目からと云う訳ではなくて、 人間は、もともと、 自然からの刺激を身体中で受け止めています。 そして、生きる力を養っています。 目に見えないエネルギーで生物の生命は生かされ、 生命力を与えられているのですね。 あたりまえですが・・・ 大人になって都会の中に住んで、幾久しく、 今は、自然の山、海に接する機会は、めっきり少なくなりました。 しかし、自分の胸に意識を当てて、 心の中をのぞいて見ると、 真っ青な空が広がり、 その下には、濃い深い緑色の海があるようです。 こんな事を言いますと、笑われそうですが、 私は海、 私の体の中は空、 そう云う感じがします。 ほほっ。 実は、数年前に、 ネットで知り合ったあるブロガーのなかで、 自分の感覚に非常に近い世界観を持っている人だな、と思った人がいます。 だいたい、記事にしている内容も常にシンクロして、 人間に関する深い洞察の切り口で、今の文明に決して振り回されていない。 不思議な縁を感じるものがありました。 何かの時、その人が、書かれていたものの中に、 子供の頃、家から数分で行ける海で、一人で遊んでいた。 鎌倉の海だったそうで、その頃は、空と海だけの浜辺で、 完全に一人の世界で日没まで遊んだ子供時代だった。 自然の中で一人で毎日を過ごした事が、自分の人格を作った。 と云う風な文章を読みました。 なるほど、 子供時代に受け入れた世界が、同じだったのかもしれない。 目からも、肌からも、毛穴からも、 海の気配を吸い込み、 空のさやけさを取り込んでいたんだ。 きっと、そうだ。 そう思ったことがありました。 子供の頃の柔軟な鼓膜で海の音を日がな一日聞いて、 海の波の鼓動で息をして、 自然に見守られて育った人だった。 自然に愛されて、自然を信じて一体になった時間を持った同胞。 空の子、 海の子、 光の子、 子供の頃、 毎日裏山の頂上に、駆け上がって登り、 そこに、ちょうど公園があって、 ブランコを漕ぎながら、藤棚の椅子にすわったり、 陽が沈むまで空や雲を飽きずに、毎日見ていた思い出があります。 気が向けば、海辺へ走って行き、 岸壁のはしごで海浜に降りて、砂や岩の間を歩き回りながら、 さざ波の打ち際で、我を忘れて時が経つのも気がつかずに、 日がとっぷり暮れるまで、遊んでいました。 私は、一人で海へ行くのは恐かったので誰かいつも一緒でした。 たとえば、海へは、地元の漁師の家の友を誘い、 山へは、転勤族や、農家の子である友を誘い、 ずっと海と空の間で、遊んだものでした。 胸に染み入るような毎日の夕焼け、 日が沈んで夜の黒い海に変わる狭間の怖い自然の気配が、 妙な恐怖感となって襲ってくるぎりぎりまで、 夜の海の前で、どこまで耐えられるか立って見ていました。 自然の恐さを、確かめていたような..... 自然は、ある所まで行くと怖い存在です。 本当に、自然に吸い込まれてしまいそうな圧倒的な臨場感に、 それでも、自然に対峙してみたい好奇心と冒険心があるのですね。 引き潮で沖の岩礁まで行って、 岩場に座って、水平線辺りの外国船の船影を眺めているのが好きで、 時が経って気がつくと、周りは潮が満ちて! 満ち潮の海に、沖の岩礁に一人残されてしまい あわてて、必死で海の中を、 海が追いかけてくるような恐怖心を感じながら、 海岸へ向かって海の中をバシャバシャと、、、、、 あはは。 自然のなかの遊びは、 ディズニーランドのような気が利いたアトラクションはないけれど、 ほんものの、ドキドキが、あります。 今考えると、なんと幸せな時代だったのかと思います。 この恐怖心に誘われて、自然の中へ行くのかも知れません。 那須高原で、福島の白河へ出る道を走っていますと、 人工物がまったく見えない、 空と雲と、自然のままの木々と山々に取り囲まれる場所があります。 360°そういうロケーションに囲まれて、 大地に襲われそうな恐怖を感じます! ふー! いつもぞっとします。 たとえ冒険心の為でも、 自然の中では、人間は、絶対に調子に乗ってはいけないのね! 自然に対する安全は、きちんとした時間と距離をとる事だと、 たとえば登山は、給水とカロリー補給、体温調節と休憩が大事です。 自然の真っ只中では、 自らの欲望と力、自然の変化に対応するバランス感覚、 自律するしか、命の安全はないのです。 自分の身は自分で守るんだぞ! 調子に乗るな! 自然は、そう、教えてくれる。 身近な自然が、住宅や工場で埋め尽くされるまで、 生活の周りには自然そのものがありました。 それは、余りにも膨大にありそうだったから、大事にしなかったもの。 只で無尽蔵に、ある事が当たり前と思って、大いに無駄にしてきたもの。 『陽』の利益の為に、破壊し、真っ先に無視して犠牲にしてきたもの。 それこそが『陰』の本体、 生命を誕生させ、育む場としての地球の自然です。 それこそが、『 陰 』 そのものだったのです。 以前の五行の火の徳についての記事の中で、 火の徳である『礼』は、 邪心、不義、邪悪を鎮めます。 今でいう、邪悪の焼却、消毒ですね。 衛生、清潔、正しく命を守り、人の命を崇める思想の始まりです。 と、書きました。 今日は、水の徳である『智』についてです。 水の徳である『智』は、 単なる知識、知恵ではありません。 知識や知恵や経験の積み重ねが、 心身に蓄積されて、消化され、物事の道理や本質が見えるようになる。 それが、『智』です。 さらに道理や本質に従って浄化され、核心まで昇華されてから、 物事の(原因)、(その動向)、(その結果)を予測できる 優れた智恵となったものを、『智徳』といいます。 丁度、水が汚れや不浄なものを洗い落とす洗浄力のように、 物事の道理や本質を見通す智恵の力が、 不当な考えや、無理、偏見、独善の汚れを洗っていくのです。 水は、愚かさや無知から来る濁悪性を洗い清める智恵の力を意味します。 そして、水の性は、どこまでも水平です。 そして、その水平のまま、どこまでも、流れ入って行きます。 どんな隙間にも !!です。 水の形は、器に従う。と云いまして、 どんな形にも納まって行きます。 この融通無碍(ゆうづうむげ)な本質こそが知恵そのもの。 どんな環境にも合わせられる、自己執着のない、囚われない性質。 柔軟性。 そして、どの器に捕らわれても、水の水平と云う『天性』は失わない。 単なる知識や知恵(ノウハウ)では、徳性はあり得ません。 なぜなら、知識の段階では、善悪どちらにでも加担できるからです。 知識は、エゴイズムと云う魔性を克服していないからです。 知恵(ノウハウ)も、そうです。 それらは、魔性に利用をされます。 魔性とは、自分の命の永続のためには、他者の命を踏み台にできる事です。 これが、『陽』の本質です。 ゆえに、学問の知識で、人生を考えてはいけないのです。 ”知”という字は、矢と口です。 矢を持ち、天に誓う言葉を入れた入れ物が口です。 矢とは武器、命を懸けると云う象形、印です。 入れ物に入れた天に誓う言葉には、嘘がない、と命を懸ける。 それを”知る”と言うのです。 それが、( 知る )の原義です。 天に誓う言葉に嘘がない事を、命で保障する。=”知る”なのです。 嘘がないと命がけで誓える事しか、知ったとは言えない。 嘘である事を知っても、それは、「知」ではない。 えっ! すぐに嘘になるものを、 そんな簡単に”知った”と言ってはいけないのですね! あはは。 ここが、「知」と「智」の違いになります。 だから、単なる知識を増やす事=学問をする事は、幸せや陰徳とは比例しない。 そう、反比例する場合が多いのが現実ですね。 だから今の学問は、膨大な知る・知識の集積ではあるけれども、 新しい学説が出れば、嘘になる。 その知を利用して、 つかの間の知恵(ハウツー)を売る。 本にもマスコミにも、ネットにも、 その類の情報が、あふれかえっているのが、今です。 これらは、信じて買っても、すぐ不信になります。 『時』の経過でもって嘘になるものを智恵とは言わない。 無意識の井戸から智恵の水が汲み上げられなければ単なる雑学です。 徳性に結びつくかどうか、そこが分かれ道です。 「智」は、即、陰徳を積む行為なのです。 そういう意味で、実学と言えるかと思います。 ついでに、「智慧」は、仏教語です。 「智慧」は、無意識の領域ですから、 人間の前頭葉が生んだ意識、理性では、到達できず理解ができません。 今のこの『陽』の時代において、 女性こそが、知識や知恵(ハウツー知恵・やり方、方法)を身につけて、 経済活動と云う陰徳の消費活動に没頭するよりも、 智恵(道理)の武器を持たなければなりません。 水は、器に従う、しかし、水平という天性は失わない。と云う事、 すこし、考えてみてくださいね。 あ、でも器が小さければ、溢れてしまいますね、、、 あは! このように知や知恵があり過ぎるのも、良くない。 運命学では、水が多すぎる命式も、おばか、と言います。 あはは。 おろかな知恵=邪知=だます、だまされやすい運になると云う事です。 邪知に、土の徳『信』が失われる現象=不信が重なると、 不信が社会にあふれ出すと、人をだます邪知が出てきます。 (土の徳性、『信』ついては、いつか又、くわしく。) つまり、不信が、突っついて邪知を出動させるのです。 つまり、不安定な大地が、多大な水を動かすのです。 つまり、大地震が、大津波を起こします。 東洋の思想は、自然と我とが一体です。 我の意(意識+無意識)が体、自然が影。 体が曲がれば、影が曲がる。 それが、東洋の叡智です。 影と云う自然は、ただ、単に、目の前に、 海という、水という、物が有るのではありません。 地理学で習う地形がそこに、有るだけではありません。 人間が、産んだ物でも、作った物でもありません。 人間の肉体を構成する元素が、そこにあり、 この『陰』の本体の場から、産み育てられたのが、我々人間なのです。 人間の脳の働きである意識で作った西洋学問の知より深く、 宇宙の無意識の領域にまで、またがる広大な智恵の存在を、 どうか、信じて、 両手の中にすくい上げて、 飲んでみようと、思ってください。 それしか、魔性を乗り越える方途は、ないように思います。 あ、雷が鳴っています。 自然はライヴですね! すてきな夏の一週間を、お過ごしくださいね。 -----------------------------------------*・・+"*☆★☆." 記事は無断転用なさいませんように、お願いします。 [一部、版権]がございます。権利は放棄しておりません。 どうぞ宜しくお願いします。
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No title季節はいつのまにか移って、気がつくと一年の最後の12月を向かえてしまう。
それなのに、今年は、7月も、8月も意識して、蝉の声も聞いていない気がしています..... いつのまにか夏真っ盛りのはずですが、狂っています。 切ないことです。 我と宇宙が一体なら、、 季節の狂っているのは、きっと私たちの心が狂っているのでしょうね。 自然を大事にしないことは、自分たちを大事にしていなかったのですね。 自然を汚したことは人間の命を汚してきたのですね。 知らなかったとはいえ、単純に時代の知識を信じることはこわいですね。 No titleいや、またまた夜回り深夜便になって、
ひさしぶりに夏日にもどり暑かった。 水の性は器に従うのは、 男をたてる女らしさか、 勝手な解釈で、 東洋は奥が深いです。 暑中お見舞い申し上げます来週は、お盆になりますね。=
我が家も墓参に帰省の予定です。= 毎回のブログを読んで、どこまで付いていっているのかは問題ですが、= 東洋的思想が広く途方もないのに驚かされています。= >つまり、大地震が、大津波を起こします。 >東洋の思想は、自然と我とが一体です。 >我の意(意識+無意識)が体、自然が影。 >体が曲がれば、影が曲がる。 自然と私たちの間に差別がない。と、こうなる。地震が津波を起こす。たしかに理屈では解ります。= でも実感としてはまだまだなので、ほんとうにそうなのだろうかとか、そういえばそうだとか、考えています。= けっして受け入れられないものではありませんね!= 東洋的に考えたほうが、いろんな意味が解ってくるのが、またふしぎです。= 言葉に言い表せない事を、このように記事になさっていることにも驚いています。= 智恵を女性が持つべきだとは、女性が柔軟であることが大事なのでしょうね、= そして天性を失わないとは、(ここがムズカシイのですが、)自分らしさではないのでしょうね。= 今の西洋的にいいとされているのと、違う気がしています。= 自分のなかで変わっていくような期待をもってこれからの記事を読みたいと思います。= 暑くてかないませんね。今回の記事は、案外わかりやすかったのですよ。
いまは、何でも自然のせい、国のせい、なにかのせいにします。 産まれてきたのも親のせいなど、行き着くところまで行くような時代ですね。 地震や津波の科学的な説明がなされても、それをどうすることも出来ない理屈です。 あとは、経済を立て直すだけでよしのような感じですが、ほんとうにそうでしょうか。 自然の破壊の現象に対しては経済なのかと疑問に思っていました。 東洋的な、昔の人たちの智恵の方が反省をしてまえ向きに生きれます。 自然=人間で、私どもの姿勢を正そうと言われれば、 そうか、それなら仕方がない。反省するしかないです。 こうして先祖たちは謙虚に生きてきたと、それがあって今があると感謝をしています。 庭の花、この花とおなじ自然が地震を起こしたと言う今の科学は疑問だらけです。 No title>自然の真っ只中では、
>自らの欲望と力、自然の変化に対応するバランス感覚、 >自律するしか、命の安全はないのです。 >自分の身は自分で守るんだぞ! 調子に乗るな! >自然は、そう、教えてくれる。 「自然」の中で自然に遊んだ子どもは、無意識の中にその教えを蓄えていきますね。 大人に無理矢理「自然」の中に連れて行かれても、ましてや言葉で「自然とは」と教えられても身にはつかないと思います。 少なくとも子どもの頃の私はそうだった。 だから、そんな不自然なことは我が子にはしたくない...できないのです。 今、子ども達の遊んでいる場所はもちろん、遊びそのものも、話しているのを聞いていても、苦しいほどの危機感を感じます。 大人の欲で作った不自然な環境。 大人はこれ以上、何をしようとしているのか...子どもに何を残そうと思っているのか。 >天に誓う言葉に嘘がない事を、命で保障する。=”知る”なのです。 >嘘がないと命がけで誓える事しか、知ったとは言えない。 その通りだと感じました。 今回はいつもにも増して、想いがどんどんあふれます。 Re: No title 鍵コメントさんへ
コメントありがとうございました! Re: No title> 季節はいつのまにか移って、気がつくと一年の最後の12月を向かえてしまう。
> それなのに、今年は、7月も、8月も意識して、蝉の声も聞いていない気がしています..... > いつのまにか夏真っ盛りのはずですが、狂っています。 切ないことです。 > > 我と宇宙が一体なら、、 > 季節の狂っているのは、きっと私たちの心が狂っているのでしょうね。 > 自然を大事にしないことは、自分たちを大事にしていなかったのですね。 > 自然を汚したことは人間の命を汚してきたのですね。 > 知らなかったとはいえ、単純に時代の知識を信じることはこわいですね。 ★そうですね。 時代の知識を、そのまま真実だと受け入れる事は、早とちりになるかも知れませんね。 それは、「知」の字義からみても、間違いないと命を掛けた事しか「智恵」には育たないのですね。 季節もですが、地震のデーターでも、今の地球は普通ではないそうです。 何事もなく時が過ぎて行くことを祈るしかありません。 いつも変わらぬ友情に感謝いたします。 心☆cosmos Re: No title> いや、またまた夜回り深夜便になって、
> ひさしぶりに夏日にもどり暑かった。 > > 水の性は器に従うのは、 > 男をたてる女らしさか、 > 勝手な解釈で、 > 東洋は奥が深いです。 ★毎日暑い日が続いていますが、お疲れなきように! 水の性、そうですね。それも当たっていると思います。 まずは、現実生活、社会活動性は、男性が本です。 おかげさまで他の者は、生きているわけですからね。ありがたいことですわ~!! いつも気に掛けてくださり感謝申し上げます。 心☆cosmos Re: 暑中お見舞い申し上げます> 来週は、お盆になりますね。=
> 我が家も墓参に帰省の予定です。= > 毎回のブログを読んで、どこまで付いていっているのかは問題ですが、= > 東洋的思想が広く途方もないのに驚かされています。= > ★暑中お見舞い申し上げます! あついですね。 東洋と云うのは、すばらしい所です。 > >つまり、大地震が、大津波を起こします。 > >東洋の思想は、自然と我とが一体です。 > >我の意(意識+無意識)が体、自然が影。 > >体が曲がれば、影が曲がる。 > > > > 自然と私たちの間に差別がない。と、こうなる。地震が津波を起こす。たしかに理屈では解ります。= > でも実感としてはまだまだなので、ほんとうにそうなのだろうかとか、そういえばそうだとか、考えています。= > けっして受け入れられないものではありませんね!= > 東洋的に考えたほうが、いろんな意味が解ってくるのが、またふしぎです。= > 言葉に言い表せない事を、このように記事になさっていることにも驚いています。= > 智恵を女性が持つべきだとは、女性が柔軟であることが大事なのでしょうね、= > そして天性を失わないとは、(ここがムズカシイのですが、)自分らしさではないのでしょうね。= > 今の西洋的にいいとされているのと、違う気がしています。= > 自分のなかで変わっていくような期待をもってこれからの記事を読みたいと思います。= ★いろいろに深くお考え下さって、うれしいです。 天性ですが、汚れない、不純にならない、自分を見失わない、など..... 具体的には、自分なりに東洋の智恵を深めて行ってくださいね。 いつも変わらぬ友情に感謝申し上げます。 心☆cosmos Re: 暑くてかないませんね。> 今回の記事は、案外わかりやすかったのですよ。
> > > いまは、何でも自然のせい、国のせい、なにかのせいにします。 > 産まれてきたのも親のせいなど、行き着くところまで行くような時代ですね。 > 地震や津波の科学的な説明がなされても、それをどうすることも出来ない理屈です。 > あとは、経済を立て直すだけでよしのような感じですが、ほんとうにそうでしょうか。 > 自然の破壊の現象に対しては経済なのかと疑問に思っていました。 > > > 東洋的な、昔の人たちの智恵の方が反省をしてまえ向きに生きれます。 > 自然=人間で、私どもの姿勢を正そうと言われれば、 > そうか、それなら仕方がない。反省するしかないです。 > こうして先祖たちは謙虚に生きてきたと、それがあって今があると感謝をしています。 > 庭の花、この花とおなじ自然が地震を起こしたと言う今の科学は疑問だらけです。 ★わかりやすかった! とは、うれしい言葉です。 あはは。 > 自然の破壊の現象に対しては経済なのかと疑問に思っていました。 そうそう、そうですよね。 経済を立て直す前に、反省が、いるでしょう? そう思っていましたよ。 > 自然=人間で、私どもの姿勢を正そうと言われれば、 > そうか、それなら仕方がない。反省するしかないです。 反省が国を挙げてできないのは、自然=人間を、忘れている? ですね! 鋭い指摘、そして、いつもお心使い感謝申し上げます。 心☆cosmos Re: No title> >自然の真っ只中では、
> > >自らの欲望と力、自然の変化に対応するバランス感覚、 > > >自律するしか、命の安全はないのです。 > > > >自分の身は自分で守るんだぞ! 調子に乗るな! > > >自然は、そう、教えてくれる。 > > > 「自然」の中で自然に遊んだ子どもは、無意識の中にその教えを蓄えていきますね。 > > 大人に無理矢理「自然」の中に連れて行かれても、ましてや言葉で「自然とは」と教えられても身にはつかないと思います。 > 少なくとも子どもの頃の私はそうだった。 > だから、そんな不自然なことは我が子にはしたくない...できないのです。 > 今、子ども達の遊んでいる場所はもちろん、遊びそのものも、話しているのを聞いていても、苦しいほどの危機感を感じます。 > > 大人の欲で作った不自然な環境。 > 大人はこれ以上、何をしようとしているのか...子どもに何を残そうと思っているのか。 ★そうですね。 今は偽の自然をお金で買うと云う事がいいように思われています。 子育ての中にまで、商業主義が入って来ています。 と、云うよりも、商業主義が、子育ても何もかもをマネージメントしているようです! つらい、かなしい知識だけの時代ですね。 > >天に誓う言葉に嘘がない事を、命で保障する。=”知る”なのです。 > > >嘘がないと命がけで誓える事しか、知ったとは言えない。 > > > その通りだと感じました。 > > 今回はいつもにも増して、想いがどんどんあふれます。 ★あなたも海の子、空の子、同胞ですね。 あはは。 どんな現実でも、思いは無くさないようになさってね。 かならず、時を経て伝わると思います。 いつもあたたかいコメントに感謝申し上げます。 心☆cosmos |